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転生龍は人と暮らす  作者: くらいさおら
序章
2/98

2.少女の事情

 小さな破裂音が部屋に響いた。

 貴族の屋敷にはそぐわない足音が、その部屋に向かって急速に近づいていった。


「レフィお嬢様、修練も結構ですが、いつも申し上げているとおり外でお願いいたします」


 破裂音を聞き咎めた専属のメイドであるノーマが、ノックも無しに部屋に入ってきた。

 鮮やかな青いショートボブの上に、純白のカチューシャが乗っているが、慌てていたのか少々傾いでいる。


 髪と同色の利発そうな瞳を納めた双眸が、僅かにつり上がっていた。

 少しだけ上向きの鼻が、ひくひくとひきつっている


 薄い紅に彩られたふっくらとした口角が僅かに引き上げられ、頬は感情の高ぶりのせいか紅潮していた。

 主人とは対照的に豊かな胸の主張を、見せつけるかのように腰に手を当て、仕えるべき主をにらみ据えている。

 ともすれば早口になりそうな口調を、ゆっくりと噛みしめるように抑えていた。


「これくらい、いいじゃないの、ノーマ。常に修練よ」


 ノックがなかったことは咎めず、アレフィキュール・ラ・ノンマルトは少しだけ声を怯えさせながら答えた。

 魔法陣が書き込まれた小さな羊皮紙に、魔力を再充填しながらテーブルの上に置く。

 そして、ことさら優雅な仕草を意識して、ハーブティのカップを手に取った。


 手入れの行き届いた長く碧い髪には、軽いウェーブがかかっている。

 ぱっちりとした双眸はエメラルドのように輝く瞳が収まっているが、小さないたずらを咎める小言から逃れるように、視線が泳いでいた。


 長い睫毛が、主人折檻を恐れる奴隷のように、ひくひくと震えている。

 すっきりと通った鼻梁に続く小振りの唇は、乙女の嗜みとして紅を薄く引いていた。


 何事もなければその絶妙なバランスは男をひきつけずにはいないのだろうが、今は残念なポンコツ状態になっている。

 たおやかな頬はひきつり、どうやってこの場を誤魔化すか、無駄な抵抗を試みようとしていることを雄弁に物語っていた。


「そ・と・で・お・ね・が・い・い・た・し・ま・す・っ!」


「あだだだだだだだっ!」


 お構いなしに近づいたノーマは、両の拳をレフィのこめかみに当てぐりぐりとこじりあげた。

 カップを落とすわけにも行かず、レフィは無抵抗のまま貴族令嬢にあるまじき悲鳴を上げる。


 もっとも、この屈強なメイド相手に抵抗しようとしても、無駄なことだ。

 体術の腕前では、レフィははるかに及ばない。

 乳姉妹としてほとんど同じ時間を過ごしてきたはずなのに、どうしてここまで差が開いたのか、レフィには不思議で仕方なかった。


「だからといって、屋敷からはお出にならないよう。もし、どうしてもの際には、必ずわたくしをおよびください。最近は嫌にきな臭くなっておりますので」


 レフィの側から離れたノーマは、高価な魔装具である透明な板をはめ込んだ窓に近寄りながら言った。

 この時代、窓に使えるような大きさの板ガラスを作成する技術は、まだ発展していない。

 この窓は、対衝撃と対魔法の魔法陣を書き込んだ羊皮紙を、術者の魔力によって変化させたものだ。


 この窓は外からの衝撃や魔法には強いが、内側からは簡単に破れるようにも工夫されている。

 万が一、屋敷内に暗殺者が入り込んだとき、外へと脱出するためだ。


 この部屋は二階にあるが、むざと殺されるよりは怪我の危険性を侵してでも外へと活路を求める。

 そのために部屋の下には、しなやかな枝を持つ植栽がなされていた。



「いい迷惑。いくらなんでもお三方が簡単に全滅するなんて、あり得ないでしょうに。もしものときは、弟たちに任せればいいじゃないの」


 ここしばらくかごの鳥と化していたレフィは、憤懣やるかたないといった表情になる。

