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転生龍は人と暮らす  作者: くらいさおら
第一章 幻霧の森
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7.家憑き妖精

 「知らない天井だ……」


 龍平はベッドの上で目を覚ました。


 確か、霧の濃い森の中をさまよった後、草原の片隅に洋館を見つけたはずだった。

 死ぬ思いで助けを求めたが、そこでぶっつりと記憶が途絶えていた。


 身体の節々が痛んでいる。

 ほぼ一日中歩き通した上に、木の枝にぶつかりまくっていた。


 打撲だけではなく、筋肉痛も襲ってきているらしい。

 それでも命が助かったことに、龍平は深い安堵の溜め息をついた。


「……ん?」


 ふと見れば、身体中に手当の跡がある。

 そればかりでなく、着ていた服がきれいさっぱりなくなっていた。

 龍平はおそるおそるシーツを持ち上げ、中を覗き込む。


「……? ……! なんじゃ、こりゃあああぁぁぁっ!」


 パンツもなくなっていた。



「いったい、何があった? 何が起きた? 森で迷って、家を見つけて、記憶が途絶えて……うん、何も解らん。……いやいや、待て。この状況から察するに、助けてもらって、手当までしてもらったことは間違いない……」


 龍平が混乱の極みに陥ったとき、小さなノックの後、返事も待たずにドアが開けられた。


「え……?」


 固まる龍平を無視して、蝶番が軽くきしむ音とともに、トレイに木椀を乗せた少女が入ってきた。

 簡素だがしっかりとした縫製のメイド服に身を包んだ少女は、ベッドの横にあるテーブルに木椀を置く。

 そして、身体の前で揃えた両手にトレイを持ち、一歩下がって軽く会釈した。


 肩で揃えられたウェーブのかかった髪は、白というよりは銀に輝いていた。

 頭の上には、純白のカチューシャが載っている。


 髪と同色の細く整えられた眉の下には、やはり同色の長いまつげと、強い意志を宿した双眸が並んでいた。

 その目にはガーネットのように輝く瞳がはめ込まれ、龍平の様子を注意深くうかがっている。


 日本人には見られないような、見た者の視線をを思わず惹きつけてしまう高い鼻梁が、彼女の容貌に絶妙なバランスを作りあげていた。

 その鼻梁に続く小振りな、唇は紅の助けを借りなくても血色の良さを誇っている。

 その小さな口が、龍平に向かって開かれた。


「……よかった。……食べて」


 少女が木製のスプーンを龍平に差し出す。


「……あ、あ、ありがとうございます。……あなたが助けて?」


 龍平はスプーンを受け取りながら礼を言った。

 そして、木椀を手に取る前に、気になっていたことを少女に尋ねる。


「……ん」


 小さく、こくんと少女が頷く。


「ありがとうございます……。この傷の手当ても?」


 腹は減っているが、聞くべき事はまだある。


「……ん」


 また頷く少女。

 嫌な予感は確信に変わる。

 龍平の気など知らぬかのように、少女は木椀をじっと見つめていた。


「何から何まで、ありがとうございます。遠慮なくいただきます」


 少女の視線に気づき、龍平は礼を言いながら木椀にスプーンを突っ込んだ。

 野菜や肉を刻み込んだ麦粥のようだ。


 ひと口、その麦粥を口に運ぶ。

 優しい味が舌に広がり、飲み下せば身体か温かくなっていく。

 昨日から冷え切った身体が、やっと生き返ったような気分になる。


「美味しいです。やっと生き返ったみたいです。……ところで、俺の服は?」


 肝腎なことを、忘れる前に聞かなければならない。

 おそるおそる、龍平は少女に尋ねた。


「……ん」


 窓の外を少女は視線で示した。

 さんさんと照る陽の光の中に、龍平の衣服がすべて干されている。

 そう、すべて干されていた。


「……重ね重ね、ありがとうございます。……見た?」


 龍平は意を決して、核心を突いた。


「……ん」


 少女が小さく頷いた。

 間違いなく、肯定を示す動作だった。


「いやあああぁぁああああぁぁぁあぁぁぁっ! ……もう、お婿にいけない……」


 絹を裂くような少年の悲鳴が、瀟洒な洋館に響きわたった。

 熊野龍平、一五歳。思春期真っ盛り。

 異性の裸に興味津々だが、異性に裸を見られるのは恥ずかしい複雑なお年頃。




 朝、陽が昇ってから小鳥のさえずりで、龍平は目を覚ました。

 顔を洗うため、館の裏手にある井戸へと歩いていく。


 釣瓶から桶に水を移し、バシャバシャと顔を洗う。

 それからタオル代わりの麻布を固く絞り、寝汗で汚れた上半身を拭いた。


 麻布を桶に放り込み、上半身裸のまま、龍平は空を見上げる。

 抜けるような蒼穹が、草原と森の上に広がっていた。


 遠くにひときわ高い山が見えている。

 龍平は深呼吸をひとつして、服を直し、館へと戻っていった。



 あれから一ヶ月が過ぎていた。

 もちろんカレンダーがあるわけではなく、館の周りの柵にナイフで付けた傷を数えた結果だ。


 そもそもこの世界の暦が、地球と同じという保証などない。

 単にそれまでの習慣を踏襲しただけのことだった。


 この一ヶ月の間に、龍平は無口極まりない少女から、さまざまなことを聞き出していた。

 少女の名前は、セリスというらしい。

 

