5 ノア・ラボ潜入
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1. 闇に紛れて
夜の冷たい空気が、探偵の肌をかすかに刺す。
ノア・ラボの裏手に続く静かな路地に立ち、深く息を吸い込んだ。
都市の光が空を覆い尽くし、星の存在を消している。
その薄暗さが、今の探偵にとっては都合がよかった。
「……エコー、行くぞ。」
探偵の小さな呼びかけに、イヤーカフがかすかに振動する。
「了解。」
エコーの声が耳元に響く。
「監視システム、リアルタイムで解析しながらサポートする。
搬入口までのルート、今なら問題なし。行け。」
迷いはなかった。
探偵は、夜の闇へと溶け込むように、ノア・ラボへと足を踏み入れた。
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2. 監視の網を抜けて
搬入口までの道は慎重に選ばなければならなかった。
監視カメラの死角を利用しながら、警備員の巡回パターンを見極める。
エコーの計算では、"次の巡回まで7分"の猶予がある。
その間に、探偵はラボの影へと滑り込む必要があった。
「カメラのブラインドスポットに入った。次のルートは?」
「そのまま直進、左手の搬入口のシャッター前まで行け。」
足音を最小限に抑えながら、探偵は目的地へ向かう。
だが、扉の前に立った瞬間──
「……エコー、ロックだ。」
そこには、電子ロックが備え付けられていた。
指紋認証とID入力が必要な、厳重なセキュリティだ。
エコーが即座に分析を始める。
「……ダメだ。ロックの入力履歴は暗号化されてる。
センサーで直接番号を読み取るのは無理だ。」
探偵は歯を食いしばりながら、別の突破手段を考える。
「ハッキングでいけるか?」
「試す。カバーしろ。」
探偵は周囲を警戒しながら、数秒の沈黙を待つ。
そして──
「突破完了。電子ロック、解除。」
小さな電子音が鳴り、搬入口の扉がゆっくりと開く。
探偵はすぐさま中へと滑り込んだ。
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3. 搬入口からの侵入
ラボ内部は、無機質な倉庫スペースが広がっていた。
搬送機が規則的に動き、物資を自動で運び続けている。
「警備員は現在不在。ただし、防犯ドローンが巡回している可能性が高い。」
エコーの警告に、探偵はすぐに身を低くする。
倉庫の影に隠れながら、慎重にドローンの動きを観察した。
「タイミングを見計らって動くしかないな……」
エコーの解析を待ち、一瞬の隙を突く。
「今!」
探偵は、低い姿勢のまま一気に駆け抜ける。
金属製のコンテナの影を利用しながら、素早く倉庫の奥へと進んだ。
次の目標は、セキュリティルーム。
ここを制圧すれば、ラボ内部の監視システムをコントロールできる。
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4. セキュリティルーム制圧
セキュリティルームの扉の前に到着。
ドローンの巡回ルートは突破済みだが、内部にはスタッフが一名いる。
「警備員ではない。ただの監視担当だな。」
エコーが冷静に分析する。
探偵は素早く作戦を決めた。
扉を静かにスライドさせ、内部の様子を確認する。
モニターに集中しているスタッフの背後に回り込み──
──無音の一撃。
探偵の腕が素早く回り、スタッフの首を締め上げる。
驚く間もなく、男は意識を失い、力なく崩れ落ちた。
「制圧完了。」
探偵はスタッフを床に寝かせ、モニターへと視線を向ける。
ここから、ラボ内の監視カメラやドローンの制御が可能になる。
エコーがすぐに解析を開始する。
「監視カメラの映像ループ、成功。
警備ログを改ざん。"異常なし"の状態を維持。」
モニターに映る映像は、過去のデータを繰り返すループに切り替わっていた。
警備員の巡回ルートも"異常なし"の情報が書き換えられ、しばらくの間はチェックが入らない。
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5. 最奥へ──適性テストエリア
セキュリティルームの端末を操作し、ラボ内部のアクセス情報を確認する。
適性テストエリアへと続く扉には、"レベル2認証"が必要だった。
「突破できるか?」
「任せろ。解析開始。」
数秒後、軽い電子音とともに、エコーが報告する。
「レベル2認証、突破成功。」
「適性テストエリアのロック解除。」
赤い"RESTRICTED ACCESS(制限エリア)"の警告が消え、通路への扉が開く。
探偵は、深く息を整える。
──ここから先に、答えがある。
レムノスに関する真実も、ノア・プロジェクトの核心も。
「行くぞ。」
エコーのホログラムがわずかに明滅する。
「……了解。」
探偵は静かに通路を進む。
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6. 適性テストエリアの内部
適性テストエリアの扉が、静かに開く。
探偵は、わずかな緊張を胸に抱きながら、中へと足を踏み入れた。
──冷たい無機質な空間。
機械の作動音が微かに響き、金属の床が鈍い光を反射する。
薄暗い照明が、部屋全体をぼんやりと照らしている。
慎重に周囲を見渡す。
エコーの声が、低く響いた。
「スキャン中……異常なバイタル反応を検出。」
「室内の奥に、人間が一名拘束されている。」
探偵の心臓が、一瞬だけ早鐘を打つ。
静かに足を進め、奥へと目を凝らした。
そこに──"誰か"がいた。
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7. 拘束された男
部屋の奥、無機質なベッドの上に"男"が横たわっている。
目隠しをされ、抑制衣を着せられている。
体には複数の生体モニタリングセンサーが取り付けられ、状態を監視されている。
意識はあるようだが、反応が鈍い。
探偵は、ゆっくりと彼へ近づいた。
その瞬間、目に入ったのは、モニタリング装置に映し出されたログ。
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8. "レムノス"の痕跡
―――
被験者番号:L-07
適性評価:未確定
記憶データの安定性に問題あり
再構成プロセス進行
―――
──再構成?
