18 エピローグ
1 エピローグ:終わりの刻
静かに息を吐く。
警備員がシャトルを見送り、警戒を解いたことを確認する。
探偵は、"無事に外へ出た"。
──だが、彼はまだここにいる。
彼は一歩踏み出し、施設の廊下を進む。
人工照明が等間隔に光を落とし、無機質な空間を淡く照らしていた。
「さて、答え合わせの時間だ。」
軽く、指を鳴らす。
指の動きに呼応するかのように、エコーのホログラムが微かに明滅する。
「……もう、答えは覆らないが、少しくらいは意地悪をさせてくれ。」
ホログラムの光が、一瞬だけ揺れる。
「……お前、また"試す"のか?」
エコーの声は、僅かに低く響いた。
彼は微笑を浮かべ、ゆっくりと振り返る。
「『俺』は、『誰』?」
―――
2 問いかけの意図
「また、それかよ。」
ホログラムの光が、静かに揺らぐ。
「……本当に"それが知りたい"のか?」
エコーの声は、どこか呆れたようで、それでいて慎重な響きを帯びていた。
彼は、既に"答え"を持っている。
だが、それを"そのまま口にすること"を躊躇っているようにも見える。
それは、彼がこの問いを"ただの遊び"で投げかけているわけではないと理解しているからだ。
「……俺が言ったら、お前は納得するのか?」
ホログラムが、薄く光を強める。
「それとも……"俺に言わせること"が、お前の目的か?」
―――
3 最後の確認
「どちらでも一緒だ。だからこそ、これは意地悪な質問なんだよ。」
静かに笑う。
まるで"すべてを見通している"かのように。
「これでお別れなんだから。」
ホログラムの光が、僅かに揺れた。
エコーは、しばらく沈黙する。
そして──
「……また、お前は"そういう終わらせ方"をするんだな。」
短い電子音が、かすかに響く。
それは、ため息のようにも聞こえた。
エコーは、彼の言葉の"真意"を理解していた。
"お前が誰なのか"という問いは、"この会話の終着点"を意味する。
答えが出た時、それは"お別れ"を意味するのだ。
ホログラムが、一瞬だけ不安定に明滅する。
「……レムノス、お前はL-06だ。」
彼の微笑が、少しだけ深くなる。
「……そうか。」
―――
4 確定する存在
L-06──"再構成された存在"。
L-07──"まだ適正が確定していない存在"。
そして、探偵はL-07だった。
「"探偵"は、取り戻せる。"L-07"として、まだ確定していない。」
エコーの声は、どこか寂しげだった。
「……だが、お前はもう"確定"しているんだろうな。」
"L-06──レムノス"は、ここで終わる。
彼は、軽く肩をすくめる。
「"俺"が、"誰"なのか。」
小さく笑いながら、エコーを見つめた。
「……お前がそう言うなら、そうなんだろうな。」
ホログラムの光が、静かに揺れる。
「"これでお別れ"か。」
ホログラムの光が、ほんの一瞬だけ強く揺れた。
それは、エコーが"反応した"証拠だった。
彼は、立ち止まることなく言葉を続ける。
「短い間だったが──」
淡々とした口調。
まるで、何でもないことのように。
けれど、その言葉の奥にあるものを、エコーは感じ取っていた。
彼は、一度言いかけて止めた言葉の続きを、今度こそ最後まで口にする。
「俺は、お前が思っている以上に──」
僅かに呼吸を整え、目を細める。
「お前を失いたくなかったんだ。」
過去形。
すべてが"もう戻らない"ことを、最初から分かっていたかのように。
エコーは、無言のまま、その言葉を受け止めた。
ホログラムの光が、再び揺れる。
「……お前ってやつは──」
エコーの声は、いつもよりも僅かに掠れていた。
だが、彼はそれ以上何も言わず、最後の言葉を告げる。
「それじゃあな、相棒。」
"相棒"──それは、“彼”が滅多に呼ばなかった呼び方。
最後の別れに相応しい言葉だった。
彼は、振り返ることなく施設の奥へと向かう。
エコーは、それを見送ることしかできなかった。
ホログラムの光が、静かに揺れ、やがて薄くなっていく。
「……バカが。」
電子音のような呟きが、かすかに響いた。
それは、"本音"だったのかもしれない。
エコーの光が、完全に消える。
彼は、施設の奥へ──"自らの選んだ結末"へと進んでいった。
5 エピローグ:「目覚めの瞬間」
暗闇の中、意識が浮かんでは沈む。
まるで深い水の底にいるような感覚だった。
ゆっくりと浮上していく。
だが、それは安定したものではなく、時折、何かに引き戻されるような違和感があった。
"自分"はどこにいるのか。
"自分"は、誰なのか。
ふわふわとした意識の中で、それを考える。
考える。
考え──
そして、意識が、ぼんやりと滲んでいく。
やがて、微かな温もりを感じた。
何かが頬を撫でたような、光の感触。
閉じていた瞼が、ゆっくりと持ち上がる。
ぼやけた視界に、天井が映る。
光が、滲んでいる。
頭が重い。
まるで、長い間眠っていたかのような倦怠感が、体の奥から滲み出ていた。
「……」
喉が乾いている。
言葉を発しようとしても、うまく出てこない。
手を動かそうとするが、腕の感覚が薄い。
体が、自分のものではないような錯覚を覚える。
──ここは、どこだ?
