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<EP_001>大沢崩れと私

「何やっとんじゃろ……」

独り言をこぼすと、私は軽自動車のシートを倒した。防寒のためにズボンを二重に穿き、布団代わりのコートと毛布を被って横になる。 私の名前は清水。元・会社員だ。


その日、昼前に目を覚ました私は、近くのスーパーへと足を向けた。

2リットルの烏龍茶を2本と弁当を買い込み、車内で味気ない昼食を喉に流し込む。

1月にしてはよく晴れた日で、窓から差し込む日差しを浴びながら、ぼんやりと今の境遇を反芻した。

「明日から、もう会社へ行かんでええんよな……」

不意にそんな実感が胸を突いた。

「……旅にでも出るか」

思いつくまま、私はエンジンのキーを回した。

「どこに行こうか」

あてなどは最初からない。ただの衝動だ。

なんとなく、これまで縁のなかった三保の松原を目的地に定め、ナビをセットする。

ナビは効率重視の高速ルートを提示したが、今の私に急ぐ理由などどこにもない。

一般道優先に設定し直すと、一度自宅へ戻り、ノートPCとモバイルWi-Fiを車に積んで出発した。


「ついてないのぉ……」

渋谷に差し掛かった辺りで小雨が降り始め、私は苛立ち紛れにハンドルを叩いた。

BGM代わりにテレビをつけてみるが、画面から流れてくるのは、かつての自分には縁のなかった平日昼下がり特有の喧騒だった。ワイドショーの騒がしい声を、ただ漫然と聞き流した。

「不具合は出てないじゃろか。メールの返信、ちゃんとできとるかの……」

ハンドルを握りながら考えるのは、未だに会社のことばかりだ。

昨日までひっきりなしに震えていた携帯が沈黙していることに、得も言われぬ寂しさを覚える。

しかし、考えても仕方のないことだ。私は無心でアクセルを踏み続けた。


厚木に入る頃には集中力も底をつき、今日の移動はここまでと決めた。運よく見つけた地元のスーパーで弁当を買い、近くの駐車場に車を止める。ノートPCを開いて一通りメールをチェックし、私は早々に眠りにつくことにした。


夜明けとともに目を覚ます。毛布を後部座席に放り込み、コートを羽織って外へ出た。

身体を伸ばすと、車中泊に慣れている身でも避けられない全身の強張りが、節々に響く。 そのままナビに従って車を走らせた。長いトンネルを抜けると、道沿いにコンビニを見つけた。

車を止めてトイレを済ませ、朝食代わりのパンとコーヒーを買い求める。温かい飲み物が欲しかったが、昨晩のうちに調達しなかった自分を呪いながら、冷え切ったボトル缶を手に取った。

車内でパンを齧り、コーヒーを啜る。

テレビでは朝の情報番組が始まっていた。最初の天気予報で静岡の晴天を確認し、すぐにスイッチを切った。

今思えば、出社前に必ず見ていた番組だったから、無意識に拒絶反応が出たのかもしれない。 私は昨日の弁当箱とともにゴミを捨てると、再び車を走らせた。


カーブを曲がった瞬間、視界の先に巨大な富士山が飛び込んできた。

「おおぉ……」

間近で仰ぎ見るその姿に、思わず感嘆の声が漏れる。朝日に照らされた富士山は雄大で、どこか神々しさすら感じさせた。

しかし、それも最初だけだった。行けども行けども、視界の端に富士山が居座り続けている。

「案外、汚ねぇんじゃな」

そんな感想が口をついた。

大沢崩れが剥き出しになった斜面は、絵画で見るような滑らかな質感ではなく、酷くデコボコとしていた。

どれだけ進んでも逃れられないその威容に、私は次第に飽きを感じ始めていた。

「これだけ執拗に見せられると、ありがたみも何もないのぉ」

独り言は、冬の冷たい空気の中に白く消えていった。

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