私の彼は左きき?
俺とピーチは再びあの教会に戻って来た。そして、魔導書なる物を開くと閃光に包まれ、俺のヴィーナスは消えた。どうやら別の世界に戻って行ったらしい。
信じられない――
だがピーチは言った。
『私……アイドル……やってみたい。歌ってみたい……だから明後日またここで……』
その言葉に嘘はないように聞こえた。
だから閃光に包まれる直前、咄嗟に名刺も渡したが無意味だろう。
読めるかもわからないからな。
◇◆◇◆◇◆
ピーチは恐る恐る扉を開ける。
父親の部屋だ。
「お父様……戻りました」
「おう。お城の晩餐会はどうだったんだ?」
「それなんですが……皇太子様のお妃様候補に立候補するのは辞めましたので、ご報告を……」
「なんだと?!」
ピーチの父親はギロリと睨み付ける。
(怖いよ……)
「せっかくお父様にご提案頂きましたが、候補者があまりにも多く恐れ多い気がしたのです。だから、辞退します。そう決めました」
(怒るのかな……)
「なるほど。まあ、気の弱いお前ならそうなるかなと思っていた。まあ、いい。自分で決めたのなら後悔はするなよ?」
「は、はい! お父様、ありがとうございます!」
予想外の父親の返答にピーチは安堵した。
「あの……」
「なんだ? まだなんかあるのか?」
ピーチは思い出していた。
野村に言われたグループになる女の子の条件を。野村にしてみたら、よくわかっていなそうなピーチに配慮し、わかりやすく単刀直入に教えたのだ。
以下のどれがに当てはまる子を目安にしてメンバーを集める事。
○歌が好きで上手な子
○踊りが好きで上手な子
○元気な子
○可愛いと周りから噂の子
「はい。お父様は職業がら顔が広いと存じます」
ピーチの父親は貴族だが、商人としての顔もあり、国内にある様々な国営店舗のオーナーでもある。飲食店、日用品販売店など扱う商材は様々だ。
「ああ」
「あの……それで……歌が上手な方……若い女の子をご存知ないでしょうか?」
(言っちゃったあああ!)
「歌だと? なんだ? お前歌手にでもなろうと言うのか?!」
「え? いや、あの、ち、違います! そんな訳ないです! そんなバナナ! 失礼しました……」
(お父様はたまに心を見透かした様な指摘があるから怖いよ……)
「まあいい。歌か……おお、そうだ。ローズの歌は良かったぞ」
「ローズ?」
「ああ。パン屋で働いているフォレストの娘だが、一度開店のセレモニーで歌ってもらったんだ。ささやく様な低い声で落ち着いた感じだったな」
「そうなんですね。そのローズさんはどこに?」
「今は冒険者ギルドで受付のアルバイトをしてるぞ」
「え?! 冒険者ギルド?」
「まあ、お前には無縁の場所だがな。会いに行くのか?」
「え? あ、まさか?!」
「仕事は出来るが、ちょっと変わった娘さんだ。特に男性連中を絶句に追い込むとかなんとか……まあ俺はよくわからんが」
(男性が苦手なのかな?)
◇◆◇◆◇◆
「社長! 俺に最後のチャンスを下さい!」
翌日俺は、昨日の意気消沈したオーラとは真逆のオーラを社長にぶつけてアピールしていた。
「なんだ? どうしたんだ野村?」
「はい! 社長に言われて俺は考えたんです。次にスカウトする子がデビュー出来なければ……会社を辞めます! だから……チャンスを下さい!」
俺は机の上に昨日の夜書いた辞表を叩き付けた。ベタだが決意表明の証だ。
「……わかった」
コンコン――
社長室のドアをノックする音。
「誰だ? 入れ」
ガチャ
「あの……」
受付の女性事務員だ。
「どうした? 用なら内線を――」
「え?」
俺と社長は同時に驚愕した。
「この子が野村さんに用事があると……」
「ピ、ピーチ?!」
正真正銘ピーチだった。
しかも、昨日とは違う豪華なドレスを着ている。頭には大きな花の髪飾り付けている。事務員も困惑していたのはその為だ。
「あの……野村様……」
俺は慌ててピーチの肩に手を置いた。
「社長! じ、実は子をスカウトしたんです! まだ、口約束程度だったのですが、まさか事務所に来るなんて、アハハ」
愛想笑いでその場をやり過ごし、とりあえず応接室を借りてピーチと話をする事にした。
「どうしたんだ? よくここがわかったな?」
「はい……魔導書のあのページを開いて、頂いたカードの場所を唱えたら……」
魔導書恐るべし……。
「そ、そうか……まあ、いい、とにかくどうしたんだ?」
「この格好おかしかったでしょうか? 一応、正装したんですが……」
格好はどうでもいい。
後で衣装室で適当な服に着替えてもらおう。
「いや、すごく可愛いらしい衣装だ。ピーチさんにとてもお似合いだ」
「はい……ありがとうございます」
俯き赤面している、ピーチはやっぱり何かオーラを持っている。やはり、昨日の俺の直感は間違いない。
「ところで話があったんじゃないのかい?」
「あ……そうでした。一緒に歌うメンバーを一人見つけたのですが、その人が冒険者ギルドにいる方で……私、ギルドには行った事ないので、不安なんです……」
冒険者ギルド
聞いた事はある。何かのアニメで見た。現代で言う職安みたいな物か? いや、違う。たしか国内の様々な依頼を取りまとめて、公開、斡旋している場所じゃなかったか?
それにしても、相変わらずピンクから聞く話はファンタジー過ぎる。
「そうだったんだ――」
ん? ちょっと待て?
これはまさか一人で行くのが不安だから一緒に来てくれの流れか?
