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蕎麦湯の自販機

作者: 索☆創

「お前、今日、十割やってみっか?」

 いきなりの親方の質問に、俺はすぐ返事ができなかった。

 老舗、と呼ばれている有名な蕎麦屋に修行に入ってもう三年、いいかげん自分でも自信をつけなければと思うのだが、上手くいっているとは、とても言えない。


「まだ、無理か? なら二八な」

 さして落胆した様子もない親方に、いつもの仕事を命じられ、俺は蕎麦粉と小麦粉をふるいにかけた。

 実家も蕎麦屋なのだが、いつになったら戻れるのやら。

 薄いマスク越しにため息をついて、蕎麦鉢に入れた粉に水を回そうとするが、集中できなかった。


 なんだ? 店の表が騒がしい。


 いつもは行列していても、蕎麦を好む客層が客層なので静かなのだが。


 何かあったのだろうか? 以前、お待ちのお客様が立ちくらみをおこして騒動になったのを思い出し、俺は店の表へつながる自動ドアを手で開けた。


 入り口の横、ちょうど店の小さな庭園と、道の境目の空いていた場所にそれは立っていた。

 薄い黄緑色の四角いボディの横に、白い文字が、達筆で、流麗な文字が書いてあり、否応なしに目に入る。


 そばゆ。


 そばゆって、あの蕎麦湯か?

 湯沸かし中の大釜を思い浮かべる。

 まだ、蕎麦を茹でていない店のお湯は透明だ。


 それで、そばゆと自販機に達筆に書いて何か意味があるのか?。

 揮毫に使う労力が無駄だな、と思いつつ正面にまわる。


 ガラス、ではなくプラスチックか。

 透明な仕切りの向こうに、二段並んだ商品見本。そばゆと書かれた深緑の小型缶しかない。


 なるほど、売り物がそばゆだったか。


 あ、端の一本だけそばつゆだ。


 上の段があったか~い、下の段がつめた~い。

 いや、なんだこれ? 蕎麦湯の自販機?

 朝、店の前を掃除した時にはなかったし、親方からも何も聞いていない。


 まあ、事件(110番)とか、病気(119番)じゃないからいいか、と俺は店内に戻った。


「おう。騒がしいな。なんかあったか?」

 俺のふるった粉をまとめながら、親方が聞いてきた。


「いや、自販機が」

「なにぃ! また出やがったか!」

 親方が後ろにあった、塩の袋を掴もうとし。・・・粉だらけの手を洗う。


「なに、ぼ~っとしてやがる! いくぞ!」

 手拭いで水気をとった手で塩を握ると親方が自動ドアの前に立つ。


 立つ。立つ。立つ。立つ。


「まだスイッチ入ってないから開かないですよ」

「入れとけ、アホぅ!」

 塩を握ってない左手でガラス戸を開けて親方が店の前へ飛び出す。


「あ~もう。逃げられたじゃねぇか」

 親方が握っていた塩を入り口の盛り塩に足してパンパンと手を叩く。

 

 確かに、あの自販機は影も形もない。


「はぁ」

 自販機って逃げるモノだったか?


「まあ、塩ぶっかけてどうにかなるものなのかわかんねーがな」

 首をふりふり店に戻る親方の後ろを、首をかしげながら俺もついていく。




 営業時間も終わって、最後のお客様を見送ったあと、俺と親方は片付けの終わった座敷で恒例の晩酌を始めた。

 お前、手つきは良くなったが、まだまだ度胸が足りない。もっと思いきってやってみ。無駄? 気にすんな、と言ったあとに十割に使っている蕎麦の実を手に入れるのに凄い苦労してよ。とか話しだすからたちが悪い。


