18.街道で騒動
デイヴに向かって龍平が数歩踏み出したとき、いきなり横合いから黒い影が飛び出してくる。
何が起きたか分からないまま、龍平は地面に引き倒された。
「おらぁっ! おとなしくしやがれっ!」
黒い影は叫びながら、龍平の全身に当たるを幸い蹴りをぶち込んだ。
地面にうつ伏せ、頭を守るようにうずくまった龍平に、黒い影が馬乗りになり、デイヴへと得意げな顔を向けた。
「やりましたよ、デイヴさん!」
黒い影は龍平の腕を頭から引きはがしながら、歓喜の雄叫びをあげる。
「ジェンっ! てめぇ、なにしやがる! 誰が捕まえろっつった! 離せ、莫迦野郎っ!」
デイヴが大声で罵倒しながら、ジェンを取り押さえに走り出す。
しかし、デイヴが走り寄るより速く、一陣の風かジェンに突っ込んだ。
――龍平を離しなさいっ!――
上空からジェンの直前で地面スレスレまで急降下し、そこから一気に急上昇に転じる。
レフィの頭がジェンの顎を捉え、脳をシェイクさせながら仰け反らせた。
空を一回転したレフィが、ジェンの胸元に両脚をそろえた蹴りをぶち込み、龍平の上から吹き飛ばす。
そして、ホバリングしながら、口を大きく開いて息を吸い込んだ。
その口腔内には、赤い炎がちらちらと踊り始めている。
拘束を解かれた龍平が上体を起こすと、そこにはブレスを吐く態勢に入ったレフィがいた。
半開きの口から牙が覗き、その隙間から既に赤ではなく蒼白くなるまでに、温度を高められた炎がこぼれている。
「だめだ、レフィ!」
龍平の直感がまずいと叫び、とっさにレフィに飛びついた。
無我夢中で振り回した龍平の腕が、偶然にもブレスを口に含んだレフィのマズルを抱き締める。
ぼふん、という軽い爆発音が響いた。
そして、反動で弾き飛ばされたレフィが、マズルを抱えて大地をのたうち回る。
――なんてことすんのよぉっ! この莫迦ぁぁぁっ! お腹が灼けるぅぅぅっ!――
レフィの口から、うっすらと煙が立ち上っている。
龍平以外の者の耳には、あぎゃあぎゃとわめき散らすドラゴンの鳴き声が響いていた。
「すまねぇ。こちらの手落ちだ。勘弁してくれ。あの莫迦は好きなようにして構わねぇ」
龍平の無事を確認し、デイヴが頭を下げる。
大の字で気を失っているジェンに苦々しい視線を向け、龍平とレフィにそう言った。
誤召喚の被害に遭った少年を安全に確保し、丁重に王都まで連れてくるよう、一年前に下された命令を、デイヴは忘れていなかった。
もちろん、今回の街道警備も幻霧の森を終着地としている以上、形だけでも捜索を行う予定だった。
したがって、兵たちには黒い瞳に黒髪の少年を発見したら、丁重に確保するよう下命してある。
だが、一部の兵には、少年の確保を手柄争いと捉える者がいた。
誰よりも早く少年を確保し、指揮官に突き出せば報奨金を独り占めできる。
そう考える者がいてもおかしくない。
ジェンは小作人の息子であり、村では一段低く見られていた。
畑を持つことのできない親に、寄り合いへの出席は認められていない。
同い年の友人たちの親はすべて土地持ちで、寄り合いへの出席が認められていた。
この差は大きい。
いつだって、ジェンには村の決定は後から知らされた。
気づいたときには分け前がなくなっていたなど、日常茶飯事だった。
惚れた女は、すべて土地持ちの息子にかっさらわれた。
もっとも、不平不満ばかり口にして、畑仕事も狩りも手抜きばかりの男になびく女など、いはしなかったが。
それでもジェンは、いつかはデカいことをやってやる、畑仕事も射手になれない狩りも、俺がやるような仕事じゃないと言い続けていた。
そこへ持ってきての動員だ。
報奨金を独り占めして周囲を見返してやろうという卑屈な思いが胸に渦巻いていた。
報奨金さえ手に入れれば、収入だけで俺を振った女もなびくだろう。
いや、あんな山女より、セルニアの高級娼婦を身請けして、村の奴らをあっと言わせてやろう。
報奨金の独り占めは、ジェンの中で決定事項だった。
「くっ。……あれ、俺の報奨金! デイヴさん、なんで? なんで俺の!」
