鈍感な勇者
赤髪の剣がレオンハルトの首に触れようとした、その時。
パ、キイィィ──ンン……!
高い金属音を響かせ、剣の刃が粉々に砕け散った。
「なッ!?」
剣の刃だけではない。
レオンハルトを拘束していたあらゆる物が、身体から溢れ出る光で崩れ去った。さらさらと、枷と鎖が砂のように溶けて落ちる。
「こ、この光は何だ!? いったい何が起きている!? どうして──」
現実を受け入れられない顔で喚く赤髪に、レオンハルトが静かに答える。
「お前は勇者というものを舐め過ぎだ。こんな魔術具で俺が拘束できると本気で思っていたのか?」
眩しいほどの光を纏い、目の前に立つ男。
輝く金色の髪が光風に揺れ、深い森のような翠眼で鋭く見据える。赤髪の男は息を呑んだ。
「──……ッ!」
刃元まで砕けた剣の柄が、赤髪の手から滑り落ちて音を立てる。次元が違う強さを肌で感じた赤髪の男は、すでに戦意を喪失していた。
「…………勇者様……」
どこからともなく、そう呼ぶ声が上がる。
先ほどまでレオンハルトを罵っていた声はピタリと止み、いつしか人々はその場に跪いていた。
神々しい光を纏うレオンハルトを、人々はただ見つめる。石を投げた者も、口汚い言葉を発した者も。自分の行いが間違いだったのだと気付くには、十分な美しさと眩しさだった。
そんな中、わなわなと身体を震わせる者がいた。先ほどまでレオンハルトを『裏切り者』『クズ』と呼んでいたチョビヒゲの大臣だ。
「ば、馬鹿な……! お前は魔王に負けるくらい弱かったんじゃ……!?」
その大臣の驚愕に染まった顔を見て、レオンハルトはフッと笑った。
「ああ。確かに俺は魔王に負けた。魔王はそれだけ強かったんだ。なのに、この国は未だに平和だ。どうしてだと思う?」
「それは魔王が寛大な心で、この国の愚かな行いを見逃してくれていたからじゃろう」
穏やかに問いかけるレオンハルトに応えたのは、大臣ではなく国王だった。いつの間にか処刑場に来ていたようだ。これには大臣たちも驚いて一斉に頭を下げた。
「つまり魔王が争いを好まぬという其方の話は、嘘偽りのない真実であったということであるな」
そう口にした国王の目配せに合わせ、近衛兵たちが赤髪とその側にいた大臣3名を拘束した。
「な、何をする!?」
「ワシは関係ないぞッ!」
「ええい、無礼者! 放さんか!!」
この期に及んで見苦しく抵抗する大臣たちを後目に、レオンハルトはコソッと国王に声をかけた。
「……少しはお役に立てましたか?」
国王は無言で微笑んだ。
今回の勇者の処刑。
これは国王が画策した、不正を働く大臣たちを炙り出すための演技であった。どこからどこまでが……といった詳しい内容は、勇者と国王しか知らない。
「ワシが不甲斐ないばかりに、其方に辛い役目を押しつけてしまった。済まなかったな、レオンハルト」
「いえ、俺もいろいろ勉強させてもらいました。魔王に負けるとは思っていませんでしたし、その慢心を見つめ直す良い機会をもらえたと思っています」
国王が親しげにレオンハルトを労う姿を目にした赤髪は、自分が踊らされていたことに気付き、顔を赤くさせた。
「くそっ……! くそおぉおおオォォ────!!」
渾身の力を振り絞り、近衛兵たちを押し退け、そのまま国王に向かい一直線に襲いかかる。
「……往生際が悪い」
赤髪には、そのレオンハルトの動きが全く見えなかった。気付けばひと回り大きい身体が宙を舞い、いつの間にか地面に組み敷かれている。細い木の枝でも軽く払うかのような扱いに、赤髪の男はギリギリと歯噛みした。
「観念しろ。国王も生命までは取らないだろう」
「ハッ、随分とお優しいこったな! このまま生き恥を晒すつもりはない! いっそ殺せ! 魔王に骨抜きにされた腰抜けめ!!」
赤髪は吐き捨てるように言葉を投げつけ、レオンハルトを睨み上げた。
「…………は?」
骨、抜き……?
何を言っているんだ、こいつは?
