#2 ファースト・コーナー #勉強会
ノイジー・エナジー #2 ファースト・コーナー
★本作品はフィクションです。実在の人物、団体、出来事、法律などには一切関係ありません。法令を遵守し交通ルールを守りましょう。
#勉強会
今日は文化祭が終わり片付けも済んで最初の登校日。県立神奈川北部工業高校は文化祭が終わった達成感と、やり切った燃え尽き感と、イベント終了による目標喪失感の混ざりあった、なんとも言えない穏やかな雰囲気が流れていた。授業はいつも通りだけれども、積極的に挙手する生徒は疎らで、そういう生徒は文化祭中も塾に通っていたような人達じゃないかとアタシは思うけど、そんなこともどうでもいいような、そんな気分がアタシを包んでいた。
アタシは晴海ちえり。機械科一年の工業女子高生です。バイクに乗るのが好きでこの高校の自動車部二輪班、通称二輪男子部に入りました。しばらく頑張ってみたけれど、毎日整備ばっかりだったのでやめてしまいました。ジムカーナは面白かったけどね。そう、アタシはバイクに乗って走りたかったんです。代わりに自動二輪研究会、通称二輪女子会に入りました。毎日整備三昧の男子部に比べてバイトする時間はあるし、乗る事の楽しみを研究する会だから、こっちにしました。女子会とはいえ、イケメン男子の部長さんと顧問もいるしね。アタシって軟弱かなあ?まあ、これから頑張ればいいよね。
そういえば、部員不足に喘いでいた二輪女子会の存続ですが、今年も延命が決まりました。元々の会員のミクリン(御厨悟部長機械科3年)、ミカリン(吉野美佳副部長電気科2年)に加えて、アタシ(晴海ちえり機械科1年)、夏子(佐藤夏子化学科1年)が入会。それに幽霊部員としてアタシのクラスメートの鈴木さん(メークが上手!)、同じく関山くん(クラス委員)が名前を貸してくれました。文化祭後に急いで名簿を作成して、ミクリンとミカリンがダッシュで生徒会室にねじ込んでギリギリセーフ!無事に来年の文化祭も展示会ができそうです。よかった、よかった。
「よかった、よかった。」
そんな感じでアタシは放課後の教室で、イケメンのミクリン先輩と机を挟んで向かい合って座っている。開け放った窓からは野球部の打撃練習の金属バットの音、テニス部のラケットがボールを弾く音、陸上部がハードルを跳ぶ音が聞こえる。そして柔らかい春の風が舞い上がって、校庭の乾いた土の匂いを運んで来る。
ふと目を上げると、ミクリン先輩の顔が至近距離でロックオンできた。風に揺れる長めの前髪を先輩がかきあげると、窓から入る少し傾き加減の陽光が栗色の髪にきらめく。同じ色の長いまつげにも光がこぼれる。ああ眼福じゃ…。
「なに?」
アタシの視線に気づいたミクリン先輩がニコヤカに話しかけてくれる。アタシは少し頬を染めて視線を外した。
「…いえ、なんでも…ないです。」
でも次の瞬間。アタシは現実世界に引き戻されるのだった。
「できた?」
アタシの幸せな時間はここまで。手元に目を落とすと、まだ開いた折り目も新しい『機械工作』の教科書が、紙の復元力でパタリと閉じた。その下に広げたノートもほとんどページが進んでいない。
「え?…え~っと。」
パラパラと、閉じてしまった教科書のページをめくる。しまった、しまった!どこだっけ?さっきわかんなかった所。パラパラとめくっていくと…アレ?行き過ぎた。ペラペラと戻っていくと、あった!
「…あの!ここ!ココが良くわかんないんですけど…。」
どれどれ?と、ミクリン先輩が身を乗り出してくる。あー、ここはね…と、教えてくれるんですけど…。す、すみません。すみません!そういうつもりで質問したワケじゃないですから!近い!近いですよ!男子に至近距離まで接近を許したことがないので!…しかもイケメンさんに!…ダメ…。ダメですよ!
「…と、いう訳だけど…話聞いてる?」
ごめんなさい。貴方に見とれて聞いてませんでしたとは言えない。
「…あの、あの…えっと…。」
アタシは熱暴走したパソコンのようにしどろもどろにワケの分からない言葉を吐き出していた。
そう、今日はアタシのための勉強会なのだ。入学してからバイトとバイクと部活に明け暮れた日々は、学生の本分である学業の時間を奪い去った。失われた時間を取り戻すため、先輩逹の力を借りて赤点を回避し、バイトとバイク禁止令を回避するべく、目前に迫った中間試験まで頑張っているのです。
…パチッ。…ジッ。
なんだか変な音と共に、焦げ臭い匂いがしている。樹脂が焼けるような、金属が溶けるような、変な匂い。アタシの頭のヒューズが切れてしまったのだろうか?少しばかり煙りも漂い始めた。アタシ壊れちゃったのかな?
