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紅の狩人

作者: 神崎 創

おことわり

作中、実在するものや制度等の名称であっても、そのまま用いると世界観や設定に不自然さを与えると筆者が判断した言葉については、独自の造語に置き換えてあります。特に、現代語では横文字と呼ばれる単語に対し、その傾向が強いと思われます。あらかじめご了承を願う次第です。

 しんとした静寂に支配された部屋の中。

 大きな窓から差し込む薄黄色の光が、青い闇をいびつな四角形に切り取っている。

 その窓際に置かれた寝台の上に、一人の男の子がいる。いかにも心地よさそうに、小さく寝息を立てていた。

 まだ、幼い。

 頭部を覆う切り揃えられた金髪は艶々と輝き、肌は闇の中でもうっすらと浮かび上がるほど白く透き通っている。よく整った目鼻立ちをもっていることもあって、得も言われぬ愛くるしさを感じさせる男の子であった。

 彼を夢の世界へと誘っている大きな枕や身体を柔らかく包み込んでいる毛布、そして見事な彫刻が施された寝台。どれをとっても高価そうな寝具であり、いかにも彼に注がれている両親の愛情の深さを象徴している。

 窓の外には、雲一つない、晴れ渡った夜空。

 沖天に差し掛かった月が発するほのかな光がゆっくりと角度を変え、やがて男の子の美しい相貌を照らし出した。そんなことには気づかず、彼は仰向けのまま安眠の中にある。

 と、突然月光が遮断され、部屋の中に闇が満ちた。

 格子が正方形状に渡された窓を、いつの間にやら大きな影が塞いでいた。

 影の真ん中よりもやや上のあたりか、横に並んだ二つの赤い光。

 光が放つのは、あたかも影と同化しているかのように鈍い輝き。鮮血を思わせるほどに毒々しい紅色のそれはいかにも野卑であり、獣の眼光を思わせた。

 その眼光が、二つ同時にキロッと右斜め下に動いた。

 ちょうど、落とされた目線の延長線上には男の子の姿がある。

 次の瞬間。

 硝子の砕け散る、甲高く派手な音響が、闇のしじまを切り裂いた。

 閉じられていた男の子の目が急にぱっちりと見開かれる。


「……!?」


 寝起きのつぶらな瞳に映った、世にも奇怪な異形の姿。

 短い毛に覆いつくされた楕円形の身体をもち、そこから異様に細く長い蔦のような両腕、それにごく太く短い脚が生えている。手足の先は不自然に発達していて、掌とつま先が平鍋のように大きくなっていた。手の指はこれまたどれも細く伸び、鋭利な爪へとつながっている。

 卵のような胴体のやや上、毛の奥に埋まっている赤い両眼がらんと光ったかと思うと、その下にすうっと一本の線が走った。線はぱっかりと上下に開き、中から現れたのは――上にも下にも隙間なく生え並んでいる鋭い牙と、蛇のようにうねうねと蠢く長い舌。

 化け物、あるいは怪物と呼ばれる存在以外の何者でもない。見る者を震撼させるほど、獰猛で凶暴な姿であった。

 その化け物は獲物を見つけたとでもいうように、牙の間からどろりとした唾液を滴らせた。


「あ……」


 男の子は口を半開きにし、目を見開いたまま瞬きもせず、じっと眼前の闖入者を見つめている。

 泣きわめくことも、叫ぶこともしようとしない。

 恐怖を恐怖と認識できないために行動で表現できずにいるのは、まだ幼いせいかも知れなかった。

 獲物が身を固まらせてしまっている以上、化け物は寝台の端から動く必要を持たない。あと一歩踏み出せば、男の子はその巨躯によって足を踏みつぶされてしまう。そういう距離の近さである。

