11.領主貴族と法衣貴族
「陛下は何を考えておられる?」
初夏の陽気が流れ込む謁見の間に、野太い主の声が響いた。
恰幅の良い壮年の男性が、目の前に立つ痩身の若い男に問いかけている。
王都から遠く西に離れた、セルニアン辺境伯領の東端に建つ豪奢な館に、王都からの使者が到着していた。
緊急を要する案件と聞き、本来の執務を後回しにしたセルニアン辺境伯、バーラム・デ・ワーデビットは苛立っている。
「はい、幻霧の森において、一年ほど前に誤って召喚してしまった少年の捜索と、身柄の確保ですね
使者を務める王都の法衣貴族、ミッケル・ラ・フォルシティ準男爵は飄々とした表情で答えた。
「そんなことは分かっている。で、我らにどこへ行けと言ったのかね、準男爵殿」
聞き返すまでもない。幻霧の森だ。
それがどんな結果を招くか、考えるまでもなかった。
「おや、しばらくお目にかからぬうちにお耳が遠くなりましたか? もう一度申し上げましょうか、辺境伯閣下」
基本的に領主貴族と法衣貴族の仲は悪い。
片や豊富な収入源を有し、領地に引きこもって国政など顧みず、いざ国難に際してもなんだかんだと理由を付けて、非協力的な領主貴族。
片や国政を壟断し、ことあるごとに金もひとも領主貴族に集ろうとし、王の権威を笠に領地経営のなんたるかを分かろうともせず、横紙破りを押し通そうとする法衣貴族。
互いに一方的な見方でしかないとはいえ、ここまで相手と意見が食い違っては、仲も悪くなろうというものだ。
「貴様、ここがどこで、誰にものを言っていると思ってる? 貴様など来なかったことにしても、我らは一向に構わんのだぞ」
ミッケルの挑発に、バーラムは低く唸るような声を返した。
バーラムの言葉を受け、セルニアン領の陪臣たちと、ミッケルの部下や護衛たちが気色ばむ。
「おお、怖い、怖い。では、この地に近衛が入っても構わない。閣下はそう仰るのですな? では、使者の役目も果たしたことですし、来なかったことにされる前に陛下にお伝えに帰ります」
その程度の脅しで引き下がるミッケルではない。
一触即発の空気が流れる中、ミッケルがおどけてみせるがただでは済まさない。
もちろん、バーラムもミッケルを殺す気などなく、ミッケルも使者の役目を蔑ろにする気もない。
これは貴族同士の、楽しいじゃれ合い。
様式美のようなものだ。
互いに家臣や部下の手前、相手の言うなりになるわけにもいかない。
端から見ればくだらないプライドとメンツのぶつかり合いだ。
「一年も経ってるんだ。もう死んでるんじゃないのか? それで、当然こちらへの迷惑料はそれなりにあるんだろうな? まさか、手弁当で、などとは言わないだろう?」
そろそろ話をまとめなければ、血気盛んな者たちが掴み合いを始めかねない。
「まだ、しっかりと魔力探知にかかってまして、生きてるのは確実です。一年前にさっさとやっていただけたなら、こんな苦労はなかったんですがね。迷惑料は間違いなくあるにはあるんですが、ちょいと複雑な事情もありまして」
ようやく話が進む。
ミッケルにしてみても、セルニアン領の現状は理解している。
領地の南側で、潜在的な敵国であるカナルロク王国と国境を接しているセルニアン領は、常時戦時中のようなものだ。
いつカナルロク王国軍が越境してくるか、警戒を緩めるわけにはいかない。
そのための辺境伯領であり、王国の近衛や王国軍を形成する諸侯連合軍に匹敵する軍の保有を認められていた。
幻霧の森がどのような場所かも、当然理解の範疇だ。
幻霧の森は人跡未踏の秘境であり、人の立ち入りを拒む魔境だ。
いかに精強な辺境伯軍といえど、一旦踏み込んでしまえば無傷というわけにはいかない。
そこで必要以上の被害が出てしまったら、東への守りが薄くなり、カナルロク王国軍がその隙を見逃すとも思えない。
そうはいっても、一年近く成果がないことに焦れた王からせっつかれ、ミッケルも無視できない状況になっていた。
ここは少数精鋭を持って森を探索し、カナルロクへの備えを損なわずにことを済ませなければならなかった。
そのための切り札として、ミッケルは子飼いの部下のほかに、森林地帯に領地を持つ領主騎士と、その兵を動員してきたのだった。
「無理ばかり平気で言いよって。よし、あとは歓迎の席で話そう。その若者の身柄がどこの誰であれ、それなりになると思っていいんだろう、準男爵殿?」
一転して上機嫌になったバーラムが、その玉座から立ち上がりミッケルに歩み寄った。
「国内の者であったなら、お手柔らかに願います。もし、貴領の者であれば、それなりになると思いますよ、辺境伯閣下」
差し出された厳つい掌を握り返しながら、ミッケルは笑いを顔に張り付ける。
辺りから、深い溜め息が漏れていた。
「もうちょっと詳しく話を聞かせてくれないか、ミッケル。おまえさんが連れてきたあの騎士、どれくらい使えるんでい?」