突然、ミクリン先輩が顔を上げると、アタシの頭越しに声を上げた。
「あのな?勉強会なんだからハンダ付けはやめてくれないか?臭いし、煙いし、気になるし。ミカリン?」
そう、アタシの後ろにはミカリン先輩がいた。
「なんでココでやるの?今日は機械科の専門科目だから、ミカリンはいなくても大丈夫なんだけど。」
少しイライラした口調のミクリン先輩に対して、顔も上げず、手も止めることなく、静かに、ぶっきらぼうに答えた。
「イイじゃないですか。そっちは勝手に勉強してて下さい。専門科目は同じ機械科のミクリン先輩の方が教えられるでしょ。私も専門の課題があるんですから、こっちも勝手にやらせてもらいます。」
ミカリン先輩はアタシの真後ろに陣取って、机の上に課題の基板とICやらLEDやらコンデンサやらの電子部品を盛大に散らかしている。しかし頭は集中して基板に向かい、電子部品のハンダ付け作業を行っている。
「それに、若い男女をふたりきりにしておいて、何か間違いがあったらこまりますから。」
「おーい、可愛い後輩にそんなことしねえよ。」
うわ!そんなこと!…アタシは少し想像してしまいました。
「え?可愛いからしちゃうんじゃないんですかぁ?」
可愛いとなにしてくれちゃうんですか?
「バッカじゃねぇの?」
あ、ミクリン先輩怒ってるの?照れてるの?
「もういいから集中させてください。私も忙しいんです。」
ミカリン先輩は右手にはハンダごて、左手にはハンダの一巻と吸い取り機を持って、机に固定した基板と格闘している。しかし突如、忙しく動いていた手が止まって、基板とのにらめっこが始まった。
「…っかしいな。…図面と違くない?」
などとブツブツ云いながら、ガチャガチャと両手の道具を置くと、基板の設計図と思われる図面を手に取って見始めた。しばらくすると鞄からテスターを取り出して、2本の端子を基板のあちらこちらに触れては四角い本体のメーターを確認している。
「…あれ?…やっぱ切れてる。こっちも…ダメか…。はー。」
ミカリン先輩はため息を吐きながら、机に突っ伏した。
「まったく、職員がいい加減だから業者に舐められるんだよ。基板の検品くらい自分でしてよ。」
と、またもやブツブツ云いながら、スマホをいじり出した。どうやらメッセージを送信しているようだ。アタシはそんな様子をジッと見てしまった。
「何をよそ見してるのかな?手が止まってるぞ。ちゃんと勉強しろ~。」
ミカリン先輩はこちらも見ずに、そんなことを言う。アタシは慌てて教科書に目をもどした。メッセージの送信が終わると、ミカリン先輩は相変わらず基板と図面を見比べている。
プルプルプル…。しばらくしてミカリン先輩のスマホに着信があった。数回コール音が続いた後、ミカリン先輩がスマホを取った。
「はぁ~い!ミカリンでーす。お電話ありがとうございますぅ。お待たせしてごめんなさぁい。…は~い、先程メッセージ入れさせて頂きましたぁ。」
なんだ?このテンションは?キャバクラの営業トークか?気にするなと言われても、凄い気になって仕方ない。
「…ハイ。…ハイ。そぉなんですよぉ。基板がおかしいみたいでぇ…。えっと2層目のプリントが足りないみたいでぇ…。え?ジャンパ線で対策するんですか?え?返品交換出来ない?!…ハアア?!…おっとごめんなさい。失礼しましたぁ。」
最後の『ハアア?!』はかなり怒って、椅子を蹴って立ち上がっていた。ビックリしたミクリン先輩も、ミカリン先輩をドウドウとなだめようとする。ミカリン先輩は明らかに怒り心頭だったけど、アタシ達には『分かった、分かった。』って手をヒラヒラさせて答えた。
「…分かりましたぁ。手順書にはその様に追記しておきます。…ハイ、ええ。…お礼…ですか。考えておきます…。ハイ、わざわざお電話ありがとうございました。…ハイ、失礼します。」
ミカリン先輩は電話を切るとストンと腰をおろした。アタシ達はなんだかオロオロして最早勉強どころではない。
「まったく、あのクソ親父!」
ミカリン先輩はまだ怒りが収まらない様子だ。組んだ脚を小刻みに揺らしている。いわゆる貧乏ゆすりってヤツだ。ミクリン先輩は見かねて声がかけた。
「お世話になってる先生なんだろう?そんな言い方はよせよ。」
ミカリン先輩はじろりとミクリン先輩を見ると、はぁとため息をついた。