 そして話は朝の出来事に。


「昔は小僧だったんだってよ。蕎麦湯小僧」

 ほらここだ。と親方が古い和紙をじた書物の崩し字を指差す。


「いや、ここだって言われても。読めません」

 達筆過ぎる。


「おれも」

 親方(アンタ)も読めんのかい。


「まあ、昔からこの店に限らず、蕎麦屋の前に蕎麦湯売りの小僧がでたんだってよ。いつの間にか自販機になってたらしいが」

 親方が書物を神棚の下に戻す。


「悪いモノでもないから気にすんな」

「いや、塩持って走ったの親方ですよね?」

「ああ? だってよ、なんか気持ち悪くねぇか?」

 酔ってお喋りになった親方は、少し赤い禿げ頭を掻いた。


「蕎麦湯小僧ねえ」

 何で蕎麦湯? まあ、豆腐小僧もいるしな。うとうとし始めた親方を布団まで運んで俺は晩酌の後を片付ける。




 う″ん。


 薄暗く、人目の届かないビルの隙間すきま

 コンプレッサーのモーターが回り出す音が、大型の箱から、低く響いた。


 煌々(こうこう)と明るい箱の正面、その影になった側面の。


 暗くて読みづらい文字は。


 そばゆ。


 自販機は静にたたずむ。


 ППППП


「あえ? あそこにあったスーパーつぶれたよね?」

「いや、移転」

「いてん、イテン、いてーん」

 キャハハハと同僚が笑い出す。


「溜まってるなぁ」

 ストレス過多な日常に、アルコールで対抗しているコイツに、なんかおごってやろう。


 『激安』。さびて消えかけた上に、傾いた看板の下で、ズラリと、いつの間にか並んで道を照らしている四角い箱が同僚の上に(クエスチョン)マークを浮かべた原因か。


 一番近い自販機の前に立ってミネラルウォーターを探す。

 なんだろう。小さい缶しかない。

 五十円だしな、とあきらめて商品を確認していく。


 そばゆ。


 は? 目をこすってとなりの箱に。


 そばゆ。つめた~い。


 は? 眉をひそめてとなりの箱に。


 そばゆ。あったか~い。


 そばゆ。そばゆ。そばゆ。そばゆ。そばゆ。

 そばゆ。そばゆ。そばゆ。そばゆ。そばゆ。

 並んだ自販機に並ぶ圧倒的、蕎麦湯。


 十台全部売り物が一緒。


「あ、そばつゆ発見」

 端の缶だけ二百円。


「つめた~いでいいか」


 穴の開いた硬貨でおごってやった飲み物を同僚は口に含んだ瞬間、吹いた。


ППППП


「さて、『何でいきなり札幌なんだよ。どんだけ工事に苦労したと思ってるんだ。技術紹介の特番も無駄になったじゃねーかマラソン』も終盤ですね」

「はい、税金で色々やったから使わないと何か言われるでしょ? という一言と建設にたずさわった方々、テレビ局の思いが合わさって開催されたこのマラソン大会、意外に盛り上がっています」


「・・・終盤にかけて、勝負のポイントは」

「給水ですかね。まだ暑くはないですが、スパート前に、今まで失った水分を補給できるかが重要です」

「以前、コップを落としてしまい記録が伸びなかった選手もいましたね?」


「・・・私です」

・・・((あっ、やべ。))

「私ですが」


「あ~~! ここで新たな情報が! なんと最後の給水地点、手違いで設置されていない! これは大問題だ~!」

「・・・そうですね」

「え。 あれ? 映像だと普通にテーブルと、飲み物が準備されていますね」

「ええ。しかし、なぜ自販機が二台?」


「ただいま、追加の情報が。準備されているものは蕎麦湯。『あったか~い』と『つめた~い』があるもようです」

「だから二台なんですね。テーブルに並んでいる缶はきちんと開けてあるようで一安心です。蕎麦湯にはルチン、昔はビタミンPと呼ばれた栄養素が入っていて、実証はされていませんが体に良いと言われています」

「ですが、とろみがついていて選手は飲みづらそうだ~! やはり、あったか~いよりつめた~いが人気! そう言えば今回の実況の打ち合わせ、蕎麦屋だったんですが、蕎麦湯でむせて鼻から蕎麦が出た人がいたんですよ」


「・・・私です」

・・・((そうだった!))

