七話 おぼえていません。これでいいの。
目が覚めると孤児院の大部屋の天井が見えた。
予想していたことだったので、レダは驚きも慌てもしなかった。
(がろんは、おどろいたかな)
でも「逃げたと思わないで」と言っておいたから、いいだろう。
レダにはそう思う以外、どうしようもなかった。
「れだ、おきた!」
瞼を開いてぼんやりしていると、急に耳元で叫び声があがった。
びくっと体をふるわせた瞬間、また全身に激しい痛みが走り、レダは唇を引き結んでうめき声をぐっとこらえた。
一方、そんなレダの様子にはまるで気づかず、ただ彼女が起きたことに歓喜したメメリーは、部屋の外へ走っていってまた叫んだ。
「れだ、おきた!」
間もなく大人達が現れ、レダは初老の司祭に「いったい何があったのですか」と問われた。
「なにもおぼえていません」
レダはその一言で押し通す。
目の前で心配そうな顔をするクリフトン司祭でさえ、レダはひとかけらも信用していなかった。
誰がグランベルクにつながっているかわからない状況で、何をどこまで話しても大丈夫なのか確証のない今、「何も覚えていない」の一点張りでいくべきだと迷わず判断していた。
言葉づかいが急に変わると違和感をもたれるかもしれないと思い、口調も含めて美和子と同じになるよう注意しながらクリフトン司祭に応じる。
初老の司祭はこわばった顔をしたレダに、穏やかな声で言った。
「あなたは突然ここを飛び出して、街からも出て、魔獣の棲む森へ迷い込んだのです。そこで牙に毒のある魔獣に襲われたそうで、幸い通りかかった猟師さんが助けて、足に解毒薬をすりこんでくれたから良かったものの。運が悪ければ、あなたは今頃命を失っているか、足を失っていたのですよ。
それなのに、なにも覚えていないのですか? ひとつも?」
(あたしはりょうしにたすけられたことになってるのか。
……それにしても、やさしそうなかおしてるくせに、けっこうえぐいこというな、このじじい)
レダは内心思ったが、顔にはおびえを浮かべてささやくようにちいさな声で答える。
「ほんとうに、なにもおぼえていません」
しゃくぜんとしない顔で「そうですか」とうなずいた司祭は、考え込むような口調で言った。
「何か悪しきものに惑わされたのかもしれませんね。すこし辺りを見回ってきましょう。ここには“祓い”のできる『祝福の子』がいませんから、何かあったとしても、見つけられるかどうかさえわかりませんが」
「困りましたね」とつぶやいて、クリフトン司祭はレダが最近言った場所を聞き、そのすべてが教会の中だと知ると、「ではすぐにでも行ってきましょう」と言って部屋を出ていった。
(はらいってなに。くりすたるって、なに?)
聞き覚えのない言葉に疑問符が浮かんだが、体はまだあちこち痛いし、司祭相手に演技して疲れたし、きらきらとした眼差しで穴があくほどこちらを見つめるメメリーの存在にはため息が尽きないので深くは考えない。
(ばかなみわこ。
こんなになつかせて、どうするつもりだったの。
あたしたちは、あのおとこにつかまってるのに)
いつ何が起きるか知れないのに、なんの考えもなくメメリーを自分になつかせた美和子にも、あきれてため息がこぼれた。
けれど、ただあきれているわけにもいかない。
メメリーが何かに巻き込まれて殺されでもしたら、今でさえギリギリなところにいる美和子は、本当に壊れるかもしれない。
面倒だけど、今のうちに突き放しておくべきだ。
「めめりー、じぶんのしごとにもどりなさい」
レダは美和子の言葉づかいをまねて、淡々と言った。
メメリーはびっくりした顔をして、ふるふると首を横に振った。
「めめりー、れだと、いっしょ」
「わたしはけがをしているから、うごけないの。でも、めめりーは、げんきでしょう。
たってあるけて、じぶんのてがつかえるひとは、はたらかなくちゃいけないの」
メメリーはむぅっと唇をとがらせて、繰り返した。
「めめりー、れだと、いっしょ」
「わたしのいっていることが、わかっていてそういうのなら、いいよ。
わたしももう、めめりーのはなしはきかない。めめりーのかおもみない」
いきなり殴られた子犬のような顔をして、メメリーはふるふると震えた。
そして必死に言った。
「やだ! めめりー、やだ!」
「それがいやなら、じぶんのしごとにもどりなさい」
言ってから、レダはそういえばメメリーの仕事というのは何だっただろう、とふと思った。
ずっとレダの後ろについてきていたメメリーが、まともに何かをやっていたことなどあっただろうか。
(……いっかいも、ないきがする)
メメリーはたぶん、レダの手伝いしかしたことがない。
食事の食べ方がわからないというだけで、お腹が空いていても料理に手を出さなかった前歴のあるメメリーだ。
何をすればいいのかわからないとなると、何も動けずかたまっているだけになる可能性もある。
(めんどうなこ……)
ふうとため息をついて、レダは妥協した。
「ろいどのところへいって、おてつだいをさせてもらばいいよ。
ろいどはきっとちゃんと、なにをしたらいいのかおしえてくれる。
あとはまわりのひとがやっていることをみて、まねをしておいで」
メメリーは言えばわかる子だし、物覚えもいいし、手先も器用だ。
コミュニケーションさえとれれば、きっとミシェルより問題のすくない働き手として、けっこう使えるようになるだろう。
「めめりー、めめりーは」
ぐずぐずと動かず、メメリーはレダのそばにいたいのだと、懇願の眼差しでじいっと見あげた。
けれどいつも優しいみんなのお姉さんは、どうしてかひどく冷たい目で彼女を見おろして言った。
「いきなさい、めめりー」
しょんぼりと肩を落とし、さみしげな顔で何度も振り返りながら、メメリーは部屋を出ていった。
(これでいいの)
いくつものベッドが並べられた大部屋でひとり横になりながら、いちまつの寂しさに気づかないふりをして、レダは思った。
(これでいいの)




