第二十話 ポルト・オーリオと、イエナの想いと。
「あのじじい、自分が約束したくせに、全部俺に押し付けやがった」
湯煙の中、別の煙が立ち上がる。
ラグナは温泉を上がると、煙草を吸いながらそう言った。
文句を言いながらも、どこか楽しそうだ。
ブレイヴェンを出発する前日の夜。
俺とタツオは、ラグナの誘いで例の温泉にやってきた。
ラグナは、あれ以来温泉を気に入り、時間を見つけては来ているらしい。
王に就任後、即位式や業務の引き継ぎなど、
慌ただしい日々を過ごしているようだ。
「まあお前らには世話になったから、喜んで協力するけどな。この国やマルカドールの裏は、俺が一番よく知っている」
ラグナは言った。
「ラグナさんは、マルカドールの支配者を知っているんですよね」
俺は聞いた。
「ああ。ガレオン=ルクレール。
拝金主義の商人だ。金がすべてと思っている。
が、その分、判断基準がはっきりしている」
「判断基準?」
「俺が、闘技場で戦っていたのは言ったよな?
あそこの仕組みは、よくできている。
まず、基本的には闘士は保護されている。
衣食住はすべて闘技場持ち。
怪我をすれば、医務室ですぐに治療される」
闘技場と言えば、命をかけた殺し合い、というイメージがあった。
だが、マルカドールではそうではないらしい。
「なんでか分かるか?ガレオンにとって、
闘士は貴重な〝商品〟だからだ。
特にランクの高い闘士は人気商品として丁重に扱われる。
Sランクの闘士なんて、まるで貴族のような部屋が与えられるぜ」
「すごいですね」
「ガレオンって男は、金儲けの天才でもあるが、
人心掌握もうまい。
闘士の反乱が起きないように、成果に対してはきちんと報酬を与えるんだ。
実際、そこで稼いで自由を勝ち取る闘士もそれなりに多い。
——俺のようにな」
「どうやったら解放されるんですか?」
「解放条件は、シンプルだ。
闘って稼いで、自分を買えばいい。
──闘技場は、魔獣との闘いだ。
どこから集めてくるのか知らんが、色んな魔獣が出てくる。
俺は式術が使えないから、苦労したぜ。
勝てば報奨金が支払われ、負ければランクが下がる。
勝利が難しいと判断されると、すぐに闘士は撤退させられる。ある意味、過保護だな。
まだ戦えると思っても、負けにされちまうんだからな。
中には無理をして死んじまう奴もいたが……。
とにかく、勝てば勝つほどランクは上がる。
ランクが上がるほど報奨金は上がるが、出てくる魔獣も狂暴で大きいものになる。
俺が最後に戦ったのは、見たこともない肉食獣だった。
五メートルはある大型魔獣だ。それなのに、やたら素早かった。
あれはさすがに、死を覚悟したぜ。
最高ランクのSランクで十回くらい勝てば、解放金は貯まる」
「解放金はどれくらいかかるんでしょう」
「俺の時は一千万ソルだったな。俺は、余裕を持ってから出たから、
それを払っても五百万ソルくらい残ったが」
一千万ソル。概ね、八千五百万くらいか。
人ひとりの値段としてそれが安いのか、高いのか。
俺には分からなかった。
「ところで、お前ら、マルカドールに行く目的は何なんだ?
そろそろ教えてくれてもいいだろ?」
ラグナは聞いた。
俺は少し迷ったが、ラグナには話をしてもいいかもしれない。
「闘技場にいる男を、解放しに行きます」
「ほう。──お前らの仲間か?」
「いえ。男の名は、シャイン=カムイ。
カムイ侵攻で捕虜となり、マルカドールに売り渡された王子です」
「そうか。カムイの王子様か。
——それはずいぶん重そうな仕事だな。
しかし…それはかなり難しいぞ」
「なぜです?」
「闘技場は、完全に管理されている。
闘士でいる間、外部との接触は一切できない。
つまり、その男と会う手段がない」
ふむ。つい数年前まで闘技場にいたラグナがそういうなら、
状況は大きく変わっていないだろう。
あとは、マルカドールで考えるしかない。
「そのあたりは、向こうで考えます。
他にも、知っていることを教えてもらえますか?」
「ああ。マルカドールは、まあ商業都市だな。
世界中から、色んなものが集まってくる。
首都のある島は、カジノ都市でもある」
「カジノ?」
この世界にも、ギャンブルがあるのか。
「一番人気の闘技場に始まり、テーブルゲームも盛んだ。
あちこちに賭場が立っている。
世界中から富裕層が集まってくる島だ。
金の匂いにひかれ、金の亡者が集まってくる。
あそこで一晩で使われる金があれば、
——貧民街のやつらは一生暮らせるだろうぜ」
ラグナは、持ってきた酒を飲み始めた。
「ところでお前ら。式術は使えるんだろう?ユイトのその白い頭は見たことないが……
タツオのその真っ赤な髪。赤の高位者だろう?
