15.捜索隊再び
「ご無沙汰しておりました、辺境伯閣下」
セルニアン辺境伯の館に、ミッケルの声が響いた。
「ようこそ。前年同様、また大儀だな。それから、此度の陞爵、祝いを言えばよろしいか、男爵閣下」
野太い声が答えた。
セルニアン辺境伯バーラムが、意地の悪そうな顔を愉快そうに歪めている。
「ぜひ。これでますます陛下のお役に立てますよ。その分やっかいとやっかみを抱えますけどね」
昨年の幻霧の森捜索を利用した街道警備において、ミッケルは盛大な夜釣りを実施した。
その結果、準男爵から男爵へと陞爵され、一端の貴族の仲間入りを果たしていた。
街道警備自体の成果は、盗賊団を四つ壊滅させただけだ。
これは、辺境伯領の中でも、さらに辺境の安定に寄与した程度だった。
もちろん、満足な自警団を組織することもできない寒村にとって、彼らは救世主のようなものだ。
だが、広大な辺境伯領全体からみれば、たいしたことではなかった。
ミッケルの功績は、カナルロク軍の侵攻を頓挫させたことに拠っていた。
幻霧の森外縁に拠点を築いてから三日目の夜、森から流れ出るセルナ河に放った斥候が、カナルロク軍の動きを捉えていた。
セルニアン領に発展をもたらしているセルナ河は、両国の国境を半分ほど東進した後、北上して領都セルニアへと流れを変えている。
この河に渡河拠点を築かれ、両岸を確保されると、領都セルニアが一気に危険に晒されてしまう。
もちろん、南岸に渡河拠点があるからといって、いきなり制圧していいわけではない。
こちらから渡河して、戦の口実を与えては本末転倒だ。
ミッケルはカナルロク軍の渡河拠点の対岸に、幻霧の森捜索の拠点を移した。
だが、渡河に使用するような船着き場などの施設は作らず、渡河拠点に気づいていないように振るまった。
まるで、敵の拠点を地元民の船着き場と、見誤っているかのようにだ。
そして、どこにでも、莫迦はいる。
見事に引っかかった。
ミッケルの陣を渡河の偽装と判断した敵指揮官が、夜襲をかけてきたのだった。
陣周辺の灌木地帯に、ネイピア兵を始めとした猟を生業とする弓兵を配し、ミッケルはカナルロク軍が餌に食らいつく瞬間を待っていた。
陣周辺には、目立たないように可燃物を配置してある。
もちろん、自陣が火に囲まれないように、退路を確保した上でだ。
深夜、僅かな水音が、川面に響いた。
ミッケルは水際で追い落とすことはせず、カナルロク軍をすべて上陸させる。
自陣に敵が近寄る間も、兵には一切の迎撃を控えさせた。
明るい昼間を霧の中で寝て過ごし、闇に目を慣らした弓兵たちは、カナルロク軍の動きを星明かりの下で捕捉していた。
やがて、ネイピア兵の前をカナルロク軍が通り過ぎ、自陣への攻撃態勢を整えていく。
次の瞬間、自陣からいくつもの火球が、カナルロク軍の周囲に着弾した。
火球は運の悪いカナルロク兵を巻き込みながら炸裂し、巧妙に隠された可燃物を引火させる。
盛大な篝火に照らし出されたカナルロク兵を、ネイピア弓兵たちの矢が片っ端から打ち倒していった。
進行方向東側をミッケルの陣。
南側はセルナ河。
北側には火焔と弓兵。
西側をネイピア兵が抑えていた。
兵力自体は拠点を持つカナルロクが勝っていたが、全兵力を渡河させたわけではない。
当然、不測の事態に備えて、後詰めを置いてあった。
だが、この状況で、救援部隊が渡河に成功するとは思えない。
渡り始めた瞬間、弓と魔法で狙い撃ちにされる。
重い金属製の鎧を着込んで、河に落ちればまず助からない。
対岸のカナルロク兵は、渡河部隊が壊滅していく様を、切歯扼腕しながら見ているしかなかった。
渡河部隊の兵が、首に矢を受け昏倒する。
従者が主人たる騎士を守るため、その身体を盾にして火の魔法を受け止める。
算を乱して逃げまどう農民兵を、騎士の剣が当たるを幸い薙ぎ倒す。
渡河部隊は、既に軍の体を成していなかった。
ミッケルは、ここでカナルロク渡河部隊に、投降を呼びかけた。
殲滅も不可能ではなかったが、死兵を相手取って、手痛い被害を受けてはパーフェクトゲームに傷が付く。
そして、カナルロク軍の非を認めさせるには、騎士以上の立場の者を捕らえておかなければならなかった。