 やがて、獲物を捕らえようと化け物がゆっくりと腕を伸ばしかけた。

 刹那。

 窓の向かい側に位置したドアが勢いよく開け放たれた。

 開いたとも思えない速さで、ダンッダンッダンッと立て続けに銃声が轟く。

 自分の餌だけに意識をはたらかせていた化け物に、避ける余裕などはない。

 たちまち、その大きな横っ面に弾丸が深々と突き刺さっていた。

 命中と同時に毛と皮膚の破片と体液のようなものが飛び、床の上に散った。


「グアッ……」


 喉の奥から短い呻き声を発し、動きを停めた化け物。

 が、ほどもない。

 弾丸を受けた傷口から細々と白い煙が立ち上り始めると、化け物は天を仰ぎながら左右に裂けた大きな口を目一杯に開き


「――ッギイィィッ!」


 突如、耳障りな叫び声を上げ始めた。

 その声で感覚が恐怖と直結したのか、ようやく男の子が


「あ、あ、あ、あぁーっ!」


 顔中をくしゃくしゃにして泣き叫び始めた。


「……いらっしゃい、妖魔二十九号ちゃん。せっかくのお食事、邪魔しちゃってご免ね?」


 俄かに騒がしさを増した寝室の戸口、すっと姿を見せた人影がある。

 薄く大きなつばのついた革製の帽子を目深に被り、肩から羽織っているのは高い折れ襟で首元を覆った二重の仕立ての外套。真紅、といっていいほどの赤さがこの上もなく目立つ。外套の前留めが妙な具合に膨らんでいるのは、下から突き出した豊かな胸のせいであることがはっきりわかる。胸は下半分だけを皮の胸当てで覆っている。

 下へと目をやれば、腰回りは大胆に露出。その下を包んでいる黒い下半身衣からはすらりと美しい素足が伸び、脛の半分を隠すやや大きめな革靴を履いている。

 やや奇矯ともとれる風貌の女性。

 水平に突き出した右手に、緋色の装飾が施された銃が握られていた。銃身がいささか長い。

 その銃口、ぴたりと化け物に向けられている。

 場所は王侯貴族のそれのように広い寝室ではない。

 目を瞑って引き金を引いても命中する距離である。


「でも、ご馳走様を言うのはあなたじゃなくて、あ、た、し! あなたにかけられた懸賞金二千五百レヴ、このジェシカさまがいただいちゃいまーす!」


 笑いを含んだ声で茶化した台詞を吐きながら、左手でくいっと帽子のつばを上げた女性。

 現れたのは、切れ長で美しい青色の瞳と、僅かに影を落としている長い睫毛。顔の下半分はといえば、すっと伸びた鼻に、形の良い唇の際立った紅色がこの上もなく妖艶であり、滑らかな顔の輪郭が細く括れた顎で見事に完結している。帽子に収まり切れない長い金髪が、顔の左右に波打ちながら垂れているのだった。容姿どこをとっても、月並みな表現ながら美女、といっていい。少女というほどの初々しさはないものの、それでも十分な若さを感じさせる。

