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5.(後) 今日このことを話せて良かった

 とにかく今日伝えたいと思っていたことを全部伝えることができて、そして古川さんが全部聞いてくれて、俺は全身の力が抜けるような脱力感に包まれる。あとは、彼女の言葉を待とう。


 考え込むようにしばらく俯いていた古川さんが、小さく横に首を振ってから話し始めた。


 なんとか聞き取れるような、ボソボソとした小さな声で。


「私も……私も、そう。まだ本当は自分がどうしたいのか、どうなりたいのか、よくわかってないみたい」


 ときどき考えてはいたんだけど、いつも結論が出なくて、と彼女はひとりごちる。


「でも岩崎くんが私を想ってこの街に残る選択をしてくれたのも、こうやって二人でいられるのも、本当に嬉しい。これが私の素直な気持ち。だから、二人ともどうしたいのか心が決まるまでは、いままで通りの付き合いで……」


 そこまで口に出した古川さんは顔を起こし、両手を胸の前で大きく何度も振りながら、慌てて付け足した。


「いや、その、付き合いってそういう意味じゃなくって!」


 彼女の仕草が微笑ましくて、思わず俺は吹き出してしまう。


「わかってるって」


 古川さんは「むー」というように口を尖らせていたけれど、ふっと口元を緩めて。


「あらためて、よろしく」


「こちらこそ」


 お互いにはっきり口には出してこそいないけど、これが俺たちの新しい関係の始まり、ということになるんだろうか。




 そんな俺たち二人の時間を邪魔するように、部屋の入り口のドアがなんの前触れもなく、勢いよく開け放たれた。


 正座で向かい合っていた俺たち二人は、そのまま飛び上がってしまいそうな勢いで竦み上がり……。


「あー、玄関に女の人の靴があるから、ひょっとしてって思ったら!」


 なんのことはない、腕組みして仁王立ちしていたのは、妹の玲だった。なんだ、もう帰ってきたのかよ。


「お母さーん! お兄ちゃん、もう彼女連れ込んでる!」


 どれどれという顔をして、玲のあとから俺の両親が顔を出す。


「は、はじめまして! 古川と申します。いつも岩崎くんにはお世話に……あと、その、彼女とかじゃ……」


 肩に思いっきり力が入った状態で、必死に弁解する古川さんは可愛くてしょうがない。


 とはいえ、「他人事じゃないんだけど?」と言わんばかりの物凄い視線で睨まれたから、とりあえず俺も神妙な面持ちを作って、彼女に合わせることにした。


「いえいえ、こちらこそ。直の話にちょくちょく出てきて、どんな子かなっていつも想像してたんですよ。引越する前に会えて、良かったわ」


 ちょっと待て。それは聞き捨てならない。


「なに言ってんだよ。俺、そんな話題に出してないだろ」


「結構聞いてるけど?」


「俺も名前は覚えてる」


 お互いの顔を見合わせた両親にあっさりと否定され、妹にとどめを刺された。


「朝起こしに行ったとき、寝言で名前呼んでたことあったよ?」


「勝手に話作ってんじゃねえよ!」


 誤魔化すように叫びつつ古川さんの様子を横目で伺うと、彼女はうちの家族と俺の様子を交互に目で追いつつも、真っ赤になって縮こまっていた。


「それじゃあ、今後とも直をよろしくお願いしますね」


 結局、うちの家族は状況をかき回すだけかき回しておいて、五分もしないうちに部屋から出て行った。


 離れたところで玄関ドアが閉まる音を確認して、二人とも盛大な溜息をつく。なんなんだよ、いったい。


「なんというか、その、ごめん」


 疲れ果てたという様子の古川さんは、不揃いの前髪を触りながら上目遣いでこっちを見て、「へへ」と笑顔を作った。




 予期せぬ来訪者はあったものの、午後に予定されていたイベントもどうにか無事に消化することに成功した。 


「テレビも来たし、ネットの工事も終わったし、カーテンも付けたしっと……」


 指を折りながら慎重に今日のタスクを確認していた古川さんが、こっちを見る。


「これでお終いかな?」


「だな。もっと時間かかると思ってたんだけど、古川さん来てくれたから助かった。本当にありがとう」


 ネットの接続工事中に彼女に買ってきてもらった、少し前まではコンビニスイーツだったものの残骸を、俺はゴミ箱に放り捨てる。


 時間はまだ夕方四時半ってところだけど、俺一人だけだったら、おそらく今日の夜半までかかってたに違いない。古川さんは「掃除は嫌い」って言ってたけど、とてもそうは思えない手際の良さだった。