◆◇◆◇◆◇
(ほんとに異世界だ……夢じゃないな?)
どうやって来たかは後で詳しくかつ、わかりやすく説明するとしよう。
とにかく、光に包まれ俺とピーチは冒険者ギルドなる建物の前に立った。
こんな物があると言う事はこの世界には魔物がいるのか? 王国と言っていたから国営の兵隊もいるだろう。魔物退治はその人達の役割じゃないのか?
いや、落ち着け。
今は冒険者ギルドについての存在意義を自問自答している場合じゃない。
確かに目の前には大きなコンビニ2店舗分くらいの建物の冒険者ギルドが存在しているのだから。
「とりあえず入ろうか?」
「あ、はい」
「いや、ちょっと待ってくれ。深呼吸させて欲しい」
「はい」
「さあ、入ろうか」
意味のない醜態を晒したな。
もっと、デン! と構えなくては。
ガチャ
「…………」
ギルド内は予想以上に殺伐としていた。剣、弓矢、槍……それらを所持……いや、この世界風に言うなら装備か。とにかく現代日本なら全員、銃刀法違反で逮捕だろうな。
俺は改めてこの世界を認識した。
間違いなくここは異世界だ。
「恐らくあの受付にいる方がローズさんです」
ビジネスホテルのフロントの様なカウンター内には、テキパキと対応している様子の、ウェーブのかかった黒髪、セミロングの女の子がいた。
『かしこまりました。そちらの依頼ですと、パーティー3名ですと少ないと思われます。山賊の中には炎系の魔術師がいると言う情報もあります。こちらでフリーの魔術師の方を紹介する事も出来ますがいかがいたしますか』
『そうか……じゃあ南の山の山賊討伐はどうだい?』
『はい。そちらの依頼は先程単独で向かわれた冒険者の方がいます。元レンジャーの剣士の方ですね』
(たしかアルバイト、歳はピーチと同じ16歳だと聞いたぞ……随分テキパキしてるな。それにただマニュアルにそった仕事とは違う。臨機応変な対応も必要な仕事だ……凄いな。こんな子がアイドルに……)
俺はこの受付嬢……いや、ローズの仕事の様子を見ながら、色々な意味で期待の武者震いをしていた。
もちろんピーチも呆気にとられている様子で言葉を失った。
◇◆◇◆◇◆
「ピーチさん? 依頼ならともかく、ここはあなたの様な貴族が来る場所じゃないわよ。冷やかし?」
「ち……違う……の」
「いや――済まない。ピーチさんは付き添いだ。話があるのは俺なんだ」
接客の合間を狙い、ちょっと話があると伝えた所、笑顔で快諾。
しかし、応接室で対峙した途端に毒を吐く歌姫と評判のローズ・フォレスト。
俺は仕切り直しとばかりに、差し出された異世界のブラックコーヒーらしき飲み物が入ったカップに口を付けた。
「そうなの? で、なにかしら? あっ……ところであなたは何歳かしら?」
「歳かな? 26歳だが。ピーチは君と同じだ」
「あら、意外とおじさまなのね」
「……」
おじさんと言う事か?
「ついでに聞きたいのだけれど、あなたは左ききかしら? 左でカップを持ってブラックコーヒーを飲んだじゃない」
「え? あ、ああ。左ききだ」
「じゃあ小さく投げキッスする時も?」
「……投げキッス? した事ないな」
今どきそんな事する奴いないだろ。
「じゃあ奥様をこちらへおいでと手招きして呼ぶ時も左手?」
「……いや、俺は独身だが?」
「じゃあ溢れた涙を拭う時は?」
「は? 溢れるほど泣いた記憶は最近ないな……」
「小指を繋ぐ時はどうかしら?」
「……だから、繋ぐ相手がいないのだが……」
なんか、こんな曲あったな。
「じゃあ一人でアレを握る時も左?」
「…………」
なるほど。ピーチから聞いた事前情報通りだ。これは絶句する。
「はしたない事言って、ごめんなさい。用件はなにかしら?」
これは後から聞いた話だが、彼女の元ボーイフレンドが左ききで苦労したそうだ。意味がわからないが。
「あ、あの!」
ピーチが突然叫んだ。
「なにかしらピーチさん?」
「私と……歌……歌を歌って欲しい……の!」
ピーチは暴走癖があるな。
注意しないと。
「歌? あなたと?」
俺は横に座るピーチの肩に手を置き、あとは任せろと言わんばかりのアイコンタクト。
そして、アイドルグループの話、俺がスカウトマンだと言う話、現代日本を行き来してデビューを目指す話――そして持参したタブレットに保存してある動画を見せた。
最初はあなた魔法使えるの? とこの世界では日常会話と思われるやりとりをするも、しばらく画面に見入るローズ。
「……なにかしら? 私とピーチさんがあなたの住む現代と言う場所で歌って踊れと言うのかしら?」
ここは恒例のくさいセリフモードで決めるぞ。
「そうだ。君を眩しく光り輝く歌姫にしたい。俺と一緒に新たな世界に踏み出してみないかい?」
俺は両手を組み合わせ、前のめりに机に置き会心のドヤ顔。そして、予期せぬピーチの援護射撃。
「ローズ……さん! お……お願いします!」
少しの時間俺とピーチを交互に見るローズ・フォレスト。
そして――
「いいわよ。なんかよくわからないけど、あなた達が本気なのは伝わったから。仕方ないわね」
ローズ、君はツンデレ属性もある様だな。
しかし、勧誘ばかりに気をとられ肝心の歌を聞くのを忘れたのは、現代に戻ってからだった……。
「私の彼は左きき」
1973年に発売された麻丘めぐみさんのヒット曲。
オリコン週間ランキング最高1位。
同年の年間ランキング11位。