この国境紛争でガルジオン王国は、カナルロク王国からの謝罪と渡河拠点の破棄、そして莫大な身代金を引き出した。
捕虜の中に有力法衣貴族の嫡男が、ふたり混じっていた。
家を継ぐ前に戦場を経験させようという親心が、完全に裏目に出たのだった。
脱出に成功した敵の指揮官が、功を焦った法衣侯爵家の嫡男だという情報も、捕虜から得ている。
他の家に対して優位に立とうと強行した無謀な突撃は、家の立場を危うくするだけでなかった。
戦死者遺族や負傷者への莫大な賠償金に、敵国法衣名門貴族の存続を危ういものに追い込んでいた。
それだけではない。
侯爵家嫡男の補佐を務め、実質の指揮官であり、歴戦の勇者だった領主貴族を撤退戦の中で討ち取っていた。
世の習いとして、領主貴族の遺体と鎧は清めてカナルロクに返還している。
これもカナルロク王宮内の経戦意欲を挫くには、充分な追い打ちだった。
このパーフェクトゲームにより、カナルロクの侵攻企図は完全に頓挫した。
ガルジオン王国はこの功により、ミッケル・ラ・フォルシティを男爵へと陞爵したのだった。
「まさかとは思うが、お前さんがまた派遣されたってことは、宮廷雀どもが夢よもう一度とか、企んだわけじゃあるまいな?」
バーラムが気の毒そうに口にした。
普段、このふたりは領主と法衣として、互いに毒舌を吐き合っている。
だが、この大領主は法衣貴族には珍しい武闘派の青年を、ずいぶんと気に入っていた。
ミッケルにしても同様で、この大領主に今は亡き父の面影を重ねている。
「ええ。今度は若い騎士たちに、街道警備の経験を積ませろ、と来ました。王太子殿下のお気に入りがおりまして、いずれ親衛隊に引き込むための箔付けですよ」
ちらりとケイリーに視線を走らせ、半ばうんざりとした顔で、当事者がいるにも関わらず、内幕をあっさりと暴露する。
さすがにケイリーを二年連続で引っ張り出すのは気が引けたが、王太子直々の要請とあっては無碍にもできなかった。
ケイリーにしても、一年にわたる騎士修業が終わり、領地経営に専念したい矢先の動員だった。
ふたりとも、迷惑そうな表情を隠そうともしなかった。
その後ろには、若者が三人、申し訳なさそうに身体を縮こまらせていた。
いずれもケイリーと同世代。。
三人とも、この春に集団叙爵され、晴れて家督を相続し騎士になった者たちだ。
「まあ、ふたりともそんな顔をするな。後ろの三人が困るだろう。諸君もそんな縮こまるな。せめて、今夜は盛大にもてなさせてもらおう。なんだかんだでこの領も助かるからな。俺からも礼金は弾ませてもらうぞ」
ふたりが迷惑そうな顔を見せたということは、取りも直さずバーラムを信頼していることの証だった。
相続争いとは無縁の息子を、一度にふたりも得たような気がして、バーラムは上機嫌だった。
「ケイリー君、夜遅くに済まないね」
バーラムによる歓迎の宴が終わり、ほとんどの者が夢の世界へと旅立っている。
「いえ。こんな時刻にお話があるとは、相当に重要なことですね。辺境伯閣下にも知らせたくない」
相変わらず、察しがいい。
一度水でも浴びたのか、宴席のあととは思えないほどさっぱりとした顔だ。
「ああ。ただ、いくら聡明な君でも、信じられないような話だがな」
今回の街道警備に先立ち、ブーレイ神殿と王家からとんでもない情報が舞い込んでいた。
最初にその話を聞かされたとき、ミッケルは一笑に付した。
今考えても、あのときの反応は誰にも責められる筋合いはないと、ミッケルは信じている。
「まずは、お聞かせください。信じる信じないは、それからでしょう」
ケイリーもたいがい肝が据わっている。
このような時間に呼び出され、もったいぶった話し方をされて、楽しい話になるとは思えない。
それでも、ケイリーは平然としていた。
「捜索対象の少年は、この世界の者ではない」
ひと息にミッケルが言った。
そして、ケイリーの反応を待つ。
「幽霊……ですか? つまり、もう死んでいる?」
ミッケルがわざと遠回しに言ったと、ケイリーは判断した。
当たり前すぎる反応に、ミッケルは少しだけ残念な表情になる。
