第十一話 科学都市と、見えない思惑と。
その日の夕方頃、俺たちはアークネイヴァーへ到着した。
国境を越えた瞬間、景色が一変する。
石造りの建物が立ち並び、通りには金属製の管が張り巡らされている。
あちこちから、シューッ、ゴウンという低い音が聞こえ、
巨大な歯車が規則正しく回っていた。
……蒸気機関だ。
「すごいな……テオロッドとは別世界だ」
俺が思わず呟くと、タツオが答えた。
「産業革命後の文明レベルだね。これなら、元の世界の文明まで近づけられるかもしれない」
式術が中心の世界で、
この国は明らかに“別の未来”を見ている。
「私が父と一緒に来たのは五年前ですが……
比べものにならないほど発展しています」
イエナは街を見渡しながら、そう言った。
俺たちはまず、アークネイヴァーのギルドへ向かった。
ドラゴン討伐の証拠——角と鱗を提出すると、
受付の男は一瞬だけ目を見開き、すぐに態度を改めた。
「確認しました。討伐、間違いありません」
そして、こう続ける。
「王宮へ向かってください。すでに話は通っています」
王宮?クエストは国からの依頼とはいえ、
用意が良すぎる気がするな……。
いや——最初から、全て仕組まれているのか?
王宮へ到着すると、
一人の男が静かに迎えに出てきた。
「遠路はるばる、ようこそアークネイヴァーへ」
落ち着いた声。
年齢は四十代後半に見える。
白髪交じりの灰色の髪を後ろへ流し、
背筋は驚くほど伸びている。
「私は、グラディオ=ネイヴァルド。
王国執政官を務めております」
丁寧な物腰。
だが——。
一目で分かる。
ただ者ではない。
言葉遣いは柔らかいのに、
視線がこちらを値踏みしている。
じろっと、上から下まで見定めるような視線。
無意識に、背筋が伸びた。
「皆さまは国賓です。本日は、国王も参加される晩餐会をご用意しております」
国賓。
その言葉に、イエナの表情がわずかに引き締まる。
晩餐会は、豪奢だった。
料理は美しく、香りも整えられている。
だが、味はお世辞にも美味とはいえない。
この世界全体的に、味覚が発展していないのかもしれない。
食事の最中、国王が語り始めた。
国王、カイゼル=アークネイヴァーは、
グラディオの少し歳上だろうか。
細身。猫背。
——あまり威厳は感じられなかった。
「近年、魔獣の出現頻度が増している」
低く、よく通る声だった。
「世界は、確実に不安定になっている。
魔獣を討伐し、秩序を保つためには——科学と式術。
双方の歩み寄りが必要だ。そう思わないか?」
まるで、テオロッドがそれを妨げているかのように聞こえる。
その流れで、一人の男が王から紹介された。
「こちらが、我が国が誇る科学長官、ノクスだ」
風貌から、三十代前半くらいだろうか。
どことなく雰囲気はサイレスに似ているが、
灰色の髪、こけた頬と、影を感じる。
「魔獣の生態解析、対策兵器の開発、エネルギー研究。
すべて、彼の功績だ」
王は自慢げに言った。
ノクスは、俺たちを一瞥し軽く会釈だけすると、
一言も発することはなかった。
少しだけ、口元が笑ったように見えたのは、気のせいだろうか。
その後、世界情勢について王が語る中。
イエナが、唐突に口を開いた。
「カイゼル王。一つ、質問してもよろしいでしょうか」
場の空気が、一瞬止まる。
「あぁ、構わない」
カイゼルは、ワインを飲みながら答える。
「では、率直にお聞きします。
なぜ、カムイに侵攻したのですか?」
イエナは真っ直ぐ王を見る。
「カムイは、自然と平和を愛する国です。アークネイヴァーにとって、害はなかったはずです」
……踏み込んだな。
二年前のアークネイヴァーによるカムイ侵攻の件はサイレスから聞いてきたが、背景については俺も知らない。
「随分と、突っ込んだ質問をする」
