エピソード・オブ・グラディオ
熱い。
いや、もう熱いを通り越している。
火が、自分を喰らい尽くす。
——そう理解するのに、時間はかからなかった。
視界が赤く染まり、空気そのものが燃えているようだった。
「……終わりか」
自分の声が、やけに遠く聞こえる。
目の前には、炎をまとった少年が立っていた。
あの時、騎士団に入ったばかりの自分と同じくらいの歳だろうか。
その瞳には迷いがない。
まっすぐで、強い。
——ああ。若いな。
そう思った瞬間、意識がゆっくりと沈み始めた。
炎が、肉を焼く。
鎧が溶ける。
だが、痛みはもう感じない。
——代わりに、記憶が溢れ出した。
子供の頃から、剣を振らされた。
アークネイヴァーを護る剣として、
ネイヴァルド家は存在する。
そう叩き込まれていた。
十五歳になった日。
父から、ネイヴァルド家の真実を聞かされた。
宗家の長男にだけ教えられるという、
歴史の真実。
三百年前。
この国の名は、ネイヴァルドだった。
アウレオ=テオロッドが建国したテオロッド王国の隣国として、式術を持たない人々で作った国だった。
ネイヴァルドの建国者、グライス=ネイヴァルドは、
アウレオの友人であるとともに、世界でも有数の剣士だった。
テオロッドはいつしかネイヴァルドを
〝寛容なる隣人〟と呼び、互いに支え合っていた。
テオロッドは持てる力で世界の秩序を保つ役割を。
ネイヴァルドは世界を繋ぎ、平和を守る役割を担った。
各国から情報や、物品が集まり、経済の中心地として、発展していった。
各国を繋ぎ、世界を豊かにする。
それが、国の目指す理念だった。
しかし、経済の発展は、思わぬ敵を作った。
アークネイヴァー家である。
アークネイヴァー家は、ネイヴァルドの分家として、
主に政務を担う一族だった。
百五十年前。
当時のアークネイヴァー家当主、
イルゼル=アークネイヴァーは、政治戦争を起こした。
世界全体の発展を求めるネイヴァルド家。
自国の発展を最優先するアークネイヴァー家。
国は割れたが、民はアークネイヴァーを選んだ。
その時から、国の名前は変わり、
ネイヴァルド家は王家ではなくなった。
それが、この国の真実。
グラディオは、そう父から聞かされた。
奪われた歴史。
奪われた名誉。
奪われた国。
その全てが、アークネイヴァーに奪われたのだ。
父は、最後にグラディオに言った。
「お前の剣は、アークネイヴァーを護るためにあるのではない。ネイヴァルドの名誉を取り返すためにあるのだ」
その日から、それが、グラディオ=ネイヴァルドの生きる道となった。
グラディオは、十五歳で騎士団へ入団した。
ネイヴァルド家の男は皆騎士団へ入れられるが、
中でもグラディオの剣術は圧倒的だった。
どんな魔獣にも、どんな賊にも、傷一つ負うことはなかった。
十八歳になると、グラディオに勝てるものはほとんどいなくなっていた。
模擬刀で行われる、御前試合。
グラディオは、すべての兵を圧倒し、優勝した。
賞金の授与は、王自ら手渡しだった。
カルゼル=アークネイヴァー。
二十二歳で即位した、若き王。
その堂々とした立ち振る舞いに、民衆は歓声をあげていた。
今、この瞬間にこの男の首を落としたら、
どうなるのだろう。
父から受け継いだ宿命を考えた。
だが、思い直す。
それは、今ではない。
今はまだ、牙をとぎ、力をつけるときだ。
グラディオは、順調に出世した。
二十五歳の頃、騎士団長となった。
同時に、縁談も多く舞い込んだ。
しかし、すべて断った。
家族を持てば、覚悟が揺らぐ。
グラディオは、これまで以上に剣を振るった。
生活の変化が訪れたのは、
二十七歳の時だった。
カイゼル王からの命で、
カイゼルの末妹と結婚をさせられることになった。
それには、父の策略が絡んでいた。
「これで、お前は王家にとっても血縁者となった。
機会は、より増える」
恋愛感情はなかった。
政略の道具としての婚姻に、抵抗もなかった。
俺の宿命は、一つだけだ。
しかし、やがて子ができると、
自分の心境に変化が起きた。
妻を、子を、守りたい。
朧げな感情だが、そう思うようになった。
グラディオは、宿命をしばし忘れ、
仕事と、家庭の日々を過ごしていた。
こんな日が続くのも、悪くないのかもしれない。
宿命を思い出させたのは、ある男との出会いだった。
二十九歳の時だった。
新たな科学長官として、ある男を王に紹介された。