 ただ――口の端で銜えている細い紙巻煙草だけが、滑稽といえば滑稽な観がなくもない。


「ギィッ!?」


 じわじわと身を蝕んでいく苦痛に苛まれていた化け物――妖魔――だったが、不意の侵入者を認め、ぎょっとしたようにそちらへと目線を走らせた。

 一瞬、自らを傷つけた存在を見つめる瞳に強烈な憎悪を漲らせたものの、向けられている真紅の銃に目を留めるなり


「ギ……ギギッ!」


 怯えた声を上げざま、身を翻して窓から飛び出した。

 脚力が尋常でないらしく、大きな体躯に似合わず敏捷な動きである。

 パリン、と硝子がわずかに割れ、破片が辺りに散った。

 妖魔によって遮られていた月光が再び部屋の中に差し込み、寝台や床を黄色く照らし出す。


「あ、え……逃げた?」


 予期せぬ妖魔の遁走。

 ジェシカといった女性は銃を擬したまま呆然としている。

 が、すぐにハッと我に返り


「ちょっ! 待ちなさいよ!」


 慌てて後を追おうと、床を蹴った。


「あたしの二千五百レヴ!」


 叫びながら一足飛びで寝台の上へ乗ると、背を丸めるようにして窓から飛び出していく。

 人を食らう妖魔の醜悪な容姿だが、彼女には黄金の塊にしか見えていないようであった。

 あとに、男の子だけが一人残された部屋の中。 


「うわあぁん! ふえぇん!」


 火のついたように泣き叫ぶ彼の声が、わんわんと響き渡っている。

 ――その、部屋の外。

 三階という高さをものともせず、左手で帽子を押さえつつ、通りの石畳の上にひらりと着地したジェシカ。

 上から下へ、宙をなぞって降りていく真紅の外套のあとを、一呼吸おいて彼女の長い金髪がふわっと沈んでいく。

 足腰にかかる衝撃を受け流すべく片膝をついて屈む様にしていたジェシカだったが、すぐに顔を上げて妖魔の気配を伺うと


「……こっちね!」


 通りを右へと駆け出した。

 いつの間にか、手にしていた真紅の銃は皮の腰帯と一体化したケースに納められている。

 月はちょうど、背後の宙空、真正面。

 人気の絶えた深夜の街並み全体に、うっすらとした照明が投射されたかのようである。

 自分の影を踏む様にして、ジェシカは妖魔を追って行く。


(やっと、見つけたんだもの。絶対に逃がすものですか!)


 そんな彼女の鬼気迫る執念を感じるのか、先を行く妖魔が出来るだけ距離を空けるべく必死に逃げているようでもある。

 今回の標的、妖魔二十九号は神出鬼没で、なかなか遭遇の機会に恵まれずにいた。

 手がかりはたった一つ。どういう訳か、この妖魔は幼い男の子だけを狙うのである。人々が寝静まった深夜の街を徘徊しつつ就寝している男児を探し、見つけては容赦なく食い殺す。どれだけ厳重に戸締りされていても、窓や壁を破って侵入するから手の打ちようがない。すでに、八人が餌食にされていた。子供ばかりを食らう残虐な悪魔の出現に、街中が震え上がった。

 が、そういう悪質な妖魔だけに、驚くほどの額の懸賞金がかけられた。幼い男児を子にもつ富豪や貴族達が、早急に討滅されることを願って次々と懸賞金を出資したためである。

 そうしてとうとう懸賞金は二千五百レヴという、住居一棟を購入できるだけの金額に達した。妖魔にかけられる懸賞金は概ね二百レヴ程度が相場であるから、破格といっていい。

 この報を耳にして、たちまち食指を動かしたジェシカ。

 凶悪な幼男食いとはいえ、特定の妖魔を一体仕留めるだけで懐に大金が流れ込み、しばらくは楽をして暮らすことができる。幾ばくかの小銭を稼ぐために毎日毎日あくせくしなくても済むようになるのだ。

 そうと決めると早速、警衛団――国王の命によって、国中の治安維持に任じている兵の集団――に妖魔狩りに加わる旨の届けを出し、妖魔二十九号探しに乗り出した。そうしなければ、たとえ妖魔を討ち取ったとしても、懸賞金を手にすることが出来ないきまりになっている。

 数日というもの、ジェシカは夜を徹して街のあちこちを探し回ってみたのだが、妖魔二十九号は思い通りに現れてはくれない。それどころか、あたかも彼女を嘲笑うかのように、全く違った方角に出没しては幼い男児を食い殺していた。他の仕事は引き受けないようにしていたから、持ち金は次第に乏しくなっていくばかり。焦る気持ちとは裏腹に、案に相違する日が続いた。

 ある日の明け方。

 相変わらず妖魔二十九号を見つけられなかった彼女が疲労困憊の体で通りを歩いていると、早朝から人の出入りが忙しない家がある。門前を、やや多すぎる数の警衛兵が固めていた。


「……おはよ。こんな朝っぱらから、どうしたの?」


 見知った若い警衛兵の顔を見つけて声をかけてみると


「ああ、ジェシカちゃんか。今日も夜通しだったのかい? せっかくの美人が、目の下に隈なんかつくっちゃって。その様子だと、追いかけている恋人には会えなかったみたいだね」


