王太子妃の座お譲りします〜私を溺愛する愛が重い公爵様と始める悠々自適な夫婦生活〜
「リーシア、君との婚約は今日で解消させてもらうよ。僕はアマンダと結婚する」
「……え?」
また王太子殿下から呼び出されたと思いきや、侯爵令嬢リーシアを待っていたのは美しい令嬢を侍らせてふんぞり返っている王太子だった。
「つまり、私は王太子妃にはならないと言うことですか」
「ああそうだよ。だって、君は僕の婚約者でありながら何もしない無能じゃないか! その上可愛らしさも無ければ色気もない、社交で役立つ美貌もないおかげで僕は一向に国民からの人気も上がらない。それに比べてアマンダの美しさは……」
隣の令嬢は王太子の最近の浮気相手の令嬢、アマンダだ。
彼女は勝ち誇った笑みを浮かべ、リーシアを見下して笑っている。
王太子はリーシアに対してアマンダがいかに素晴らしいかを延々と語っているが、もはやリーシアの耳には届かなかった。
「……っ、た」
「何かな。言いたいことがあるのなら最後に聞いてやっても」
「やっっったぁぁーーーーー!」
「!?」
突然叫び出したリーシアに、二人とも目を丸くしている。
だが、もう王太子の婚約者でなくなったリーシアはお構いなしだ。
「どうぞお好きに婚約解消なさってください! 王太子妃の座は喜んでお譲りします!」
「は、はぁ!?」
「やっと開放される! 王太子妃教育も、あなたの外交上でのやらかしを揉み消して回ることも、あなたのスケジュール管理もなにもかも明日からやらなくていいのね! 最高だわ、明日から毎日8時間寝てやるんだから!」
「お、おいリーシア待て!」
驚く王太子も構わず、リーシアはガッツポーズをしながら廊下を駆けていく。
もはやリーシアには淑女の嗜みなど一切頭の中になかった。
ただ、長年の頭痛の種であったこの王太子から解放されたことが何よりも嬉しくてたまらなかった。
そして、そんなリーシアを物陰から見つめる男が一人——————。
「ああリーシア。ついにあの憎き男が君を手放してくれたなんて……!」
夢中で爆走するリーシアはそれに気づかない。
そしてそのまま、角を曲がったところで彼の胸元に突撃する。
「わっ!?」
「ふふ、大丈夫かい? 僕の天使」
倒れそうになったところをふわりと優しく抱きとめられた。
だが。
(ん……?)
なんだか今、変な言葉が聞こえたような。
リーシアが恐る恐る顔を上げると、そこにいたのはメレディス・クレイ公爵だった。
「公爵様!?」
「待っていたよ、僕のリーシア」
「僕の!?」
「ついに王太子との婚約が解消されたようだね。この日をずっと心待ちにしていたよ。今までお疲れ様、よく頑張ったね」
色々引っかかるところはあったが、これまでの苦労を労われ思わずリーシアは感情を爆発させてしまう。
「そ、そうなんですよぉ〜! もう、ずっとあの人から開放されたいとどれだけ願っていたことか!
メレディスとはもう長い付き合いで、何度も悩みを相談して助けてもらった恩人だ。
今の王太子の従者が彼の従弟だという縁からの関係だったが、メレディスは親切で心優しい性格で、いつもリーシアを励まし、王太子が起こした様々な問題のもみ消しを手伝ってもらうこともあった。
でもそれも今日までのことだ。
「ということで、晴れて自由の身となったので、私はこれから実家のベッドで最高の昼寝をさせてもらいます」
「それについてなんだが……僕の屋敷へ来ないかい?」
突然の提案に、リーシアは首を傾げる。
だが、続く誘い文句に抗う術はリーシアには無かった。
「最高級の素材を使用したふかふかのベッドに、美味しいお茶とお菓子も用意してある」
「そ、それはなんと魅力的な……!」
「それに、僕の屋敷なら君を邪魔する者は誰もいない。王太子との婚約解消を聞いた君のご両親も近づけないし、王妃の遣いがやって来ることもない。君の望む極上の環境に最も近いと思うんだが……」
「今すぐお邪魔させていただきます!」
迷いなくリーシアはメレディスの手を取り、彼の屋敷へ共に向かう。
メレディスのことは昔から誰よりも信頼しているのだ。
実家で両親に今すぐ王宮へ謝りに行けと怒られるのは目に見えているのだから、メレディスの元へいた方がずっと、心ゆくまでひと時の自由を謳歌できる。
「君の平和な生活は、全て僕が取り戻してあげるよ。もう二度と、僕から離れられなくなるぐらいに……」
「まあ、公爵様ったら!」
リーシアはメレディスの言葉をジョークだと思ったようだが、彼のじっとりと絡みつくような重たい眼差しには気付かなかった。
***
「え……王太子殿下、リーシア様との婚約は破棄するけど、仕事はそのままさせるはずじゃ……」
「い、いや大丈夫だ。あいつは真面目で生粋の仕事人間だから、すぐ戻ってくるに決まっている。そんなことより、僕たちの婚約を記念して盛大な宴を開こうじゃないか!」
王太子妃の仕事を押し付ける計画に失敗したアマンダがすっかり焦っているのにも気付かず、王太子は大声で笑いながら馬鹿げた提案をしている。
(はぁ……ついにこうなったか)
その様子を見ていた王太子の従者、バートはため息を何とか押し殺していた。
「派手にパーッとやろうじゃないか! 華やかに盛大な贅を尽くした宴を開いて、僕たちの婚約を多くの貴族たちに祝福してもらうんだ」
長年男児に恵まれず、やっと生まれた待望の跡継ぎである王太子は、王妃にこれでもかと言うほど甘やかされて育った男だ。
自身の権力は気の向くままに振りかざすというのに、国の未来についてはまともに考えもしない。
この前なんて、議会で発言を求められ適当にその場の思いつきで課税を提案したことで大勢から批難を食らったばかりだ。
(その失言も、これまでのふざけた政治案も、社交界での醜聞も……全て裏でリーシア様が揉み消して下さっていたというのに!)