ノクス=ルミナス。二十歳とのことだったが、
まるで年上かのような異様な空気をまとっていた。
異様な目をしていた。
理性と狂気が、紙一重で揺れている。
ノクスに呼び出され、科学研究所に行った時。
グラディオに運命を変える出会いが訪れた。
「面白いものをお見せしましょう」
そう言って見せられたのは、
溶液が詰まったガラスケースに浮かぶ、魔獣だった。
ノクスは、人工的に命を生み出すことに成功していた。
禁忌。
「このことは、王も知りません。
あなたと、是非やってみたいことがありまして」
ノクスは言った。
「なんだ」
グラディオは聞いた。
「この魔獣を、街に放つ。
最近、平和続きで騎士団の存在意義を問われていると聞いてね。
もしこの魔獣たちを騎士団が討伐すれば、騎士団の評判は上がるだろう?」
ノクスは、急にぞんざいな話し方になる。
「……お前はそれで何を得る」
「騎士団に入る報酬を、研究所に回してほしい。
そうすれば——新たな研究ができる。
王にも秘密の研究なんでね。予算が足りないんだ」
グラディオは、逡巡する。
これは、悪魔の誘いだ。
国を騙す。そして、かりそめの名誉を得る。
その先にあるのは、果たして目指していたものなのだろうか。
しかし、このままでは騎士団の存在意義は薄れていくばかりだ。
グラディオは悪魔の誘いに乗った。
ノクスが魔獣を生み出す。
その魔獣は恐ろしいことに、繁殖をする。
被害が生まれた土地で、騎士団が討伐する。
グラディオたちは、それを各国で行った。
中には、討伐しきれない事例も出始めた。
カシラギにあるセイランという漁村では、
異常繁殖したタイドイーターが村を滅ぼしたと聞いた。
もちろん、その原因がノクスだと言うことを知っているのは、ノクスとグラディオの二人だけだ。
自身の名声と引き換えに、誰かの命が奪われていく。
グラディオは人知れず合掌をした。
裏腹に、アークネイヴァー騎士団の評判はどんどん上がっていった。
各国から〝世界の平和を守る騎士団〟として、尊敬を集めるようになっていた。
おのずと、手に入る報酬は上がっていく。
その報酬の半分はノクスに渡され、研究へ回る。
ノクスは表では科学の研究者として、多くの新しい技術発展を行ってきた。
だが、裏の顔は生命を操り、人の評価を操る悪魔だった。
いつしか、グラディオは家族の前で笑えなくなった。
しかし、もう後戻りはできない。
全てはネイヴァルド復興のため。
グラディオは、自分にそう言い聞かせた。
グラディオたち騎士団の評判とともに、アークネイヴァーは科学の国であり、最強の軍事国家として見られるようになってきた。
皮肉なものだ。
自分たちが行った自作自演が、よもや国の評判を上げてしまうとは。
グラディオは、王に呼び出され、
騎士団長と執政官を兼務するように命を受けた。
これまでアークネイヴァー家のものが務めてきた重役を、
ネイヴァルド家が務めるのは、異例だった。
父は、病に伏せていたが、それを聞くと嬉しそうに言った。
「もうすぐ、ネイヴァルド家の宿願が叶う」
その年、父は死んだ。
グラディオの息子は、十歳になっていた。
剣の修行のときにしか、話すこともなくなった。
俺は、この宿命を、また息子に背負わせるのだろうか。
七年前のことだった。
ノクスから研究所に呼び出されたのは、久しぶりのことだった。
秘密が漏れるのを避けるために、極力交流を避けていた。
ノクスは、神獣の生成に成功した、と言う。
「これまでは魔獣を遺伝子操作するレベルだったが、今回のは凄いぞ。神獣の遺伝子の培養に成功した。
もうすぐ……ドラゴンが生まれる」
ドラゴン。神話の生物だ。
その火力は、一国を滅ぼすほどと言われている。
そんなものを作って、この男はどうするつもりなのか。
「グラディオ。私の目的は覚えているか?
一つは、科学で世界を支配すること。
もう一つは……テオロッドの滅亡だ」
ノクスは、テオロッドの出身だ。
しかし、式術は発動しなかった。
そのことが関係しているのだろうか、
ノクスはテオロッドに激しい恨みを持っていた。
グラディオは、ドラゴンのテオロッドへの放逐を実行した。
巨大な荷台に乗せ、睡眠状態のドラゴンを深夜に運び入れた。
運搬に使った人間は、口封じのため、殺した。
俺は、何をしているんだろうか。
今から、罪もない人々が、ドラゴンの業火に焼かれ死んでいく。
——これが、ネイヴァルドの誉れなのか?
