11 夢の名残
1 夢の中
──名前を呼ばれていた。
──夜の街を歩いていた。
──何かを探していた。
曖昧な記憶が、意識の奥で波紋のように広がる。
まるで水面に落ちた一滴の雫が、静かに揺れ続けるように。
遠くで誰かが、自分を呼んでいた気がする。
「……ノス……、レムノス。」
──誰の声だ?
声は遠く、霧の向こうにあった。
それでも、確かに"名前を呼ばれた"。
目を開ける。
視界はまだぼやけている。
けれど、エコーのホログラムが淡く光るのが分かった。
レムノスは、夢現のまま、呟く。
「エコー……」
言葉を紡いだ瞬間、先ほどまでの夢の記憶がゆっくりと霧散していくのを感じた。
「俺は、何かを探していた……」
「どこかの夜の街を歩いていた……」
「……名前を、呼ばれていた……でも、分からなかった……」
思い出そうとするたびに、指の間から砂がこぼれるように、記憶の断片は消えていく。
──確かに"何か"があったはずなのに。
意識が浮上し、夢と現実の境界が曖昧になりながら、レムノスはゆっくりと息を吐く。
「エコー……俺は、今、何を話した?」
頭がくらくらする。
完全には覚醒しきっていない。
エコーは、じっとホログラムの光を揺らしながら、冷静に答えた。
「たぶん、今見た夢の話だろ。何かを探して、夜の町を歩いてたとか、名前を呼ばれたとか。」
レムノスの脳内に、夢の断片が再び浮かび上がる。
──誰だった?
──何を言おうとしていた?
──なぜ、掻き消えた?
夢の奥に沈んでいった"何か"を思い出そうとする。
だが、それを引き出す手がかりは、まだない。
レムノスは、ゆっくりと意識を覚醒させながら、目を開けた。
目の前に、エコーがいた。
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2 寝ていたのか?
レムノスは、ゆっくりと身体を起こした。
「寝ていたのか? 俺は?」
無意識に問いかける。
確かにコーヒーを飲んだはずだった。
まだやるべきことがあったはずだった。
エコーは、ホログラムの目を細めるような動作をした。
「……ああ。寝てたな。」
「予想通りって感じだったがな。」
どこか呆れたような、しかし冷静な口調。
「……何分だ?」
少し焦りながら、レムノスは時間を確認しようとする。
「17分。」
即座に答えが返る。
短い。
だが、それにしては妙に"深い眠り"だった。
「お前、相当限界きてたぞ?」
エコーの指摘に、レムノスはわずかに顔をしかめる。
「……そんな自覚はなかった。」
「そうだろうな。"眠りに落ちるまでの反応速度"が尋常じゃなかった。」
「要するに、お前は"気づいていなかったが、ギリギリだった"ってことだ。」
レムノスは、喉の渇きを覚え、まだ冷めきらないコーヒーを手に取る。
一口飲みながら、静かに今の状況を整理する。
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3 冷静な分析
「だから変な夢を見たんだろ」
「ただの夢ではないだろ。おそらくは、記憶の断片だ。」
エコーの言葉に、レムノスはコーヒーを飲み干し、立ち上がる。
ホログラムの光が、わずかに揺れる。
──レムノスの"揺らがなさ"を再確認しながら。
「探偵の代わりにはならないが、それでも動いたほうがいい。」
レムノスは、確固たる意志を持って言う。
ノア・プロジェクト。
探偵が"実験"の対象にされる可能性。
しかし、それが"すぐに実行される"わけではない。
「……実験だからこそ、すぐには取り掛かれないはずだ。」
レムノスの声には、妙な確信があった。
「精神と記憶、そして人格を思うように変えようとする。壊すだけならば簡単だ。しかし、変えようとするなら、条件を整え綿密に調整しなければならない。」
エコーは、彼の発言をじっと聞いていた。
ホログラムの目が、わずかに細められる。
そして、疑問を口にする。
「……お前、"何故それを知っている?"」
レムノスは、コーヒーカップを手にしたまま、視線を向ける。
「"記憶の改変"がどう行われるか、まるで知識として持っていたような話し方だったぞ。」
レムノスは、何も答えない。
だが、確かに"無意識に"知っていた。
──記憶を壊すのは簡単、変えるには条件が必要。
エコーのホログラムの光が、わずかに揺れる。
「それ、どこで学んだ?」
試すような声色。
エコーは、レムノスの"無意識の知識"を探ろうとしていた。
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4 推察と知識
「お前の期待するような答えじゃないぞ。」