闘技場でも式者はいたが、そんな鮮やかな色は見たことがない。せっかくだ。なにか見せてくれないか?」
そういってタツオの方を見た。
タツオは、それを聞くと、うーん、どうしよう。と言った。
そして、空を見上げる。
空は、すっかり暗くなり、星々が見える。
周りには、木々もない。
「じゃあ、空を見てて」
そう言うと、両手に火の球を作り始めた。
うわ、こいつ、最大火力を出すつもりだ。
タツオはその球を合わせると、
「インフェルノ」タツオが言った。
火の玉は空に向かって飛んでいく。
着地点がないそれは上空ではじけ、散った。
まるで花火のようだ。
なんだか、懐かしさを感じる。
「……すさまじいな。こんなの食らったら、すぐにお陀仏だ」
ラグナは言った。
「そう。だから、僕を怒らせない方がいいよ」
と冗談っぽく言って、タツオは笑った。
俺は、その炎が一人の人間を焼き尽くしたことを思い出していた。
あれから、タツオはどう思っているんだろうか。
この火力はつまり、人を簡単に殺せる。
タツオがその気になれば、
——国を壊せる。
タツオはこの力をどう使い、どう生きていくのが正しいのだろうか。
俺は、空に広がる火を見ながら、そんなことを考えていた。
翌日。
ブレイヴェンを出発する時が来た。
ラグナは、俺たちに偽造の入国許可証を用意してくれていた。
これがあれば、マルカドール国境も、
そこから首都への船旅も問題なく行けるはずだ、
とラグナは言った。
見送りには、ラグナと——フィオラも来てくれた。
彼女には、王とラグナの間を繋ぐ上で、とても世話になった。
「皆様、お気をつけて。皆さまからは、
——本当に多くのものを頂きました。
無事仕事が終わったら、ブレイヴェンに寄ってください」
フィオラはそう言った。
アルヴァルドにも会いたかったが、見送りにはこなかった。
「じじいは、今日は釣りに行ってくるってよ。
まったく、面倒くさい仕事を押し付けて、
自分は隠居生活だ。気楽なもんだ。
——まあ、しばらくはゆっくりさせてやるさ」
ラグナは毒づくが、笑っていた。
ここからは、まずマルカドール国境まで二日、
そこから船で首都まで一日程度の旅だ。
山道が続くが、あと少し。
目的地は、もうすぐだ。
二日後。
山を抜けた先に、海の匂いが混じり始めた。
道は広くなり、荷馬車の数も増える。
交易路だ。
やがて、石造りの巨大な門が見えてきた。
ここが、ブレイヴェンとマルカドールの国境。
〝ポルト・オーリオ〟と呼ばれる、
マルカドール領の玄関口。
豪奢な門の上には、波と金貨を組み合わせた紋章が掲げられている。
マルカドールの紋章だろうか。
「止まれ」
槍を持った衛兵が近づく。
「入国証の提示を」
ラグナが用意した、偽造許可証を差し出す。
少しだけ、緊張するが、平静を装う。
衛兵は無言で確認する。
紙質、刻印、封蝋。
そして俺の顔を見る。
「目的は?」
「観光です」
イエナが自然に答える。
衛兵の視線が、タツオの赤髪に止まる。
「……式術者か」
「はい。護衛です」
短い沈黙。
衛兵は頷いた。
「許可証は確認できた。通れ」
門が開く。
ふう。やはり、後ろめたいことをすると緊張するな。
門を抜けると、そこは潮の匂いのする、港町だった。
海沿いには倉庫が並び、
石炭の匂いと潮風が混ざる。
港には帆船が並んでいた。
そして、その隣に——黒煙を上げる船。
「蒸気船だ……」
タツオが目を細める。
帆を備えながら、中央に太い煙突を持つ大型船。
ゆっくりと煙を吐き出している。
「無事、入国できましたね。
次はいよいよ、船で首都に出発です」
イエナが言った。
マルカドールの位置は、地図で見ると、
北陸地方、新潟あたりだった。
首都とされた場所は、能登半島あたりだったはずだが、
この世界では海で隔たれた島となっている。