あろうことか、王太子はリーシアを無能と蔑み、堂々と浮気をする始末。
だからバートは提案したのだ。王太子には、リーシアとの婚約解消を。そして自身の従兄、メレディスにはリーシアを庇護し婚約を結ぶことを。
今頃公爵家の客室でのんびり過ごしているであろうリーシアを思い浮かべながら、バートも自身の辞職表を握りしめていた。
***
「リーシア、気分はどうだい?」
公爵家の客室にて、リーシアは天蓋付きの広いベッドの上で、真新しいふわふわのネグリジェをまといながら横になっていた。
「もう最っ高ですよ、公爵様! さっきまでマッサージをしてもらっていたんです。長年の肩こりと疲れが一気に吹き飛んじゃいましたよ!」
「それは良かった。今にもとろけそうな顔をしているね。本当に君は可愛いよ」
メレディスはベッドに腰掛け、リーシアの笑顔をじっと見つめる。
「そのネグリジェもよく似合っているね。このまま一枚の絵画にしたいぐらいだ……ああでも、絵師を呼んで君の姿を見せるなんて、それだけは許せない……でも絵師を呼ばなければ絵画は残せない……」
「落ち着いてください、公爵様」
突然ひとりでに苦しみ出したメレディスをなだめる。
屋敷に来てから彼は時々そういった挙動を見せるので、リーシアはすっかり慣れてしまっていた。
「それにしても、どうしてこんなにピッタリなサイズで用意してくださったんですか? もしかして、公爵様は目測が得意で?」
「そんなところだよ。君のことなら爪の先から髪の一本に至るまで、全て知り尽くしているから……ね」
「ふふ、公爵様ったら本当に面白い冗談をおっしゃいますわね」
リーシアはくすくす笑ってから、ごろりと寝返りを打つ。
未婚の令嬢が親族でもない貴族を前にこんな姿を晒すなんて、絶対に許されないだろう。
でも、ここでのことはリーシアとメレディスだけの秘密だと最初から取り決めていた。
だからリーシアは、気にせず自由に自然体で振る舞えるのだ。
「でも、もう二週間もお邪魔させてもらっていますけど……本当に良いのですか?」
「ああ。というより……実は、今は君を外に出すことはできないんだ。これを見てくれ」
メレディスはベッドサイドに置いたゴシップ誌を手に取りページをめくる。
彼が部屋に入った時に持ってきたものだ。
リーシアはそれを見て驚愕した。
「な、なんですかこれ」
『王太子殿下、夜会で衝撃発言。隣国に対し宣戦布告か』
とんでもない迫力の見出しだが、内容を読むに酒に酔った王太子が調子に乗って隣国の軍事力を揶揄し、我が国が攻めいればすぐ陥落すると吹聴したとのこと。
もちろん宴席でのジョークだと書かれてはいるが、この記事だけ読めば日頃から彼がそのような思想を持っていると伝わってしまう。
「うっわ……だから酒はやめてとあれほど言ったのに……」
以前から度々そういうことはあった。
王太子はアルコールに弱いのに、いつも前後不覚になるまで飲んで、主催者の貴族に迷惑をかけたことが何度もあり、その度にリーシアが謝罪に出向かされていた。
「これはかなり低俗な部類に入る雑誌だが、王太子が起こす問題はこれだけじゃない。議会での居眠りに個人に対する誹謗中傷、そして新しい王太子妃となるアマンダ嬢に過剰なまでに財を投じて贅沢をさせているという醜聞……たった二週間でもう何件も明らかになっている」
リーシアはもう、空いた口が塞がらなかった。
「これまであの人がこうした問題を起こす度、私がもみ消しに奔走していたのは公爵様もご存知ですよね……」
「ああ。そして君が居なくなった途端、やはり王太子は制御を失った。だがそろそろ、誰のおかげで地位を保ち続けられていたのか気付く頃合いだろうな」
そうなると、あの男が取る行動などひとつしかない。
リーシアは頭が痛くなってきた。
だが、メレディスがそのような真似を許すはずがない。
「このままでは、きっと王太子殿下は君を取り戻しに来るだろう。だが、それは許さない。そんな事のために、僕が情報を広めたわけではないんだからな」
「そうですよね……え?」
今、メレディスはなんと言っただろうか。
