気まぐれヴィーナス
「飛んだだと?!」
「いや社長、三日前から音信不通なんです」
「それは飛んだって言うんだよ! バカヤロー!」
俺は浅はかだった。
芸能事務所に就職して、自分が育てたアイドル達と一緒に、まだ見た事のない景色へ行きたい――まんまゲームの価値観を、己の実人生に重ねる暴挙に出てめでたく入社出来たのだ。
しかし、リアル世界の住人と言う気まぐれヴィーナス達の洗礼を浴びた。
デビューすらさす事も出来ない。
いや、数回打ち合わせしただけのデビューに向けてのレッスンもしないうちに来なくなった者、数名。
俺は飛んだと言う言葉が好きではない。新しく巣立つ前向きな美談に聞こえやしないか? 音信不通2名。
そして現在、事務所内の社長に報告をしているのが3人目。
「野村……何度も言うが、一人の人間をデビューさせるのはただじゃないんだぞ?」
「……はい。重々承知しております」
「ボイトレ、ダンス、外部専門家による基本的なコンプライアンス意識の講習、広告宣伝準備……一体どれだけの人間が動いて、どれだけのお金がかかっていると思ってるんだ?」
「も、申し訳ありません……」
「まあいい。お前が担当する女の子は損失はまだ甘い方だ」
そうなんだ。
俺がスカウトして担当する子は、本契約前……いわゆるデビューに向けて一通りの体験教育中なのが幸いだ。
だから会社への損失は少ない。
しかし、ゼロではない。
「野村……」
「は、はい」
社長は立ち上がり、窓から遠くを見ながら語り始める。
「なあ……これは俺個人の意見だが、お前はこの仕事むいてないんじゃないか?」
「…………」
現在は、雇用者を簡単には解雇出来ない世の中だ。
社長は個人の意見と前置きした上で遠回しに解雇を通告している。だが、それは社長の親心の様にも感じた。
自分の不甲斐なさを責めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「クリサンセマム家、ピーチさん?」
「は、はい……」
ここは現代とは別世界。
アソインドグルと言う世界。
後にスカウトマン野村の救世主となる女の子……ピーチが住む中世ヨーロッパを彷彿とさせる魔法も存在する世界。
その世界の一番大きいお城の入口で豪華なドレスを纏った、二人の女の子が一人の女の子に詰め寄り、なにやら責めている様だ。
「あなたなに? まさか……そんな陰気臭い顔のくせに、皇太子様のお妃候補に名乗りをあげるつもりなのですか?」
「え? それ本当? 身の程知らずにも程があるわよ。信じられないわ……嘘でしょ、あり得なすぎるのだけど」
「あの……その……嘘じゃ……な……お父様に……言われて……私は……」
「なにその話し方? じれったいわね! もっと、ハキハキしゃべったらどうなのよ!」
「ほんとにふざけないでほしいわ! さっさと辞退しちゃいなさいよ!」
「え? で、でも……私が勝手に……辞退……したらお父様が……」
「あーほんとウジウジしてるわね! 最悪、イライラするわ!」
「あっ、でもこんな陰気臭い女なら、どうせ選ばれる訳ないわね。なんてったって、お妃候補は百人くらいいるって話ですもの」
「え? そ、そんなに……」
「あら? まさか、あなたそんな事も知らなかったの?」
「ねえねえ、こんな子ほっといてさ、さっさと宮廷の晩餐会に行きましょうよ」
「そうね。行きましょ。あっ! ピーチ、あなたはこないでよね! 晩さん会が陰気臭くなっちゃうから」
「で、でも……いかないと……怒ら……あっ!」
ピーチは慌てて二人の後を追いかけようとして、前のめりに転倒してしまう。
「アハハハ! ドジねえ、何やってんのよ!」
「ちょうどいいじゃない。ただでさえ安っぽいドレスが泥まみれ! これじゃあ行けないわね! あなたにはその泥ドレスが、最もお似合いよ。あーそうだわ、その泥ドレスで晩餐会に出るのも面白いかも……アハハハ!」
「……そ、そんな……」
ピーチ・クリサンセマム
英語でピーチは桃、クリサンセマムは菊の花。
そんな彼女は一応貴族だが、なぜか特に同性と話すのが苦手な極度に内気な少女。
母親は彼女が生まれた時に死別し、厳格な貴族の父に育てられたのも影響しているのだろう。
(どうしよう……このまま帰れないよ〜)
彼女は途方に暮れていた。更に追い討ちをかける様に自分の姿が水面に写る。
(こんなにドレスが汚れて……顔にも泥が付いてる……酷い……もう、駄目だ……)
道行く人々、誰がどう見てもどんよりメソメソとしたオーラを醸し出し歩くピーチ。
(なんで私っていつもこうなんだろう……)
その足はいつしか、深い森の奥へと進んでいた……。
◇◆◇◆◇◆◇◆
事実上の解雇通告に値する、社長の個人的なつぶやきは俺に衝撃を与えた。そして己を責めるだけで、何も言葉を返す事が出来なかった。そして退勤時間。
無論、残業などする気力はなく、自宅までの電車三駅分の道のりをトボトボと歩いて帰宅していた。
すれ違う人がたまに俺を見ている。
顔も、あまりの生気が抜けた放心オーラだったのだろうな。
だがそんな事はどうでもいい。
終わるのか……俺の……。
とりあえず、食いたくはないが飯でも食おう。
辺りを見まわす。
あ〜もう住宅街か。そんな事も気づかず歩いていたのか。
当然、適当な食事処などないな。
うん?
こんな閑静な住宅街に場違いな教会がある。
神頼みでもしろと言うお告げか?
そんな考えがよぎると同時に、俺は立ち止まる。
クリスチャンでもない俺が開ける教会の大きな扉。
そのまま立ち止まり奥の祭壇を見るも、誰もいないし薄暗い。
こんな時間にお祈りする奴なんかいるわけない――うん?
祭壇が光って……いや、正確には祭壇の立ち位置、神父が立つ場所から光が刺している。
その光は徐々に強くなり、眩しすぎる閃光に変わる。
「な、なんだ? 普通じゃないぞ? まさかなんか事故か?」
思わず声を発した。
「え? え?」
これは俺の声じゃない。
女性の声だ。
閃光の中から女性――いや女の子?
「だ、大丈夫ですか? 何かあったんですか?」
とりあえず閃光の訳を聞いた。
「だ、誰ですか?」
それは俺のセリフ――そんなツッコミをしている場合じゃない。
まだ弱い光を纏った少女に思わず目を奪われた。
女神――ヴィーナス?!
それは今まで俺が出会い裏切られ消えていった気まぐれなヴィーナスと全く比べものにならないほどの別格だと思った。
そう――正真正銘のスターになれる光り輝くオーラを纏ったヴィーナスだ。
「君……名前は? あっ、そうだった……す、済まない。俺は野村だ。君の名前を、ぜひ聞きたい」
「え? あの……その……ピーチ……ピーチ・クリサンセマム……」
神が存在したとこの時、俺は思った。