首を傾げるレオンハルトに、国王はポンと手を打って見せた。
「おお、そうであった。レオンハルト、其方、此度の件が終わったら、しばらく休みが欲しいと言っておったな。何なら魔王の所にもう一度行ってきても良いぞ。口説くにしても戦うにしても、今度は本気で、のう」
タヌキのような顔でニコリとする国王に、レオンハルトは苦笑いを返す。
「国王まで……。冗談は止めてください。俺は本気で戦って魔王に負けたんですよ。それにどうせ口説くなら女性を相手にします。俺にそんな趣味はありません」
レオンハルトのその言葉で、周囲からは呆れた声と残念なものを見る目が溢れた。
「そこまで其方の目は節穴であったかー……」
と、国王が溜息混じりに呟く。
それに他の大臣たちも続いた。
「何を言うとるんじゃ、この勇者は。あのような美女、そうそうおらんがな」
「人族の女の方が良いという意味じゃなかろうか。それとも単に視力が悪いのかのう? 何にしても勿体ない話じゃ」
「魔族とはいえ、あれだけの美人じゃ。こっちは本気で骨抜きにされてないか心配しとったのにのう」
「あの色香に気付かんとは。道理で女っ気がないわけじゃわい」
好き勝手に話す大臣たちの言葉に、レオンハルトはまたも首を傾げる。
「……何ですか、そろいもそろって。その言われ方だと魔王が女性だったように聞こえるんですけど?」
「こやつ……!」
「真面目に言うとるんじゃったら手遅れ感が半端ないわい」
ざわつく大臣たちを横に置き、国王がひと言、レオンハルトに告げた。
「レオンハルトよ、今代の魔王は『女』である」
え? その形でレオンハルトは固まった。
「…………いや。男ですよ?」
綺麗な顔はしていたが、それはないだろう。
そう言い切れる自信はあったが、こうもそろって言われると不安になってきた。
「さては其方、魔王に姿を化かされておったな。魔王は誰よりも魔術に長けておると聞く。先日この城に現れた魔王は、それは美しい女性の姿であったぞ」
ウンウンと、国王の言葉に頷く大臣たち。
な、何だって────!!?
レオンハルトは心の中で叫んだ。
「あの姿を見たから、わしらはお主がちゃんと帰ってくるか心配しとったんじゃ」
「ワシじゃったら帰りたくなくなるわい」
それってつまり、俺だけ魔王が男に見えてたってことか!? あのルディウスが……女!?
混乱する頭で必死に思い出す。
魔王城で自分はどう過ごしていた!?
ルディウスは柔らかな物腰で、寂しがり屋で、世話好きで。他にも、目の前で服を脱ぐのを止めるように言われたり……とか。
「…………ああー…………」
今までのことを思い返すと、妙に納得がいった気もした。となると、自分は毎日魔王の手料理を食べ、ガッツリ胃袋を捕まれていたことになる。何が友情だ。とんだ勘違いの大バカ野郎じゃないか。
「まぁ、そんなことよりも。ほれ。皆の者に言いたいことがあるのであろう?」
「……あっ、そ、そうでした」
レオンハルトは激しい動揺を押し隠し、群衆に向かって声を張り上げた。
「見ての通り、今回のことは不正を行っていた大臣を捕らえるための演技だったわけだが、何も知らなかったみんなには要らない不安を与えたと思う。それは済まなかった」
演技と聞き、ホッとした表情や気まずさを顔に出す人々。ここに集まっているのは、少なくともレオンハルトの処刑を見にきていた者たちだ。当然、気まずくもなるだろう。
「だけど魔王が悪い人物でないのは本当の話だ。俺はこの目で見てきた。魔王は争いを望んじゃいないし、人が傷つくのも嫌っていた」
レオンハルトが魔王と魔物について詳しく説明すると、人々はざわついて騒然としていた。
いきなり仲良くしろ、なんてことは言わない。
少しでもルディウスに対する人々の誤解を失くすため、レオンハルトはただただ気持ちを込めて言葉を尽くした。
「魔王は悪いヤツじゃない! 俺が言いたいことはそれだけだ!」
伝えたいことは全て言った。
これを聞いた人々がこれからどう考えるか、それはレオンハルトにもわからない。すぐに信じてもらうのは難しいかもしれないが、ちゃんと話せばいつかはわかってもらえると信じている。
──あ、そうそう。
「……それから、ここに来る途中で俺に石を投げつけたお前。そして、その後から投げてきたお前たち。全員、顔は覚えたからな。覚悟しておけよ」
レオンハルトはきっちり指を差し、悲鳴を上げそうな顔の1人1人と目を合わせた。
二度と同じようなことをしないように、こっちもちゃんと釘を刺しておかないとな。