王は薄く笑った。
「テオロッドのお嬢さん。
——いや、特使殿、と呼ぶべきかな?」
イエナに緊張が走る。
やはり。
イエナの正体は、最初から把握されていた。
質問に答えたのは、グラディオだった。
「カムイは、我々に文明開発を止めるよう要求してきました。これ以上の発展は、世界を滅ぼす、と。
我々は、それを受け入れることはできなかった。
——結果が、二年前の衝突です。
ただし、それ以降、大きな戦は起きていません」
王はワイングラスを揺らしながら、こう締めくくった。
「我々が望むのは、世界の平和だよ。
テオロッドと、目指すものは同じだ」
一拍置いて、言葉を選ぶように。
「ただ一つ、大きな違いがある。
式術は、確かに秩序を作った。
その意味で、テオロッドの果たした役割は大きい。
だが、式術は人々を豊かにはしなかった。
科学なら——それができる」
共に平和を目指すものとして。
そう言っているようで、実際は宣戦布告に近いのだろう。
少なくとも、俺にはそう聞こえた。
晩餐会の後、俺たちは国賓用の宿舎へ案内された。
王宮近くの、立派な建物だ。
二階へ通されると、部屋は男女別で用意されていた。
部屋に入る前、ミサキが俺を呼び止めた。
「何か仕掛けてくるかもしれない。
——警戒しておいた方がいいべ」
彼女は静かに続ける。
「念のため、式術で探知の網を張っておくべ。
侵入者が来たら、すぐ分かる」
少し視線を落として、
「疲れてると思うけど……用心してくれ」
俺は頷いた。
その夜。
タツオとアレクシオを先に寝かせ、
俺は半ば無理やり意識を保っていた。
……だが。
疲れが溜まっている。
いつの間にか、まどろみに落ちていた。
——その時。
「敵襲だべ!!」
ミサキの叫び声。
俺は跳ね起き、二人を叩き起こし、
隣の部屋へ駆け込んだ。
扉を開けた瞬間——。
空気が、歪んでいた。
黒い人型の影が、イエナとミサキを羽交締めにしている。
「ユイト……やられた」
ミサキが歯を食いしばる。
「窓をすり抜けてきたべ……探知が反応しなかった」
イエナが必死に叫ぶ。
「この影に物理攻撃は効きません……!
みなさん、逃げてください!」
くそっ……!
一体、これはなんだ?
魔獣では…ない?
まるで影が意思を持って動いているようだ。
二人が捕まっている以上、下手に身動きがとれない。
どうする……!
頭が、急速に冷えていく。
選択を間違えたら、取り返しがつかない。
途端。
部屋に近づく、足音。
早い。
俺は後ろを振り向いた。
十メートルほど向こうから、こちらに近づく影。
——気づいた瞬間には、もう遅かった。
直後。アレクシオの背後に、一人の女が立っていた。
白と黒が、真ん中ではっきりと分かれた髪。
顔の下半分は布で覆われ、
感情のない目だけが、こちらを見ている。
……いつの間に!?
次の瞬間。
アレクシオの口が、後ろから塞がれた。
「——っ!?」
「アレクシオ!!」
俺が叫んだ、その瞬間だった。
女の身体が、白と黒にほどけるように揺らぎ、
影に溶けるように消える。
女が消えると同時に、
イエナとミサキを縛っていた拘束も、霧のように消えていた。
「ユイトさん……さっきの影は……恐らく式です」
イエナは言う。
「式?あんな式、聞いたことが……」
俺がそう言うと、ミサキが、はっと顔を上げた。
「……来る!ユイト、探知反応が!
恐らく、私たちを襲いに来たべ!
この建物、完全に囲まれてるべ。
十……いや、もっとだ……!」
俺は即座に理解した。
最初から、こうなる前提だった。
すべて——アークネイヴァーの罠だ。
「……くそ」
このままでは、全員捕まる。
俺は、すぐに決断した。
「皆、逃げるぞ」
覚悟を決め、俺はそう言った。
「待って! アレクシオを探さないと!