 ノンマルト家は、今から二〇年前の大陸歴一三一九年に、現王弟が臣籍降下して興した新興公爵家だ。


 レフィは、その公爵家の長女。

 兄がひとり、弟ふたりに妹がふたりいる。


 王家には、第一から第三まで王子がいる。

 レフィの王位継承権は、第一から第三王子、父である王弟公爵、その長男である兄に次いで第六位。

 まず継承権争いの舞台に立つことはない。


 ただし、王家の王子たちに万が一のことがあれば、レフィの立場はややこしいものになる。

 王位は王弟である父が継げば、それでよい。


 だが、その後に兄が立太子されたなら、公爵家を継承しなければならなくなる。

 そんな面倒はまっぴらだった。


 ノンマルト家は領地を持たない法衣貴族である以上、政治とは無関係ではいられない。

 しかし、レフィにとって政治など、汚い大人たちが演じる足の引っ張り合いにしか見えなかった。


 権謀術数が国を経営するための必要悪と理解はしているが、自身がその渦中に入る気などさらさらない。

 人には向き不向きがある。


 自分はそのような政争とは距離を置き、大好きな魔法の研究に没頭していたかった。

 そのために、公爵家の継承権も、ついでに王位継承権も弟に委譲し、さっさと嫁にでも行くか、別家を興すつもりだった。


 

「そうも言ってはおられないでしょうね。カルス王太子殿下がご親征あそばされるそうで」


 ノーマにしても、敬愛するレフィが騒動に巻き込まれることは許容しがたい。

 しかし、王位や公爵家といった地位に魅入られた者たちは、複雑すぎる利害関係の中で蠢いている。


 どこでレフィが邪魔になり、亡き者にしようと牙を剥いてくるかわかったものではない。

 直接当人同士の仲が悪くなくても、取り巻きどもがどう考えるかで対象の運命が決まる。

 王位にも公爵家にも色気がないレフィから仕掛けることはないが、降りかかる火の粉は払わねばならなかった。


「誰か、動くのかしら」


 そこはかとなく、嫌な予感はある。

 誰が動くか、誰にでも理由はある。


 家督争いなど、どこの貴族の家にもあることだ。

 次男は長男のスペアとして、ある程度の待遇は保証されている。


 家を継げなくても、下位の爵位もしくは騎士爵に叙爵され、新しい家を興すことが通例だった。

 だが、三男、四男ともなれば、話は別だ。


 王国の歳費は、無限ではない。

 無節操に新しい家を創設しても、彼らを養う年金の当てがない。

 仕事が湧いて出るわけでも、歳入が湧いてくるわけでもない。


 代官職の空きに滑り込めれば、年季こそあれ当分の間食うには困らない。

 上手くいけば在任中にひと財産を築き上げ、隠田という名の荘園から、僅かではあるが永続的な収入を得ることも夢ではない。

 だが、ほとんどの者は街の清掃管理士や巡回士といった下級職を見つけて、なんとか食いつないでいた。


 それでも、まだマシな部類といえた。

 たいがいは、部屋住みの飼い殺しだ。

 酷い場合、廃村を棄民とともに押し付けられ、そのまま朽ち果てるまで放っておかれることすらあった。


 王家や公爵家とて、例外ではない。

 家の断絶を防ぐため、誰かが家督を継ぐまでのスペアは絶対に必要だ。

 だが、王家や公爵家に連なる王位継承権を持つような者が、下級職に甘んじていては家の面子にも関わってくる。


 つまり、万が一に備えて、部屋住み予備軍の大量生産が行われていた。

 そこに、起死回生の大博打に出る者がいても、おかしくはない。

 現在の地位を得ている者は、多かれ少なかれ、そのような生存競争を生き抜いてきた者たちだった。



「動くとしたら、ケイル次兄殿下、かしら? カルス王太子殿下がいない隙に、一気に王城を掌握してカルス殿下を廃嫡においこむの。それでアーシュ末弟殿下と協力して、新しい国を作るのよ。って、あだだだだだだっ! ノーマ、やめてぇっ!」