——長い時の中で、地形が変わったのだろうか。
いずれにしても、マルカドールは海に囲まれた天然の要塞となっている。
船着き場は人で溢れていた。
商人、貴族風の男、豪奢な衣装の女。
皆、首都を目指すのだろう。
——金の匂いが、ここから始まっている。
「そういえば、この馬車どうするの?」
タツオが手綱を引きながら言う。
確かに、このまま船に乗れるわけがない。
同じような馬車が向かう先についていくと、
港の手前に大きな建物が見えた。
石造りの二階建て。
看板には金色の文字。
港湾交易厩舎・保管所
「なるほど。皆ここに預けていくみたいですね」
イエナが小さく頷く。
中に入ると、驚くほど整然としていた。
広い馬房。
干し草は新しい。
水桶も清潔。
受付にはきちんとした身なりの男が座っている。
「保管ですか?期間は?」
「えーっと……一ヶ月くらいですかね」
俺は答えた。
どれくらいかかるか検討もつかないが、
現地での調査、解放までの動きを考えると、それくらいは覚悟した方がいいだろう。
男は帳簿をめくり、さらりと言った。
「一日二百ソルですが、一ヶ月なら割引で五千ソルになります。別途、保険に入る場合五百ソルが追加でかかります」
合計、五千五百ソル。
まあまあなお値段である。
しかし、馬車は生命線だ。
背に腹は変えられない。
俺の表情を察したのか、男は続けた。
「安全と信用は、金で買うものです。
ここで預けた馬が盗まれたことは一度もありませんし、
万が一があっても補償があります」
その自信。さすが商売の国、マルカドール。
俺が頷くと、イエナが金貨を出した。
「じゃあ、一ヶ月、お願いします」
男は丁寧に一礼する。
「責任を持ってお預かりします」
別れ際に、馬の頭を撫でる。
「悪いな。少し待っていてくれ」
ここまでの旅路を共にした相棒だ。
ここに置いていくのは少し寂しかったが、
施設は信用できそうだ。
金のためなら信用を守る。
ガレオン=ルクレールの思想は、
海の向こうからポルト・オーリオまで浸透しているようだった。
馬車を預けると、出発まで時間があったため、俺たちは港に向かう前に腹ごしらえをした。
どの店も身なりのいい客でごった返している。
できるだけすいている店を選び、俺たちはそこに入った。
俺たちは、マルカドール名物という
マルカドールシチューと、
トレド、と呼ばれる香草焼きの平たいパンを注文した。
シチューは水っぽく、パンは固かった。
この国も小麦が主食のようだ。
テオロッドよりも味はマシだったが、正直うまくはない。
そして、やはりこの生活に慣れた今でも恋しくなる。
──米が。
日本人としての誇り。
生きがい。
ノーライス、ノーライフだ。
しかし、ないものをねだっても仕方ない。
ブレイヴェンで、そばを作ることができたんだ。
いつか、米を食べられる日が来るかもしれない。
──その日を信じて生きていこう。
俺はそう心に決めた。
食事を終えると、船着き場に向かった。
「首都行きはあれみたいだべ」
ミサキが、港の奥、ひときわ大きな蒸気帆船を指す。
船体側面に、金の装飾。
船尾にはマルカドールの紋章が飾ってある。
「乗船証の確認を」
船員が名簿を照合する。
入国許可証と合わせて、乗船証も偽造してある。
ラグナの仕事にぬかりはない。
再び視線がタツオの髪に向く。
「随分高位の式者のようだな。闘技場に出るつもりか?」
船員が冗談っぽく言った。
「まさか、観戦ですよ」
タツオに代わり、俺は答える。
「だろうな。あそこは、奴隷専門だ。楽しんでくるといい」
そう言うと、船員は俺たちの次の乗客に目を向けた。
板を渡り、船に乗る。
甲板は広く、貨物も積まれている。
船底から、低い振動。
蒸気機関の鼓動。
「すごいですね」
イエナが言った。
その雰囲気に、少しテンションが上がっているように見える。
