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3.(後) 人生初めてのデート?

 落ち着きはあるけれども華やいだ雰囲気の店内は、昼食どきのせいか、結構賑わっていた。


 幸か不幸か「男子高校生お断り」という冷たい目で見られることもなく、俺と古川さんは空いている席にコソコソと潜り込む。


 問題はメニューだ。


 高校生の懐事情を抉るような値段だってことは、この際置いておこう。それよりも、腹にたまりそうなものが見当たらないってことの方が致命的だ。


 こんなもので男子高校生の胃を満たせるか! と苦々しくメニューを睨みつける俺の様子を、向かいの席に座った古川さんが、おっかなびっくりで伺っている。彼女の内心がそのまま表れたような前髪を触りつつの半泣き顔に免じて、文句を言うのはやめておこう。


 俺は結局、一番腹にたまりそうに思えるオムライスのセット(大盛りがあればまだ良かったのに)、古川さんはパスタのセット(正確にはなんちゃらなんちゃらのなんちゃら風とかいう名前だったけど、頭が覚えることを拒否した)に決めた。


 店員さんを呼び止めてどうにか注文を伝えることはできたけど、この種の店に慣れていない俺には、ここまでですでに冷や汗ものだ。


「なんか、ごめんね」


 ただでさえ狭い肩幅をさらに縮めるように肩をすくめた古川さんが、申し訳なさそうに言う。


「俺もこういう店は初めてだから、ルールがよくわからなくて」


 岩崎家の外食なんて数ヶ月に一回あるかないかな上に、例外的に少し高めの店に連れてってもらえるとき以外は、外食と言ってもせいぜいラーメン屋かドリンクバーのあるファミレス程度だ。だからこんなオシャレな店での振る舞い方なんて、わかるはずがない。


「実は、私も初めてなんだよね。こういうお店」


 とんでもないことを、さらっと小声で伝える古川さん。おいこらちょっと待て。


「一人で入るようなお店じゃないって噂だったから、岩崎くんと一緒なら大丈夫かと思ったんだけど……」


 それはつまり、カップル御用達ってことじゃねえか!


 ここが教室なら大声で突っ込んでる場面だけど、さすがにここでそれは憚られる。それに古川さんも恥ずかしくて真っ赤になっているのが、俯いて顔を伏せた状態でもはっきりわかる。


「じゃあ、ほら、社会勉強ってことでひとつ。俺も一人じゃ絶対にこんなとこ来ないし」


「そうだね……。将来彼女できたときに役に立つよ、きっと!」


「古川さんに彼ができたときにもな」


 こういう場所で交わされるカップルの会話とは思えないような、バランス感覚が要求される綱渡り。


 ちょっと言葉の選択を間違えただけでも、とんでもない事態を招きそうな気がする。それでも古川さんはなぜか嬉しそうで、女の子はやっぱりよくわからん、としか言いようがない。




 そんな微妙な空気も、頼んだ料理が運ばれてくるまでのことだった。先輩から紹介されたというだけのことはあって、さすがに美味い。


 そんなのと比べるなって言われるかもしれないけど、俺の場合は比較対象がファミレスのメニューとかコンビニ弁当になっちゃうから、なおさらだ。古川さんも「美味しいね!」ってはしゃぎながら食べてたし、味の面では大当たりだったんじゃないかと思う。


「ところでさ」


 そう言いながら、パスタをフォークで器用に絡め取る古川さん。


「岩崎くんって、コース料理とか食べたことある? ファミレスのセットメニューとかじゃなくて、フランス料理とかそういうの」


「あるわけねえだろ、高校生だぞ? そんな高いもん食えねえよ」


「そうなの? 都会の人って、年に一度はそういう高級で、お洒落なレストランに行くんじゃないの?」


「なんだそりゃ? どこで情報が歪んだんだよ……」


 俺はがっくりと肩を落として、スプーンで手頃な大きさに取り分けたオムライスを口に運ぶ。


「おっかしーなー。どこかでそんな話を聞いたような気がするんだけど」


「大昔のバブルの頃の話を誰かに吹き込まれたか、ドラマの再放送ででも見たんじゃね?」


 または文知摺観音近辺で時空が歪んでいるか、平行世界に接続されてでもいるのか、だな。さすがに声には出さなかったけど。


「美味しいのかな、やっぱり」


「そればかりは実際に食ってみないと、なんとも言いようがねえなあ」


 ところでなんでこんな話になってんだ? という俺の疑問に答えるように、古川さんがボヤキ出した。


「他の学校だと、希望者はテーブルマナー講習あるんだって。駅前のホテルとか使って」


 ああ、そういう話か……と俺は納得した。


「食器の使いかたとか食べかたとか、予備知識がないと間違いなく死ぬな。というか、いまの俺だったら即死確定」


「でしょ? フランス料理とかってナイフとフォークが何本も出てきて、使う順番間違えると店員さんに陰で笑われたりするんでしょ?」 


 それもどこかで情報が歪んでるような気もするけど、実は俺の頭の中のイメージもそんな感じだったりする。まあ、普通の高校生レベルだったら、こんなもんだよな。


「いきなり試合に出る前に、練習する場は欲しいよなあ」


「だよねえ……」


 そう言って古川さんは、下を向いて「はあー」と大きな溜息をつく。そして顔を起こそうとしたときになにかに気づいたらしく、意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「なんだよ」


