#2 ファースト・コーナー #夏子の免許
ノイジー・エナジー #2 ファースト・コーナー
#期末試験
期末試験が近くなると、梅雨の終わりも近付いて来る。梅雨入りの頃は雨に濡れると寒かったのが、最近は気温が上がって蒸すようになってきた。まだ雲が多いし雨も降って来るけど、衣替えの半袖が肌寒いなんてことはもうない。今は湿気で汗だくになるのが凄いイヤだ。
「あ~、ぺたぺた何とかしてぇ!」
手から腕がしっとりしてノートや教科書が張り付く。ついでにノートの文字が手や腕に写って跡がつくのがもっとイヤだ。
ついに今日から期末試験の勉強を始めました。でも、中間試験の時の優しい御厨先輩はいません。先輩は三年生で内申点を確保するために勉強が忙しいそうです。やっぱり三年生になると真面目に頑張るものなのかな?
「…らしくないわ。ミクリンたら。」
アタシに勉強を教えてくれている吉野先輩が言う。
「しかも、佐藤さんまでいないなんて、どういうことかな?」
いや、アタシを睨まれても困る。アタシだってあの二人がどういうことになっているのか聞きたいのだ。
「…さぁ?」
夏子は教習所に通っている。なる早で免許を取るために期末試験直前まで教習所に通うつもりらしい。そのため、アタシの勉強を教えてくれるのは吉野先輩しかいないのだった。
「そう言えば、足とか大丈夫なの?」
吉野先輩はニヤニヤしている。アタシがバイクで転びかけて膝小僧を擦りむいたことはご存じの通りだ。でもね、あろう事か筋肉痛になるなんて!おかげでへんな歩き方になって笑われるし、階段で脚が上がらなくて転びそうになるし、散々な目に遭ってしまった。
「…まぁ、ハイ…。」
そんなワケでアタシは大人しく勉強に励むことにしたのだった。
たたたたたっ…たたたたらたたたっ。
吉野先輩のタイピングの音が静かに響く。先輩は試験勉強はとっくに終わって、研究室のレポートを書いているらしい。
「…先輩、ここはこれで合ってますかね?」
アタシが分からないところを質問すると、目だけチロリと動かしているが、タイピングする手は止まらない。
「うん、いいよ。でも、もっといい解き方があって…」
口で話しながら、手は別の文を綴っている。この人の頭はどうなっているんだろう。
下校時刻の音楽放送が校舎に流れ始めた。日が長くなったのでまだまだ明るいが、もう帰らなければならない。
「先輩ありがとうございました。」
アタシは素直に頭を下げた。
「今日のところは絶対出題されるから、帰ったらよくおさらいしておくといいよ。」
こういうところはいい人なんだけどな。御厨先輩が絡むとなんであんなにおかしくなってしまうんだろう?
「明日は鈴木さんが専門教科を教えてくれることになってますから、先輩はレポート書いていて下さい。」
「あ、そう?でもレポートも、もう終わるしな…。」
あんな片手間でもう出来上がっちゃうんですか?先輩は少し思案するようだったが、何か思いついたようだ。
「ふふん、じゃあちょっとアプリでも作ろうかな?」
電脳系でこの人に出来ないことは多分無いんじゃないかな?
