令嬢は恋を知らない
とある昼下がり、王宮の王子の私室では男女がテーブルを挟んでお茶を飲んでいた。
「殿下。お話はよく分かりましたわ。ですから、わたくしを巻き込まないでくださいませ」
「っな!? 冷たいぞ、リアーナ! 俺はお前だからこそ恥をしのんで相談してるんだぞ!」
「殿下。そもそも、それがおかしいのですわ。何故わたくしが殿下にそのようなご相談をされなくてはいけませんの?」
「昔からの馴染みだろう? 俺とお前の仲だろう? 気の置けないお前だからこんな相談が出来るんだ。むしろ、他に誰に話せるっていうんだ」
「いいえ、殿下。たとえどなたにご相談されようと、わたくしになさることの意味が分かっていらっしゃいません。わたくしと殿下の仲だからこそ、わたくしにそのご相談はおかしいのですわ」
よりにもよって、殿下、つまり我が国の王の御子・第二王子であらせられるライアン殿下はなんとも頭の痛い"相談"を持ってきた。
「殿下、お分かりですか? 殿下とわたくしは殿下が7歳、わたくしが6歳から今まで10年のお付き合いです」
「そうだ。幼馴染みと言っていい」
「はい。そして7年前のわたくしが9歳のときにわたくしは殿下の婚約者にしていただきました」
「そうだ。お前なら王子妃、後は公爵夫人となるか、それに相応しくあれるだろう」
「…ありがとうございます。そうきっぱり言っていただくと少し照れてしまいますわ」
思わず顔が熱くなってしまい、わたくしは頬に手を当ててしまった。
この方は直球で誉めてくださるから、嬉しいけれど恥ずかしい。
だけれど恥ずかしがってる場合ではない。話を元に戻さねば。
「それで、そんなわたくしに、殿下は、なんと、おっしゃいまして?」
一つ大きく息を吐いて、ゆっくりはっきりと問う。
出来ればこれは冗談だ、そんなことあるわけないだろう、と言ってほしいと願いながら。
「だから、リットン子爵の令嬢に一目惚れをしたんだがどう声を掛けたら良いと思うか?」
「だから! 婚約者に相談することではないでしょう!」
いくら政略結婚とはいえ、なぜ婚約者に恋の相談を持ちかけられなければいけないの!?
たとえ、〈二人の仲も良いし、ちょうどいいから結婚させちゃおっか☆〉と陛下と父がHigh Fiveして決まった婚約でも、わたくしにだって婚約者としての矜持くらいはあるわよ!
「他に相談出来そうなヤツがいない」
「わたくしの知ったこっちゃないですわ。だいたい、殿下は分かっておられるのですか? 我が国は一夫多妻は認められておりませんのよ? 他のご令嬢と恋仲になりたいと仰るなら、さっさとわたくしとの婚約を解消して、お好きなだけ口説いてしまわれたら良ろしいでしょうに」
「…っ!? それは嫌だ! 俺の婚約者はリアーナだ! 俺はリアーナと結婚するんだ!」
「はぁっ? 意味が分かりませんわ! 殿下はリットン子爵のご令嬢と恋仲になって、結婚したいのでしょう!? だからわたくしに恋愛相談なんて、どアホウなことをしてきたのでしょう!?」
「違う! 誤解するな! 別に彼女と恋仲になりたいわけでも結婚したいわけでもない!」
「はあぁっ!? 何が誤解ですの? まったくもって、意味が分かりませんわ。では、殿下はなぜわたくしに恋愛相談なんてされたのですか? まさか一目惚れをした方とお遊びで付き合いたいなんて大馬鹿野郎なことではないでしょう?」
殿下がおっしゃることの意味も意図も分かりません。
一目惚れをしたってことは、恋をしたってことでしょう?
あわよくば恋仲になって、さらにあわよくば結婚したいとそういうことでしょう?
それとも恋と結婚は別物、恋人と伴侶はイコールではないというお考えの方なのでしょうか。
別にどちらでも構いませんが。わたくしを巻き込まないでくださるならば。
「違う! お前がっ…」
「とにかく、そういうのは他の方になさってください。それでは本日はこれでお暇させていただきますわ。ごきげんよう、殿下」
「あっ、リアーナ、待て…っ」
待つもんでSky。
ばーろーめ。
さぁ、とっとと帰りますわよ~!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ポツンと残された第二王子は、婚約者の背中に絶対拒絶の文字を見た気がして、伸ばした手が微かに震えて止められなかった。
「何故だ…リアーナ……」
「だから駄目だと申しましたでしょう。人の忠告を無視するからですよ」
完全人払いをしてあった部屋にいつの間にかもう一人の幼馴染みで宰相補佐官の声が聞こえてきたが、情けなく眉を下げた王子は反応出来ない。
「〈焼きもちを妬かせよう作戦〉ですか。自分ばっかりリアーナ様に惚れてるのが嫌だからなんて…。まったくの無意味ですね。焼きもちどころか他のご令嬢との仲を勧められてるではありませんか。まったく、ちっとも、欠片も、脈なしですね」
ジャブ・ジャブ・ストレート・アッパー!
カンカンカーン
幼馴染みの口撃にダウンした王子は、さらに聞こえてきたここにいてはならない人物の声に、面白いほどに体が跳ねた。
「なるほど、殿下はリットン子爵のご令嬢を見初められましたか。これはうちの娘との婚約を考えなおしたほうがよさそうですな」
「しっ…将軍っ! いや、ちが…違う!」
「いやあ、そうなんですよ、閣下。しかも、どう声を掛けたらいいかなんて相談をリアーナ様にしてしまうんですから…同じ男なのに僕には相談もしてもらえないのにですよ」
ヌッと現れた恐怖の大王に蒼かった王子の顔色はとうとう白くなった。
そこに宰相補佐官が告げ口をしたものだからすでに燃えつきそうである。真っ白によぅ…。
「ふむ…殿下にどうしてもとリアーナとの仲をお願いされての婚約でしたが、いやどうして人の心とは移ろうもの。わたしも若人の感情を無きものにするのは本意ではない。父としても、娘を大切にしてくれる方に嫁がせてやりたいですし。これは陛下に進言せねばなりませんな」
ニヤリと泣く子も気絶する笑みを浮かべた魔王は慇懃に礼をして去って行った。
「ち、ちが…違う! 違うぅ~! ごめんなさ~い!」
令嬢は(婚約者の)恋(心)を知らない。
◇◇◇
「まったく、なんなんですの、殿下ってば。仮にもわたくしは殿下の婚約者なんですのよ? それなのに他の方との恋の相談なんて。馬鹿にしてますわ。あんなにわたくしと結婚するって、他のご令嬢との結婚なんて考えられないって何度も言ってましたのに、一目惚れとか。ふざけるのもいい加減にしろですわ」
帰りの馬車の中、ずっとぶつぶつ独り言を言い続けるリアーナに気付く人はいなかった。
たった一人、親バカだけは感付いてはいた。
(ヘタレ)王子(と令嬢)は(令嬢の淡い)恋(心)に気づかない。