14.邂逅あるいは喧嘩友達
「元いたところに返してきなさい」
龍平は、ぱたんと扉を閉めた。
あの目はだめだ。
絶対、合わない。
本能が、そう叫んでいた。
「……そうはいかない。……この子は……もう……仲間……」
平然とした顔で、セリスは扉を開けて入ってくる。
小さな赤い龍も、当然のような顔をして入ってきた。
「んなこと言ったって、餌はどうするんだよ? 肉食だろ? 相当食うぞ? つうか、餌付くの? 生き餌じゃないとだめなんじゃないの? それ用意できる? 寝場所は? 温度や湿度は? 日光浴だって必要だろ? 夜の温度傾斜はどうすんの? トイレ躾られんの? 野生動物なんだぜ。やはり野に置けってな。死んだらかわいそうだろ?」
過去に飼った生き物を思い出し、龍平はやるせない気持ちになった。
龍平自身、生き物は大好きだ。
選り好みなく、無脊椎動物や魚、両生爬虫類に鳥類、哺乳類、植物まで、分け隔てなく大好きだ。
だが、それを飼うことの責任も、しんどさも知っている。
そして、何よりも死に別れるつらさも、死なせてしまう、いや、殺してしまうつらさも身に染みて解っていた。
両親が共働きで鍵っ子だったことから、哺乳類の飼育経験はない。
その分、魚はかなり飼ってきた。いや、殺してきた。
爬虫類にも、何度か手を出したことがある。
かつて、夏休みに田舎の親戚の家に行ったとき、道ばたで捕まえたヘビやトカゲだ。
結局、餌付くことなく、殺してしまった。
龍の習性や食性など、知るはずもない。
生き物を飼う際には、徹底的にその習性や食性を調べ上げ、適した環境を用意してからにすべきだ。
それができないなら、生き物を飼う資格はない。
龍平の信念だった。
「……大丈夫」
いきなりまくし立てる龍平に、呆気にとられながらもセリスは答える。
この龍の中身は人間だ。
それも、元貴族。
社会常識も偏りはあるかもしれないが、当然弁えているはずだ。
食性というか、食事も人間同様。
龍平の言っている内容は半分も理解できないが、居住環境も人間と同じだ。
おそらく、いや間違いなく、龍平は龍という生き物を理解していない。
「大丈夫って、誰でも最初はそう言うんだよ! で、持て余して、飼いきれなくなって、死なせちまう。いや、殺しちゃうんだよ! 返してきてやれよ。しんどい思いさせて、死なせちゃかわいそうだろ?」
龍平は一歩も退く気はない。
このかわいらしい生き物が死ぬところなど、絶対に見たくない。
既に情が湧き始めている。
もし、死なれたら。
いや、習性も分からない生き物など、間違いなく死なせる。殺してしまう。
そんなことになったら、死体にとりすがって号泣する自信がある。
――失礼しちゃうわねっ! 人をなんだと思ってるのよっ!――
念話とともにレフィが飛び上がり、龍平の頭をひっぱたいた。
「っ! 痛ぇなっ! 何すんだ、こら! 人をって、ドラゴンだろ……って、え? はい? ぎゃあああぁぁぁっ! 喋った! ドラゴンが喋ったぁぁぁっ!」
軽くパニックを起こす龍平。
目の前にホバリングしているレフィを指さし、わめき散らしている。
相変わらず、予想外のことに弱いな、おまえ。
「……ん。……これで……解ったと……思う。……レフィは……人と……同じ。……というか……元々は……人間」
やれやれといった表情で、セリスが説明する。
「悪い。最初から言ってくれれば、あんなこと言わなかったのに」
ばつの悪い顔で、龍平はセリスに謝った。
――あなたが聞く耳持とうともしなかったんでしょっ! 人のせいにするんじゃないわよっ!――
ホバリングしたまま腰に手を当て、胸を反らしたレフィが、なおも龍平に言い募る。
「うっさいなっ! おまえのこと心配してのことじゃねえかっ! 言われなきゃ解るかよっ! このトカゲ野郎っ!」
案の定そりが合わない。
悪いとは分かっているが、龍平は素直になれなかった。
頭に響く念話の声は明らかに女性だったが、つい野郎と口走ってしまう。勢いとは恐ろしいものだ。
――野郎ですってぇっ! 公爵家令嬢を捕まえて何てこと言うのよっ!――
レフィも野郎扱いに、一瞬で頭に血が昇った。
素早く龍平の顔の前で身をひるがえし、長大な尻尾で頬を張った。
華麗にターンを決め、龍平の目の前でふんぞり返る。
「てめぇっ! 男の顔張りゃぁがってっ! 何が公爵家だっ! 何が令嬢だ! いきなり暴力振るう、お淑やかさの欠片もねぇ奴が偉そうなこと言ってんじゃねぇっ! てめぇなんざトカゲ野郎で充分だっ!」
龍平も完全に頭に血が昇っていた。
生意気な龍を床に叩き落とそうと掴みかかるが、レフィは軽快な動きでひらりと身をかわす。
そして、龍平の隙を見て、また一発尻尾を叩きつけた。
――一度ならず、二度までもっ! もう許さないからっ!――