 笑いながら応じてくれた。警衛団が本務時に着用する、甲冑にも似た物々しい装束に身を包み、背丈ほどもある大きな細身の槍を手にしている。

 冗談交じりの言葉だが、疲れ切っているジェシカは頬の筋肉が緩まず笑えない。


「あんまりしつこく追いかけるから、嫌われちゃったみたい。もう何日も実入りがないし、このままだとベル・ナル市場通りで物乞いでもしなくちゃならなくなるかも」

「はっはっ、そりゃ骨折りだったね。会えない筈だよ。だって、ジェシカちゃんの恋人は」


 親指を立ててくいっと背後の大きな建物を指した。


「ここでお夜食にありついていたんだからね。やられたのはクルスって四歳の男の子で、サンドラ貴爵の御子さ。丸かじりされたらしくて、部屋中血まみれだっていうぜ? 可哀想になぁ、利発なうえにたいそう姿のいい子だったそうだが。昨晩から我々警衛団だって警備についていたっていうのに、さ」


 さも痛ましそうに語る青年の顔を呆っと眺めているジェシカ。

 眠気と空腹とで意識が半分飛びかけていることもあるが、正直なところ、犠牲になった男児やその家族が負った不幸などに興味はなかった。

 が、話を聞いた彼女は、半開きだった目をつと大きく見開き


「……本当に? 警衛団が張っていたのに、やられちゃったの?」


 尋ねると、青年は何度も頷いて見せてから


「ああ、悔しいが本当の話さ。それも、一人や二人じゃない。サンドラ貴爵たっての依頼だっていうんで、毎晩八人の人数をつけるって団長が約束したんだ。――もっとも、我々のような身分の者がお屋敷の中に入る訳にはいかないから、全員外に立って警備していたんだけどな。そこを巧みに衝かれて、死角だった裏の庭の方角からお屋敷に入られて……って訳さ」

「ふうん……」


 俄かに、虚ろだったジェシカの瞳に光が戻っていく。

 青年の話を聞いているうち、彼女の中に一つの推測が組み上げられつつあった。


(もしかして、妖魔二十九号が狙うのは、とりわけ姿形のいい子なんじゃないかしら? そうじゃなかったら、何人もの大人の男がうろついている屋敷をわざわざ襲ったりしないわ)


 一度下宿先に戻って休養をとったあと、再び街に出てあちこちで話を聞きこんでみると――どうやら、これまでに犠牲になった男児は皆、近所で評判になるような可愛らしい容姿の子ばかりだったらしい。それゆえに、被害に遭った家は貴族、商家、平民と、身分や財産の差はまちまちである。

 ジェシカの推測は確信に変わった。

 妖魔二十九号は男児食いかつ面食いだと思っていい。出没する区域に規則性がないのはそのためであり、同じ幼い男児であっても見栄えの悪い子供には見向きもしないらしかった。これまで妖魔二十九号が襲った家の付近にはほかにも男児のいる家庭があるにもかかわらず、襲われてはいないのである。

 ――見てくれのいい餌ばかり狙うなんて、大したご身分の妖魔だこと。

 彼女は可笑しくなったが、せせら笑ってもいられない。一日も早くそのふざけた面食いを討伐して懸賞金を手に入れなければ、彼女自身が路頭で物乞いをする身分に落ちぶれてしまうのだ。

 妖魔の嗜好はわかったが、誘き出すには一策を講じる必要がある。

 さてどうしたものか。

 ある日の夕刻、街角の料理店で食事をしながら思案していると


「あらまあ、なんと可愛い坊ちゃんでしょう!」


 隣卓の客に注文を取りにきた店のおかみの甲高い声が聞こえてきた。

 声につられてふと見やれば、客は幼い男児を連れた夫婦であった。

 その子、艶々とした美しい金髪と、よく整った目鼻立ちをもっている。ちょっと珍しいくらいの愛くるしい容貌である。齢のほどは三歳か四歳と見える。両親もそれなりに優れた容姿をしているから、そういう子供が授かったのも頷けるものがある。