縛り上げられたジェンが目を覚まし、辺りを見回してわめき散らす。
見れば、報奨金に変えるはずの少年は、村の皆から丁重に扱われていた。
当然、縛られるどころか、剣も槍も弓も向けられていない。
「うるせえっ! てめぇ、なんてことしやがった? ご領主様の命令、聞いてなかったのか? 誰がとっ捕まえろって言った? おい、言ってみやがれ」
デイヴがひと言怒鳴りつけ、地鳴りのように低い声で問いただす。
もし、あの小さなドラゴンにも見える幻獣が助けに入らなければ、今後どうなるか考えることさえ恐ろしい。
ミッケルの叱責程度で、済むような問題ではない。
国王直々に丁重な扱いを下命されている相手に、暴力を振るったうえ縛り上げるなど、国に対する反逆と取られても仕方がない。
良くて領主の謹慎。所領没収だってあり得る。
下手をすれば、ネイピアの村人全員が、縛り首でもおかしくない。
だが、狭い村の自分中心の世界しか見えていないジェンには、ことの重大性が理解できていなかった。
「何でですかっ! こんな奴、ふん縛って貴族様に突き出しゃいいじゃないですかっ! それより、俺の報奨金は? 捕まえたのは、俺ですぜ!」
蔑ろにされ続けた自分が、初めて優位に立てるチャンスだった。
既知の村人でもない、見ず知らずの少年を、なぜ丁重に扱わなければならないのか、ジェンは納得できない。
そして、報奨金をかすめ取ろうとしているデイヴにも、納得がいかなかった。
「てめぇ、まだ解らねぇか? 誰が捕まえた奴に報奨金出すって言ったんだ? 碌でもねぇことしやがって。てめぇに出す報奨金なんざ、あるわけねぇだろ!」
鬱屈したジェンの言うことが支離滅裂になっていることで、デイヴの苛立ちが最高潮になる。
同じことを繰り返すが、ジェンに通じてるとは思えなかった。
まだ殴り倒さずにいる自分を、デイヴはほめてやることに決めかけた瞬間。
「そんな……。てめぇのせいだ。てめぇのせいで報奨金がフイだ。ぶっ殺してや、がぶっ!」
恨みがましい目を龍平とレフィに向け、わめき散らすジェンの横っ面をデイヴが力一杯ブン殴った。
頬を押さえて地に伏したジェンの顔面を、デイヴは踏みつけながら無言で見下ろしていた。
ジェンには龍平の整った身形が、許せなかった。
汚れてもいない、しなびてもいない肌つやが許せなかった。
自分が泥にまみれ汚れきっているのに、小ぎれいにしている龍平が許せなかった。
もちろん、龍平にしてみれば、ただの言いがかりにすぎない。
しかし、卑屈に歪んだジェンには、それだけで充分許し難いことだった。
その身の程知らずの少年を、縛り上げ、権力者の前にひざまつかせ、見苦しく命乞いさせることは、ジェンの復讐だった。
自分を蔑ろにした、村人への復讐だった。
「おい、こいつを連れていけ。荷車にでも放り込んでおけ。ケイリー様には、俺から申し上げておく」
デイヴの命に従い、ジェンを兵たちが連行する。
さっきまで友達だったはずのジェンを、兵たちは怒りに満ちた目でにらみ、歩きながら小突いていた。
「なんで! どうして、みんな俺の邪魔をっ! そんなに妬ましいのか、報奨金が! そうか! 報奨金かっ! 汚ねぇぞ、てめぇらっ! どうする気だよ、俺を? おい、なんか言えよっ!」
引きずられるように、ジェンは連れ去られて行った。
そして、業を煮やした兵に殴り倒されるまで、ジェンの恨みがましいわめき声は、途切れることはなかった。
「さて、見苦しいところを見せちまって、申し訳ない。手間をかけて悪いが、ネイピアのご領主様と、王都の男爵閣下に会っていただきたい。もちろん、そちらの幻獣殿ともどもに。そこで詳しい話をきいてほしい」
デイヴは深々とふたりに頭を下げた。
龍平とは親子ほども年が離れているが、尽くすべき礼は尽くさなければならない。
すべてこちらの失態とあっては、取り繕うなどできるはずもない。
デイヴは当然のように、礼を以て接することにした。