アルコールのせいで赤く染まった顔を厳つく歪めながら、バーラムが濁声で聞いた。
もちろん、初対面の領主騎士に対する脅しも兼ねてだ。
「呼びましょうか、彼」
まるで顔色が変わっていないミッケルが答える。
かなり飲まされているはずだが、少しも崩れた様子を見せていない。
「おう、呼んでくれ。あの森をどうやるか、是非聞きたい」
新しい玩具を見つけた子供のように、バーラムははしゃいでいた。
娯楽が少ないこの時代、この世界において、余所からの客がもたらす話はなにものにも代え難い楽しみのひとつだ。
「ネイピア卿ケイリー・デ・アンソン君です。閣下」
ミッケルに呼ばれた若い男が、ぺこりと頭を下げた。
まだ若い。
年の頃なら一六か一七といった辺りか。
少年といってもいい年齢だ。
叙爵されてまだ間がないのだろう。
代替わりの箔付けに連れてこられたのだろうか。
「お初にお目にかかります、セルニアン辺境伯閣下。私はここより北にあるネイピア領を預かるケイリー・デ・アンソンと申します。以後お見知りおきを」
はきはきとした言葉に堂々とした態度だ。
バーラム好みの若武者だった。
「よく来てくれた、ネイピア卿。卿の来援を嬉しく思う。存分な働きを期待している。よし、固っ苦しいのはここまでだ。お前さん、あの森をどう攻める?」
大領主らしい鷹揚とした答礼に続き、砕けた口調でバーラムは尋ねた。
「はい、私の領地もネイピア大森林の真っ只中ですので、山歩きや森の中は慣れております。私どもの村では麦のほか、主に狩猟を行っておりますので、兵も森の中での弓の取り回し、行軍に問題はございません。話に聞く幻霧の森を甘く見るつもりは毛頭ございませんが、ご期待を裏切らぬ働きをお約束いたします」
言い澱むことなく、ケイリーは答えた。
ネイピア大森林は幻霧の森ほどではないが、秘境として内外に知られている。
その真っ只中で村を維持していることは、それなりの戦闘力を保証していた。
王国にまつろわぬ民との抗争や、熊のような猛獣や魔獣から村を守っていることが、何よりの証拠だった。
そして、見てもいない森を軽々しく攻略できるなど、と安請け合いしないことも、好感が持てる。
家臣から、引き連れてきた兵の構成は壮年と若者が入り混ざっていると聞いた。
つまり、ベテランと次世代を担うべき精鋭を連れてきた、ということだ。
これも、また好感が持てた。
「よし、明日と明後日の二日間、たっぷり休め。三日目から我らと合同で物資の調達と、連携の打ち合わせに訓練。そして一〇日後に出立だ。しばらく放っておいた街道警備もついでにやってしまおう。今宵は心行くまでやってくれ」
バーラムは豪快に笑って、ケイリーの杯に酒を注いだ。
「ありがとうございます、閣下。お言葉に甘えまして、明日と明後日はゆっくりさせていただきます。なにぶん山から出るのが久しく、皆、街に飢えております故」
臆することなく杯を干し、ケイリーは席へと戻っていった。
豪傑と若武者の初遭遇は、こうして穏やかに幕を閉じた。
「あげませんよ、彼は」
ケイリーが去った後、ミッケルはにやつきながら先に言った。
「ふん。どうせ見せびらかすために連れてきたんだろう? いい若者じゃないか。嫁はまだか?」
バーラムも、悔しげな表情を浮かべることなく言い返す。
縁者を嫁にやり、いざというときの手駒にしようとしているのは明らかだ。
「今言ったばかりじゃないですか。すぐそうやって囲い込もうとするんだから。油断も隙もありませんね、あなたは」
そんなことさせるかとばかりに、ミッケルも言い返した。
「いや、さっさと跡取りを作らせてだな。奴の領地のあがりと、うちで隠居後に陪臣となるのと、どっちが得だと思う?」
当面は譲ってやるから、後でよこせということだ。
「これはまた、辺境伯領主とは思えないご発言を。あなたを含め、あの手の人間が隠居したからと、領地を離れるとでもお思いで?」
隠居後は王都に引っ張るんだから、余計なことはするなということだ。
「けっ! これだから武闘派って奴ぁ。相変わらず食えねぇ奴だな、お前さんは」
酒を一気にあおり、杯をテーブルに叩きつけるように置く。
宴はこれまで、との合図だった。
「これ以上セルニアン辺境伯軍を、強くするわけにもいきません。まあ、彼は諦めてください。相互扶助の範囲なら文句は言いませんがね」
ミッケルも杯を置く。
「まあ、今回は不幸な少年を助け出すだけだ。何も幻霧の森を焼き払おうてんじゃねぇ。一点集中で穴をこじ開け、後方との連携を密にすりゃぁ、そうそう失敗はしねぇだろ」
彼に関する話は、また別の機会だ。
「ええ。彼の少年が見つかるかどうか。それはまた別の話ですからね」
しつこいな。諦めろよ。
鍔迫り合いのように視線を交わした後、ミッケルから席を立った。