「これも……オルディアの科学技術なんだべ?」
ミサキが続ける。
そうだ。その驚異的な進歩の謎は分からないままだが、
オルディア、ノクス=ルミナスが作り上げた科学は、
確実に世界を変えている。
俺たちは、それをどうしたいのだろうか。
止めるのか、それとも──。
深くは考えないことにする。
汽笛が鳴り、蒸気が噴き出た。
船がゆっくりと岸を離れていく。
ポルト・オーリオの港が遠ざかっていく。
海に出ると、風が強まった。
帆が張られ、蒸気と風が同時に船を押した。
速度が上がっていく。
「さすが、蒸気機関だね」
タツオが柵にもたれる。
「科学は、こんなにも生活を変えるんですね」
イエナが呟いた。
それから俺たちは、船室で仮眠をとることにした。
続く野宿で、疲れが溜まっていた。
タツオは、すぐに熟睡している。
まったく、うらやましい限りだ。
俺は、揺れる船内でうまく寝られず、外へ出た。
すると、甲板に人影があった。先客だろうか。
「ユイトさん。眠れないんですか?」
イエナだった。
「イエナこそ……疲れているだろ?」
「ちょっと、考えごとをしていて」
「どうしたの?」
俺が聞くと、イエナは少し悩んでから、言った。
「オルディアは、もしかしたら間違っていないのかもしれない、
って考えていました。彼らの技術で、世界は確実に発展しています。
テオロッドは、式術を守ってきただけです。
人々の暮らしを豊かにするのは
──オルディアなんじゃないかって」
「科学は、確かに便利だ。
──でも、オルディアの進め方は、違う。
魔獣を使い、アレクシオを誘拐したことも、
カムイを一方的に制圧することも、間違っている」
俺は言ってから、少し言い方が強すぎた、と後悔した。
「……そうですね。私もそう思います。
でも……この世界で、テオロッドはなにができるのでしょう。
人々に、どんな価値を与えてあげられるでしょうか」
王族として、民を守る立場の悩みだ。
俺には、簡単に踏み込める話ではない。
だが、これだけは言える。
「俺は、テオロッドの人たちが好きだ。
皆、他国から来た俺たちを受け入れてくれたし、
優しかった。
自然も豊かだし、皆、幸せそうに暮らしている。
それは、国が民を大切にしてきた結果なんじゃないかな」
俺は言った。
「科学は生活を豊かにする一方で、人々を危険にさらすこともある。
俺たちは俺たちらしく生きていけばいいんじゃないか?」
イエナは、それを聞くと、やっと笑って言った。
「そうですね。考えすぎているのかもしれません。
私も、テオロッドの人々は好きです。
これからも守っていきたい、そう思っています。
ところで、ユイトさん。
──〝俺たち〟って、すっかりテオロッドの人になっちゃいましたね。
でも……嬉しいです」
あ。気が付かなかった。
でも、仮に俺たちが最初にアークネイヴァー、オルディアに転移していたとしても。
──きっと今と同じ選択をしたのだと思う。
俺とイエナは、少しだけ話をした後、それぞれの部屋に戻った。
ベッドに入り目を閉じると、この世界に来てからの出来事が浮かんでくる。
式術学校。
そして、アークネイヴァーでの戦い。
一生忘れることはないだろう。
俺は──俺たちは、この世界で、何を見つけるんだろうか。
考えているうちに、俺はいつの間にか眠りに落ちていた。
珍しく寝起きのいいタツオに呼ばれると、俺は甲板へ出た。
朝日が昇ると、遠く、水平線の先に影が浮かんできた。
朝日を背に、大きな島が姿を現す。
マルカドール首都。海に浮かぶ、金の都だ。
「……着いたね」
タツオが呟く。
俺たちにできることは、そんなに多くはない。
でも、オルディアの暴走を止められるのも、きっと俺たちだけだ。
できることを、一つずつやっていこう。
シャイン=カムイを、救い出す。
俺は、改めて覚悟を決めた。