「岩崎くん、本当にミルクたくさん入れるんだなって。コーヒーに」


「もうその話は勘弁してくれよ……」


 それにしてもこうやって外で食べるというのは、相手は同じでも、学校で机を囲んで弁当を食べるのとはやっぱり違うもんなんだな。


 財布の中身がごっそり持って行かれたのは痛いけど、まあここはなんとか親に社会勉強費&交際費扱いで特別手当をいただけないかどうか、交渉してみることにしよう。




 楽しい食事も終わり、俺たちは店を出た。


 盆地特有の完全無風状態の街並みに、梅雨明けの真夏の日差しが容赦なく照りつける。これじゃいくら快適な店内で気力体力を回復したところで、ほとんど意味がない。回復したはずの元気が、あっという間に溶け落ちていく。


「古川さんはこれからオケの練習?」


「そう」


 俺と同様に暑さにやられてしまったのか、お店での元気さはどこへやら。古川さんもすでにゲンナリとしている。


「由希も一緒だよ。羨ましいでしょ?」


 そりゃ羨ましいといえば羨ましいけど、暑さにやられて思考力が鈍ってる俺は生返事しか返せない。


「ああ、うん、よろしく言っといて」


 どうにか図書館の駐輪場までたどり着いた俺たちは、よろよろと自転車を持ち出した。目的地は違うけれども途中まで同じルートだから、古川さんとはもう少しだけ一緒だ。


 そんなことを考えている間に、赤信号につかまった。


 信号待ちのひととき、俺は学校の方角に目をやる。そこには樹々の生命力に溢れかえる信夫山と雲ひとつない空の青さが、凶暴なまでのコントラストを作っていた。


「すげえ空」


「え、空?」


「ほら、信夫山の緑と、空の青の境界線。切り取り線みたいにはっきり見える」


 切り取り線という表現が気に入ったのか、感心したような口ぶりで古川さんが言う。


「独創的だねー。詩人になれるよ」


 いや、こんな実用的な表現じゃ詩人は無理だろ、と内心で苦笑いしていると、


「『東京に空がないという』」


 という呟きが聞こえて、彼女の方に顔を向ける。さすがにこれは、俺でも知ってる。高村光太郎の智恵子抄だ。


「東京には、こんな空はなかった?」


「古川さんだって、東京の空くらい見たことあるだろ、中学の修学旅行で行ったじゃん」


「あのとき、ものすごく天気悪かったじゃない。せっかく富士山をこの目で見られるって、楽しみにしてたのに」


 あれ、そうだったっけ?


 焦る俺を、古川さんがジト目で睨む。さっき青に変わったはずの信号は、また赤になっていた。


「それでどうなの? 東京の空」


「どうだろ。あっちにいたときは、そういう目で空を見たことはなかったからなあ……」


 そう言って俺は、向こうでの暮らしを思い出そうとする。そもそも空と山の境界線が見えるような場所なんかほとんどなくて、記憶に残っている風景も空と建物の境界線ばかりのような気がする。


「ここまで抜けるような真っ青な空ってのには、ほとんどお目にかかったことがない、かな」


「福島もいいでしょ?」


「まあな」


 そして、信号はまた青に変わった。俺たちは顔を見合わせて頷き、今度こそちゃんと渡ろうと自転車のペダルに脚を乗せる。


 古川さんは日光の眩しさに顔をしかめながら、それでも控えめに、にっこりと笑う。


「じゃあ、私ここ曲がるから。今日はありがと」


 そして言いにくそうに、視線を左右に彷徨わせながら付け加えた。


「次があったらだけど……。今度はファミレスかファーストフードにしない?」


 店を出てからはずっと暑さでしかめっ面だった俺だけど、これには思わず吹き出した。そうか、古川さんもそれなりに居心地悪かったんだ。


「そうしようぜ。やっぱり俺たち高校生には、まだ早いよな。いろいろと」


 だよね! と表情を明るく一変させた彼女は、手を振りながら去って行った。


「定演、忘れないで来てね!」


 小さくなっていく古川さんの背中を眺めながら、ようやく俺は今日の出来事を再認識した。



 ひょっとして、これが俺にとって人生初めてのデート……だったのかな。別に付き合ってる相手ってわけじゃないんだけど。


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