今すぐ、取り返さないと……!」
イエナが、震える声で叫んだ。
取り乱している。
無理もない。
目の前で、従兄弟が連れ去られたのだ。
俺は、イエナの肩に両手を置いた。
視線を、無理やりこちらに向ける。
「イエナ、聞いてくれ」
「でも……!」
「敵は、アレクシオを“傷つける気はない”」
その言葉に、イエナが息を詰める。
「さっきだって、傷ひとつ負わせていない。
アレクシオは……言い方は悪いが、人質だ」
言葉を選ばなかった。
綺麗事を言っている場合じゃない。
「今は、安全は保証されてるはずだ。
だから——」
俺は、はっきりと言った。
「ここは、俺の言うことを聞いてくれ」
イエナの瞳が揺れる。
「体制を立て直し、必ずアレクシオを取り返す。
俺たちまで捕まったら、誰があいつを助ける?」
イエナは、唇を噛みしめた。
涙をこらえるように、目を伏せる。
その背後で——
「ユイト!」
ミサキが叫ぶ。
「もう入口まで来てる!時間がない!」
足音が、階下から響いてくる。
重い鎧の音。
統制された動き。
俺は、即座に判断した。
「窓から出るぞ!」
窓を開け、地面に手をつく。
土が盛り上がり、
二階の窓まで一気に伸びる“階段”が形成される。
「走れ!」
俺たちは、迷わず飛び出した。
外に出た瞬間、兵たちがこちらに気づく。
「いたぞ!」
「逃がすな!」
「ミサキ!」
「分かってる!」
紫の光が炸裂し、
兵たちの視界が歪む。
悲鳴と怒号。
味方同士でぶつかり合う音。
その混乱の中を、俺たちは全力で走った。
イエナは、まだ動揺している。
呼吸が乱れ、足取りも危うい。
俺は、彼女の手を掴み、走った。
「イエナ!しっかりしろ!」
背後で、光と熱が走る。
タツオが振り向きざまに、フレアショットを短く放つ。
爆ぜる火球が、追撃を牽制する。
それから。
俺たちはどれくらい走ったか分からない。
気づけば、街灯もまばらな郊外に出ていた。
追手は来てはいないが、いつ追いつかれるか分からない。
その時——
「馬だべ!」
ミサキが指をさす。
商人のものらしい厩。
繋がれた馬が、二頭。
人の馬を盗むのははばかれるが、
——緊急事態だ。仕方ない。
自分に言い聞かせる。
俺はイエナの手を引き、一頭にまたがらせる。
俺はその前に乗り、手綱を持った。
馬なんて、乗ったことがない。
しかし、やるしかない。
「しっかり、俺に掴まって!」
俺は、イエナに言った。
イエナはまだ不安そうに、小さく頷く。
「大丈夫。全部、上手くいく。今は、耐える時だ」
俺は自分に言い聞かせるようにそう言った。
もう一頭には、タツオとミサキが跨る。
「タツオ、いけるか?」
俺は聞いた。
「うん。小さい頃乗馬やってから、大丈夫」
そう言ってタツオはこともなげに手綱を操り、駆け出した。
……ふざけんなよ。
だったら、お前が馬車運転すればよかったじゃねえか。
だが、今はそんなことを言っている場合じゃない。
俺は、先を駆けるタツオたちの馬を追いかけた。
腰にイエナの手が回るが、喜んでいる場合ではない。
ただ、必死に馬を走らせる。
無事にこの国を抜け出し、
早くテオロッドへ。
そして。
アレクシオ。必ず助けてやるからな。
背後には、
蒸気と光に満ちた科学都市国家——アークネイヴァー。
〝寛容なる隣人〟は、〝敵対する隣人〟に変わった。
二頭の馬が、夜を切り裂くように走り出した。




