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きつねさんといっしょ! お嬢様は縦ロール

作者: 刻田みのり

 おかしい……。


 つい数分前に届いた花束を部屋のガラステーブルの上に置き、私はこの日何度か目の疑問を抱いた。


 うちに花瓶の類があるかわからないので、あとできーさんかミトさんに聞いてみよう。


 花は赤いバラと白いバラの二種類が束ねられている。いつもは部屋に花なんて飾らない(というか飾る余裕もない)から、バラの香りのせいもあって自分の部屋じゃない気分になってしまう。


 花束のそばには三通の電報。


 いかにもといった然としたお祝い事に用いられがちな紅白を基調にしたデザインだ。


 送り主に憶えはない。


 となると手がかりは受け取り主になるわけだが、なぜかそこには私の名前が記してあった。


 飯塚小梅(いいづかこうめ)


 何度見ても私の名前だ。


 ならば内容で真相に迫ろうとしたがどういうことか三通とも判で捺したように同じ文面となっていた。


「三周年おめでとう」


 はい?


 あれ?


 私は大きな目をぱちぱちさせ、念のためにもう一度読み返す。


「三周年おめでとう」


 いったい何がめでたいのか。


 私は首を傾げた。黒髪のおかっぱが小さく揺れる。


 ピンポーン。


 呼び鈴の音にびくっとしてしまう。私は電報をガラステーブルの上に戻し、早足で玄関に向かった。


 鉄製のドアに取り付けられている覗き窓で外をうかがう。まだ若そうな男がにこにこしながら立っていた。見覚えのある大手宅配業者のセールスドライバーが着用するものと同じ作業服と制帽を身につけている。


 ピンポーン。


 ピンポーン。


 あっ。


 私はあることに気づいた。


 だから、うっかり鍵を開けてしまうようなヘマはしない。


 ピンポーン。


 ピンポーン。


 大急ぎで部屋の奥に行きベッド脇で充電中のスマホを手にする。


 ピンポーン。


 ピンポーン。


 地味にしつこい。


 それになぜ私の名前を呼ばないのか。


 いや、そもそも普通の宅配業者なら「★★運送です」なり何なり自分の素性を明かすとか、不在票を郵便受けに入れるなりするはずだ。こんなふうに無言でピンポーンしまくるのはおかしい。


 ピンポーン。


 ピンポーン。


 私は手早く短縮設定した番号をタップした。


 コール音。


 ピンポーン。


 ピンポーン。


 お願い、早く出て。


 私は玄関の方を見やる。


 こちらから見えてはいないが外の男が笑顔のままピンポーンしているのがわかった。


 ピンポーン。


 ピンポーン。


 本当にしつこい。


 ガチャリ。


「うん。もしもし」


 少年のようなミトさんの声にほっとする。実際には何一つ状況は変わっていないけどその声には妙な安心感があった。不思議な癒しの能力と言ってもいい。


「あ、小梅です。ミトさんってまだスーパー?」

「うん。帰りの途中。どうしたの?」

「外に変な人が来てるの」

「うん。どんな人?」

「宅配業者の格好した男で……」


 ドン!


 玄関ドアの反対から誰かがドアを叩いた。


 ドンッ!


 ヤバい。


 よくわからないけれど、叩く力をつよめたのはわかる。


 ドンッ!


「うん。大丈夫だからそこで待ってて」


 そう言い残してミトさんが通話を切る。


 言われなくても、ここで待つしかない。


 ドンッ!


 ドンッ!


 ドドン!


 あ、また強くなった。


 ミトさんが帰ってくるまで持つかな。


 スマホを握る手が汗ばんでくる。


 外はいい天気。散っていく桜の花びらが大地に薄紅のカーペットを作る季節だ。


 私がこの浅間荘に住み始めてから二週間ちょっと。やっとここでの生活に慣れてきたというのに……。


 ドドンッ!


 ドドンッ!


「コラァッ!」


 とても男からとは思えぬ可愛らしい女の子のような音域の高い声。


「いるのはわかってんのよ!」


 え?


 誰?


 やっぱり、あの宅配業者の人じゃないよね。


「とっとと開けなさい! このドロボウ猫っ!」


 ドロボウ猫?


 私はまた目をぱちぱちさせ、首を傾げる。


 頭に疑問符が増えた。


 ただ今三十パーセント増量中です。


 ……なんてこと考えてる場合じゃなかった。


 どうしよう。


 応対しないとまずいかな?


