異世界以外の世界を知らない。
何時以来だろうか。
書く事を急に冷めてしまい、“ここ”どころかWEB小説も見なくなった。
それでも心の隅にはいつもあったのだと思う。
今日、何とは無しに“ここ”に来た。
異世界
異世界転生や転移は、“ここ”の代名詞と言っても過言ではないと思う。まあ、他にもチートや、俺Tueeもあると思うが、それはまた別のお話。
故に、異世界を題材にした作風への批評も起こし易いとも思う。
さて、自分の人生経験がどれ程のモノか図りかねるが、一つ理解している事がある。
異世界でない世界は無い。
この理解は、自身の個人主義による処が大きいと思う。
世界をどう定義するかという事が重要だが、私はここで人間原理や、観察者効果を引き合いに出したい。
加えて、個人の時間的・行動的な認識限界を付け足す。
まあ、何が言いたいかと言えば、
俺の知る世界と、お前が見ている世界は、同じではないだろう。
つまり、人の数だけ世界があり、俺にとって俺以外は全て異世界だ。
と、いう事だ。
魔法があり、モンスターがいる。剣での戦闘があり、スキルなんてものがある。
うん、十分異世界だ。
時代背景や文明レベルは、この際問題にはならない。
幼馴染が居て毎朝起こしに来る。
生徒会が、学校運営まで行う。
一目惚れをして、その成就に周りを巻き込んで奔走する。
納豆に、ケチャップを入れる。
美形で超モテモテ。
うん、どれを取っても私には十分異世界だ。
世代間のギャップ、土地土地の地域性等、考え方や慣習、伝統の違いは当然として、親兄妹や自身の子供含め、自分を通さない世界は一つとして同じではないだろう。
もちろん共通点や共時性は存在するだろう。
それ以外の違いをもって、明確に違うモノとするか、許容の範囲として同一のモノとするか、という事になるのだろう。
同僚と他愛無い雑談をしている中で、その生活や考え方に驚かさせられる事は珍しくない。
まあ、何が言いたかったのかと言えば、
納豆にケチャップはない。マヨはある。異論は認める。
俺にとって、同僚は事、食に関しては異世界人だ。




