2.(後) 私の知っている彼
「中学のときの岩崎くんの印象ねえ……」
と、私は話し始めた。迂闊なことを口走って墓穴を掘ったりしないように、声に出す前にできる限り頭の中で反応をシミュレートしながら。
「えっとね、まず頭がよくて、勉強ができる。男子でいつもトップ争いしてたくらい」
「えー、岩崎にはそういうイメージないけどなあ」
香織、初っ端から話の腰を折るのはやめて。
「中学のときは違ったのよ」
「ふーん。ところで男子で、なの? 学校で、じゃないの?」
「私たちの中学には、絶対王者がいてね……」
もったいぶって言葉を区切ってから、私は彼女の名前を口に出した。
「五十嵐由希っていうんだけど」
「え? この前の中間テストで学年三位だった、あの五十嵐?」
驚いた調子の香織。ふふん、親友として鼻が高い。
「そう。さすがに相手が悪すぎ、というか無理。中学三年間で、由希の上に行ったのは誰もいない」
「他には?」
つまらなさそうに、宏樹くんが次なるネタを要求する。
「あとはね、足が結構速い。短距離はどうなのか知らないけど、長距離はってことで」
「なんでそんなこと知ってんの? 中学でも体育は男女別でしょ?」
前から思ってたんだけど、香織は鋭いのかマニアックなのか、どっちなんだろう。
「学年全員が一斉に走るマラソン大会が毎年あって、やってきて間もない帰宅部の転校生が、陸上部とか他の運動部に混じっていきなり学年五位、というのは結構なニュースだよ? 三年の時も同じような順位だったし」
話しながら私は、自分のクラスの陸上部員と岩崎くんがゴール前まで競うように戻ってきた、当時の情景を思い浮かべる。なよっとした感じの都会からの転校生だって噂で聞いてたから、あのときは本当に驚いた。
「中学でも転校前はバスケ部だったっていうのはさっき宏樹くんからも聞いたけど、転校してからは帰宅部だったはずなのに。なんで体力残ってるのか、いまでも謎なんだよね」
「あいつ二、三日に一度は、朝に信夫山走ってるらしいぞ」
すかさず宏樹くんが披露したタレコミをいそいそと脳内の資料庫にストックする一方で、それには納得しきれない私もいる。
「でもそれなら、オケの朝練あるときに会ってもおかしくないはずなんだけど。私、通学中に信夫山沿いのランニングコース脇の道を通ってるし」
「いや、ランニングコースじゃなくて、山腹の周回道路らしい。走ってる最中に知り合いに会うのは恥ずかしいんだってよ」
「はあ? バッカじゃないの? 信じらんない!」
あまりの斜め上の回答に、私は呆れた。いくら標高三百メートルもないような山だって言っても、そこ駆け上がって一周してんの?
思わず頬杖をついて溜息をつく私を横目に見ながら、そういえばとでもいう調子で、「追加情報な」と宏樹くんが補足する。
「素人レベルの長距離走は、ペース作りに慣れてるかどうかの問題だ、とも言ってたぞ。あとは気合いと根性」
「気合いと根性、ねえ……」
私の疑問に、香織も同調する。
「どっちかと言うと、根性って言葉が似合わないタイプじゃない? 岩崎って」
「確かに達観してるっていうか冷めてるっていうか、あまり執着しないで、サバサバしてることが多い気がする。宏樹くん、付き合い長いんでしょ? どうなの?」
「あいつ、本気出すことが少ないんだよ。自分が本気出して頑張っても、転校とか、外部要因でリセットされちゃう経験多かったからじゃねえかな」
さすがの説得力だった。
でも、それだと私が岩崎くんを見ていて感じる、彼のもう半分が欠けているような……という私の心の内を見透かしたように、宏樹くんが話を続けた。
「その代わりと言っちゃなんだが、そういう妨害が入らないって確信できる短期決戦とか個人戦とか、本気出したあいつはかなり手強いぞ」
ああ、そういうことか。
年齢の割に冷めてるように見えてるところと、年齢相応に見えるところ。宏樹くんのいまの解説で、岩崎くんへの理解が格段に深まった気がする。彼を随分見ていたつもりだったんだけど、まだまだ見えてなかったんだなあ……。
「岩崎、私のイメージだといわゆる『優しいけど、カレにはしたくない人』ってイメージだったから、ちょっと意外」
「さすがにちょっとそれは酷いぞ。岩崎に同情しちまう」
そうだよ、宏樹くんもっと言ってやって! ちょっとどころじゃなくてかなり酷いよ! と私は心の中で大々的に抗議する。でも、そう言われてしまうのもわかる気もする。
「岩崎くんは優しいってよりも、気配りの人って感じだと思うけど」
「そう?」
「なにか問題が起こってから優しい対応するんじゃなくて、最初から問題が起こらないように気を配ってるタイプっていうか」
「もっとわかりやすく」
「んー」
なにかいい例えはないものか……と考えた末で思い浮かんだのは。
「バナナの皮で滑って転んだ人を慰めるんじゃなくて、バナナの皮が落ちてるのを先に見つけて片付けておくタイプ?」
「あー、そういうのならわかるかも」
「まあその通りなんだけど、その例えはその、なんだ」
納得する香織と、苦笑する宏樹くん。いまいち腑に落ちない反応だけど、私としては岩崎くんへの誤解が払拭されたから、これでオーケーとしておこう。
「それからそれから?」
香織はあくまで無邪気だけど、このシリーズまだ続けるの?