 けど、怖いし。


 ドドドンッ!


 ドーンッ!


 あ、叩き方が変わった。


「開けなさい! 居留守なんてムダよ!」


 いや、居留守を使っているわけじゃないから。


 ただ単に怖いだけだから。



 **



 私がビクビクしていると、不意に玄関ドアを叩く音が止んだ。


「す、すみません!」


 若そうな男の声。誰かに謝っている。


「あたし悪くないもん! 悪いのはドロボウ猫のほうだもん!」


 どうやら宅配業者の男と女の子は別人らしい。


 ピンポーン。


 呼び鈴が鳴る。


 でも、今までとは違って優しい響きに聞こえるのはなぜだろう?


「飯塚さん、僕です」


 呼びかけてきたのはここの大家。


 京極春彦(きょうごくはるひこ)さん。


「ちょっと開けてもらえるかな?」


 私は急いで玄関に向かった。


 かかっていたドアチェーンとロックを外しノブを回す。


 ドアの反対側には大家さんと宅配業者の格好をした男と見知らぬ女の子がいた。


 緑地に黒と赤の縞模様の着物姿の大家さんは柔和な表情ではあるものの目が笑っていない。


 いつもならモデルも出来そうなハンサムな顔。黒髪は短く、眉は薄い。細い目ときれいなラインの鼻、薄口ビルが色っぽい。宅配業者の姿をした男よりわずかに背が高い。


 一方、宅配業者の姿の男を従えるように立つ女の子はかなり可愛い。


 亜麻色の髪は長く腰のあたりまである。地面に対して垂直にカールしたその髪型を目にしたのは大学卒業以来久しぶりだ。色白の肌。切れ長の目。濃い目の眉。品の良さを感じる鼻と口。耳は縦ロールの髪で隠れていた。


 背は大家さんのお腹のあたりくらい。細い四肢が華奢なイメージを想起させる。


 身につけているのはフリフリのたくさんついた青いロリータ服。子供が着ているのだからこの形容でいいのだろうけど妙な気分になってしまうのはどうしてだろう。


「やっとお出まし? いいご身分ね」


 女の子が私をにらみつける。


「誰もいないうちに話をつけたかったんだけど仕方ないわね」

「あ、えーと」


 彼女の正体が不明すぎて、私は助けを求めて大家さんに目を向けた。


「この人、きーさんの……」


 視線に気付いた大家さんが説明しようとしたとき、女の子が言った。


「きーさんの妻よ」

「はい?」

「聞こえなかったの? それともその首の上にあるのはお飾りかしら?」

「……」


 どうしよう。


 この子、ひっぱたきたい。


 女の子がフフンと鼻をならす。


「どうやら図星のようね。ま、所詮人間ふぜいにあたしたちの高等な言語がわかるはずないものね」

「……」


 あのー。


 すっごいよくわかるんですけど。


 喋ってるの日本語ですよね?


「飯塚さん、気にしないで。この人、少しおかしいだけだから」

「ひどっ!」


 女の子が抗議の声を上げる。


 彼女は宅配業者の姿をした男に同意を求めた。


「アリマサもそう思うわよね?」

「はい。美幸(みゆき)様」


 アリマサさんと美幸ちゃんか。


「アリマサくんも大変だね。こんなわがまま姫のお守りをしないといけないんだから」

「いえ、仕事ですから」

「ひどっ。アリマサもひどっ!」

「……」


 あぁ、このまま放っておいていいかな?