「今、なんて?」
聞き返したリーシアに、メレディスはにこりと笑みを見せる。
「僕が新聞社に少し話したんだ。知りたがっていたから、僕が見聞きした出来事を軽く教えてあげただけだよ。君を苦しめた報いにしては、あまりに軽いが……釘を刺すなら早い方が良いだろう?」
「た、たしかにそうですけど……」
「それに、噂好きのヘイレス伯爵にもね。彼、いつも社交界でのゴシップを求めているから、君と王太子の婚約解消に興味津々といった様子だったから、王太子の困った話で手打ちにしたんだ」
メレディスは満面の笑みで、まるで戦果を報告するかのように誇らしげにしているではないか。
なんだか友人にしては至れり尽くせりだとは思っていたが、そこまでしてくれるなんて思いもよらなかった。
「それに、侯爵夫妻からも、君を守ってくれと言伝を貰っている。君の名誉を守るためにも、噂好きの伯爵を放っておくわけにはいかなかったからね」
「お父様と、お母様が……!?」
「お二人とも、君の身を案じていたよ。何も心配することはないさ。僕は何があっても君を守る」
「ですが、私はただの客人で、これ以上公爵家に迷惑をかけるわけには……」
「だったら、ただの客人じゃなければいいんだろう?」
そしてメレディスがリーシアに伝えたのは、衝撃的な提案だった。
***
「おいっ、ここにリーシアがいることは分かってるんだ! さっさと出せ!」
翌日、メレディスの予想通り公爵家に現れたのは大声で騒ぐ王太子だった。
その髪は寝癖がついたままで、服もヨレヨレ、タイすらきっちり結べていない。
とても王太子とは思えない有様だったが、その隣で血走った目をしているアマンダもまた、未来の王太子妃には見えなかった。
「おやおや、お二人ともお揃いでどうかなさったのですか?」
ずらりと使用人を引き連れ現れたのはメレディスだ。
すかさず王太子が彼に詰め寄る。
「貴様だろう! 僕の発言を全て市井にばら撒いているのは! あんな、夜会で冗談めかして言っただけのことで、街は僕に対する憎悪でいっぱいじゃないか……!」
「なんのことでしょうか。覚えがありませんが……しかし、国民に重税を課してお二人の結婚費用を捻出しようという提案はずいぶん興味深いですね。殿下の目には国民がどのように映っているのか、一度覗いて見たいくらいですよ」
にこりと笑顔で挑発するメレディスに、王太子はいとも簡単に乗せられる。
「ふざけるな!」
「あの女がここにいることは分かってるんです! 殿下にフラれた腹いせで、私たちの結婚を批難しているんでしょ!? たかが法律を少し変えたぐらいで、どうして私まで社交界で除け者にされなきゃいけないのよ……!」
隣で同調したアマンダが、必死になってリーシアを呼び出そうと訴えている。
だが、どれだけ麗しい顔で瞳を潤ませ、露出の多いドレスを着たところでメレディスの目には虫けら同然にしか映らない。
「ああ、『貴族間での婚約解消や離婚の際の再婚に関する制限の撤廃』についてですか。しかし、あれは王妃殿下の強行により採決されたように思えます。ご意見がおありなら、ぜひ王妃殿下に仰っていただくのはどうでしょう。未来の義母なのですから、私よりも気安い関係でしょうし」
「どこが……! あの女に毎日毎日毎日いびられて、私はもう限界よ……!」
アマンダの叫びに真っ先に反応したのは、王太子だった。
「っ、アマンダ! お母様の事を悪く言うなとあれほど言ったじゃないか……!」
「何がお母様よ! あんなに私を愛していると言ったのに、どうして私を守ってくれないのよ!」
王太子は母親に甘やかされて育ち、今でも母親離れできない男だ。
そんな男が嫁姑問題の助けになるはずがないだろうに。
お互い愛し合っていたはずの二人は、今や顔を歪めて口汚く相手を罵りあっている。
「おやおやお二人とも、夫婦喧嘩ならご自宅でやっていただいても?」
「黙れっ! とにかく公爵、今すぐリーシアを出せ! 誘拐の容疑で君を通報することもできるんだぞ!」
王太子がそう怒鳴った時だ。
「——————誘拐? 聞き捨てならないわね」