「私ですが」


「あ! 蕎麦湯、蕎麦湯が放送席にきましたよ! これはなかなか美味しい! かな?」

「・・・鼻から蕎麦」

「ブホッ! ゴホゴホ・・・」


ППППП


「そばゆ、だって。うける~」

 すっかりギャルになってしまった幼馴染みは今日も楽しそうだ。

 撮って撮ってと言って私にスマホを渡す。


「はいポーズ」

 バッチコ~ン。訳のわからない設定のシャッター音がして、蕎麦湯の自販機と幼馴染みの青春が切り取られた。


「ありがと、ありがと。これ一緒に飲も?」

 幼馴染みの手に同じデザインの缶が二本。


「蕎麦アレルギーなんだけど」

 昔、一緒に食べた時、ひどい目にあったのだが。覚えてないか。


 変わっちゃったなぁ。


「大丈夫、大丈夫。飲んでみ?」

 渡された缶には、『蕎麦アレルギー対策! 蕎麦抜き!』の文字が。


 覚えててくれた。

 変わってないところもある、とほっこりしながら、二人でベンチに座って飲んだ蕎麦湯は。


 味がしなか(ただのお湯だ)ったけど美味しかった。


ППППП


「ここ、どこだ?」

 ついに、口に出してしまった。

 日の暮れた山の中、座り込みたい体を木の幹に預けて支える。

 座ったらもう立てない。

 水筒を逆さにして残った水滴をなめる。


「のど、渇いた」

 非常食も飴ももうない。

 もう、ダメか。

 嫌な考えを首振りで追い出す。

 っと。光が見えた。

 とうとう、幻覚まで見えたか。

 見つめつづけても煌々とした光は消えない。


「まさか、まさか、まさか!」

 そのまさかだった。


 こんな人のこない山中に自販機が一台。

 頭にソーラーパネルを乗せてたたずんでいた。


「あああ!」

 雄叫びのような声が、自分の喉から出ているのにも気づいた時には、もう自販機のボタンを押していた。


 カチカチ、ドンドン、バンバン。

 ボタンを押して、叩いて、取りだし口のカバーを開ける。


 何も無い。


 なぜ?


 ああ! お金、お金入れなきゃ!


 硬貨は、十二円しかない。


 札! 札は使えるのか?

 

 ウィーンと吸い込まれていく野口さん。


 ガコン! 音をたてて落ちてきた缶のプルタブを勢いのまま引きちぎり、中に傾いた飲み口に口づけして。


 飲む、飲む、飲む!


 うまい! こんなうまい飲み物は初めてだ! 一万払っても惜しくない!


 なんだ、このうまい飲み物は!


 私は自販機の灯りで缶を確認する。


 そばゆ。


 そ・ば・ゆ。


 そばゆ? 