 そんな感慨にふけっていると、重い腰を上げるといった調子で、古川さんが立ち上がった。


「そろそろ、私は帰るね」


「そんなに急いで帰らなくても……。別に急ぎの用、ないんだろ? ついでだから夕食、食べていけばいいのに」


 そう、さっき母親からそんなメッセージが入っていたのだ。


 でもこれは名目に過ぎなくて、本当は彼女ともう少し一緒にいたいってのを誤魔化してるだけだと、自分でもわかっていた。


「ありがと。でも、家族でご飯食べなよ。家族だけでご飯食べられる機会、もう残り少ないんだし」


 笑って手を振りながら、古川さんが玄関の方に向かう。


「あれ? でも来るときお姉さんの車だったよな? 帰りはどうすんだよ」


「呼ぶから大丈夫。今日は一日暇だって言ってたし」


「それなら、外まで送ってくよ」


 玄関を出て、必要以上にゆっくりとマンションの階段を下りながら、俺はなにか妙案はないかと必死に考えていた。


 今日はその、もっと古川さんと一緒にいたい。もっといろんなことを話したい。


 そして古川さんが「それじゃ……」と言いかけたところで、ようやくそれらしいアイディアが閃いた。


 うん、きっと悪くない、はずだ。


「あのさ。乗せてってやるよ、俺の自転車の後ろに」


 意外だったのか、古川さんは目を丸くする。


「まだこんな時間だし、今からなら古川さんの家まで行って帰ってきても余裕だろ」


 そう言って俺はニヤリとする。彼女も腰に手を当てて、満更でもなさそうな笑みを浮かべる。


「道路交通法違反じゃなかったっけ?」


「あのときは古川さんの自転車だったしな。俺のなら、もっと楽に乗せてってやれるよ」


「それじゃ、お言葉に甘えて」


 もう少し考えるんじゃないかと思っていたけど、即答だった。




 さすがに俺の体格に合わせてセッティングしてある自転車だと、古川さんを乗せていてもかなり余裕がある。もちろん前と同じように、通行量の少ない道を選んでだけど。


 文知摺橋の坂道も、古川さんを乗せたままどうにか登りきって、橋の中央で一休み。


「のんびりしてて大丈夫? 急がないと、夜ご飯前に家に戻れなくなっちゃうよ」


「大丈夫だって。ここから坂を下ったら、古川さんの家まであと二十分もかからないし。余裕余裕」


「まあ、そうだけどね」


 古川さんは阿武隈川の下流左手にある、俺たちの母校である信東中の方を眺めていた。そして、サイクリングロードが大きくカーブするあたりを指で示す。


「ねえ、あそこ覚えてる? 写生大会で絵を描いたところ」


「ああ、大切な思い出の場所だから」


「楽しかったよね、あそこでみんなで絵を描いてる時間」


「楽しかったよなあ……」


「そういえばさ」 


 しんみりしたムードを台無しにするように、古川さんは横目で俺を見ながら、悪戯っぽい声を出す。


「あのとき岩崎くん、由希のこと意識しすぎて手が止まってること多かったよね。知ってるんだからね!」


「もう時効だろ? 勘弁してくれよ……」


「みんなにバレバレだったよ?」


「みんなって誰だよ!」




 そんないつもの調子の会話を急に中断して、古川さんは俺の方に向き直った。


 顔を俯き加減にして、両手を腰の下でぎゅっと握りしめる。そして通行する車の音にかき消されそうな、俺がギリギリ聞き取れるような大きさの声で、途切れ途切れに呟いた。


「その、ね。由希のことなんだけど。気遣ってあげなくちゃダメだよ、いろいろと」


「なにをだよ?」


「ごめん、いまは言いたくない」


 謎掛けのようだけど、聞き返すことができる雰囲気じゃなかった。


「私も、本人からはっきり聞いたわけじゃないから。でもきっとそのうち、由希が自分で言ってくれると思う」


「わかった」


「由希は、私の親友なんだから。それに、あなたにとっても大切な人でしょ?」


 不揃いな前髪の向こうから、試すような視線で古川さんが俺を見る。


「そして由希にとっても、あなたは大切な人なんだし」


「は?」


「あとは由希に聞いて。いや、やっぱり」


 小さく首を振って、古川さんは言った。


「さっきも言ったけど、待ってあげて欲しい。由希から言ってくれるまで」


 答えようがなくて、俺は黙って頷いた。


 彼女は俺の反応で言いたいことは伝わったと判断したのか、自転車の後ろのキャリアに腰かける。


「急に変なこと言って、ごめんね。でも、今日このことを話せて良かった」


 サドルに跨った俺は、前を向いたまま確認する。


 ──俺にとって大切な二人を傷つけないようにするために、自分の理解が本当に正しいのかどうか。


「要するに、俺は気負ったり変に気を回したりしないで、いままで通りに五十嵐さんと接すればいいんだな?」


 自転車の揺れで、古川さんが頷いた気配が伝わってきた。そして無理に作ったような、明るい声が響いてくる。


「湿った話はおしまい。それじゃ、帰ろっか!」 


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