 人の好さそうな若い母親は、おかみにゆったりと微笑を返しつつ


「ありがとうございます。この子はダニーといいまして、あと三月で四つを迎えます。大人しい子でございまして、少し人見知りなところもあるのですが……」


 名前と歳を紹介した。

 スープをすすりながら聞き耳を立てていたジェシカは内心、へぇと思った。

 見た目といい年齢といい、件の妖魔の大好物ではないか。

 すると、まるで彼女の思考が伝わったかのように、おかみが心配そうな表情で言ったものである。


「こんなに愛らしい坊ちゃんですもの、どうかくれぐれもお気を付けくださいまし。ここ最近、夜な夜な現れては男の子をとって食べる妖魔ときたら、可愛い子ばかりを狙っているようですから」


 ええ、そのように、と優雅に応じた夫婦だったが、おかみが奥へ行ってしまうと急に真顔になって


「あなた、どうしましょう? ダニーはどなたが見てもお褒めになるんですもの、親の贔屓目を抜きにしても可愛い子なんだわ。もしかしたら、妖魔に狙われないとも限らないと思うの。私、すごく不安で仕方がないわ」

「ああ、まさかと思っていたが、噂は本当らしいな」

「警衛団に見張りをお願いしてはどうかしら? バドルースさまのお宅も、そのようになさったのでしょう? 警衛団の屈強な方々に守っていただければ、妖魔も近寄れないんじゃないかしら?」

「私も、出来ることならそうしたい。だが、警衛団とてただでは引き受けてくれまい。一晩何十レヴという報酬を支払わねばならないだろう。そんな大金はとても……」


 額を近づけあってひそひそ話を始めた。

 おかみにしてみればよかれと思って口にしたに過ぎないのであろうが、それが夫婦の不安を煽ってしまったようであった。当のダニーはといえば、両親が自分の身の安全に腐心しているとも知らず、二人の顔を不思議そうに眺めている。

 夫婦のやり取りを盗み聴いているうち、ふとジェシカに名案が閃いた。

 何も高額の報酬をはたいて警衛団に護衛を頼まなくとも、妖魔から男児を守れる存在がいるではないか。今、ここに。

 食後の一服とばかりに銜えていた煙草を灰入れ皿の上でぐりぐりともみ消しておいてから


「……横からご免なさい? お話、聞かせていただきました」


 すっくと立ち上がって隣卓の方を向き、丁重なお辞儀をしたジェシカ。

 いきなり話しかけられ、密談に集中していた両親は驚いたように彼女を見た。夫のほうはさらに目を丸くしたが、相手が若い女性でいて、しかも人目を引くほどの美貌だったからであろう。身に着けている衣装も風変りで、そのあたりの街人のそれではない。


「あ、あの、あなたは……?」


 恐る恐るといったように応じた妻に対し、ジェシカはにっこりと笑みを見せて


「あたしはジェシカ・フライアースと申します。見ての通り――」


 右腰に釣ったケースに納められている銃をちらりと示した。


「狩人です。今、お話しされていた妖魔、あたしが追っている奴なんです。もしかしたら、お力になれるかも知れないと思いまして」


 そうして彼女は自分の考えを提案した。

 といってもなんのことはない、ダニーの護衛を引き受けるという、ただそれだけの話である。

 最初、夫は


「ご提案は確かにありがたいが、私どもはまだ商売が順調ともいえない具合でして、その、引き受けていただいてもそれに見合った報酬が……」


 難色を示した。

 依頼したが最後、高額な報酬を要求されると思ったらしい。

 しかし、そこはジェシカも計算済みである。


「いいえ、報酬は一レヴたりともいただきませんわ」

「報酬は要らないと仰る? 何故です?」

「狩人は妖魔を討ち取ってはじめて報酬を手にできるんですもの。もし、妖魔がお子様を襲いにきたとして、あたしが仕留めたならば」


 ふわっと艶やかな表情――夫に向け、何事かを期待してだが――を浮かべ


「その報酬は、警衛団から頂戴するものです。ですから、ご夫妻がその報酬をお支払いになる必要はありません。強いて言うなら、ご自宅の片隅を拝借できればありがたいのですが」