 フルネームは不明のままだ。

 何度聞いてもセリスとしか答えてくれない。

 ファミリーネームの概念がないのかもしれないと、龍平は無理矢理納得することにしていた。


 家財道具などから、文明度は中世のヨーロッパのようだと、龍平は考えている。

 ならば、名字やファミリーネームを持つ者は貴族や有力者に限られ、セリスのような使用人は持たないのかもしれない。

 龍平はそれ以上気聞き出すことを、諦めていた。



 そして、やはり、ここは地球ではないらしい。

 日本という国名を知っているか尋ねたとき、セリスははっきりと存在しないと言い切っていた。


 なぜ、異世界移転が起きたのか。

 過去に同様の例はあったのか。


 あったなら、元の世界に戻る方法はあるのか。

 龍平は根ほり葉ほり尋ねたが、セリスは悲しそうに首を横に振るだけだった。


 それから数日は落ち込んでいた龍平だったが、セリスに励まされて何とか平静を取り戻していた。

 望郷の念がないわけではない。


 やはり両親に会いたい。

 学校の友達にも会いたい。


 当たり前のことだった。

 しかし、いつまでも落ち込んでいるわけにもいかなかった。


 日々の暮らしは待ってくれはしない。

 日本のように、スーパーやコンビニがあるわけではない。


 森に食料を求めなければ、明日食うものにすら困るのが現状だ。

 落ち込む心を必死に奮い立たせ、龍平はセリスの後をついて森に分け入っていた。


 幻霧の森は歩き方さえ解ってしまえば、食料の宝庫だった。

 キノコや木の実がそれなりに実り、簡単な罠で小動物を捕らえることもできた。


 中でもありがたかったのは、パンノキに似た大樹と、タロイモのような芋だ。

 パンノキはセリスに教えられたものだが、ハート型の巨大な葉を自力で見つけたときには小躍りしたものだった。


 香辛料はほとんどないが、岩塩の鉱脈があるのか塩には不自由していない。

 かなり危険な場所にあるのか、塩の採掘に龍平が同行を許されることは、今のところまだなかった。

 龍平にはそれが小さな不満だ。


 やはり男の子としては、守られるだけでは落ち着かない。

 セリスに対して格好の良いところを見せたいと、常に思っていた。


 もちろん、館の中のできることは手伝っている。

 割り当ててもらった居室の掃除は当然として、水くみや薪割りといった力仕事を積極的に行っていた。

 桶の重さに四苦八苦し、鉈に振り回されながらも、何とか日々の仕事をこなしている。


 居候としては、上げ膳据え膳が申し訳なくなってしまうのだが、料理に洗濯、館の掃除はすべてセリスが行っていた。

 何度となく手伝いを申し出たが、頑としてそれは認めてもらえなかった。

 服装からも解るように、セリスにとってその三つの仕事は、絶対に侵されたくない神聖な領分なのかもしれなかった。


 手伝わせてもらえない龍平は、この屋敷において自分は邪魔者なのかと、寂しく思うこともあった。

 だが、セリスは龍平を居候としては扱わず、あくまで客として丁寧に対応している。

 水くみや薪割りの完了を告げるたび、恐縮するようなセリスの態度に、龍平はまぶしいものを見るような視線を送っていた。


 同じ屋根の下に年頃の男女が同居している。

 龍平がセリスに恋心を抱くのも、無理からぬ事だった。

 だが、セリスはあくまで素っ気なく、無口を貫き、メイドとしての態度を崩そうとはしなかった。




「セリス、話があるんだ」


 半年ほど経ったある日、意を決した龍平が話を切りだした。

 初夏の頃から季節は移り、晩秋の趣を伝えている。


 室内で過ごすことが増えるであろう冬を前にして、関係を一歩でも進めたいと龍平は考えていた。

 もちろん、断られた後の気まずさを考え、ストレートな告白をする勇気はない。へたれめ。


「……ん?」


 セリスは小さく首を傾げ、話を続けるように促す。


「俺がここに着てから、もうずいぶん経つけどさ、もうちょっと打ち解けたいなぁ、とか……思うんだ……けど……」


 明確な拒絶を恐れ、龍平の言葉が尻すぼみになる。


「……ん」


 小さく頷いた後、セリスは視線で龍平に続きを促した。


「なあ、俺のこと嫌い? なんか、セリスっていつも素っ気なくて。邪魔なんじゃないかって心配になるんだけど」


 女の子との駆け引きなどほとんどしたことのない龍平にとって、セリスはあまりにも難易度が高かった。

 必死に言葉を選ぼうとするが、考えばかり空回りしている。


「……ん」


 セリスは首を小さく横に振る。

 しかし、言葉を返すでもなく、黙ったまま龍平を見ていた。

 その視線に迷惑とか邪魔とかの感情は、浮かんでないと龍平は思いたかった。


「でも、ほら、そうやって黙っちゃう。せっかく一緒に住んでるんだし、もうちょっとお喋りとか、してみたいなぁとか。でも、そうやって黙っちゃう。そうすると、やっぱり俺は迷惑なんかなって」


