95年後の有機交流電燈
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です(略)
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
〈宮沢賢治 「春と修羅」〉
果たして宮沢賢治の言う通り
現在では科学者が宇宙は11次元であると主張してみたり
世界は「膜」に浮いた孤島のようなものであると主張したりする
世界の謎を一つ解けばまた一つ、違う謎が現れ
それは地球が丸いという奇跡くらいに
驚くべき真実として現れる
「私」と呼ばれる実体が
宮沢賢治のような高名な人とは全く違う場所におり
錯雑した世界で 一人の人間として浮ついた人生を送っているという事
それはどんな視点で捉えればいいのか
21世紀に孤独を感じている「私」が「私」と発音すると
人はそれを私の肉体・魂に紐付けて認識する
その時、人に見られた私が私の全てなら
私はあなたーーそう
宮沢賢治に出会う事はなかっただろう
私もまた自分を
有機交流電燈であるとみなしたいわけだが
世界と紐付いた私は
宇宙に到達できない
女からのライスカレーを断ったあなたは
代わりに一片の宇宙を手に入れた
あなたの追い続けた「ほんとうの神様」は
ついに発語できないものとして宙に残された
今、私が宮沢賢治を理解したと言うと
人は私を次のように非難するだろう
「あなたのはうその神様だ」と
だから、私は沈黙する
沈黙する事によって
私もまた明滅する電燈であると実感できる
魂は巡り巡って
様々の肉体を通過していく
通過していく肉体は自分の中に魂が宿っているのを感じるのだが
それは霊魂説ではなくむしろ精錬された科学であると
どんな科学の言葉が表現できるのだろうか
私は私である事によって同時に人々である
が、今の私は人嫌いでもある
ライスカレーを断った宮沢賢治が
その時は人嫌いに見えたのと同じように
私が今生きている事は
どんなノートにも載らないが
私の中に世界があると感じられる時
私の中にあなたがいると感じられる
その時、あなたの中に私がいる
この事を
どんな言葉も言い表す事はできない
「永遠」という言葉を発明した人間が
「今・ここ」を脱出し、「それ」に向かって語りかけると
別の宇宙の「あなた」に言葉は到達し
そこで始めて交流はなされる
私から見る世界は暗いが
夜空に星は光っていて
孤独でないのを感じられる
私の魂は消えても
きっとあなたになるだろう
人々が自分の神を抱いている時
私は私の神を越えた神を抱くが
それにより迫害されるかもしれない
もしそうなれば私は
私自身が正しかった事を確認できるだろう
宮沢賢治よ、あなたは
有機交流電燈の一つとして過去の内に灯っている
それはそのまま
今も灯っている事を意味する
それを私が見る事
それもまた、有機交流電燈の
明滅の一つであるに違いない