<EP_014>受話器の向こう
翌日、出社した私は、T室長に「すみません、今日は広報の仕事は一切しません」と断りを入れ、社用PCに例の出自不明なフリーソフトをぶち込んだ。
自宅で練り上げてきたコードを、無心で打ち込んでいく。
(大丈夫。俺が一から組んだガラクタより、プロの手によるソフトの方が遥かに堅牢なはずなんじゃ……)
自分に言い聞かせるように、キーボードを叩き続けた。
移植作業は終わり、自作の「なんちゃってデバッグシステム」を走らせる。 奇跡的に、エラーを吐かずに動作は終了した。
一気に全環境を入れ替える度胸はなかった。
私は友人Mに連絡を取り、彼のPCを借りて一週間のモニタリングを開始した。
当時、Mは持病の悪化で一線を退かされていたことも、幸いして検証用の環境を確保しやすかった。
一日に何度も広報部とMの部署を往復する。
相変わらず携帯には社内からのヘルプサインが絶え間なく届いた。
一時的にNさんに対処を代行してもらったが、彼のあまりに無愛想な対応は現場で不評を買い、結局は私が終業間際に行脚して回る羽目になった。
Mと話し合いながら出力結果の不備を洗い出し、見つけては応急処置のパッチを当てていく。
修正すべき箇所は判明している。
あとは、ただひたすらに層を重ねていくだけだった。
Mの元へ通うということは、必然的にYちゃんのいる部署に顔を出すことでもある。
N室長から不愉快な嫌味を言われた気もしたが、もはや気にする余裕もなかった。
(やかましい。女のケツを追いかけてるだけのテメェとは違うんじゃ!)
心の中で吐き捨て、私は作業に没頭した。
一週間の試運転を経て、私は施設長に「刷新」の完了を報告した。
とはいえ、爆弾を抱えている自覚はあったので、まずは各部署一台ずつの導入とし、段階的に拡大する方針を採った。
案の定、地鳴りのような不具合報告が始まった。
その合間を縫ってデジタル関連のヘルプ要請が飛び交い、私の精神は完全に磨り減っていた。
社内クライアントに振り回され、神経をすり減らしている間も、本業である企画広報のタスクは容赦なく積み上がる。
半分パニックを起こしそうになりながら、私は社外のクライアントともギリギリの交渉を続けていた。
そんな、ある日のことだった。
デスクの電話が鳴り響いた。
その直前まで、私は左手に持った携帯で同僚の泣き言を聞いており、目の前のモニターには修正途中のパッチコードが開いたままだった。
脳内の処理能力はとっくに限界を超えていた。
私は、液晶に表示された電話番号すら確認せず、怒りに任せて受話器をひったくった。
「やかましい! こっちにも仕事があるんじゃ!ちぃとぐらい待っとれ!」
確か、そんな罵声を浴びせたと思う。
受話器をガチャンと叩きつけ、ふと我に返った。
(……今、誰からの電話だった?)
見ると、外線の緑のボタンが点灯していた。
背筋に冷たいものが走り、一瞬にして顔の血の気が引いた。
再び鳴り出した電話機の液晶を見つめる。
それは、次回の大型企画において最重要となるクライアントの番号だった。
肺が潰れるほどの深呼吸をすると、私は、震える手で再び受話器を取った。
「……お電話ありがとうございます。企画広報部の清水でございます」
「……清水さん。さっきの電話ですけど……」
「大変申し訳ございません!」
私は受話器を握り締めたまま、デスクに額を叩きつける勢いで、深く、深く頭を下げた。