 苛立ちもあるからか、龍平の言葉は堂々巡りになっていた。


「……んっ!」


 今度は強く首が横に振られた。

 強い否定を表すように、目が固く閉じられている。

 椅子に座った膝の上で、両の拳も固く握られていた。


 ゆつくりと開けられた龍平を見るセリスの視線に、僅かに非難がましいものが含まれている。

 その視線は、なぜ解ってくれないの、と言っているかのようだった。



「そうやって! いつも! もっとはっきり言ってくれよ!」


 突然、龍平の中で何かが弾けた。


「父さんとも母さんとも引き離されて! 友達もみんないなくなって! 頼れるのはセリスだけで! もっと話したいのに!」


 龍平は泣いていることに気づいていない。

 やはり気を張っていたとはいえ、たかが一五のガキだ。


 セリスに対する恋慕と思っていた感情は、それだけに留まるものではなかった。

 寂しさを埋めるために、家族に対する感情と同じものだった。


 やっとそれに気づいた龍平は、かえって感情の整理がつかなくなってしまった。

 感情が高ぶりすぎたのか、龍平は言葉が出なくなっていた。


 その代わり、セリスを見つめながら、しゃくりあげるように泣いている。

 それはまるで、我が侭を聞いてもらえなかった小さな子供が、親の関心を引こうとして起こしている癇癪のようだった。


 やるせなく、申し訳なく、どうしようもない感情に、龍平は翻弄されていた。

 こんなみっともなく身勝手な感情を爆発させて、見捨てられても仕方がないと思う反面、セリスにすがりつきたかった。



 ふわりと、セリスが龍平を抱きしめた。

 父でもなく、母でもなく、恋人でもなく。

 友達でもなく、まるで姉のように。


――リューヘー、聞いてほしい。私はしゃべるのがとても苦手。だからこうして思ってることを伝える――


 龍平の脳裏にセリスの声が流れ込んできた。


「え? セリス、どうやって?」


 混乱した龍平が涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。


――まず、いつも言葉が足りないことを申し訳なく思っている。それは理解してほしい。それから、私は人間ではない。私はこの家に憑く妖精。私はこの家から離れることはできない。せいぜい、この森の中に出るくらいがいいところ――


 衝撃的な言葉の羅列が、龍平の心を噛んでいく。

 恋いこがれた相手は、人間ではない。


 地球ではないと解っていたが、そこで初めて出会った存在は紛れもなく人間の姿をしていた。

 今の今まで、龍平はセリスを人間だと思い、疑うことすらしていなかった。


 いや、ここが地球ではないことから、逃避していただけだったのかもしれない。

 龍平に差別意識や偏見などないが、純粋に衝撃を受けていた。


――いつか、あなたはここを出て行かなければならなくなる。そのときに一緒に行けない私は、あなたの気持ちに応えることはできない。あなたの気持ちは知っていた。私は嬉しかったけど、人ならぬ身でそれを叶えることはできない――


 明確な拒絶。

 龍平の心は、セリスの言葉に噛み砕かれつつあった。

 腕の中で小さく震える龍平に、セリスは焦りと困惑の混ざった表情を浮かべる。


――勘違いしないでほしい。あなたを嫌いなわけがない。私には人の恋愛の機微が解らないだけ。人ならぬ身を好いてくれるのであれば、私はいつでもあなたを待っている。私はあなたの家族。それを理解してほしい。だから――


 そう伝えてセリスは龍平を強く抱きしめる。

 龍平の身体の震えが、少しずつ治まっていった。


――私のパンツを漁るのはやめてほしい――


 バレてた。

 龍平の顔から、血の気がざぁっと引いていく。


「……気づいて……たの?」


 蒼ざめた顔でセリスを見上げながら、龍平が聞く。


――気づいて、ない、とでも?――


 慈愛に溢れた表情で、セリスが答えた。


「いやあああぁぁぁあぁああぁぁぁっっ!」


 セリスのおっぱいに無理矢理顔を埋めた龍平の悲鳴が、瀟洒な館に響きわたった。



 熊野龍平、一五歳。思春期真っ盛り。

 異性の使用済みパンツが、とっても気になるお年頃。

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[良い点] パンツの下りでシリアスが吹き飛びましたwww
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