 とか思っていたら、美幸ちゃんが私にびしっと指を突きつけてきた。


「あなた、今すぐきーさんの部屋から出て行って!」

「はぁ?」

「今日であたしときーさんの結婚生活は三周年。お邪魔虫はとっとと消えなさい!」


 ……えーと。


 もはやどこをつっこんだらいいのやら。


 私が返答に困っていると、また彼女はフフンと鼻を鳴らした。


 薄っぺらな胸を張る。


「どうやらグゥの音も出ないようね」

「いや、そうじゃないと思うけど」

「美幸様、呆れて物が言えないだけです」

「ひどっ!」


 二人の言葉に美幸ちゃんが半泣きになる。


「ひどっ! 二人ともひどっ!」

「……」


 私はそっと中に戻り、玄関ドアを閉めて鍵をかけた。


 再びドンッ! とドアを叩かれる。


「コラーッ! ドロボウ猫、逃げるなんて卑怯よ!」

「いや、だから……」

「春彦、それ以上言われたらあたし本気で泣くからね」

「あ、それはやめて」

「美幸様、他所様のお宅を破壊するのは……」


 ピンポーン。


 呼び鈴が鳴る。


「飯塚さんごめん。アパートのためにも出てきてくれないかな」


 やむなく私は外に出た。


 美幸ちゃんが両手を腰にやり、勝ち誇ったように笑んでいた。


「春彦も屈したわ。あなたも観念しなさい」

「美幸様、まるで悪役です」


 アリマサさんの指摘に眉をぴくりとさせるも、彼女は続ける。


「荷物なら後で送ってあげる。さぁ、さっさと消えなさい!」

「待て待て待て待て!」


 突然、一匹のきつねが階段を駆け上がって割りこんできた。


 赤茶色の毛並みのそれは体長六十センチほどの大きさ。


 顔の中央とお腹、もふもふの尻尾の先から三分の一くらいの部分、それに耳の内側が白い。四肢の先端は黒。


 きーさんだ。


「美幸、いきなり来るってどういうつもりだ!」

「きーさん!」


 嬉々として抱きつこうとした美幸ちゃんをひょいときーさんが躱す。そのまま前のめりに転びそうになった彼女をアリマサさんがすんでのところで腕を引っぱって助けた。


 少し遅れてミトさんが階段から姿を現す。


 背は私より少し高い。


 やや丸みのある顔の輪郭。バランス良く配置された目と鼻と口。


 長い栗色の髪をツインテールにしている。


 前髪のちょっと上には白い髪飾り。


 私より大きいけれど小柄な体躯に黒いメイド服。


 両手に溢れんばかりの食料の入ったスーパーのレジ袋を持っていた。


 ていうか、よく見ると片手に二袋ずつ、合計四袋ある。


 ……きーさん、荷物運びも放棄して来てくれたんだ。


 ……などとは思わない。


 大方、今回のことに乗じてミトさんにレジ袋を押しつけたのだろう。


 相変わらずひどいきつねだ。


「きーさん、この女を追い出して!」

「悪いな、その頼みは聞けねぇ」


 ゆっくりと首を振るきーさんに美幸ちゃんが触れようとした。


 きーさんがまた拒否する。身体を軽やかに翻して美幸ちゃんの手をかわすと大家さんの後ろに隠れた。


「どうして逃げるの?」

「わかってて言ってるだろ」


 私が頭に疑問符をつけていると、大家さんが説明した。


「彼女は触れたものに電撃を放てるんだよ。たまに無意識に放電するから、飯塚さんも気をつけてね」

「たまにだと?」


 きーさん。


「俺には毎回ビリッとくるぞ」

「ビリッとじゃないもん、ビビッとだもん!」


 美幸ちゃんが頬をふくらませる。


 ああ、それで……。


 私は何となく美幸ちゃんの気持ちが理解できた。


 ビビッとさせられているのはきーさんだけど、美幸ちゃんには「ビビッときた相手」なのだ。


 だから嫁入り……。


 あれ?


 きーさんの意思は?



 **



「この人、九尾の末裔でね。結構偉い人なんだよ」


 大家さんの説明が私の疑問に答えてくれる。


 ありがたい。


「九尾の一族も竜と同じくらい特別だからな」

「あと天狗の一族もいるけど。それぞれの姓をもじって『大極宮(たいきょくぐう)』とか呼ぶ人もいるね」

「そうなんですか。えっと、美幸ちゃんの姓は……?」

「ちゃん?」


 美幸ちゃんの眉尻が上がる。


「ずいぶんなれなれしいわね。宮部(みやべ)の家にケンカでも売ってるのかしら?」


 一瞬、美幸ちゃんの目が妖しく赤く光る。


 ビリッと空気にスパークするかのような威圧感。


 てか、彼女の左手が青白く光ったのは目の錯覚だろうか。


 ……あ、何かかなりヤバそう。


 私は慌てて言い直した。


「美幸……さん?」

「さん、ね。まあいいわ、あたしって心の広い大人の女だし」

「いや、見た目のまんま子供だから」


 きーさんがつっこむ。


「ひどっ!」

「美幸様、これっぽちも説得力がありません」


 アリマサさんもつっこむ。


「ひどっ!」

「飯塚さん、この人偉い人だけどそんなに怖くないから普通に接してもいいよ」


 大家さんの言葉にも美幸ちゃんが反応する。


「ひどっ! 春彦のくせにひどっ!」

「うん。近づいたらダメだけど……ただの危ない人?」

「ひどっ! 下級の妖怪にまでっ! あたし、泣きそうっ!」

「「「「それはやめて!」」」」


 うわっ。


 私と美幸ちゃん以外の全員の声がハモった!