 公爵令嬢は少々腐っているらしい。

 ノーマの拳が、ふたたびレフィのこめかみに食い込んだ。


 もっとも、腐っているかどうかは知ったことではないが、その可能性が絶無とはいえないところが始末に終えない。

 カルス王太子にしてみても、国境を接する小国との小競り合いに自ら出ることは、次期国王になるための箔付けに他ならなかった。

 繰り返すが、次兄と末弟が腐り物の好む関係かどうかは、知ったことではない。



「まったく、おふざけもほどほどに。だいたいお嬢様はお気楽にお考えのようですが、お輿入れがないとも言えないのですよ?」


 常日頃からさっさと嫁入りし、家督争いから遠ざかりたいと公言しているレフィだが、相手が決まっているわけではない。

 一六歳ともなれば、普通の貴族なら既に縁談のひとつやふたつ舞い込んでいる年頃だが、しがらみと立場がそれを阻んでいた。


 レフィの結婚相手は、兄が王位に興味があるのか、公爵家を継ぎたいのかによってもいろいろ変わる。

 兄との仲はいいが、もしもレフィの結婚前に兄が王位に就き、レフィが公爵家を継いだ場合、その夫が問題になる。


 もちろん、公爵家を継いだなら嫁に行くなどありえない。

 兄の思い通りに動く人間ならそれでいいが、政敵となるなら粛正の対象だ。


 ならば、最初から兄の思い通りに動く人間を婿に当てればいいのだろうが、レフィがそれを良しとするかはまた別の問題だ。

 貴族同士の婚姻に、恋愛の自由などほとんどない。


 それは理解している。

 だからこそ、さっさと弟たちにすべてを押しつけ、気の合う相手を捜したかった。

 具体的には魔法の探求に理解があり、多少腐っていても目を瞑ってくれる人物だ。



 多くの貴族たちが結婚が決まるまで相手の顔すら知らず、家の言うなりに結ばれていく姿をレフィは見てきた。

 結婚してから恋愛すればいいという人もいるが、できれば結婚生活の前に恋愛を経ておきたいとレフィは願っていた。


 もっとも、結婚が決まれば即輿入れというわけではなく、数ヶ月から一年の準備期間をおくのが通例だった。

 その間は恋愛期間のようなものだ。

 だが、義務で恋愛するなど、それはご勘弁願いたいものだった。


 兄や両親から勧められた相手を拒否するなら、勘当されて家を追い出されて朽ちるか、それとも先手を打つか。

 もし、その相手が王族だった場合、先手を打つしかレフィに自由はない。


「さっさと嫁にでも行きますか?」


「いつも言ってるけど、そうしたいわね」


 ふたりは顔を見合わせて笑う。

 それが、ノーマが見せた最後の笑顔になった。


「お嬢様!」


 扉が乱暴に開かれると同時に、ノーマが椅子ごとレフィを引き倒す。

 闖入者が手に持つ白刃が水平に振り抜かれ、ノーマが護身用の短剣を構える暇も与えず、その首を刎ね跳ばした。




「今頃、姉様は……」


 雨戸を閉め切った暗い部屋の中で、ろうそくの炎を見つめながら、薄笑いを浮かべた少年が呟く。

 背後には、瀟洒なメイド服を着込んだ若い女が立っていた。


「殿下、迷いは禁物ですわ。今頃は王城でも王太子殿下の手の者が動き始めております。後は証拠を残さないように」


 ノンマルト家末弟カーティアの専属メイドは、淡く光る羊皮紙をテーブルに広げた。

 カーティアは意を決してろうそくを吹き消し、羊皮紙に描かれた魔法陣に手をかざす。


 部屋の中は羊皮紙が放つ仄かな光だけになった。

 魔法陣に魔力を流した瞬間、公爵家の屋敷が小さく鳴動した。



「……っ!? 何奴!」


 一瞬にして天井を見上げる態勢になったレフィは、メイドの意図を完全に把握していた。

 そのまま後ろに一回転し、両手に魔力を込めながら立ち上がろうとしたレフィの視界に、刎ね跳ばされたノーマの首が映る。


 一拍遅れておびただしい量の鮮血が、レフィに降り注いだ。

 首を失い、大の字に倒れたノーマの身体が最後の痙攣を繰り返し、絨毯に血の海を広げていく。

 血まみれのまま固まったレフィの両手で、行き場を失った魔力が火花を散らしていた。