「違う。この世の者ではない、ではなく、この世界の者ではない、だ」
ミッケルからの返答に、ケイリーの頭の上にハテナマークが大量に浮かんだ。
そうそう。
そうこなくちゃ、いかん。
ミッケルが得た情報は、こうだった。
ガルジオン王国は、まず国内に神隠しに遭った者がいないか、入念な調査を行った。
同時に国交のある国々に対し、誤召喚があった日を含む三日前までに、行方不明になった者の情報を求めていた。
だが、戸籍などまだ発達していないこの時代、ネイピア領のような小さなコミュニティならともかく、ある程度の規模を持つ町で住民すべてを把握するなど無理な話だ。
神隠しなのか、国が禁じた奴隷狩りの被害者なのか、殺人事件に巻き込まれたか、出奔したか、町や村の外で野生動物に食われたか、はたまた、事故に遭って帰らぬ人となったか。
それ以外にも、行方不明の原因など、掃いて捨てるほどある。
ガルジオン王国は、自国内も他国も行方不明者の確認が事実上不可能であることを、改めて思い知らされただけだった。
だからといって、国が率先して始めた捜索を、簡単に放り出すわけにはいかない。
そこへブーレイ神殿から情報が上がってきた。
この世界において、黒い髪も黒い瞳も希ではないが、両方を併せ持つ人間の報告はない。
それは、人族に限らず、魔族も獣人族もだ。
だが、召喚された少年は、髪も瞳も染め上げたような黒だった。
そして、少年の現在位置を観測している魔力探知に、考えられない反応が出ていた。
通常、魔力探知には各人が持つ属性が、必ず反応する。
それが、まったく属性の反応が出なかった。
当初は幻霧の森に何らかの原因があり、属性の反応が出にくくなっていると考えられていた。
だが、前年の捜索時、ネイピア兵他の属性がはっきりと反応したことで、神殿は常識外の事態に混乱していた。
少年の魔力属性を何にも反応しないところから無属性と仮定し、魔力探知の強度を上げたところ、しっかりと四属性に反応した魔力が大量に認められた。
その反応は、おそらく幻霧の森に住む幻獣のものと判断されていた。
これらの情報を元に、ブーレイ神殿は少年がこの世界の者ではないと断じた。
そして、この情報は国家機密扱いとなっていた。
この情報を知らされた者は、王家とその血縁者、政治の中枢にいる者、そして今回の街道警備隊長のミッケルだけだ。
当然、バーラム・セルニアン辺境伯には知らせていない。
そんなことをしては、彼が少年の確保に走ることは間違いない。
過去に行われた召喚の儀では、異世界の進んだ道具が多数現れている。
少年が異世界人ならば、進んだ知識を持っていてもおかしくはない。
それをバーラムのような地方領主が、見過ごすとは思えなかった。
「ということだ。辺境伯に捕まってみろ。死ぬまで知識を吸い上げられて、終わりだ。その前に少年を救出する。街道警備が主であると見せて、君たちには先行して幻霧の森に入っていただく」
もちろん、今回も少年が確実に見つかるとは、ミッケルも考えていない。
それでも王家からの命令である以上、蔑ろにするわけにもいかない。
領地など持たないミッケルの立場を王家が保証している以上、最終的には逆らえなかった。
「承知しました。領民の安全を最優先しますが、可能な限り捜索を行うと約束いたします」
ケイリーの決断は、速かった。
少年を発見できずとも、ミッケルや王家にかなりの恩を売ることができる。
この一年で、若き領主はずいぶんと不貞不貞しく育っていた。
「君の忠誠を嬉しく思う。ま、私に言われても嬉しくはないだろうがね。それでは、ネイピア卿、よろしく頼む」
ミッケルは密談を切り上げ、ケイリーを見送った。
入れ違いに侍女が、酒を持って入ってくる。
歳の離れた友人であるバーラムを出し抜くという、心の高ぶりを鎮める必要があった。
「一回、セルニアに行ってみようかと思うんだ」
夕食の席で、龍平がふたりに言った。
その瞬間、セリスの手が止まり、ふるふると震え出す。
レフィは両手に抱えた骨付きウサギ肉の塊を食いちぎり、咀嚼せずに飲み込んだまま我関せずだった。