それまでとは打って変わって和やかな雰囲気をまとい、周囲の大人たちと挨拶を交わし広間を後にする。
ミッケルを目で追ったバーラムは、再度杯を取ると酒を満たした。
頃合いを見ていた周囲の大人たちが、退席の挨拶にやってくる。
来客の全員を見送り、バーラムも席を立った。
「若、いかがでしたかい?」
バーラム邸の庭で、若者と壮年の男が顔をつきあわせていた。
ケイリーと、ネイピア領から連れてきた兵だ。
「いいかげん、若はやめてくれないか。領内や道中ならともかく、ここは他人の目もある。デイヴから見て、まだ頼りないのは解っちゃいるが、それだと周りから舐められるからな」
ケイリーが渋い顔をして言った。
ベテランの兵にしてみれば赤子の頃から見てきた若領主だ。
なかなかそれまでの態度からの切り替えは、上手くいかないようだった。
「これは失礼いたしやした。つい、いつものクセで。で、ケイリー様、あっしらは何をすればよろしいんで?」
さほど悪びれもせず、デイヴは答える。
辺りに他人がいないのは、既に確認済みだ。
森を狩り場とする男に、盗み聞きなど通用しない。
「ま、先兵だろうな。聞くところによると、こちらの兵は森に慣れていないらしい。どうも、俺たちが知ってる森とは、ずいぶんと違うようだ」
互いに宴席で仕入れた情報を突き合わせ、後日取るべき行動の指針を検討していく。
やはりデイヴも、幻霧の森が一筋縄ではいかないことを聞かされてきたようだった。
「昼は濃霧に、夜は月明かりが届かないときちゃあ、やりようもありませんな。だいたい、人間を捜せって言われても、身動きひとつ取れないんじゃ、どうしようもありやせん」
至って現実主義のデイヴは、早々に捜索を投げていた。
主人の出世や領地の安全を脅かすような戦なから、滅多なことでは退く気はない。
だが、何の成果も上げられないような動員で、軽々しく命を懸ける気にはなれない。
「まあ、そう腐るなよ。とりあえず、手抜きと思われない程度に、お茶を濁しておけばいい。俺だって、こんな動員で誰も死なせる気はないからな」
ケイリーも、この捜索が成功するとは思っていない。
むしろ、本番は森への行き帰りに実施する、街道警備だと認識していた。
盗賊だけならまだしも、カナルロク王国の連中が越境してきていると聞く。
あちらはあちらで戦の準備でもしているのだろう。
王都に近い国境に二国間の紛争地帯を抱えているが、後方攪乱でこちらを攻められてはいろいろ面倒だ。
その下準備というのなら、拠点を探して叩き潰す必要があった。
「辺境伯様に貸しのひとつでも作れりゃ上等、てことですかい? 待ちに待った久々の出征だ。ここはひとつ、ネイピア兵の精強さを見せてやろうじゃありやせんか」
村の名主も務めるデイヴは、代替わりしてからの動員は初めてだった。
名主全員が村を空けるわけにはいかず、その都度交代で出征していた。
やっと回ってきた出番に、デイヴは腕をしごいてみせる。
「若い連中の指揮は任せた。どうしても突っ走る奴はいるからな。間違っても正規兵に突っかないよう、手綱を握っておいてほしい。まず勝ち目はないってことを徹底しておいてくれ」
ネイピア兵の本領は、森で鍛えた隠密性と弓、そして無限ともいえるスタミナだ。
だが、まともな集団戦の訓練は、指導者もいないせいでやっていない。
身を隠すものがない平地で、剣や槍の訓練を積んだ正規兵に勝てる道理はなかった。
「そのためのあっしらですから。ともかく、明日からは羽根を伸ばさしていただきやす。若い連中に町を見せてやらなきゃなりやせんし。町を見てから、どう準備するか決めやしょう」
森を踏破するための準備は、ある程度してきている。
だが、ここに来るまでに減ってしまった、消耗品の補充は必須だった。
それにネイピア領からなかなか出られないひとびとから、生活必需品の買い出しも頼まれていた。
鉄製品や村では生産できない布地など、買い出しに来ているのかと錯覚するほど、さまざまな品を頼まれている。
そして、ネイピアのひとびとは、セルニアンのような大きな町に慣れていない。
デイヴがしっかりと目を光らせておかなければ、酒場や娼館でトラブルを起こしかねない。
自身も久し振りの娼館に気分が高ぶってはいるが、自ら範を乱しては領主の沽券に関わる。
しばらくは若い連中のお守りだなと、デイヴは早々と疲れた顔を見せていた。
「明日のうちに、足りない分の買い物は済ませてくれ。そしたら後は好きなようにしろ。こちらに迷惑だけはかけてくれるなよ」
そう言ってケイリーはあてがわれた部屋へと向かう。
「娼館で叩き出されるようなマネは、しないでくださいよ、若」
ことさら若を強調してから、デイヴも寝所へと足を向けた。
ケイリーは苦笑いとともに、後ろ手に手を振ってその場を離れていった。