コツコツとヒールの音を響かせながら姿を表したのはリーシアだ。
王宮で業務に追われていた頃と違い、優雅に気品たっぷりに微笑んでいる。
美しいドレスも相まって王太子は本当に同一人物か疑いかけるも、必死になってリーシアに呼びかける。
「リーシア! 早く王宮に戻ってこい! お前の仕事が山ほど残っているせいで、こっちは大変なんだ!」
「仕事? なんの話です?」
リーシアはメレディスの隣に並び立つ。
「私は公爵夫人なので、関係ありませんわ」
「…………は?」
王太子もアマンダもぽかんとしていたが、二人の結婚の最大の要因は他ならない二人自身だった。
「いやあ、本当にあなた方による法律の改正は驚かされました。おかげで愛するリーシアとすぐに結婚することができて、こちらとしてはお礼を申し上げたいぐらいですよ」
婚約解消後の他者との再婚約について、以前はあった数年間の制限を自分たちのためだけに取っ払ったのは他でもない彼らだった。
「そ、んな……」
ドサリと崩れ落ちる王太子に、追い打ちをかけるように王宮からの遣いが駆け込んでくる。
「殿下、国王陛下がお呼びです。いますぐ王宮に戻るように、と……!」
「はぁ? こっちは今大事な話し合いをしてるんだ。用事ならお前が代わりに聞いておけばよかっただろ、この役たたずが!」
相変わらず部下に対しては態度の大きい男だ。
昔を思い出して、思わずリーシアは眉をひそめる。
その様子ももちろん、メレディスは見ていた。
「これ以上、我が妻の前でそういった無礼な振る舞いは控えていただきたい」
「何を偉そうに……!」
「それとも、あなたの過去の話をゴシップ誌に載せて欲しいと?」
小声で囁かれたその時。
ようやく王太子は思い出した。
そういえば、この男も自分のしくじりを揉み消してくれていた一員だった——————と。
青い顔で汗を流す王太子に、メレディスは一言付け加える。
「ああ、そうだ殿下。遠方の国で、外患誘致疑惑により廃太子となった王子がいると話に聞きましたよ。——————どうぞ、ご自身の口にはお気をつけください」
***
「まさか、あの二人のおかげで私たちがすぐに結婚できるなんて展開になるとは思いもよりませんでしたよ」
邪魔者は消え去り平和が訪れた公爵家の部屋で、リーシアはのんびりお茶を飲んでいた。
リーシアの部屋は客室から、公爵夫人の部屋へ既に移動している。
「ああ。あの二人に唯一感謝すべき点だな」
メレディスはリーシアの隣に座り、彼女の顔をちらりと見つめる。
あの頃毎日疲弊していた彼女は、いまや頬はふっくらとして健康的な色を取り戻し、書類にペンをたこができるほど必死に走らせていた手は、紅茶を嗜むためだけに使われている。
まさに、理想。
メレディスが望んだ、最愛の人との楽園はここに完成した。
「リーシア……これからも、君に僕の愛を捧げ続けると誓うよ。一生、君を大切にする。例え死が二人を分かつとも、僕の魂は永遠に君だけのものだ」
メレディスはリーシアの手を握りしめ、真摯に力強く語る。
「ありがとうございます、公爵様。私、今とっても幸せですわ」
リーシアはそう言って微笑んだ。
そのあまりの美しさに、メレディスはすっかり見蕩れていた。
「……夫婦なんだから、その『公爵様』というのもやめてくれ。夫なんだから、名前で呼んで欲しい」
「ふふ、そうでしたね。メレディス様、ふつつか者ですが、これからもどうぞよろしくお願いします」
————————やっぱりちょっとだけ愛が重くて変わっているけれど、それもある種の愛情表現よね。
なんて、リーシアは思いつつメレディスに抱きついてみる。
その後、メレディスが喜びのあまり目を回して気絶してしまったのは言うまでもない話だ。
その後、次々と社交界での問題や外交相手に対する無礼などで両国の関係悪化を招くなどしたため、一年も経たないうちにあえなく王太子は廃嫡となったそうだ。
それからの二人は辺境の地に送られたと風の噂で聞いたが、今のリーシアには関係のない話だった。
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