 ああ、蕎麦屋で出てくる、あれ、ね。


 少し冷静になった私は自販機の赤いランプが点滅しているのに気がついた。


『釣り銭切れ』赤く光った文字の隣に『一定時間がたつと投入されたお金は無効になります』の注意書き。


 おっと。一万円払っても惜しくない、惜しくは無いが。


 そばつゆが端にあったのを発見したのは、リュックにそばゆが十九本と空き缶が一本入ったあとだった。


 これだけあればまだ頑張れる。

 私は木の葉で星の見えない空を見上げた。


「あれ? 自販機どこ行った?」

 自販機が無い。


 うん? また、少し離れた場所に灯りが見える。


 追う、離れる、追う、離れる。


 繰り返していたら車道に出た。


「え。三日? よく頑張ったね」

 ガードレールに寄りかかった私を見つけて、汚れを気にせず軽トラに乗せてくれたおっちゃん様がガハハと笑う。


「家、すぐそこだから。今日は家族に電話して風呂はいって飯くって、寝んしゃい」

 優しい言葉が身にしみる。


 何か、御礼を。


 何かないか、何か。


「蕎麦湯、飲みます?」


 おっちゃん様の家に着いた。


 私のリュックの中には蕎麦湯の缶が十九本。


 まだ、暖かい。


ППППП


「蕎麦の味は変わらないけど、蕎麦湯がって言われますね」

 ようやくできた後輩が俺にお客様の声を伝えてくる。


「蕎麦湯の作り方は習わなかったからなぁ」

 意外なところに落とし穴が、と俺は十割の蕎麦粉にお湯を回す。


「聞こうにも親方は雲の上ですしね」

 後輩が神棚を見上げた。


「あれ? なんか騒がしくないか?」

「見てきます」

 床を掃いていた後輩が店を出ていく。


「先輩、これ! これ見てください!」

 慌てた後輩が、動いて無い自動ドアにぶつかってから店に入ってくる。


『老舗の蕎麦湯』高級感の溢れるデザインの缶には『空炒りした蕎麦粉が隠し味』と書いてある。


 親方が教え忘れた事を伝えに来てくれたのか。


 いや、味の秘密をばらされたら困るんだけど。


 俺は短めに手を洗って、塩を引っ掴み店を飛び出す。


 店の前には。


 四角く、ちょうど、アノぐらいのスペースに。


 雪が積もっていなかった。







「ちょっと貴方。何でスマホ置いてきたの?」

 女将さんが「Oh! Kimono」と言われてにこやかに手を振る。


「いいじゃねえか。どうせ日本と話せねんだろ?」

 こちらはアロハ姿の親方が、額の汗を手拭いで拭う。


「今日もお昼はお蕎麦?」

 女将さんが日本食と書いてある看板を見上げる。


おう。蕎麦屋だからな」

 暖簾のれんをくぐる親方の三歩後ろで女将はため息をつく。


 まあ、朝食はパンケーキだし、夕食はお肉だ。旅行をプレゼントしてくれた弟子一同にはちょうど良い土産話だろう。


「昨日はかけそばだったから、今日は盛りだな」


 本当にこの人は・・・。


 すぐ、メニューが決まりますこと。


 カルフォルニアロールとロコモコ、どっちにしようかしら?

 あら? マラサダもあるのね。

 女将さんは微笑んだ。



「蕎麦は、なかなか上手じょうずだったが手落ちがあったな。つゆ、ストレートだと塩辛かった」

 昼食を食べ終わって、お腹をさすりながら歩いていた親方が、いきなり、バッ! っと振り向いた。


「どうしました?」

 女将さんがドキドキしている胸をおさえる。


「いや、何でも無い」

 親方は「こんなところに」とか「まさか」とかつぶやいて首をひねった。


Sobayu(そばゆ)tte(って)nandarou(なんだろう?)?」

Nomeba(飲めば) wakarusa(わかるさ). Ore() tumetai(冷たい) none(のね).」

「Yu tte Oyu dazo?」


 常夏の島の眩しい太陽の下でも。


 薄い黄緑色の自販機は静に佇む。


 その側面には・・・。

三行目にふりがなが無いのはわざとです。

英語があやしくて。

ローマ字だから良いよね?


作中の自販機は売り物以外普通? の自販機ですが、鳥山明先生風の大きめな手袋と靴が自販機についてるところを想像するとよりほっこり頂けます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 蕎麦湯……、蕎麦湯…… 蕎麦湯飲みたくなってきました…… [一言] 企画より拝読いたしました。 昨今は色々な自販機が存在しますが、流石に蕎麦湯はまだ見ないですね^^ ちょっと見てみたいし…
[一言] 蕎麦湯テロでしょうか? そばゆ 蕎麦湯 sobayu 実家はそば派でしたが嫁ぎ先はうどん派でして、年越しそばくらいしか作らなくなりました。家の近所に丸○製麺あるし。 そば食べた~いっ。…
[良い点] 拝読しました。 色々なパターンのお話を書かれていらっしゃいますね。企画内だけでも、どれも違ったタイプのお話で、すごいと思います。 ルビの使い方が職人のようでして、自販機が逃げるというアイ…
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