 若い夫婦としては藁にも縋りつきたい思いだったのであろう、それだけであっさり納得してしまい、ジェシカの提案を容れた。

 が、二人は気付いていない。

 ジェシカが、最も重要な点を口にしていないことに。

 一見彼女の提案は、無償で護衛を引き受けるという親切心から出たものであるように受け取れる。

 ところが、よくよく考えてみればわかるのだが――要は、妖魔は必ずあなた達のお子様を襲いに来ますよと言っているにも等しいのだ。現に、ジェシカはそう踏んでいる。あの面食いの妖魔二十九号が、この美形の男児を放っておく筈がない。必ず、襲いにくる。そこを討つ、というのがジェシカの強かな目論見だった。

 しかしながらこの人の好い若い夫婦には、そこまで考えるほどの気持ちの余裕はなかったらしく、ついには二人してジェシカの手を取り


「ジェシカさん、どうか、お願いします! この子を、ダニーを、どうかお守りください!」


 涙を浮かべて懇願したものである。

 その夜から、ジェシカは夫妻の家に泊まり込むことになった。

 家は街を南北にはしる目抜き通り沿い、三階建て建築の一番上の階である。下階には他の者が住んでおり、こういう住居は複居棟と呼ばれている。つまり、集合住居といっていい。賃借りである。ダニーの父親は様々な装飾品を製作する職人を生業としているのだが、まだ駆け出しらしい。収入が高くないだけに、自前の住居をもつのは難しかったのであろう。

 報酬は要らないと伝えてあるものの、夫妻としては気の毒に思うようで、頼みもしないのに食事やお茶を差し入れてくれる。ただし、巧妙なジェシカはそれも計算のうちに含めてある。


(富商じゃないから広くはないけど、家はまあまあね。朝と夕の食事は出してくれるし、これでだいぶ節約できるわぁ)


 内心でほくそえんでいるジェシカ。

 あとは、読み通りに妖魔二十九号が乗り込んできてくれるのを待っていればいい。他の狩人に横取りされない限り、二千五百レヴが彼女のものになる公算は大きい。

 そしてついに、その夜がきた。

 窓を破って部屋の中へ押し入ってきたところで銃弾を浴びせて仕留める、という算段を立てていたのだが、げんにそのように事は進んだ。予想通りの展開に、ジェシカは仕事の成功を信じて疑わなかった。

 ――ところが。

 思いのほか強靭な生命力を有していたというのか、妖魔二十九号は三発もの銃弾を食らいながらも逃げおおせてしまった。

 それも、ただの銃弾ではない。妖魔狩りを請け負う「狩人」にだけ携行が許されている、特殊な効果を具えた対妖魔専用武装の一つ「炎熱弾(フレア・バレット)」である。撃ち込めば、妖魔を体内からじわじわと焼き尽くしていく。効果は絶大で、これを食らって生き長らえた妖魔はいなかったといっていい。

 そういう事情もあって、思いがけず目算を狂わされたジェシカは大いに慌てた。

 ここで取り逃がしてしまえば、次はいつ遭遇できるかわかったものではない。

 彼女の相好、さきほどまでの余裕はすっかり消え失せ、無意識のうちに必死さをにじませていた。

 懸命に追いかけるものの、妖魔二十九号は思いのほか俊足であった。幅の広い大きな通りを、草食動物のように前へ前へと飛び跳ねながら逃げて行く。目視できる後姿が、次第に小さくなりつつある。月の光が上手い具合に当たっているからまだ良かったが、これが暗闇だったらお終いだったに違いない。

 通りの先は広大な中央広場へと続いている。

 そこへ逃げ込まれたが最後、通りが複数に分岐しているから、見失ってしまいかねない。


(ああっ、もう! このままじゃ、振り切られちゃう!)