怯む龍平に、三発四発と尻尾を振るう。
龍の身体を完全に我がものとしたレフィの攻撃を、龍平は避けることができない。
「痛ぇっ! 畜生っ! 痛ぇっつってんだろうがぁっ! 卑怯だぞっ! こっちは飛べねぇのにっ! あぐっ! ぎっ! がっ!」
滅多打ち。
三次元の機動に手も足も出ない龍平は、頭を抱えてうずくまってしまった。
まるでガキの喧嘩だった。
いや、お互い一六、一七歳だしガキの喧嘩そのものだけどな。
おい、このままじゃ、この家におけるヒエラルキーが決まるぞ。
へたれ。
「……そこまで。……それ以上は……だめ。……喧嘩……するなとは……言わない……けど、……やりすぎ……よくない」
セリスがふたりの間に割って入る。
このままでは、ふたりの関係が修復不能になってしまう。
――ごめんなさい。私としたことが、少し頭に血が昇りすぎたわ――
「ごめん。ちょっと、かっとなっちまった」
ほぼ同時にふたりが謝罪をした。
レフィは勝ち誇ったように。
龍平は悔しそうに。
ガキか。
ガキだ。
「……違う。……謝る……相手は……私じゃ……ない。……それに……私が……莫迦なこと……言わなければ……ふたりとも……申し訳ない」
最初が悪かった。
龍平の笑いを取ろうと、拾ったなどと言った自分がことの発端だ。
――そ、そうね。悪かったわ。水に流してくれると、ありがたいわね――
レフィが龍平に頭を下げた。
どこか釈然としていないという表情は、やはり野郎扱いが尾を引いているようだった。
「あ、ああ。俺も悪かった。つい、言い過ぎちまった。すまなかった」
憮然とした表情で、龍平も謝罪する。
やはり一方的に滅多打ちされたことが、納得いかないようだ。
防戦一方で、一矢報いることすらできなかった現実が、男の子のプライドを傷つけていた。
「……落ち着いたなら……互いに……自己紹介……して……ほしい」
とりあえず場が収まったことで、セリスはほっと胸をなで下ろした。
そして、ふたりに自己紹介を促す。
ふたりの出会いを最悪にしてしまった罪悪感が、セリスを苛んでいた。
「俺、からでいいか? 熊野龍平。こちらの言い方だと、リュウヘイ・クマノかな。一七歳。出身は……悪いが秘密にさせてくれ。気がついたら森の中にいて、セリスに助けられてここにいる。こんなところかな」
日本といっても理解してもらえそうにないと考え、龍平はかなり端折って話を終えた。
――私は元ガルジオン王国公爵家長女アレフィキュール・ラ・ノンマルトと申します。長いからレフィで結構よ。訳あって、ドラゴンの身体を借りているわ。お互い訳ありってことね。歳は……私の場合どうなるのかしら。十六まで人間で、そこから二〇一年この身体に馴染むまで眠っていたわ。いまはこんなところかしら――
一回死んだことを話しても理解できないと考え、レフィもかなり端折って話を終えた。
「ふぅん。生まれたのは二一七年前だけど、実質は一六歳、ってことか」
なんとなく勝ち誇ったように、龍平が言った。
たとえ、一歳でも年上というアドバンテージを得たことで、ほんの少しだけ龍平の溜飲が下がった。
小せえなぁ、相変わらず。
――それがどうしたっていうのかしら。たった一歳年上だからっていって、教養のかけらもないあなたを敬えなんて。ふっ――
龍の鼻から煙が噴出した。
鼻で笑っているらしい。
「まあ、いい。で、レフィは何でここに来たんだ?」
混ぜっ返せば、また尻尾での乱打されてはたまらないと、龍平は強引に話題を変えた。
――それなんだけど。私はティランから身体を借りてはいるけど、野生動物じゃないの。死んだ身とはいえ、やっぱり人間社会で暮らしたいのよね。それは恐ろしく困難なことだって分かってるけどね。それをセリスなら相談できるかと思ったのよ。それが、まず第一――
お互い普通にしていれば、話くらいはできる。
レフィは仮にも公爵家令嬢として、社交界に出るような教育を受けている。
龍平も幼稚園以来、集団生活の訓練を積み、対人スキルを磨いてきている。
「そうだな。セリスならワーズパイトの知恵もあるし。俺じゃ、この世界の常識には疎いからな。打ってつけだろ」
龍平はこの世界の常識をほとんど知らない。
龍が人間社会からどう見られているか、想像もつかない。
恐れられているのか、討伐の対象なのか、敬われているのか、どれもありそうで怖い。
――ワーズパイト様を呼び捨てとか、どこの野蛮人よ。それに、あなたに聞こうなんて、初めっから思っていませんっ――
人間であれば、精一杯口を尖らせているだろう口調だ。
「うるせぇな。俺の世界じゃ様づけなんて、手紙の宛名くらいのもんだ。普通の人はそんな言葉遣いはしませんんんんっ!」
負けずと龍平も言い返す。
仲いいな、お前ら。