仕方がない。
私も気を取り直して、教室に貼り出されている時間割表を見ながら、なにかそれっぽいネタを探してみる。
「絵を描くのは苦手っぽい雰囲気、かなあ。中学の写生大会のとき、たまたま他の友達あわせて一緒に絵を描いてたことがあったんだけど、なんというか、ねえ」
粉飾まがいの怪しい言葉をドキドキしながら口に出してみたんだけど、幸いにもバレなかったようで一安心。と思っていたら偽装が甘かったみたいで、
「「たまたま?」」
と、二人に揃って突っ込まれた。
「たまたまなの!」
「ふうん。岩崎が選択授業で音楽選んでんのも、それが理由かあ」
いや、音楽を選んでるのは違う理由だって確信があるけど、私はそれを口には出さなかった。
音楽だったら、美術や書道を選ぶよりも、由希と一緒のクラスになる可能性が高いから。でも残念ながら音楽は希望者が多くて複数クラスになったから、由希と(そして私とも)一緒の授業時間にはなれなかったみたいだけど。
こんな話をダラダラやっている間に、昼休みも終わりが近づいてきた。
「よし、じゃあラスイチ! とっておきのネタを頼むぜ」
運動部っぽいプレッシャーを宏樹くんがかけてきたけど、なにか面白いネタあったかなあ。しばらく考え込んだ末、そういえばこれは中学生の頃のネタじゃないけど……と、最近入手した岩崎くんの弱点を公開することにした。
「岩崎くんは、毛虫が嫌い」
「毛虫?」
「そう、毛虫」
おそらく私しか知らないであろう、彼の一面。私は得意気に話を続ける。
「このあいだアメシロの大群見たときにさ」
宏樹くんと香織がここでなぜか「あ、まずい」って顔をしたのは気になったけど、勢いのついてしまった私の口は、もう誰にも止められなかった。
「もう腰が引けて半泣きになってて、可哀想っていうか面白いっていうか」
そしてそのとき。
話しながらぶんぶん振り回していた私の腕が、いきなり背後から、誰かの力強い手で掴まれた。
「ちょっと!」と不満気に振り返った私の目に入ったのは、こめかみのあたりをピクピクさせながら、不気味な笑みを浮かべた(ただし目は笑っていない)岩崎くんだった。
「よう、重役出勤だな。体調崩したんじゃなかったのか?」
平然とした顔の宏樹くんの問いかけに、迷惑そうな顔をして岩崎くんが答える。
「昨日面白そうなことネットで調べてて、気がついたら明け方近くでさ。まだ寝られると思って横になったら、そのまま寝過ごしちまった」
私の勘は正しかった。やっぱり仮病だったじゃないの。
「そんなことより、なんでお前らは俺の話で盛り上がってるわけ?」
黙って私の方を見る宏樹くんと香織。
ちょっと待って、私は宏樹くんの話を聞きたかっただけで、岩崎くんの話を聞きたいって言ったのは宏樹くんじゃ……。
「わ、私のせいじゃないってば」
この窮地、どうやって脱出したらいいんだろう。