「あ、どうか頭を上げてください。幸い、レフィの、あ、こちらのドラゴンです、おかげで、大事には至っていませんし。怪我もたいしたことなかったし、傷もレフィが治してくれましたから」
ジェンとかいう跳ねっ返りへの怒りが、すべて霧散したわけではない。
だが、こうして親のような年齢の大人に頭を下げられては、いつまでも怒りを引きずるわけにもいかない。
ましてや、デイヴと呼ばれた人は、ジェンを止めようとし、そして叱責していた。
周囲の男たちも、ジェンに対して怒りの目を向けていた。
それは襲撃の失敗を責める怒りではなく、とんでもないことをしでかしたことへの怒りに見える。
さっきの襲撃がジェンの単独行動であり、計画的ではないことを如実に物語っていた。
ことここに至り、龍平もレフィも怒りを収めることにしたのだった。
「そう言っていただけると、こちらは助かる。では案内しよう。ついてきていただきたい」
デイヴが歩き出し、龍平がその後をついて行く。
レフィは何があっても即応できるように、龍平の斜め上を飛びながらついて行った。
周囲を固める兵たちも、即応体制を取っているが、ときおりふたりに向ける視線には、申し訳なさそうな色が浮かんでいた。
「いろいろと、大変だったようだね。なんとお詫びしていいか分らないが、ひとまずは謝罪を。まことに以て申し訳ない」
ケイリーから丁寧な謝罪を受けた後、龍平とレフィはミッケルからも同様に謝罪を受けていた。
見るからに仕立てのいい軍服に身を包んだ二〇代後半の男が、流麗な動作で一礼する。
全身から発するオーラに、これがカリスマかと龍平は舌を巻いていた。
横ではレフィが、何か納得した表情で頷いている。
――まぁ、いいんじゃないかしら。合格点ね。きちんと謝罪したうえで立場は守ってる。仮にも貴族の端くれってところかしら――
何かにつけ龍平の所作に文句を言うレフィにしては珍しいと、龍平は思っていた。
「これから王都までご一緒いただきたいが、おふたりともよろしいか? 何か所用あってのことなら、そちらを優先していただいても構わないが」
予想外の失態に、ミッケルは弱り果てていた。
そして、まさか捜索対象から出てきてくれるとは思ってもみず、急展開に頭がついていってない。
とりあえず、先手を譲っての様子見に徹しようと、ミッケルは考えていた。
「えっと、俺……いえ、私は熊野龍平、こちらの言い方では、リュウヘイ・クマノと申します。私たちはわけあってセルニアへ行く途中でした。いきなり王都というには、ちょっと急すぎて。セルニアに行った後、一回幻霧の森へ戻ってもよろしいでしょうか? 待たせている者がおりますので」
物腰柔らかく対応するミッケルに釣られ、考え得る限りの敬語を駆使し、龍平は言った。
確かに、いつかは王都にも行くつもりだった。
レフィの実家がどうなったかを、確かめたかった。
だが、一回ワーズパイトの館に戻らなければ、セリスを無駄に心配させることになる。
一日二日のずれなら、連絡手段の発達していないこの世界では誤差のうちだ。
だが、ひと月以上帰りが遅くなることは、できることなら避けたかった。
王都まで、セルニアから片道二週間は軽くかかる。
レフィがそっと念話で伝えていた。
「リューヘー君というのか。それでセルニアにはどのような所用が? 我々も王都に戻る前にセルニアに立ち寄る予定だから、好都合と言えば好都合だが」
それならば、ケイリーに残りの街道警備を任せ、ミッケルは龍平たちを連れて戻るのもありだ。
「わけあって、私は幻霧の森から出たことがありません。幻霧の森に待たせている者は、こちらもわけあって森から出ることができないのです。私はこの世界がどうなっているか知りたくて、まずは一番近い町であるセルニアに行ってみようと思ったのです」
レフィのことは、敢えて伏せておく。
異世界や妖精は誤魔化しようもあるが、龍の中身は二百年前の人間ですなどと、軽々しく言えるはずもなかった。
