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<EP_013>Nさんとキャベツとフリーソフト

再び意識を取り戻したのは、翌日の朝だった。

私は見舞いに来た母に、連絡用の携帯と、気を紛らわせるためのノートPC、そしてモバイルWi-Fiを持ってくるよう頼んだ。

談話室へ移動し、会社へ電話を入れる。

庶務課の女子社員に「胃潰瘍で一週間ほど入院する」と告げると、「お大事に」という短い返事とともに、事務的に通話は切れた。


入院生活は、とにかく退屈の極みだった。

食事は重湯のようなドロドロのペースト食から始まり、それが酷く不味い。

「不具合が溜まっていないか」「広報の仕事は滞っていないか」

懸念は頭を離れなかったが、T室長に電話をして残酷な現実を突きつけられるのも怖く、私はただ無味乾燥な病室で時が過ぎるのを待った。


退院後、久しぶりに出社した私のデスクに、あの忌々しい付箋は一枚も貼られていなかった。

デジタル関連の急ぎの業務は、臨時でNさんが対応してくれたらしく、目に見えるトラブルは残っていない。


ただ、Nさんは極めて無愛想な御仁だ。

他部署からの要請に対しても、「これは清水じゃなきゃ無理だ」「それくらい隣の奴に聞け」と、にべもなく撥ね退けていたらしい。


Nさんは社内でも有名な変人だ。

かつて食堂で、タッパーにぎっしり詰まった大量のキャベツの千切りを、何もかけずに黙々と食べ始めた彼を見た時、私は己の目を疑った。


喫煙所で遭遇したNさんに、私は何度も深く頭を下げた。

彼は、我が社において数少ない「デジタルの理屈」が分かる貴重な人材だ。

コードこそ書けないが、私の業務の特異性を、おそらく社内で最も正確に理解している社員だった。

彼からの不具合報告は常に的確で、「ここをこう修正してくれ」という具体的な指示は、孤独な開発を続ける私にとって唯一の救いでもあった。

「Nさん……システムの刷新、どうすればいいんでしょうね。正直、何も思いつかないんです」

「俺にも分からんよ」

Nさんは素っ気なく、しかし吐き出す煙とともに言葉を継いだ。

「……そんなに悩んでると、また胃に穴が開くぞ。Excelからのデータ抽出なんて、無理に自前で書かなくても、フリーソフトを介在させる手があるんじゃないか? 吐き出すのがテキスト形式でも、数字だけなら標準フォーマットだろう。自作プログラムでこねくり回すより、シートごと丸ごと抜き出して流し込んだ方が早いだろうに」

「いやいや、流石に会社のPCに勝手にフリーソフトを入れるのは不味いでしょう」

「何を今更。清水の組んだシステム自体、素性の知れないフリーソフトと大差ないだろ」

Nさんの言葉に、私は射抜かれたように沈黙した。

自席へと戻る。

(フリーソフトか……)

私の中で、何かが音を立てて弾けた。


その夜、帰宅した私は、Excel操作に対応したフリーソフトを数本ダウンロードした。

中身を解析してみると、そこには私のような独学の人間には到底書けない、整理された美しいコードが並んでいた。

見たこともない関数が幾重にも組み合わされ、洗練されたロジックを構成している。

(……やっぱり、プロの書くものは違うのぉ)

感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。

刷新を命じられて密かにコードを持ち帰った際、そのあまりの複雑さに絶望して画面を閉じた時の記憶が蘇る。


(……これなら、いけるかもしれん)

一本のソフトに目が留まり、思考が急速に回転し始める。

(このソフトをとっかかりにしてExcelをシートごと抜き出し、セルを照合させてから現行システムへぶち込む。データの格納方法さえ工夫すれば、今よりも安定性は増すはず。まあ、現行が不安定すぎるという根本的な問題はあるが、それは今に始まったことじゃないからの……)

それは、技術者として踏み越えてはならない一線だったかもしれない。

だが、一度芽生えた「これなら動く」という根拠のない高揚感を、私はもう、止めることができなかった。

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