「……リューヘー、……とうとう……出て……いくの?」
テーブルに突っ伏し、腕に顔を埋めてセリスは肩を震わせている。
「え? セリス? いや、そんな出て行くなんて、そんなわけない……?」
そこまで言って、龍平はセリスの震え方がおかしいことに気づく。
――もうちょっと、上手にやりなさいよ――
呆れたような念話を飛ばしながら、レフィが羽ばたいてセリスの後頭部を抱えて起こす。
つばを指につけ、目の下を濡らそうとしたセリスが、ふくれっ面を見せていた。
「……ん。……獣脂……まみれの手で……髪を……触るのは……やめて」
龍平をからかおうとして、頓挫させられたセリスがレフィに文句を言う。
もっとも、先に笑ってしまい、自爆したのはセリスだったが。
――仕方ないでしょう。この手じゃナイフもフォークも持てないんだから。私だって嫌よ、手掴みなんて。やっと普及してきたと思ってたのに――
ちょっとずれている。
セリスが文句を言ったのは、手を拭くなり洗ってからにしてほしかったからだ。
「人のこと野蛮人扱いしといて。ナイフもフォークも普及前だったとはねぇ。ふっ。あ、今はしょうがないよ、使えないんだし。野蛮とかそういうこととは違うから」
龍平は、これ見よがしに箸を使い、シチューの中から豆を摘み取った。
スプーンの普及は早かったが、卓上のナイフやフォークは最近になってようやくらしかった。
レフィが人間だった頃、上流階級には普及していたが、一般的には手掴みが多かった。
貴族社会でも、社交の場ではともかく、自宅においてはナイフで突き刺し、それをかじり取るのが当たり前の階級もあった。
「……ちょっと……流して……くる。……話は……その……あとで。……ふたりとも……じゃれ合いは……ほどほど……に。……レフィは……明日の……ゴハン……覚悟……して……おくように」
いたずらが失敗に終わり、がっくりと肩を落としたセリスが退席する。
レフィに対しては、八つ当たりではない。絶対に。
――何か、癪に障るほど器用ね、あなた。食事の作法も、私たちとは違うけど、ずいぶんと洗練されてるし。まあ、それはいいわ。それより、最近セリスの雰囲気変わった気がしない?――
セリスを怒らせたにも関わらず、今度は龍平の後頭部を抱えてレフィが言った。
言い返したいことはいくつもあるが、食事の最中に掴み合いをする気はなかった。
それに、龍平の言うことも、否定できない事実だった。
だからといって、言わせたままにする気もないが。
「うん。前はあんないたずらしたり、冗談を言ったりはしなかったなぁ。楽しいんじゃない? レフィが来て。俺はやっぱり男だから。言いたくないこともあるだろうし、気にすることもあるだろうし」
そりゃ、パンツ漁ったり、沐浴覗いたりすっからだろうが。
――そうなんだ? じゃあ、ふたりだけでいた頃は、どうしてたの? もっとべたべたしてたとか?――
洋の東西、時代と世界を問わず、乙女の興味はそこに尽きるらしい。
「んなわけねぇだろっ! つぅか、手ぇ洗ってからにしろよな。今セリスに怒られたばかりだろうが」
龍平はどう答えていいか分からず、レフィを頭から引きはがす。
パンツを漁り、沐浴を覗くくらいだから、セリスを女として見ている自覚はある。
だが、恋愛対象として見ていたのかと問われると、よく解らないというのが実状だ。
後々の気まずさを避けるため、無意識にそんな思考を避けていたのかもしれない。
へたれめ。
「……リューヘーが……セルニアに……行くのは……いい……考え。……でも……問題……多い……かも」
濡れた髪を宙に浮かべた小火球と風で乾かしながら、セリスが口を開いた。
ドライヤーの仕組みを龍平が教え、セリスが魔法をアレンジしたものだ。
――そうね。入城税は大丈夫として、身分証明がないわね。入れることは入れるけど、行動はかなり制限されるでしょうね――
入城税も身分証明も、流民対策だ。
冷害や干ばつなどで村を捨てた逃散民や、食い詰め者などが無制限に町に入っては治安が維持できない。
ただでさえ、元からの住民で身を持ち崩したものや町の勃興期から入り込んだ無法者の子孫がスラムを形成していた。
