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剣の聖女は覇王と踊る  作者: 縞白
一章 剣の聖女
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六話 魔獣の森。おにがわら。物騒な寝言。





「たすけて!」


 言葉は懇願のようだったが、その目は命令を下していた。

 そしてガロンは彼女の青い目に捕えられた瞬間、本能的にその言葉に従っていた。


《 とまれ! 》


 人には声と聞こえない声で叫ぶと、幼い少女を食らおうとしていた魔獣はびくんと硬直して驚き、ガロンに気づくと一目散に逃げていった。


 深い森の中、これほどちいさな女の子がどうして一人でいるのか。

 驚きあきれるガロンの前で、魔獣に襲われていたその子はふらりと倒れ、枯れ葉の中へどさりと沈んだ。

 彼が慌てて抱き起こすと、ちいさな体は全身すり傷や切り傷でぼろぼろで、とくに左足にひどい噛み傷があった。


 オオカミに似た先の魔獣にやられたのだろうか。

 あれの牙には毒があるから、早く解毒しないと足が腐り落ちるだろう。


 彼にその子を助ける理由はなかった。

 人から嫌われ、人を拒んで街を捨てた彼に、いまさら人助けをする気などなかった。


 けれど真っ直ぐに自分を見すえた青い目があまりにも印象深くて忘れられず、気づけばガロンは意識のないちいさな体を抱きあげていた。





 ◆×◆×◆×◆





 ぎぃぎぃと木のきしむ耳障りな音を聞きながら、うっそりと目が覚めた。

 そしてその瞬間、全身に激痛が走り、レダは息を詰まらせた。


(そうだ、ひどいけがをしたんだった)


 グランベルクが真夜中に訪れ、悪夢のように去ったことに混乱した美和子がアイジスの街から飛び出して、森に入りこんだ。

 疲れきった彼女と交代したレダは森から出ようとしたが、間に合わず魔獣に見つかって襲われ、足を噛まれた。

 そしてそのまま食い殺されるかという危うい所で、ふいに現れた誰かに助けを求めたのだ。


 痛みにうめきながら息をしているということは、助かったのだろう。

 そのことにひとまずはほっと安堵の息をついて、レダはつぶやくように思った。


(ばかなみわこ。まじゅうのいるもりに、ひとりではいりこむなんて)


 思ったが、それでも必死で走ったその心を、レダはバカにはしていなかった。

 走らずにはいられない気持ちはよくわかった。

 だから後先考えずがむしゃらに走る美和子を止めず、体の主導権を奪いもせず、今も心の奥底で泣いている美和子には何も伝えなかった。



(あたしのなかの、もうひとりのあたし。

 いまはすきなだけ、ないていればいい。

 からだはあたしがまもるから。


 でも、いつか、なきやんで。

 そうしたら、また、うたを、うたって……)



 祈るように思ったところで、ドガッとドアを蹴飛ばして、ずんぐりした男が足音もなく小屋に入ってきた。

 レダはそちらに顔を向けて、その男と視線を合わせた。


(なんだっけ、これ……?)


 レダはぼんやりと考えた。

 たしか美和子の記憶の中に、これとよく似たものがあった。

 ひどいケガのせいで高熱に浮かされた頭で、うろうろと記憶を探り、レダはしばらくしてそれを見つけた。


(ああ、そうだ。おにがわら。このひとのかおは、おにがわらにそっくり)


 記憶を見つけて満足したレダと視線を合わせたまま、その場でいっさいの動きを止めた男が言った。


「叫ばんのか」


 乾ききったのどで、レダはささやくように訊き返した。


「さけぶ?」

「わしの顔をみたモンは、たいてい驚いて叫んで、こわがる」


 男の答えを、レダは鼻で笑った。


 今さらたかが顔ひとつでこわがるものか。

 もっと恐ろしいものを知っているのだから、この程度、驚くまでもない。


 それよりものどが渇いた。


「おみず、ください」


 たぶんこの人は自分を助けてくれたひとだ。

 そんな気がするから、レダはていねいに頼んだ。


 「お、おぅ」と挙動不審に頷いた男は、水瓶(みずがめ)から木製のお椀で水をくみ、レダを起こしてゆっくりとそれを飲ませてくれた。

 体を起こすだけで、のどをこくりと上下させるだけであちこちが痛んだが、レダは何も言わず水を飲みほし、椀を空にすると深く息をついた。


「ありがとう」


 男は何も言わずレダを寝かせ、お椀を置きに行った。

 レダはそのずんぐりとした背を見あげ、声をかけた。


「たすけてくれて、ありがとう」


 男の背がびくりと震え、沈黙が返った。

 無愛想な人だと思ったが、レダはかまわなかった。


「あたしは、れだ。あなたのおなまえは?」


 美和子がメメリーに名を聞いた時のことを思い出して訊ねる。

 しばらくの沈黙の後、岩のような背中を向けたままぶっきらぼうな声が答えた。


「ガロン」


(へんななまえ)


 レダは思ったが、助けてくれた人なので口には出さなかった。

 それよりも言っておきたいことがあった。


「がろん。ひとつだけ、おねがいがあるの」

「……何だ」


「あたしがきゅうにいなくなっても、にげたんだとは、おもわないで」

「お前は急にいなくなるほど動けんだろう」


「うん。でも、おねがい。あたしはにげたりしない。でも、たぶん、つれていかれる」

「誰かに追われてんのか?」


 ガロンが振り向いた。

 黒と銀の混じったもじゃもじゃの髪の奥で、緑の目がぎらりと刃物のように光る。


 レダは不思議と、それを怖いとは思わなかった。

 その目がもたらすのは、母の腕の中にいるかのように、安らかな心地。


 しずかな声で答えた。


「そうだけど、ちがう。たぶんあたしは、いまもおりのなかで、くさりにつながれてるんだ」

「檻の中で? 鎖につながれてる?」


 とてもそうは見えねぇが、と言うガロンに、レダは夢うつつにつぶやいた。


「あたしをにがさないというなら、もういい。

 あたしはもう、にげない。にげたり、しない。

 いつかかならず、このてであいつをころして、じゆうに、なる……」


「レダ。……おい、レダ?」


 答えが返らないことに不安を感じたガロンは、レダのそばに来て顔をのぞきこんだ。

 みごとな黄金の髪に、やや鼻が低いものの、愛らしい顔立ち。

 ちいさな体でガロンにおびえず「ありがとう」と礼を言った少女は、眠りに落ちていた。


 ガロンはため息をつき、ぼそりとこぼした。


「物騒な寝言だな」


 太い指で毛布をかけなおしてやり、よく眠っているその顔をもう一度見て、近くの沢へ水をくみに出かけた。





 そうして、しばらく後。

 魔獣の棲む森でひっそりと暮らすガロンが小屋へ戻ると、そこには少女の姿だけがなかった。





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