「貴様……よくも我が半身を……貴様……」


 刃を構えた男とレフィは対峙したまま、呻くような呟きを繰り返す。

 胸の中には激情が荒れ狂い、両手の魔力は今にも暴発しそうになっていた。

 このまま激情に身を任せ、魔力を暴走させてすべてを終わらせたい衝動に身を駆られてしまう。


 だが、それでは身を挺してレフィを庇ったノーマの至誠を無に帰すだけだと、僅かに残された理性が叫んでいる。

 ここはいったん魔力を解放して窓から逃れ、父がいる王城に逃げ込むしかない。

 途中で庭師や執事で荒事を担当する者と合流できるか、その前に追っ手に捕らえられるか際どいところだ。


 当然、窓の下にも何らかの手は打っているだろう。

 右手の魔力で眼前の敵を牽制し、左手の魔力は窓の下にいるであろう敵に対処する。

 レフィはそう決めた。


 あのノーマを一撃で葬り去る男を、右手のみの小さな魔力でどうこうできるとは思えない。

 せいぜい一瞬怯ませ、派手な音で異変を周りに報せるのが関の山だ。

 それも、怯んでくれるかどうか、やってみなければわからない。


 なんの威嚇にもならず、この身を切り裂かれるだけかもしれない。

 それでもやらないよりは、はるかにマシだ。



 レフィが右手に魔力を込めたそのとき、別の部屋でもカーティアが魔法陣に魔力を注入した。

 レフィの部屋の真下にある客間に巨大な魔法陣が現出し、周囲に漂う自然魔素をその中心に集めていった。

 あとはその魔力を上に向かって解放すれば、暗殺者ごとレフィを物理的に消すことができる。


 魔力解放の一瞬前、レフィが右手の魔力を解放し、暗殺者の足下に叩きつけた。

 怒りにまみれ、制御を失ったレフィの魔力は小爆発を起こし、そのまま床を貫通して客間に到達する。

 そこでドーム状に魔力を集めた魔法陣に衝突し、魔法陣の一部が欠損した。。


 上一点に向けて解放されるはずだった魔力が、ありとあらゆる方向にぶちまかれる。

 客間の窓が吹き飛び、次いで扉が弾け飛ぶ。


 それだけでは逃しきれない破壊が、天井や壁を爆砕した。

 暴走魔力をたっぷりと含んだ爆圧は、レフィの部屋にあった小さな魔法陣も誘爆させ、次いでレフィの左手に凝集された魔力も暴発させる。


 カーティアの魔法陣も無事ではなく、ほぼ同時に破壊を振りまいた。

 その瞬間、彼と彼の専属メイドは、何が起きたか解らないままこの世から消し飛ばされた。

 屋敷に施されたいくつもの魔法陣が、その役割を無視して連鎖的な誘爆を引き起こし、未曾有の大爆発が王都を震わせた。



 カーティアは、ただ踊らされただけだった。

 以前からカルス王太子は王位を継いだ後、ノンマルト家が驚異になると考えていた。

 ただし、王位を狙われるなどとは考えもつかず、小心な小物らしい危機感だった。


 現当主は父王の信頼厚く、そう簡単には排せない。

 次期当主も父や現当主の薫陶を受け、辣腕が期待されている。

 自身が王位を継いだ際、小うるさい小姑のようにまとわりつき、政に口出ししてくるに違いないと思い込んでいた。


 脅しをかけておく必要がある。

 ノンマルト家を根絶やしにすることは難しいが、せめて王城から遠ざけておきたかった。

 今回の親征の間に事を起こせば、王都を不在にしている自分に疑いを持つ者はいないだろう。


 現当主、次期当主が溺愛している長女を消せば、無言の警告と受け取るはずだ。

 直接手を下すのではなく、世間擦れしていない末弟を使えば、さらに証拠は残りにくいはずだ。

 そのために息のかかった催眠術に長けた者を、彼の家にメイドとして送り込んであった。



 爆発が収まった後、公爵家の屋敷があった場所には、巨大なクレーターが残されただけだった。

 浅はかな保身のために引き起こされた大惨事は、ノンマルト家に大きな衝撃を確かに与えていた。

 しかし、長男以外の子女と公爵妃を失った公爵家に、不気味な鋭い復讐の牙を植え込んでいた。

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