1. 勉強会のお誘い
オケの定演も終わり、夏休みもそろそろ中盤にかかろうとする、ある日のことだった。
なんの前触れもなく、宏樹からのメッセージがスマホに届いた。
勉強中だから後にしてほしいんだけどなあと思いつつ、もっともらしい中断の理由ができたと喜んでしまうのは、基本的にはサボりたい派である男子高校生の本性じゃないかと思う。
クチでは一応「仕方ねえなあ」と言いつつ、俺はいそいそとスマホの画面を確認する。
『勉強会やろうぜ。俺の家で』
突然なにを言いだすのやら、訳がわからん。脊髄反射のように『はあ?』と返信する俺。
『成績が思わしくないお前のための、強化合宿』
絶句する俺にお構いなし、有無を言わせぬ勢いでメッセージが続けざまに送られてくる。
『成績、さすがにそろそろヤバイだろ』
『俺たちに感謝して、ありがたく受けとけ』
『一泊二日の予定だから、要着替え』
『メシはこっちで用意するから、配慮無用』
『水着は不要(笑)』
『詳しい日程は今度送る』
『で、どうだ?』
怒涛のメッセージ攻勢がひと段落ついたところで、俺はスマホの画面を凝視する。
一泊二日? 本当に勉強するつもりあるのか? 遊ぶ気満々じゃねえか。だいたいお前、部活の練習日程はどうなってんだよ? などなど、胡散臭いモノでも見るような目でメッセージの羅列を眺めること数分。ようやく頭に閃くものがあった。
そうか、俺がこの秋でおそらく転校ってわかってるから、「最後の夏休みだし遊ぼうぜ」って魂胆なんだろう。
宏樹のありがたい気遣い、そして最後の夏休みというフレーズに感傷的になっていた俺は、本来であればすぐに確認すべき文言がメッセージに含まれていることを、完全に見過ごしてしまっていた。
『サンキュー。恩に着るぜ』
こうして勉強会は決行の運びとなった、のだが。
前途の雲行きの怪しさを確信したのは、勉強会の前々日だった。
夕食前の微妙な空き時間を潰そうと、俺はベッドに横になって雑誌を読んでいた。そろそろ妹の玲が呼びに来る頃合いかなと考えていると、ベッドの上に放置していたスマホから、ピコンという着信音が聞こえる。
『話したいことがあるんだけど』
古川さん? なんだ? と思う間もなく、続きが表示された。
『電話していい?』
なにか大きな問題でも発生したのかと、了解のスタンプをとりあえず返信した瞬間、音声通話が着信した。どんな速さだよ……。
「岩崎くん、夏休み中にごめんねー。元気だった?」
「古川さんが元気なのは、よくわかったよ」
俺の嫌味をまったく聞こえなかったかのようにスルーして、古川さんは自分の用件を切り出した。
「明後日の件なんだけど」
「明後日? 悪いけど俺、先約があって」
「勉強会でしょ? 宏樹くんの家で、私も参加予定の」
はああああああ? 俺は思わず耳をスマホから離し、画面を凝視する。
「もしもし? もしもし? あれ? 岩崎くん参加するって言ってたよね?」
必死に自分の自制心に働きかけた甲斐あって、俺はスマホを放り投げることなく、なんとか平常心で会話を再開することに成功した。
「ああ。ていうか、古川さんも来るの?」
「聞いてなかった?」
「全っ然、聞いてねえ……」
電話の向こうで一瞬戸惑った気配を感じたものの、彼女は俺のボヤキをまたしてもスルーすることに決めたらしく、自分の用件を続ける。古川さん、押しが強くなったなあ……。
「それでさ、宏樹くんの家って保原でしょ? お姉ちゃんが車で送ってくれるっていうから、一緒に行かない? って話なんだけど」
そのあと俺のピックアップ場所や時間、そして持っていく手土産の手配などを調整して、電話自体は用件のみの十分程度で終わった。
さて、と。
画面に表示されている切断ボタンをタップしてから俺は何回か深呼吸し、震える手で宏樹からあの日届いたメッセージを画面に表示する。
何度見直してみても、そこには『俺たちに感謝して』という文言が確かに記されていた。『俺たち』ってことは、企画者は複数ってことだ。で、「不都合な事実があっても、聞かれるまでは答えない」っていうのは、詐欺師の手法だ。
つまり要するにこれはどういうことか端的に表現すると、
あ い つ ら 俺 を ハ メ や が っ た !
ってことだ。あの二人、いろいろ示し合わせていやがったな!
こんな簡単なトラップ、なんでその場ですぐに気付かなかったのか。俺はそのままベッドに突っ伏して、玲が「お兄ちゃん、ご飯だよー」と呼びに来るまで、放心する羽目になった。
冷静に考えてみれば、女子が一緒の一泊二日の勉強会ってどういうことだよとか、古川さんもオケの練習はどうなってんだよとか、他にも気にすべきところは山のようにあったはずだったんだけど。
それにしてもなんでいきなり、勉強会というイベントが? それも古川さんと一緒に。
納得がいかず、ここ最近の記憶を頭のなかで高速で逆再生してみると、それっぽい出来事が確かに存在していたような……。
──あれは一学期の期末テストの結果が戻ってきた頃だったか。
いつも一緒に弁当食べてる佐藤香織が欠席してたから、俺と宏樹、古川さんの三人だけで机を囲んで、弁当を食ってたんだった。
「なあ岩崎、お前そろそろ成績ヤバイんじゃねえの?」
「いやまだ学年で真ん中辺だし、そこまで酷くねえよ」
「でもお前、去年の最初の頃はもっとマシじゃなかったっけ?」
「岩崎くん、中学の時はいつも男子のトップ争いしてたのに……」
そりゃお前らは成績安定してて良いよな。
文武両道を体現しているような宏樹は学年三十位前後をうろうろしてるし、古川さんだって確か五十位台まで落ちたことはないって聞いたことがある。仙台にある某旧帝大なら、二人とも問題なく合格が狙えそうなポジションだ。
でもだからといって、可哀想な人を見るような目で俺を見ないでくれ。お願いだから。
「岩崎くんってさ」
俺の願いが通じたわけではないのだろうけど、古川さんは微妙に視線を外しながら、容赦のないことを言い始めた。
「中学の時、授業だけで十分って余裕ぶってたよね。ひょっとして高校でも同じ調子で舐めてかかって、落ちこぼ」
最後まで言わせずに、宏樹が大声で被せる。
「それだな! 俺も同じ中学で結構成績良かった奴がさ、高校に来てからパッとしなくて不思議だったんだよ」
「やっぱり高校だと、よっぽど突き抜けて地頭が良い人でもない限りは、ねえ……」
で、二人して俺の方に向き直る。
「「お前(岩崎くん)、そろそろ真面目に勉強しろよ(したら?)」」
「アア、ウン、ソウダネー」
不利を悟った俺は棒返事で逃げ切ろうとしたが、残念ながら許してもらえなかったようだ。
「ダメだな、こりゃ」
「どこがわかってないのか、一回ちゃんとチェックした方が良さそうだよねー」
「「特に数学」」
なんだその、息の合ったお前らのツッコミは。くそっ、言いたい放題言いやがって。数学だって、中学の時は得意科目だったのに。
そうだ、きっとあのあと宏樹と古川さんとの間で、「岩崎の成績をなんとかしよう協定」が秘密裏に締結されたに違いない。それにせっかくの夏休みだし、ついでにパーっと遊んじゃえって魂胆だろう。
うう、ありがたいのは間違いないのに、屈辱を感じる。見てろよ、明後日は俺の本気を見せてやるぜ!