町の発展には人口の増大は不可欠だが、スラムの拡大は歓迎できることではない。
為政者による、苦肉の策だった。
最低限の金銭を持っているかどうかと、領主や村長による身分の保証があるかどうかで、危険因子の排除をしていた。
金を持っていなければ、町に利益がない。
職を得るために来たのか、スラムに紛れ込むために来たのかは判断が難しい。
食うに困って職探しに来たのなら、手を差し伸べることもやぶさかではない。
だが、逆手に取られたときのリスクも、無視できることではない。
いきおい、安全策を取ることにならざるを得ない。
身分証明は、当人の行動を制限しなくて済むだけでなく、町にとっての保険でもある。
万が一、身分を証明されているにも関わらず犯罪を犯せば、その証明をした者に賠償責任が発生する。
そうであれば、身分の証明にも慎重になり、それは犯罪者予備軍の流入を防ぐことにつながっていた。
もちろん、犯罪による被害を賠償することが、建前上第一目的になっているが。
「例えば、入城税のほかに保証金を払うとか、そういう逃げ道はないのか? で、冒険者ギルドあたりに登録すれば、それが身分証明になる、とかさ」
現代日本に溢れかえるラノベで得た知識を、龍平は口にした。
定番中のテンプレだ。
――それねぇ……。両方あったことはあったけど、お父様たちが廃止しようとしてたわね。今はどうなってるか、知らないけど――
何でそんなことも知らないの、言わんばかりの念話が伝わってきた。
龍平の出身をまだレフィに話していない。
龍平がとんでもなく世間知らずなのは、どこか想像を絶する僻地の出身なのだとレフィは理解していた。
異世界なんて、ここからして見りゃ僻地も僻地だしな。
「……保証金は……廃止された。……払えないか……犯罪の……ほうが……稼ぎに……なる。ギルドも……登録には……身分……証明が……必要」
結局、保証金は意味がなかったらしく、今は廃止されているらしい。
ギルドにしても、どこの誰とも知らない者を、抱え込むわけにはいかない。
仕事の信用が絡む以上、当たり前のことだった。
身分証明のない者が、貴族の居住区域は論外として、人々が生活する場に入り込まれても困る。
せいぜい、城門近くの門前市周辺に留め置かなければ、どこで犯罪に走るか分かったものではない。
この時代、この世界で身分の証明がないということは、こういうことだった。
もちろん、セリスが直接見聞きしたのではなく、ワーズパイトから聞かされたことだ。
「世知辛ぇ……」
異世界のロマンはどこに行ったと、龍平は声を大にして訴えたかった。
もっとも、少し考えれば、当たり前すぎるほど当たり前なことは、理解できた。
「……心配は……ない。……心配は。……ただ……、……騒ぎに……なるか……信用……してくれない……かも……しれない」
セリスはワーズパイト縁の品を、数多く託されている。
その中から携帯できる物を、身分証明として持たせればいい。
だが、この時代でワーズパイト縁の物が新しく出てきたら、地球での表現で言う世紀の大発見と同じ騒ぎになる。
欲に目がくらんだ者が、下手をすれば領主が権力を笠に、奪いにくるかもしれない。
さらに、龍平が正当な手段で、それを手に入れたという証明が困難だ。
盗難だと言いがかりをつけられたら、それまでだ。
セリスが証人につこうにも、森から出られない。
出られたとしても、セリスの存在を知る者がいない。
「う~ん、城門で没収されて放り出されてもなぁ……。いっそレフィに一緒に行ってもらって、危なくなったら暴れて……」
――それよっ! それっ!――
「……ん?」
――よく考えて。今回、何で龍平が町に行くのか。この国がどうなってるのか、それが分かればいいんでしょ? なら、別に門前市辺りで充分よ。何もここの領主、ワーデビット・セルニアン辺境伯に会う必要はないし。何かあれば、私が暴れちゃえばいいでしょ、人に怪我させなきゃ――
もっともだと言えばもっともだ。
だが、乱暴すぎると言えば乱暴すぎる。
お淑やかなはずの元侯爵家令嬢から、なぜこのような短絡的な案が出るのか。
龍平とセリスは、呆気に取られていた。