「…どんなの作るんですか?」
若干イヤな予感がしたが、勇気を出して聞いてみた。吉野先輩はイタズラっぽく微笑む。
「ミクリン追跡アプリ!」
期末試験が始まった。アタシはやっぱり勉強時間が足りなくて、試験中でも一夜漬けの日々が続いていた。
「ちえりちゃん?お腹空いたでしょ?」
杏姉が夜食を持ってきてくれた。
「うわぁ!助かるよ!ちょうどなんか食べたいと思ってたんだー。」
杏姉の持ってきたお盆には、冷やし中華と杏仁豆腐とアタシの大好物のピータン豆腐が乗っていた。
おお…。マジ、天使が現れたよ。
「ありがと!そろそろ冷たいものが嬉しい季節だよね。いっただっきまぁす!」
アタシは早速冷やし中華をつるつると食し始めた。ピータン豆腐も美味しい!ピータンは匂いがイヤだって人もいるけど、アタシはパクチーより全然イイと思う。パクチーを食べると、アゲハ蝶の幼虫(あの緑のモスラの幼虫みたいの。)が怒って出した黄色い角(?)を思い出すのだ。
杏姉はアタシが黙々と食べている様子を面白そうに見ている。
「ん?、何か付いてる?」
「ん~ん、ちえりちゃん頑張ってるなって思って。」
そんなに言われるほど、アタシは頑張ってない。杏姉の方がよほど頑張って母さんと一緒にお店を支えている。息つく暇も無く働いて、彼氏を作るヒマも無い。ん?昔はいたような気もする。杏姉可愛いからね。
「ちえりちゃんは彼氏とかいないの?」
ぐっ!アタシの考えを見透かすような鋭い問いに、アタシは中華麺を喉に詰まらせそうになった。
「いないの?気になる先輩とか?…ちえりちゃん?大丈夫?」
結局、麺を喉に詰まらすことになってしまった。杏姉がくれた水で、詰まった麺を無理矢理飲み込んで、なんとか事無きを得た!冷やし中華で窒息死という、アホな死に様を晒さずに済んで本当によかった。
「いいな、私にもいい人何処にいないかな。ねぇ、かっこいい先生とか、先輩とかいたら、ラーメン食べに連れて来てよ。サービスするからさ!」
ミクリンは連れて来ないようにしようと思った。先生達はオッサンばっかりだからなぁ。あ、天崎先生は悪くないかな?でも、夏子の想い人だからな…。アレ?
「お、ちえりちゃん、完食したね!」
「…うん?あぁ!ありがと、杏姉!」
いや、今は目前の期末試験だ。ゲスい詮索は終わった後にしよう。
#朝稽古
アタシは久しぶりに合気道の道場に来ていた。前日に師範の先生に道場のカギを受け取り、朝早く来て床の雑巾がけをした。梅雨の明けた夏の朝は気持ちがいい。開け放った窓からは清々しい空気が流れ込んでくる。
期末試験が終わった昨日、二輪女子会で集まって、夏休みの計画を話し合った。ツーリングに行こうという話になって、次回集まるまでに行きたい場所を考えておくこと、スケジュールを確保しておくことが宿題になった。次回の会合は夏子が免許を取ったらすぐということで、来週くらいになりそうだ。夏子はどうもバイクを決めたらしいが、誰にも教えてくれない。当日のお楽しみだそうです。
御厨先輩はなんだかニヤニヤしていて挙動不審だった。あまり考えたくないけどまさか夏子のことを考えてるんじゃないよね?
そんな邪念を今は払って、洗いたての道着と袴に着替え、掃除したての道場できちんと正座して居る。背筋を伸ばして無心で座っていると、感覚が研ぎ澄まされて辺りの気配を感じることが出来る。
「失礼します。」
伏せていた目を声の方に向けると、今日の稽古に付き合ってくれる、夏子の弟の春男くんが道場に入ってきた。彼は中学生から合気道を始めたので、この道場でも後輩なのだ。
今日は道場の前で待ち合わせて掃除を手伝ってもらってしまった。二人で掃除をした後、掃除道具の片付けをしに行ってくれたのだ。
春男くんがアタシを見て立ち止まった。顔がちょっと紅潮しているようだ。走って来ちゃったかな?ゆっくりでもよかったのに。
「それじゃぁ、始めようか。」
アタシは立ち上がった。
合気道の稽古は型稽古である。技を掛ける『取り』と、受け身を取る『受け』の役割を受け持って、二人が息をあわせて動くのだ。
実戦向きではないという指摘もあるが、人の身体がどのように動くのか、どうすると最低限のチカラで倒すことが出来るのか、ということが型稽古をすることで、頭で理解し、身体で覚えることが出来るのだ。
「…綺麗ですね。」
ひとしきり取りと受けを交代しながら型稽古を続けた後、汗を拭き髪を結び直して、窓からの風で涼みながら道場に佇むアタシを眺めて、春男くんがポツリと言った。
アタシはよく聞こえなかった。
「ん?なに?」
春男くんはしまったという顔をして、首に掛けていたタオルで顔をふきはじめた。
「…いや、その、か、型が綺麗だなってことです。晴海さんはスタ…いや姿勢もいいし、かっこいいです。」
ふむふむ、可愛い後輩に褒められるとは嬉しい限りだね。
「ありがと。夏子は今日は教習所?」
春男くんは夏子のことを聞かれると、少しムッとして言った。
「姉貴の好みをとやかく言いたくはないんですけど、この間来た男は気に入らないですね。」
なんですって?夏子が男を家に連れて行った?春男くんの勘違いで先生の家庭訪問とかじゃないかな?