繰り返す自問自答。
だが、グラディオはもう止まることはできなかった。
ノクスのテオロッド壊滅作戦は、失敗した。
送り込んだ斥候からの報告で、雷の零式がドラゴンを倒した、と聞いた。
あの巨大なドラゴンを、倒せる力。
式術の恐ろしさを感じた。
ノクスに報告すると、爪を噛み、笑っていた。
「なら、もっと強い神獣を作ればいい」
——狂っている。
だが、止められなかった。
自分を止められない男が、この狂気を止められるわけがない。
五年前、息子が十五歳になった。成人だ。
自分が父から〝宿命〟を聞かされた歳だ。
しかし、グラディオはそれを伝えるべきか、迷っていた。
家を背負うことは、本当に幸せなんだろうか。
息子は、騎士団に入りたいと望んだが、グラディオはそれを許さなかった。
才能を感じなかった。
親として、息子が戦場で死ぬのは、見たくはない。
息子は、まるで人生を否定されたかのような絶望と怒りの顔を浮かべ、家を飛び出した。
それから、息子には会っていない。
どこかで生きているだろうか。
結局、ネイヴァルドの宿命も伝えることができないままだ。
テオロッド騎士団との合同訓練が行われたのは、
息子が家を出た少し後だった。
合同訓練は、十年に一度行われる。
例年通り実施されるということは、
あのドラゴンの襲来がアークネイヴァーによるものとは悟られていないと言うことだろう。
訓練最後の対抗試合は、各騎士団から選りすぐりが参加する。
一戦目は、難なく勝利した。
鍛え上げてきた、世界最強の騎士団だ。
三戦全勝だろう。
グラディオは、そうタカを括っていた。
しかし、二戦目。
現れたのは、息子と変わらないくらいの若い少女だった。
その少女は、圧倒的な速度と手数で圧倒し、
アークネイヴァー騎士団の副長に勝利した。
面白い。
その試合を見て、久しぶりに胸が躍った。
グラディオは、期待を込めて大将戦に挑んだ。
相手の名は、バルガス。
テオロッド騎士団長だった。
自分より少し歳下の、中年の男だった。
最初は様子見をしていたが、すぐにそうもいかなくなった。
——強い。
長丁場の戦いの末、グラディオは勝利した。
残ったのは高揚感と共に、充実感だった。
——俺が求めていたのは、これだったのかもしれない。
相手もそう思っているかもしれない。
バルガスが、テオロッド騎士団を辞め、アークネイヴァー騎士団にやってきたのは、それからすぐだった。
何しに来たんだ?と問うグラディオに、
バルガスは答えた。
「あんたを倒しにきた。強くなるためには、強いやつの近くにいなきゃいけないだろう?」
バルガスは、その日からアークネイヴァー騎士団の副長になった。
エイルを拾ったのは、三年前だった。
グラディオたち騎士団は、トランジアへ遠征に来ていた。
ノクスがこんな遠方に魔獣を放ったとは思えないが、
人工魔獣は交配する。
野生の魔獣と交配し、生息域が広がっていてもおかしくはない。
案の定、魔獣は見たことがない種だった。
狼のようで、それでいて森ではなく草原に生息する。
遠征は難なく終わったが、その帰り。
騎士団は、賊に襲われた。
騎士団の一角から悲鳴が上がると、若い女の賊が見えた。
そして、その直後。
——グラディオの眼前に現れ、ナイフを振りかざした。
グラディオは、それをギリギリで避けると、
近接戦がはじまる。
速い。とてつもなく、速い。
ギリギリの回避。
グラディオの頬に、ナイフの切り傷が走る。
最後。決着を決めたのは、女の腹部への打撃だった。
失神した女を縛り上げると、
グラディオは水をかけて起こした。
女の白と黒の髪が、濡れる。
「賊の女よ。何が目的だ?」
グラディオが女を揺り起こし、問い詰める。
「……腹減った。何か、食べ物」
女は、目を覚ますとそう言った。
グラディオは、笑った。
「お前はなんだ?盗賊か、物乞いか?