 けど、どうしてそんなに彼女が泣くのを防ごうとするの?


 これに答えてくれたのも大家さんだった。


「この人の泣き声って超音波兵器が裸足で逃げだすレベルの破壊力があるんだよ」

「人を化け物みたいに言わないで」

「いや、化け物だし」


 すかさずきーさんがつっこむ。


 ああ、いらんことを……。


「……」


 美幸ちゃんが一気に表情を曇らせる。


 ひっく。


 あ、べそかいてる。


 ひっく。


 ひっく。


 ヤバイ。


 美幸ちゃんが泣いちゃう。


 ひっく。


 ひっく。


 美幸ちゃんがこぼれ始めた涙を手で拭う。白い肌に朱が染まる。小刻みに揺れる身体はかろうじて感情を抑えようとしているふうにも思える。


 ひっく。


 ひっく。


 ぐすっ。


 不意に美幸ちゃんが誰かの身体に包まれた。


 ミトさんだ。


 前から美幸ちゃんを抱き締めている。スーパーのレジ袋といえば、さっきまで彼女がいた位置に落ちている。


「うん。泣かない泣かない」


 これは……。


 ミトさんの癒しの力でアパートの危機を回避できるかも。


 私だけでなくこの場の全員の思いは重なったはずだ。


 私は成り行きを見守った。


 ひっく。


 ぐすっ。


 ひっく。


 ぐすっ。


 ミトさんの身体に隠れて美幸ちゃんの様子は見えない。でも、傷ついた彼女の心が癒やされることを期待するしかない。


 ミトさんが優しい声で語りかける。


「うん。大丈夫大丈夫……」


 ひっく。


 ぐすっ。


 ひっく。


 ぐ……。


 あ、泣かずに……。


「いい加減にぐずるのをやめろ。ああ、めんどくせぇお子様だな!」


 きーさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!


 たぶん、また思いは重なったはず。


 というか総つっこみ必至。


「……」


 数秒の沈黙。


 何かを察したらしく、ミトさんが今までで一番の全速力で美幸ちゃんから離れた。


 え?


 緊急避難??


 エマージェンシー!


 エマージェンシー


 エマージェンシー


 気づくと私を除いて全員がこの場を離脱している。


 私はつぶやいた。


「ひどっ!」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」


 突然、大音量の鳴き声が私を直撃した……。


 ★★★


「うーん」


 部屋のガラステーブルに突っ伏した姿勢で私は目を覚ました。


 ぼんやりとした意識で目の前にある週刊誌を眺める。


「結婚三周年。離婚の危機と回避方法」と大きな見出しがついていた。


 私は黒髪のおかっぱ頭を軽く振り、深くため息をつく。


 そうだ……。


 きーさんがミトさんの買い物に付き合って出たから、私一人でお留守番をしていたんだっけ。


 記憶の中にうっすらと亜麻色の縦ロールの女の子がいた。美幸ちゃんだ。それにもう一人……そう、アリマサさん。


 恐るべき彼女の能力。


 でも……。


 私は安心して頬を緩める。


「夢でよかったぁ」


 にまにましていると誰かが呼び鈴を鳴らした。


 ピンポーン。


 ピンポーン。


「あ、はーい」


 思わず返事をしてしまった自分のうかつさに自嘲する。


 やばい人が来てたらまずいのに。


 玄関に向かい、覗き窓で来訪者の姿を確認する。


 そこにいたのは宅配業者の格好こそしていないけれど、紛れもなく夢で会ったアリマサさん。ダークグレイのスーツに白いワイシャツ、紺色のネクタイを身につけている。


 その隣にいるのは……。


「このドロボウ猫、さっさと出てきなさい!」


 亜麻色の縦ロール!


(了)

 

 

 


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