「…先生とか…じゃあないの?」
春男くんは首を横に振る。アタシはイヤな予感がしてへんな汗が出てきた。
「あんなボカロキャラみたいな名字の男は嫌いです。姉貴は騙されてるんです。リビングで話しているのをたまたま聞いちゃったんですけど、ウチの父は『いいやつじゃないか。大事にしろよ。』なんて言うんですよ?…あれ?先輩?大丈夫ですか?」
#夏子の免許
それからのアタシの日々は酷いものだった。日課にした朝稽古は身が入らず、後から来た師範の先生にダメ出しされるし、バイトでは吉野先輩の厳しい指導が雨あられだ。夏子は相変わらずアタシを避けていたし、御厨先輩なんて連絡するのも怖い。世間の梅雨は明けたみたいだけど、アタシの心は涙でずぶ濡れです。
でも今日は夏子の免許とバイクのお披露目だ。昨日の夜連絡が来た。夏子は盛んに謝っていた。今日全部話すから、絶対来てねと言われては、それが夏子と御厨先輩の結婚の話だとしても、アタシは話を聞かなきゃいけないじゃない?は!もしかして!出来婚?だったら秘密にしなきゃいけなかったのも頷ける。夏子!アンタって娘は…。
って、そんな大事な話をバイク用品店の駐車場で待ち合わせてするはずはないよね。国道沿いのバイク用品店はまだ朝早いのに、結構賑わっている。座れる椅子もいくつかあって、座っていた夏子がアタシに手を振っている。アタシは駐車場に夏子のバイクを探すが、どれがそうなのか分からなかった。あ、御厨先輩のゼファーがある。とか、思いながら夏子の隣りに座った。
「あれ?御厨先輩は?もう来てるんじゃないの?」
アタシは少しビクビクしながら、辺りを見回した。
「もうすぐ来ると思うよ。吉野先輩も一緒に来るって。」
え?そうなの?
