<EP_002>デジタル御用聞き
既に見飽きた富士山を横目に、私は車を走らせる。
頭に浮かぶのは「不具合、出とらんかのぉ」という、しつこいほどの懸念だけだった。
そもそも、私はSEではない。 大学時代に少しシステム開発をかじった程度の人間だ。
既存のソフトをフル活用し、パズルのように繋ぎ合わせる。それが私の限界だった。
新卒で入った会社でも現場作業が主で、ITとは無縁の生活を送っていた。
趣味といえば、自作のエロゲーを誰に見せるでもなく作って遊ぶこと。
あとは大学時代、吹奏楽部や演劇部に頼まれてパンフレットやポスターを作ってやっていたくらいだ。
今の会社へ転職する際、その「大学時代の作品」を実績として示し、情報科出身という経歴を最大限のハッタリとして利用した。
その結果、私は中途採用で「企画広報部」へと配属されたのである。
企画広報部といっても、メンバーはO室長と私の二人だけ。
主な業務は、本部からの要請に応じた企画立案や、社内報の取りまとめ、取引先への説明資料作成などだ。
私が最初に手掛けた自社アピール誌とPR動画は、本部や取引先から予想以上の好評を得た。
今思えば、それがすべての始まりだった。
我が社は絶望的にデジタル化が遅れていた。
平成も終わろうかという時代に紙資料が飛び交い、決裁には「ハンコのスタンプラリー」が不可欠な組織だ。
私の元には、各部署から殴り書きのような手書きの議事録が集まってくる。
それをデータ化して本社へ送るのが私の日課だった。
(いや、会議中にPCで打てばええが……)
心の中で毒づきながら、汚い字を翻訳し、見やすく整えてデータに落とし込む。
その後、再びプリントアウトしてファイルに綴じる。
私にとっては朝飯前の作業だが、同僚たちの目には、私が魔法か手品を使っているように映るらしかった。
一度、会議にノートPCを持ち込み、終了後30分で議事録を共有したときは、周囲の度肝を抜いたのを覚えている。
そんな環境だったので、私は鼻歌混じりに仕事を片付けていった。
時間が余れば積極的に他部署を回り、議事録の整理やスタンプラリーの代行を買って出た。私が顔を出すと、あちこちから相談が舞い込む。
「プレゼン資料の見栄えを良くしてくれ」
「あの資料はどこにある?」
「PCが固まった、助けてくれ」
そんな瑣末な依頼ばかりだったが、中途採用の身ということもあり、私はお人好しにもそれらを片っ端から引き受けていた。
直属の上司であるO室長は、真面目だが独善的で、他人に極めて厳しい人物だった。
企画広報部という立場上、他部署に口を出す機会も多いため、「あれをやっておけ」「俺は聞いていない」と横柄に振る舞う彼は、社内でも蛇蝎のごとく嫌われていた。
ある日、O室長が休みの時に、営業部の女子社員からヘルプが入った。急な欠勤が出て、どうしても手が回らないという。
私は隣の庶務課に「営業部へ行ってきます」とだけ言い残し、現場へ向かった。
完璧には分からずとも、業務の流れは把握している。周りに教わりながら欠勤者の穴を埋め、どうにかその日の業務を完遂させた。
多少の残業にはなったが、営業部からは心底感謝された。広報部の仕事は翌日に回せばいい。そう判断して私は帰路についた。
だが翌朝、出勤したO室長は挨拶もそこそこに激昂した。
「なぜ、昨日の分が終わっていない!怠けていたのか!」
事情を説明している最中、例の女子社員が出勤してきた。彼女も必死に事情を説明してくれたが、室長の怒りは収まらない。
「それは営業部長の指示か!勝手な真似をするな!」
室長の執拗な追及に、ついに彼女は泣き出してしまった。 運良く通りかかった営業部長の取りなしでその場は収まったものの、その後、私は1時間以上にわたって説教を食らう羽目になった。
「はぁ……なんで、もっと早くできないかな。本来ならとっくに終わっているはずなのに」
(お前が説教で止めてなきゃ、1時間早く終わっとるんじゃ!)
聞こえよがしに呟く室長に、心の中で精一杯の毒を吐きながら、私は驚異的なスピードでキーボードを叩いた。
その日の業務と前日の残り分をすべて終え、終業時間前に室長の未決箱へ叩き込む。 「あーあ、今夜は残業だ。誰かさんのせいでな……」
背後から飛んでくる嫌味を無視して、私は会社を後にした。




