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多田勝次の切腹

 ひと月後のことである。

「藩主勝次公御切腹の作法は家老横井伊豆守殿同様古式に則った勇壮のものでございました。つらつらおもんみるに多田藩は藩祖以来尚武を旨とする家柄にございますれば常日頃よりこの日あることを思い……」

 江戸城本丸御殿御座之間へと通され、将軍に御目見得した大目付多治見兵部少輔は多田藩主多田勝次切腹の顛末を将軍に報告していた。将軍は多治見の通り一遍の報告を手で制して訊ねた。

「勝次は死に際して何か申しておったか」

 将軍の制止に従い、建前のような言葉を並べた報告を打ち切った多治見はこたえた。

「勝次公は、吸い物に混入した紙片を鱧肉と思って飲み下せなかったことが返す返すも口惜しいと仰せでした」

「さもありなん……」

 将軍は一連の多田藩をめぐる事案で発生した犠牲者名簿に目を通しながら慨嘆した。


  藩勘定方与力青木善右衛門

  藩町方与力高梁采女

  藩町方奉行本田清左衛門

  青木善右衛門夫人

  高梁采女同心衆八名

  その介錯人

  藩検地奉行佐藤十左衛門

  藩御料理番八名

  小姓五名

  毒味役三名

  佐藤十左衛門夫人

  藩江戸留守居役山村丹後守

  藩江戸上屋敷詰遠山甚大夫

  幕府町方与力橋詰惣次郎

  藩横目付松下七兵衛

  佐藤十左衛門叔父上島八郎右衛門

  佐藤十左衛門弟同久兵衛

  佐藤家小者次郎右衛門

  同源助

  藩家老横井伊豆守

  藩主多田勝次


「それにしても、勝次の切腹は避けられなかったものか」

 将軍はその思いを禁じることが出来なかった。藩主を守るために横目付や家老までが腹を切ったのだ。そのうえ更に藩主が腹を切ったとあっては彼等の犠牲が無駄になるばかりではないか。将軍にはそう思われた。多治見はこたえた。

「なんとしても紙片を飲み下すのだという勝次公の御心意気次第で、少なくともこのうちの十六名は死なずに済んだのです。それが出来なんだのは藩主としての不心得というよりほかにありません」

 藩主勝次は、検地に伴い青木善右衛門が切腹して以降、多数の藩士に死者を出した責任を問われ切腹を命じられたというのが本当のところであった。責任を取るために死んでいった者達のために、結局勝次は死ななければならない立場に追い詰められていったのである。藩主が問われたのはこのような大量死を招いた責任であった。

 しかしそれぞれが責任を果たして死んでいったのに、その責任を取るために藩主が切腹するというのは道理に合わない。そこで勝次切腹の表向きの理由とされたのが、吸い物に混入した紙片を吐き出してしまい、無為に藩士十六名を死なせたことであった。無駄な犠牲者を増やすべきではないと考えるならばたとえ紙片であったも鱧肉と思って一気に飲み下してしまわなければならない。それが出来なかったのは藩主としての不心得ゆえだ、というのが切腹の理由であった。


 自分には紙片を飲み下すことが出来るだろうか。


 将軍はふと不安になった。

 将軍はその晩、御料理番に不可解な命令を出した。

「吸い物に丸めた紙片を落としておくように」

 御料理番は将軍に命じれられるまま吸い物に紙片を落とした。

 将軍は夕餉の席で汁ごと紙片を飲み下そうと試みたが失敗して吐き出してしまった。

 本丸奥御殿が大変な騒ぎに包まれるなか、げほげほと苦しそうに咳き込む将軍を、大目付多治見兵部少輔は冷え切った視線で見下ろしていた。

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