探偵の指先が、無意識に冷たくなる。
嫌な予感が、背筋を這い上がってくるようだった。
「探偵、こいつ──"データを再構成されている"……?」
エコーの声に、探偵は息を呑む。
この男は……レムノスなのか?
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9. 目覚めない意識
探偵は、慎重に手を伸ばし、男の肩をそっと叩いた。
「……聞こえるか?」
静寂が支配する。
しかし、わずかに男の指が動いた。
微細な痙攣のような反応──夢の中をさまよっているかのような状態。
やがて、かすれた声が漏れた。
「……い、たく……ない……」
「……け……し……ないで……」
探偵は、無意識に拳を握る。
彼は、まだ"目覚めて"いない。
あるいは、"再構成"の影響なのかもしれない。
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10. 警報発令
探偵は、拘束具に手をかけた。
その瞬間──
──ALERT: UNAUTHORIZED DISCONNECTION
短い電子音が鳴り響き、警報が作動する。
「クソ……警報が発令された!」
探偵の背筋が冷え、エコーが即座に対応を試みるが、セキュリティは厳重だった。
「探偵、時間がない──」
探偵は迷わなかった。
「……大丈夫だ。すぐに外す。」
手早く拘束具を外し、レムノスを自由にする。
その瞬間──
彼の手が、探偵の腕を掴んだ。
「……い……く……」
かすれた声が、警報音にかき消されることなく響いた。
「エコー、脱出ルートを示せ!」
エコーが即座に指示を出す。
「倉庫側の通路が最も警備が手薄! 3分以内に突破しろ!」
探偵は、レムノスの肩を支えながら、適性テストエリアを飛び出した。
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10. 倉庫ルートからの脱出
警報音が響く中、探偵はレムノスの手を引いて駆ける。
倉庫の入口が見えた瞬間、振り返ることなく駆け抜ける。
警備の動きは鈍く、まだこちらには到達していない。
──出口が見えた。
「……行ける!」
探偵は、レムノスと共に最後の一歩を踏み出し、倉庫を抜けた。
だが──探偵には、確かめなければならないことがあった。
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11. レムノスの正体
夜の冷たい風が、探偵の頬を打つ。
倉庫を抜け、安全圏へと向かうべきだと頭では理解している。
だが、その前に──
「……レムノス。」
探偵は、低く呼びかけた。
彼はまだ朦朧としていたが、肩で荒い息をしている。
ゆっくりと、目隠しを外す。
──布がするりと滑り落ちた。
月明かりの下に現れた顔──
それは、自分の顔だった。
探偵の心臓が、一瞬跳ねる。
まるで冷たい刃が首筋をなぞるような、鋭い寒気が背筋を走った。
「……これは……」
言葉が詰まり、指先がわずかに震える。
目の前の"レムノス"は、探偵と瓜二つの顔をしていた。
だが、決して"完全に同じ"ではない。
──目に、焦点がない。
──表情が曖昧。
──まるで、"作られている途中"の存在。
レムノスの口が、微かに動いた。
「……た、い……」
「……や……だ……」
言葉は震え、かすれていた。
何かを思い出そうとしているのに、それが掴めないような──
「……"消えたくない"……」
探偵は、無意識のうちに拳を握りしめる。
"これは、本当にレムノスなのか?"
考えがまとまらない。
理屈を超えた"恐怖"が、心の奥底でじわじわと広がっていく。
まるで、足元の現実がぐらつくような感覚。
その時、エコーの声が響いた。
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12. エコーの反応
エコーの声は、いつもの軽口を失い、異様なまでに静かだった。
「……探偵。」
「"それ"は、何だ?」
淡々としたトーンの中に、かすかな"不安"が滲んでいる。
しばしの沈黙。
探偵は、ゆっくりと息を吐いた。
(これは、本当に"俺"なのか?)
探偵の目の前には、"自分と同じ顔をした男"がいた。
その答えを知るために──この先に進むしかない。
"レムノスとは、何者なのか?"
探偵は、レムノスの肩を支えながら、夜の闇へと歩みを進めた。