 焦りが、彼女の衝動を突き動かした。

 右手を腰の位置へ持っていくなり、抜いたとも思えない速さで発砲したジェシカ。

 

 ガァン――


 静まり返った街並みに、派手な銃声が轟き渡っていく。

 間髪を容れず「ギギッ!」という妖魔二十九号の悲痛な叫びが小さく聞こえてきた。僅かに遅れて、キュンッという何かを弾くような音。

 弾丸は左腕の細く括れた部分を撃ち抜き、そのまま建物の壁面を抉ったらしい。

 千切れた左腕が石畳の上に落ち、妖魔二十九号に置いてけぼりにされた。

 瞬時の抜き撃ちゆえに、芸当といっていい技だが――ジェシカにとっては、ありがたくない結果だった。当たって欲しかったのは腕ではなく、胴体である。

 背後から追加で深手を負わされた妖魔、いよいよ必死に逃げざるを得ない。

 その跳躍が驚くほど速まり、とうとう中央広場に入り込んでしまった。

 追うジェシカ、すでに息が切れかけている。

 しかし、彼女はまだ諦めてはいなかった。


(あと、一発だけあるわ! この位置からなら、何とかぎりぎり――)


 前方を注視して妖魔二十九号との距離を目算し、銃の射程内であることを確かめた。

 通りの両側に並んでいた背の高い建物が途切れた先、急に開けたところが妙に眩く感じられる。その筈で、広場は月の光が遮蔽を受けないためにもろに降り注ぎ、白い石畳がそれを反射して通りよりも明るくなっているのだ。

 妖魔二十九号の姿が、はっきりと捉えられる。

 ――撃つなら、今しかない!

 ジェシカは右手に握った銃を前へ突き出すと、妖魔二十九号の背に狙いを定めた。

 銃口の突端に小さく盛り上がった照準が、地面へと沈んだ異形の影の上にきめられている。

 あとは、妖魔が石畳を蹴って飛び跳ねた瞬間、引き金を引けばいい。

 妖魔二十九号はそれが本能であるかのように、規則的な跳ね方をする。突然左右へと方向を変えられない限り、銃弾は間違いなく妖魔の胴体を貫くであろう。

 ジェシカの右人差し指が動きかけ、今まさに引き金が引かれようとした。

 その時である。

 着地した妖魔二十九号の黒い背の真ん中あたり、真横にすっと白い光の線が走った。

 ひと呼吸ののち、線は瞬く間に上へ下へと膨張し、妖魔の楕円形の影を駆逐した。

 光が、妖魔を飲み込んだようにも見える。

 その輝きが下から吹き上げられたかのごとく噴水状に宙を舞い、月光を浴びてきらきらと瞬きながら周囲に降り注いだ。

 そこにはもう、妖魔二十九号のおぞましい姿はない。


「……!?」

 

 駆け続けてすっかりくたびれ、何が起きたのか理解出来ていないジェシカ。

 突然妖魔二十九号が消滅してしまったのを怪しみつつ、ふらふらと広場に踏み入れた。

 正面、妖魔が姿を消した位置の向こう側に、立っている人影がある。

 長身の青年。

 地面まで届くほど裾の長い外套を肩から羽織り、下からは灰色の上衣がのぞいている。腰には太い布帯をぐるぐる巻きにしてへそで結び、太さが脚の倍もあるだぶだぶとした下衣に、履いているのは膝下まである長靴。外套と下衣は雪のような純白で、月の光を受けて目に眩しく感じられる。腰の左側、帯に反りのついた細身の長剣を差し落としていた。

 いかにも剣の使い手といった風貌だが、相好は至って柔和であり、少しも厳つくないばかりか優しい印象を与える顔立ちをもっている。全体から清潔感を漂わせているのだが、銀髪を伸びるがままぼさぼさにしているのだけが、唯一そぐわないといえる。