「そうか。では、一旦帰るといい。我々も森まで同行させていただく。この世界のことは、道々説明させていただこう。待たせている方に事情を説明すれば、王都までご一緒いただけるのだろう? 我々は森の外で待てばよろしいか? 可能であれば、直接説明させていただくが、いかがか?」
これまで人を寄せ付けなかった幻霧の森に、ミッケル配下の全員が入れるとは思えない。
下手に警戒させて、逃亡されても困る。
できればミッケル自身か、信頼できる部下を同行させたいが、それで藪蛇になっても本末転倒だ。
とりあえず、ミッケルは相手に下駄を預けた。
「そうですね、ご説明いただけるなら、手間も省けますし。待たせている者への説明も、ご同行いただいた方がいいかもしれません。それで、なぜ私を探していたかも、ご説明いただけるのでしょうか?」
道々の説明で世界の様子が分かれば、いずれ王都には行くとして、現時点でセルニアまで行く手間が省ける。
そして、もし龍平を捜していた理由が不穏なことであれば、レフィが巨大化して逃走すればいい。
レフィが念話で龍平にささやき、納得した龍平がミッケルに提案した。
「そうか! なら話は早い。ケイリー君、残りの街道警備は任せた。それで君の失態は帳消しだ。リューヘー君、早速で悪いが、出発でよろしいか? それから、これが一番重要だが、幻霧の森に私も入ってよろしいか?」
ぱっと顔を輝かせ、ミッケルは即断した。
もちろん、失態をなかったことにできたケイリーに嫌はない。
ミッケルは、まるで歳の離れた弟と悪巧みでもするかのように、はしゃぎ始めていた。
「では、一旦ここでお別れですね。無事お戻りください。お気をつけて。いつか、私の領地へもお越しください。村を挙げて歓迎いたします」
男爵の賓客となった龍平に、ケイリーは丁寧な態度で尋ねた。
元々国賓扱いであり、騎士階級のケイリーから見ればはるかに格上になるため、どちらにしても態度は変わらない。
「ありがとうございます、ネイピア卿ケイリー様。距離も距離ですので、確かなお約束は難しく思いますが、機会があれば是非お邪魔したいと存じます」
差し出されたケイリーの手を握り、龍平は答える。
無骨な節くれ立った指は、純朴な誠実さを表していた。
龍平はほぼ同い年の地方領主に、確かな好意を抱いていた。
「ああ、あの者の処分はいかがしましょうか? 縛り首でも斬首でも、リューへー殿のお好きなように致しますが」
別れを済ませ、歩き出したケイリーが振り向いた。
ジェンをそのままにはできない。
同じ村で同じ時を過ごして育ってきた者を、処分しなければならないことは忍びないが、やらかしたことの重大性を考えれば仕方がない。
処分は、龍平の希望に添わなければならなかった。
「もう済んだことですし。何もなしにはできないなら、せめてご温情を。そうですね……、ケイリー様さえよろしければ、一日食事なし、とかで」
そう言って、龍平は頭を下げる。
いくら命が軽いこの時代、この世界とはいえ、自分の意見で人が死ぬなど寝覚めが悪い。
穏便な処分を、龍平は頼んだ。
「しかと承知仕りました。リューヘー殿のご温情に、心よりの感謝を。おい、分かったな。では、後日また、お目にかかりましょう。我々はこれにて」
従士長に目配せしてから、完璧な所作で龍平に一礼する。
そして今度こそ、ケイリーは歩き出した。
そのとき、そばにつく従士長の目が、冷たくジェンをにらんでいたことに、龍平が気づくことはなかった。
やがて、ネイピア隊を分離したミッケル配下の一団は、新たな隊列を組んで動き出す。
龍平とレフィは、その集団の中心、ミッケルのそばに配されていた。
道中、ふたりはミッケルの説明を受け、世間知らずをほんの少しだけ治すことができた。
ミッケルの社交界で鍛えた巧みな話術は、龍平が異世界人である事実を承知のうえということを悟らせない。
レフィも言葉の端々に気になることはあるものの、ミッケルが龍平の正体を知っているなど想像すらしなかった。
途中、野営をひと晩挟んで、一行は歩き続けた。
やがて、幻霧の森が見えてくる。
龍平とレフィの初めての冒険は、濃密な成果を上げて、あっさりと終わりを告げた。