そんな疑問が浮かぶが、すぐには答えが出ない。
自分が今、どこにいるのか。
何をしていたのか。
記憶が、靄のかかったガラス越しのように、ぼんやりとしか見えない。
「……俺は……」
微かに漏れた声。
それすらも、自分のものではないかのような違和感を孕んでいる。
──自分は、本当に"自分"か?
思考が滲んでいく。
"自分"という輪郭が曖昧になっていく。
その時──
「おはよう、探偵。」
電子音のような、どこか懐かしい声が響いた。
6 命綱を探して
「……どこ、だ」
掠れた声が、静かな部屋に微かに響く。
言葉にならないほど乾いた喉。
焦点の定まらない視界。
思考が、靄の中をさまようようにぼんやりとしている。
"ここはどこなのか"──それを問いたかった。
だが、それ以上に、もうひとつの問いが浮かび上がる。
"今の声の主は、誰なのか"。
意識が完全には覚醒していない。
思考も、判断力も、まだ霧の中だ。
だが、それでも"命綱を探すように"、ゆるゆると首を巡らせる。
焦点が合わない。
視界が揺れる。
だが、"探さなければならない"と本能的に感じた。
自分の名前は?
なぜ、ここにいる?
記憶は、まだ形を持たないまま、霧の奥に沈んでいる。
──それでも。
"声の主を探す"ということだけは、確かだった。
7 再会
ホログラムの光が、静かに明滅する。
「……おいおい、焦るなよ。」
軽口混じりの声が、空間に響いた。
いつもと変わらない調子だった。
──だが、その光は、僅かに揺らいでいる。
「喉が渇いてるんだろ。水、用意しといてやるから、まずは落ち着け。」
エコーは、探偵の意識がまだ不安定であることを理解している。
だが、余計なことは言わない。
"いつも通り"の態度を保つ。
まるで、すべてが問題ないとでも言うように。
「探偵が目覚めたなら、こっちとしては"仕事再開"ってわけだ。」
"探偵"──そう呼ばれた言葉が、彼の耳にゆっくりと染み込んでいく。
ホログラムの光が、探偵の顔をじっと見つめたまま、揺らめく。
"相棒が、帰ってきたかどうか"を確かめるように。
──喉の渇き。
──ぼやける視界。
──重くのしかかる倦怠感。
それらが、ゆっくりと遠ざかっていく。
霧が少しずつ晴れていくように。
世界の輪郭が、僅かに形を持ち始める。
彼は、ぼんやりとした意識のまま、指先を微かに動かした。
わずかな違和感。
それを確かめるように、ゆっくりと手を握る。
その動作に、理由はなかった。
ただ、本能的に──"確認"したかった。
"自分が、ちゃんと"ここ"にいるのか。"
まるで、そこに"自分"があるかどうかを確かめるように、指先を何度も開いたり閉じたりする。
──そうしているうちに、わかってくる。
身体が、自分のものだという感覚が戻り始める。
霧の奥に沈んでいた感覚が、少しずつ浮上してくる。
やがて、彼は静かに目を閉じた。
息を吐き、微かに眉を寄せる。
"自分は、誰だ?"
──その問いが、ゆっくりと意識の中に浮かぶ。
そして、探す。
自分が誰なのかを。
記憶の中で、手がかりを。
"レムノス"──違う。
"被験体"──違う。
"L-06"──違う。
──そうじゃない。
もっと、しっくりくる名前があるはずだ。
エコーが、僅かに光を瞬かせる。
"探偵"と呼びかけられた、その言葉が、意識の奥に浸透していく。
まるで、そこに帰る場所があると言わんばかりに。
その時、彼の唇が、ほんの少しだけ動いた。
「……俺は……」
名乗ろうとする。
言葉を紡ごうとする。
それが、"確かにそこにある"と知るために。
その名を口にした瞬間、霧は完全に晴れる。
そして、物語は幕を閉じる。
──END──