 ふと、現れたジェシカの姿を一瞥した青年は俄かに笑みを浮かべ


「よう、ジェシカじゃないか! そんなにくたびれちまって、どうしたんだ?」


 片手を挙げつつ気軽に声をかけたものである。

 彼と気付いたジェシカ、あっという顔をして


「リオット!? あなた、何でこんなところにいる訳? 東の国に出向いてたんじゃなかった?」


 まるで未知の化け物でも見たような声を上げた。

 リオットといった青年はちょっと困ったように眉の端を下げ


「久しぶりに会ったのに、何でいる、とはご挨拶だなぁ。たった今、この街に戻ってきたところさ。またハインツさんの家に厄介になろうと思って、向かっているところさ」


 ゆったりした口調で答えたが、ジェシカにとって彼の事情などはどうでもいい。

 訊きたいのは、そういうことではないのだ。


「じゃなくって! 今、ここに妖魔が逃げ込んできたでしょって訊いてるの!」

「ああ、妖魔なら来たぜ? なんか、えらく弱っていたけど」


 リオットはぼりぼりと頭を掻きながら、事もなげに言う。


「せっかくだから、斬っておいたよ。見逃して、あとで悪さなんかされたらたまらないしな。――っていうか、その妖魔がどうかしたのか?」


 石畳の上にぺたりとへたり込んで、俯いているジェシカ。

 その肩が、わなわなと小刻みに震えていた。

 やっとのことで手がかりをつかみ、そして必死の思いでここまで追い詰めたというのに、あと一撃というところで功を奪われてしまった。

 よりによって、たまたま通りかかっただけのリオットに。

 百歩譲って、それだけならまだ腹の収めようがあったかも知れない。

 しかし、何よりジェシカを愕然とさせたのは、彼がたった今、遠国から戻ってきたという事実である。数か月前に旅立って行ったリオットは、当然その後に出現した妖魔二十九号狩りの届けを警衛団に出していない。つまり、彼が仕留めたところで懸賞金は一レヴたりとも支払われないのだ。街の人々にとっては喜ばしい話だが、何日もかけて追い続けてきたジェシカにしてみればやりきれたものではなかった。

 悔しいやら腹立たしいやら、あとからあとから感情が込み上げてきて言葉にならない。

 が、これはもはや事故と呼ぶしかないであろう。

 リオットは、偶然目の前に妖魔が現れたため、狩人の当然の責任として斬り捨てただけのことである。まさか、自分が無造作に退治した妖魔に破格の懸賞金が掛けられているなどとは、夢にも思わない。

 それでも人の良い彼は、ジェシカが負傷でもしているのではないかと思い、つかつかと近寄って行って傍へ屈みこむと


「……おい、ジェシカ? 大丈夫か? 妖魔から一発もらったのか?」


 優しく声をかけながら顔を覗き込んだ。

 途端に、顔を上げて帽子のつばの下からキッとリオットを睨みつけたジェシカ。

 怒りに燃えたぎったその青く美しい瞳に、涙がいっぱいに溜まっている。


「なによ、もうっ! あとちょっとで二千五百レヴだったのにーっ! あたしの懸賞金、返してよーっ! リオットの、馬鹿ーっ! あんたなんか、妖魔に食われちゃえーっ!」


 人気のない深夜の中央広場一帯に、彼女の悲痛な叫び声が轟いたのであった。 

お目通しくださりありがとうございました。

物語の背景や設定など、文中での説明が不足していると感じられた部分が多々あったかも知れません。

ですが、とある目論見によって筆者が意図的にそのようにしたものであり、執筆上のミスではないことを補足させていただきます。

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[良い点] テンポの良い文章で軽やかに読めました。 麻宮騎亜『サイレントメビウス』の初期の雰囲気を思い浮かべたりして、楽しかったです(歳がバレる…) [一言] 物語の背景となる情報を巧みに本文の中にち…
2017/09/05 21:36 退会済み
管理
[一言] 続きはないのですか!?続きはないのですか!?続きはないのですか!?続きはないのですか!? ……はっ? 取り乱してしまいました……  舞台は中世のヨーロッパ?的な感じでしょうか? イラス…
[一言] 投稿お疲れ様です! 本気が伝わってまいりました! 文章構成がとても勉強になり、また人物の描写に手をかけておりましたね! 描写を書くタイミングが測れない私としては、とても勉強になりました。 …
2014/12/09 00:11 退会済み
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