――ふん。で、あとは二〇〇年たっちゃってるから、いまの世界がどうなっているかも知りたかったんだけど、セリスも森から出たことないんじゃ、どうしようもないわね。それと、ワーズパイト様の原著を読めるって聞いたから、もういてもたってもいられず――
前半は残念そうに、後半は嬉しそうにレフィは言った。
そして、今さらながらにそれを思い出したように、辺りを見回している。
「ふぅん、やっぱりとんでもなくすごい人なんだな、セリスのご主人様は。俺もかなり読ませてもらってるけど、分かりやすいし、ずいぶんと参考にさせてもらってるぜ」
今さら様づけも気恥ずかしいのか、ぎりぎりの妥協点としてご主人様といってみた。
たしかに、龍平の肉体強化や移転魔法といった無属性魔法は、参考にできる文献などなかった。
だが、ワーズパイトが系統立てて四属性を解説した本を読んだおかげで、呪文や魔法陣の成り立ちは理解できている。
あとは、それを無属性魔法に適合した理論を構築すれば、現在の中途地半端な状態を脱することができそうだった。
――分かればいいのよ、分かれば。って、あなた、ワーズパイト様の本読めるの? 初級ならともかく、中級以上は魔法高科学院行って、何年かみっちり勉強しなきゃ読み解けないものよ? それを? あなたが? 私に勝てないからって、見栄なんて張らなくてもいいのよ?――
心底信じられないといった雰囲気が伝わってくる。
レフィの立場で考えてみれば当たり前で、ワーズパイトを呼び捨てにできるような人間が、魔法を志しているなどありえない。
そして、魔法の知識なしで、初級とはいえ魔導書の内容を理解できるはずもない。
さらに、中級以上の魔導書は、魔法高科学院における研究対象にすらなっている。
初級を完全に理解し、さらにその上の理論を理解できなければ、文字の羅列にしか見えないものだ。
読みこなすには、高度な知識と深い教養を要する読解力が必要だった。
それをこの野蛮人が読みこなしている。
レフィには、にわかに信じられないことだった。
「いや、本当だって。たとえば……ああ、これこれ。普通だと余計な理屈を捏ね回したくなるようなとこだけど、すっきりと解説してあるだろ。難しいことを難しく書くなんて、誰にだってできる。俺にだってな。だけど、難しいことを簡単に書くって、とっても大変なんだぜ」
ベッドに放り投げてあった本を拾い、属性の適性について書かれたページを示す。
そこには、自然現象を例にとり、魔法の威力を増大する方法が簡潔に書かれていた。
知識とイメージ。そうあってほしいという強力な意志の力。
それが重要であると、記されている。
これまで、魔法の威力を高めるには、体内魔力の練りこみ方や自然魔力の選別法など、研究者によって意見がばらばらだった。
それでもそれなりの結果をもたらしていたのは、ワーズパイトが言うイメージと意志の力によるところが大きい。
それがなまじ結果を出していただけに、かえって混乱を招いていたのだった。
――なかなか言うじゃないの、あなた。どれどれ。この本はまだ読んだことないわね。……なるほどねぇ……。私のやり方は、正しいといえば正しいけど、もっといいやり方があったってことね――
レフィが読んだことがないのも、当たり前だった。
この本の初版が上梓されのは、今から一七〇年ほど前。
レフィが眠りについたあとに、ワーズパイトが幻霧の森にこもる前に書き上げた魔法の集大成を、セリスとともに改訂したものだった。
「とりあえず、レフィの社会復帰の方法を探りながら、魔法の研究三昧ってことでいいかな?」
ふと、気づいてベッドにとっ散らかったメモを拾い集めながら、龍平はレフィとセリスに言う。
「……ん」
セリスから同意の首肯が帰ってきた。
レフィと龍平が普通に話し始めたため、セリスは様子見もあって口を挟まずにいた。
どうやら仲たがいは収まったようだ。
セリスにとって、満足のいく状況が訪れた。
――あなた、さっきの本どこに置いてあったの? まさかとは思うけど、寝っころがったり、書き物したりじゃないでしょうね?――
尊敬するワーズパイト様の著書を、それも原本を汚すなんて、生きたまま地獄とやらに叩き込んでやる。
レフィの尻尾が龍平の首に巻きついた。
「くひっ! てめぇ、何し……やがる……。放……せぇ……」
龍平は、今度こそレフィを捕え、その両頬をつねりながら引っ張った。
――いひゃい、じゃにゃい……。 あなひゃ……こひょ……はにゃひなひゃい――
レフィはこの状態で飛んで逃げることもできず、頬の痛みと引き換えに龍平の首を締め上げていた。
よほど魂がティランの身体に馴染んだのか、念話がおかしくなっている。
仲いいなぁ、おまえら。
セリスは、二人を見ながら額に指を当て、無言でうつむいていた。