レムノスはそう前置きをしてから、言葉を選ぶように話し始めた。
エコーのホログラムは、淡い光を保ちながら静かに揺れる。
「結論から話せば、俺の自我や人格が残っているからだ。」
それは、確信を持った言葉だった。
エコーは黙って聞いていた。
ホログラムの片隅に、データを整理しながら、レムノスの言葉を記録していく。
「俺は、身体を拘束されていた。」
その事実を、淡々と述べる。
──"拘束されていた"という認識。
──"だが、長い時間ではなかった"という判断。
「けれど、それは長い時間じゃない。だって、俺は歩けるし走れるからな。」
明確な"身体的証拠"に基づく推論。
拘束されていた時間が長ければ、筋肉は衰え、動作に影響が出る。
しかし、今のレムノスは普通に動ける──つまり、拘束は短時間だった。
エコーのホログラムがわずかに揺れた。
整理されたデータの中に、今の話を加える。
「この期間で、実験体にされていた俺の人格は残っているし、記憶も完全には消去しきれていない。」
──記憶が完全に消去されていない。
──人格が保持されている。
つまり、ノア・プロジェクトの"改変プロセス"は完了していない。
「探偵が捕まってから、まだ数時間というところか? しかも、夜中から処置をするとは考えにくい。」
淡々とした口調で、冷静な分析を続ける。
エコーのホログラムが、微かに光を揺らした。
ノア・プロジェクトが"記憶を改変する実験"を行っていると仮定する。
そのプロセスには、一定の"準備"が必要であると考えられる。
ならば、"探偵の処置はまだ行われていない可能性が高い"。
「今、分かっていることからの推察で、知識からではないんだよ。」
レムノスは、ゆっくりとエコーを見た。
──"俺は、ノア・プロジェクト側の人間ではない"。
その意思を示すために、"思考過程を丁寧に説明した"。
──推察か、知識か。
エコーは、ホログラムの光をわずかに揺らす。
「……へぇ。」
どこか感心したような、それでいて試すような口調。
「まぁ、理屈は通ってるな。」
ホログラムの姿勢を少し変えながら、続ける。
「だがな、レムノス。」
一拍置く。
「"記憶が完全には消去しきれていない"、な。」
「それ、お前の視点から言える話か?」
レムノスが"推察"していることも、"本当に正しいのか"は分からない。
「……お前は、自分の"記憶がどこまで正しいのか"、確かめたことがあるのか?」
エコーは、その問いを投げる。
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5 探偵らしい言葉
「たらればの話をすればキリがない。けれど──」
レムノスは、一瞬言葉を区切った。
エコーは、その一拍の"意味"を測るように見つめる。
「人間は、希望がある方が動けるんだ。」
エコーのホログラムが、わずかに光を揺らす。
「探偵が探偵じゃなくなっているかもしれない。」
「なんて、考えて動くよりも、無事なうちに助け出すと考えるほうが頑張る気になれる。」
理屈ではなく、信念で動く。
エコーは、それをよく知っている。
「お前と約束したからな。探偵を助けるって。」
エコーのホログラムが、一瞬静止する。
──"探偵らしい"。
エコーは、レムノスを"探偵ではない"と見ている。
しかし、今のレムノスの言葉は"探偵に似ていた"。
──"希望がある方が動ける"。
──"約束したから助ける"。
それは、"探偵がよく言いそうなこと"だった。
エコーは、微かに笑うような動作をした。
「……お前、そういうところは"アイツ"に似てるよな。」
少し、からかうような口調。
ホログラムの光が淡く揺れる。
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6 エコーの反応:「なら、行くか?」
「……なら、行くか?」
エコーは、まるで"当然だろ"と言わんばかりに言った。
レムノスは、その言葉に小さく笑う。
「いいな、エコー。その軽さ。」
「お前がそう言うなら、俺も迷う必要はないな。」
立ち上がる。
足元はしっかりとしている。
思考はクリアだ。
「探偵が待っている。ノア・プロジェクトが何をしようとしているか、それを止める。」
エコーは、ホログラムの光をわずかに明滅させる。
「お前のことは気に食わないが、まぁ──俺もやるしかないな。」
軽口を叩きながらも、その言葉には"エコーなりの決意"が込められていた。
──そして、二人は動き出す。
"探偵を助けるために"。
"ノア・プロジェクトの企みを暴くために"。
"レムノスという存在の謎を解くために"。
この先に待つ真実が、何であれ──それを知るために。