珍しい髪だが……どこの生まれだ?」
「スクエア。でも、追い出された。
悪いこと、してないのに」
見るからに成人しているように見えるが、
話し方は子供のように幼い。
「名は何という」
グラディオは聞いた。
「エイル」
「飯は食わせてやる。その代わり、俺のところで働かないか?盗賊より稼げるぞ」
「飯と寝床あるなら、いく」
エイルは、こうしてグラディオ直属の暗殺者となった。
グラディオの命を受け、
政敵や、危険因子を排除していった。
エイルは、生きる糧と眠れる場所があれば、
どこでも良かった。
ただ自分の力が活かせる場所が、そこにあっただけだ。
こうして、グラディオは、二本の刃を手に入れた。
カムイから、科学の進歩を抑えるように提言があったのは、二年前だ。
それを聞いた時のノクスの激昂は、見たことがないほどだった。
グラディオは、言われるがまま騎士団を使い、
侵攻した。
剣に加え、ノクスが開発した科学兵器。
氷の式者たちの応戦に苦戦はしたが、
なんとかカムイの王子を捕えることが出来た。
カムイは、要求の引き下げと賠償金の支払いに代わり、
停戦要求をしてきた。
グラディオは、それに応じた。
双方の被害が、甚大でなかったからだ。
ノクスは、要求の引き下げを聞くと、興味を失ったようだった。
ノクスの指示で、グラディオは戦後処理を行なった。
捕虜となったシャイン=カムイはマルカドールに売り渡した。異国の王子を国に置いておくと、要らぬ争いの種になりかねない。
マルカドールの支配者ガレオンとは、魔獣の研究でやりとりがあった。
この戦争で、何が変わって、何が残ったのか。
グラディオは、分からないままだった。
ノクスから、再び研究所に呼び出しがあったのは数ヶ月前だ。
「ドラゴンが、三体できあがった。
——ちゃんと、前回の反省を生かしてある。
一体は雷の式者を識別し、狙うようになっている」
ノクスはそう言った。
「また、テオロッドに放つのか?」
「今回は、罠を仕掛けようと思う。
ドラゴンを国境に放ち、テオロッドに討伐を依頼する。
そうすれば、高位の式者——恐らく王族が釣れるだろう?」
「クエストを、受けなかったらどうする」
「するさ。今、アークネイヴァーは〝科学の力こそ魔獣を倒し、秩序を保つ〟と世界に喧伝している。
断ったらテオロッドは式の力が科学に勝てない、と認めるようなものだ。断れないさ」
「もし、ドラゴンが倒されたら?」
「その場合は、討伐の報告にアークネイヴァーにくるだろう。その時には、グラディオ、君の部隊に働いてもらおう。
そうだな、王族、ないしは高位式者を、さらってしまえばいい。
むしろ、その方が交渉材料になる。
あくまで目的は、〝テオロッドの滅亡〟だからね」
この男は、どこまで計算しているのだろうか。
グラディオは、九つも下のこの男に、恐怖を覚えていた。
その後も、ノクスの描いた画の通りに進んでいった。
テオロッドが要求を飲まず、奪還に来ることもノクスは想定していた。
もしその通りになれば、王宮付近は戦場になる。
非戦闘員は避難させ、安全の確保が必要だ。
ノクスは、王から通達するのが一番早い、と言った。
確かにそうだ。この事態にこそ、王は動くべきだ。
グラディオは、王宮に向かった。
扉を開けると、
そこには逃亡の準備をしているカルゼルがいた。
「王。何をしているんですか」
グラディオは聞いた。
「避難の準備だ。ここが戦場になるかもしれないと、ノクスが言っておったぞ」
王は怯えながら貴重品をまとめている。
「民の避難が先です。まだ、民は何も知りません。
玉座に着いて、指示を出してください」
「それより、わしの命が優先だろう!
執政官なら、それくらい分かるだろう!」
カイゼルは、取り乱して叫んでいる。
グラディオは、ため息を大きくついた。
何のために、ここまで我慢してきたのか。
何のために、この男の義弟となり、国を支えてきたのか。
「国より、自分の命が大事だと、そういうことか?」
グラディオは、そういいながら、剣を抜いた。
「……グラディオ…?何をしている?
や、やめろ!わしは王だぞ!」
「民を守れぬものを、王とは呼ばない。
王の誇りを守りたければ……ここで死ね」
カイゼルは、顔中を涙と鼻水で濡らしながら、
命乞いを始めた。
グラディオは思った。
これ以上見ていられない。
そして、ネイヴァルドの宿命を思い出す。
父の言葉。
息子には伝えていない、宿命。
ここで、終わらせよう。
百五十年の宿命を。
放たれた剣は、一瞬でカルゼルの首と体を分断した。
鮮血が、顔にかかる。
グラディオは、それを手で拭うと、静かに部屋を出た。
戦いが、始まる。
炎が、さらに強くなった。
薄れゆく意識の中で、三十年以上共に戦ってきた剣が溶けていくのが見えた。
それを見つめる、テオロッドの式者たち。
息子より、若いだろう。
真っ直ぐに、こちらを見ている。
——せめて、騎士らしく死のう。
惨めな声は出さない。
俺は、何のために生きたのだろう。
家に。
歴史に。
国家に。
多くのものにとらわれすぎて、自分が分からなくなっていたようだ。
これで、やっと、解放される。
視界が白くなる。
炎の中で、最後に浮かんだのは、
息子の顔だった。
そして、グラディオは思った。
ネイヴァルドの宿命など、背負わなくていい、と。
自分の人生を、自分で選んで歩けばいい。
灰になっていく体を感じながら、
グラディオはそれだけを願った。
そして、グラディオ=ネイヴァルドは、炎の中で、静かに絶命した。