「そうですよ!だから色々とやりたくないこととかも引き受けなきゃならないんですよ。…あぁ…処世術まで学ばせて貰えるなんて、ホント、いい学校ですよ。」
ミカリン先輩はぐったりと再び机に突っ伏した。あーあとか、まったくもうとか、相変わらずブツブツ言っている。大変なんだなあ。アタシには真似の出来ない事だ。先輩みたいに過度に期待されるのも考えものだ。
ギッと椅子をきしらせてミクリン先輩が立ちあがった。そして、ミカリン先輩の机の前に椅子を持ってくると、椅子の背を前にして椅子をまたいだ。椅子の背に腕を組み、そこに顔を乗せるとミカリンの顔をのぞき込む。その優しい表情にアタシの胸はチクリとした。
「なぁ、大丈夫か?」
ミカリン先輩は反対側を向いてしまった。ちょっと耳が赤い。
「何ですか。だいじょうぶですから、…覗かないでください。」
ミクリン先輩はちょっとの間、黙っていたけど、分かった、と言うと立ちあがって、椅子をアタシの前に戻した。
「ちょっと待ってて。」
と言うと、教室から急いで出ていった。
ミカリン先輩と残されたアタシは、ひどく気詰りな感じだった。仕方なくアタシは教科書のページをめくって勉強を始めた。アタシの後ろではミカリン先輩が机に突っ伏したまま黙っている。
急に窓から吹いてきた強い風にアタシの教科書はページがバサバサとめくられてしまった。
「キャッ。」
押さえようとしたアタシの手をすり抜けて、風にあおられた教科書は飛んで床に落ちてしまった。まったくしょうがないなと、アタシは椅子から立ちあがって、飛んでしまった教科書を拾い上げる。
「ドージ。」
機嫌は直ったのだろうか?ミカリン先輩が机に突っ伏したまま、立ちあがったアタシの方に笑いかけた。
「あーあ、私も馬鹿だったらよかった!」
え?何ですって?聞き捨てならないんですけど。
「そしたら、こうやって勉強教えて貰えたのに…。」
アタシは何も言えなかった。ミカリン先輩はそんなアタシを見て微笑む。
「晴海は、末っ子じゃない?」
「え?あ、ハイ。二人姉妹の下ですけど。」
何ですか?何か関係あるんですか?
「甘え上手。」
ぐうの音も出ない。
「ホント、最強だよ。」
くっそー…なんとか反撃したい。
「そんなに気になるなら、ハッキリ言えばいいんですよ!」
そしてミカリン先輩をキッと睨みつけた。
「アタシがミクリン先輩と付き合っても文句を言わないでくださいね!」
アレ?自分の口から出た言葉に驚いた。アタシったらナニを言ってるんだ?
「ホホウ?」
ミカリン先輩が引きつった笑顔を見せた。
「イんじゃない。頑張れぇ。」
うわ、凄い棒読みだよ。でも、でもアタシが言いたいのはそんなことじゃなくて…。
「アタシのことは置いといてください。でも先輩はホントに今の関係でいいんですか?」
「…いいんだよ。私は…今さら無いよ…。」
ミカリン先輩は寂しそうにつぶやいた。
「お待たせ!ごめんな。お土産だ。」
教室に駆け込んで来たミクリン先輩はポイポイと小振りのペットボトルを放ってよこした。ちょっと甘めのロイヤルミルクティだ。アタシにはちょっと甘過ぎる。けど、一緒にボトルを受けたミカリン先輩が固まっている。どうしたのかな?
「…ミクリン?わざわざこれを買いに?」
「え?だってなんかミカリン落ちてたから。要らなかった?」
「ううん。嬉しい。ありがとうございます。」
?妙に素直だな。そういえば前にもこれを飲んでなかったっけ。
「ミカリン先輩、このミルクティ好きですよね?」
アタシはなんとなく気になって聞いてみた。
「好き。」
ミカリン先輩はポツリと言ってキャップを開けると一口飲んだ。さも美味しそうに、愛しげに。
「さぁ、晴海さん!どこまで進んだかな?」
ミクリン先輩はまたアタシの前に座って、照れ隠しのように教科書を広げた。ミルクティの話題には触れず、敢えて無視して勉強を始めようとするのが、ふたりの先輩の秘密を隠すようで、ちょっとさみしかった。
翌日は、今日は散々邪魔をしたミカリン先輩が英語を教えてくれた。アタシの不得意科目だから、ボロボロになるまでムチ打たれ、しばらくは立ち直れなかった。アタシは別に海外とか考えてないから、英語なんていいんですけど。
そんな感じで、アタシは中間試験の直前まで、誰かしらから勉強を教えて貰ったのだった。