敗北した勇者
人族が住む国から遠く離れた辺境の地。
そこにそびえ立つ魔王城の前に、1人の剣士の姿があった。
サラリとした金色の髪に翠眼の、整った顔立ちの青年。歴戦を思わせる傷の入った鎧に身を包み、手には業物の剣が握られていた。
「ついにここまで来たか……」
これまでよく1人で頑張ってきたもんだ。
勇者である青年は今までの冒険を振り返り、長い道のりに思いを馳せた。日常だった魔物たちとの戦いも、もうすぐ終わりを迎える。
「……この戦いで決着をつける!」
そう決意を固め、勇者は魔王城へ乗り込んでいった。
──が、しかし。
「ふっ。勇者と言っても大したことはないな」
魔王は勇者が思っていた以上に強かった。
今まで戦ってきた魔物たちとは明らかに次元が違う強さに、勇者は手も足も出なかったのだ。
「……く、そ……っ」
ここまでの善戦も空しく、勇者は魔王に敗北してしまった。
「──さて、どうしてやろうか」
もはや勇者に抵抗する力は残されていない。
魔王は仰向けに倒れ込んでいる勇者を見下ろした。そして一考した後、その身体に向けて手をかざす。
「生命までは取らないでいてやろう。だが、そのままいられても面倒だ。お前にはオレの配下になってもらう」
魔王の手から放たれる紅黒い光で、勇者の身体が包み込まれる。
「……く、っ」
自分で身体を動かそうとしても、ピクリともしない。勇者は魔王の強力な魔術の支配を受け、その手下に成り下がってしまっていた。
「よし、立て」
「──!?」
魔王の声に応え、身体が勝手に動く。
「……術はちゃんと効いたようだな」
確認するように呟くと、魔王は勇者に回復魔法を掛けた。あれほどボロボロだった身体が、あっという間に治っていく。
「……! 何を!?」
「見てわからないか? 回復魔法だ」
不可解そうな顔を向ける勇者に、魔王は余裕の笑みを浮かべて返した。
「これからお前にはオレのために働いてもらうことになる。ズタボロのままでは動きが鈍くなるだろう?」
「ッ!!」
魔王のため。つまりこれからは、今まで命懸けで守ってきた人々に、自分が剣を向けることになってしまうのか……ッ!
そう思い、顔に悔しさをにじませた勇者だったが、魔王から下された命令は意外なものだった。
「よし、とりあえずこれを持て」
戦いに負けた勇者が魔王から渡されたのは、畑を耕す『鍬』だった。
「………………は?」
◇◇◇◇
数週間後。
魔王城の近くにある畑には、キラキラと良い汗を流して働く元・勇者の姿があった。
「レオンハルト、そこが終わったらこっちを手伝ってくれ」
「分かった、魔王」
かつての勇者──レオンハルトは、すっかりこの畑仕事に馴染んでいた。
「……オレは魔王と呼ばれるのは好きではない。今度からはルディウスと呼べ」
ちょっと照れた顔で命令する魔王に、レオンハルトは苦笑いを浮かべる。
「わかった。魔王にも名前があったんだな」
「勇者にだって名があるんだ。オレに名があっても何の不思議もないだろう」
そう言ってルディウスは、不満気な視線を向けてきた。輝く銀糸の髪が軽やかに揺れ、透き通った青い瞳が宝石のように煌めく。
「ああ、そうだな。その通りだ」
ルディウスは中性的な顔立ちで、どこかの国の王子様だと紹介された方が、しっくりくる上品さだった。
魔王とは名ばかりで、見た目だけで言うなら、とても誠実そうな青年だ。一見すると、こっちが勇者と間違われてもおかしくない。
それほどまでに、ルディウスは真面目な性格で澄んだ瞳をしていた。
魔王の手下になったとは言っても、ルディウスの出してくる要求は、命令というより慎ましい生活を送るための手伝いのようなものばかりだった。
そんな『らしくない』魔王に、いつしかレオンハルトは妙な親しみを覚え始める。友情と呼んでいいのかはわからないが、それに似たような感覚は持つようになっていた。
魔王に敗北した、あの日。
レオンハルトはルディウスから『何故いきなり城に侵入して襲い掛かってきたのか』と問いただされた。
「そんなの聞くまでもないだろう。魔王が魔物をけしかけて人々を襲うからだ」
そう返した時のルディウスの表情は、呆れと戸惑いが半々といったところだった。
「……それは誤解だ」
そこで落ち着いて話を聞くことで、レオンハルトは初めて真実を知ることとなる。
魔王と魔物の関係は、人族にとっての野生動物と同じようなものだったのだ。命令をしたからと言って従うはずもなく、意図的に人々を襲わせているわけでもなかった。むしろ自分だって、いつ被害に遭うかわからないような存在だったのだ。
「野生の魔物1匹1匹に魔術を掛けて回るとか、どれだけ時間が掛かると思っているんだ。そんなことをするなんて、とても正気の沙汰とは思えない。魔物がオレの命令で動いているなどと。どうして人族はそんなことを考えるようになったのだ?」
静かに問い掛けるルディウスに、レオンハルトは苦い顔を向けた。
「……それも誤解なんだろうな。お前が俺に掛けた『従属させる魔術』を魔物全体に掛けていると思われたんだろう」
「済まなかった」と素直に頭を下げるレオンハルトに、ルディウスは軽く溜息をついた。
「長く生きているから、いつのことかは覚えていないが、オレも人前で何度か従属の魔術を使った覚えはある。……迂闊だったな」
その翌日。
レオンハルトは地属性の魔物が畑を耕している光景を目にした。
「…………こ、れは……?」
魔物の正体は知っている。サンドワームという、ミミズをでっかくしたような魔物だ。
「ああ、便利だろう? たまに手伝ってもらっている」
と、爽やかな笑顔のルディウス。
「……手伝い? 魔物が?」
「ああ。なぜかたまに懐いてくれる魔物がいる。鳥の魔物なんかは、種や木の実をくれることもあるんだ」
その光景は、どう考えても魔物を使役しているようにしか見えなかった。
「……コレだよ。勘違いの原因は」
やばい。こいつ天然だ。
そう思ったレオンハルトは深く溜息をついた。
◇◇◇◇
それからわずかに月日は流れ、『新しい勇者が選ばれた』との噂が魔王城にも流れてきていた。
「……やはり来ると思うか?」
「来るだろうな。きっと国では、俺がお前にやられて死んだことになってるんだろう」
深刻そうな顔で尋ねてくるルディウスに、レオンハルトは率直な意見を返した。勇者として魔王に敗れて以降、レオンハルトは誰とも連絡を取っていない。きっと生死不明のまま、次の勇者が選ばれたのだろう。
『魔王に負けた』と報告すれば、人々に不要な混乱を与えてしまうと思ったから連絡をしていなかったのだが、途中からはどうでも良くなっていたのもあった。
自分が消息を絶ってからの、この数ヶ月。
国として捜索をするような気配も、この近くまで様子を見にくることも何もなかったからだ。
そして思っていた通り、すぐに自分の代わりが現れた。
「……もしここに攻めてきたら、新しい勇者の力がどれ程のものか、俺が直々に試してやるよ」
「なっ! ちょっと待て。オレは進んで争うつもりはないぞ。何でお前が戦う気になっているんだ?」
慌てるルディウスに、レオンハルトはニヤリと口の端を上げて見せる。
「当然だ。俺は『魔王の配下』だからな」
ちょっとだけ面白くなかったのは内緒だった。
「…………オレの……」
そう呟いたルディウスは、隠し切れていない照れ顔で嬉しそうにしていた。