「あれ?でもさ、あのゼファー…。」
「あ、来たよ!」
夏子が指差す方を見ると、御厨先輩がひと回り大きなネイキッドに乗って、駐車場に入って来た。タンデムには吉野先輩を乗せている。
「え…と?」
アタシは夏子に手を引かれて御厨先輩のバイクのところに行った。アタシはバイクを見てびっくりした。
「これはペケジェーアール1300じゃあないですか。いつ大型免許なんか…!えぇぇ!」
「へへ、いいだろ。昨日納車だったんだよ。」
御厨先輩が得意そうに言うには、やっぱり大型空冷四気筒は最高で、カワサキも捨て難いけどペケジェーもいいよ、だって。アタシだったら、CBがいいけど。って?アタシの頭の中でパズルが組み上がり始めた。
「夏子?夏子のバイクって?」
夏子が嬉しそうに見せてくれたのはゼファーだった。
「そう!御厨先輩のだよ。この間名義変更の手続きしたんだ。」
「じゃあ夏子の家に御厨先輩が行ったのって…?」
「父さんが名義人になるから書類を書いてもらって、バイクも見てもらったの。って、なんで先輩がウチに来たこと知ってるの?…ははん、春坊だな。」
ていうことは、夏子のお父さんの言葉はバイクの話だったんだ!『いいバイクじゃないか。大事にしろよ。』ってことね。
「なんでアタシに話してくれなかったの?ひどいよ夏子!」
夏子はすまなそうにごめんねと言うと、御厨先輩をじとっと睨んだ。
「ひどいのはあの人だよ。私に口止めしたんだ。ちえりや吉野先輩に絶対話すな、って。」
御厨先輩はバイクを停めて吉野先輩を降ろしていたが、吉野先輩はご機嫌ナナメで御厨先輩にブー垂れていた。ペケジェーは中古のようだけど綺麗にしてあるしタイヤは新品だ。
「なんで私に一言も無いの?こんなでっかいのじゃ、ベスパでついていけないじゃない!」
「だから言えなかったんじゃないか。一緒に走る時はゼファーの時も合わせてやっただろ?」
夏子が教習所に通い始めたら、御厨先輩も大型免許取得のため極秘で教習所に通っていたところにばったり会ってしまったらしい。ゼファーを手放すと聞いた夏子が、カワサキだしいいバイクだからと父親に相談したら二つ返事でOKが出たそうだ。この間見た二人のタンデムは、たまたま現車を見せに夏子の家に行った時のことみたい。
「あれ?御厨先輩の誕生日って?」
話しを聞いていた吉野先輩が六月だよって教えてくれた。しまった。何かあげればよかったかな。
「吉野先輩はなんかプレゼントしたんですか?」
何気なく聞いてしまった。
「…アレ、キーホルダー。」
御厨先輩のバイクのキーに可愛いマスコットが付いていた。
「それじゃぁ、みんな揃ったところで、ツーリングの行き先でも決めますか?」
一応、部長の御厨先輩が音頭を取ろうとするが、誰も言うことを聞かない。
「部長!そんなことより、バイク用品夏物セールですよ。アタシはこの日のために血のにじむようなバイトをして来たんです。」
そうだそうだと、吉野先輩も共同戦線を張った。
「私も部長のせいでちえりと話しができなかったんですからね。」
夏子も加わると御厨先輩もタジタジで引き下がるしか無かった。
「分かった。じゃあオレは新しいタイヤの皮むきしにその辺を流してくるから、適当にやっててくれ。」
御厨先輩はすごすごとペケジェイの方に戻っていった。
「よし、邪魔者はいなくなった。行こう!アタシ達の戦場へ!」
バイク用品で盛り上がる女子高生も珍しいかもしれない。意気揚々と店の中に入ろうとしていたアタシ達の背後でけたたましい騒音が沸き返った。
オンッ!ボォ~ンッ!キュキュキュキュッ…ガッシャンッ!
振り返ると御厨先輩のペケジェーが駐車場の出口でひっくり返っていた。恐らく新品のタイヤが滑ってコケてしまったのだろう。アタシ達を変にヤキモキさせた報いじゃないだろうか。可哀想に。御厨先輩自身は大したことも無さそうで、ガバッと跳ね起きると傷ついた新しい愛車を引き起こしにかかっていた。
「まったくしょうがないな。」
吉野先輩もため息をつきながら、御厨先輩のところに歩いて行った。ちょうどいい。夏子に聞きたいことが残っている。
「そういえばさ、アタシは諦めた方がいいっていうのはなんだったの?」
「あー、それはね。後で話すよ。でも手短に言うとあの二人は両想いってこと。」
ビビィーッ!プァーンッ!御厨先輩の転倒で国道を走るクルマやトラックが盛んにクラクションを鳴らしている。まったくしょうがないな。アタシは夏子に背を向けると、先輩達を手伝いに走っていった。