2008年 年賀状小説「ねずみ」
「時に助手君」
詳しくははしょるが、さる研究室で助手役をやっている私は、その研究室の博士に話を振られた。ちなみに私は特に研究者というわけではなく、研究に従事したいという志を持っているわけではなく、本当にただの助手「役」だ。
「博士には助手がつきものだろうが」
というのが博士の主張で、まあ、ただ助手がほしかっただけの様子だ。もっとも、こちらとしても当時ニート同様の生活が長く、定職がほしかったので非常に助かったのだが。
「……助手君、聞いているかね」
「ええ、もちろんですよ」
「時に助手君」
博士は言いなおす。どうもこの導入が好みのようだ。
「君は、擬態というのを知っているかね」
何とも人を小馬鹿にした言い方だが、本当に博士が人を小馬鹿にしているわけではない。ただ、こういう導入が好きで好きでたまらないのだ。
「保身のため身体の一部もしくは全体を別の生物や物に似せる『見せ掛け』の能力ですね」
左様、と博士。つまりこういうことだと続けながら、私を別室に導いた。扉を開くと、部屋には私の片思いの女性、キョウコさんがぼんやりと立っていた。
なぜキョウコさんがこんなところに!
突然のことにうろたえていると、博士はキョウコさんの目の前で両手をパンと打ち鳴らした。相撲で言うところの「猫だまし」だ。
キョウコさんは飛び上がらんばかりにびっくりしたかと思うと、ぱっと姿を消した。一瞬の早業だった。同時に、足元で、チュウと泣き声がしたかと思うと、いつの間にか姿を現したねずみ一匹があたふたと部屋の隅へと逃げ惑っていた。
「つまり、こういうことだ」
繰り返す博士。表情に若干悦が浮いている。
「え。何がどうなったんですか?」
聞く私に、察しが悪いなぁと顔をゆがめる博士。いやいや、つまりもなにも、普通どういうことか分からんでしょう。
「逃げ惑うラットを見たろう?」
うなずく。確かに、見た。
「だったら、尻尾が通常のラットより肥大化していたことが見て取れたはず。この情報を基に先ほどの現象を鑑みたら、『ははあ、博士は実験でタヌキのDNAを掛け合わせた擬態ラットを生み出したのか』と分かろう」
「分かるかぁ!」
とは、あくまで心の叫び。実際には、「ははあなるほど、確かに分かりますね」と答えておいた。
「ところで博士」
「何だね、助手君」
「この実験に、一体何の利点や優位性があるのですか?」
恐る恐る、聞いてみた。
「君、一瞬驚いたろう」
「そりゃ、もう」
私の返答に博士は大変満足したようにうなずいている。もう、これ以上の問答は不用のようだった。
「まあ、そんなわけだからハンバーガーショップに行くぞ」
突然、話を変える博士。まったく脈絡がない。
「それはともかく、あのラットはどうするんですか。逃げたままですよ」
「なに、研究所はがっちり戸締りしてあるんだから放っておいても外に逃げ出すようなことはない」
確かにその通りだけどね。
「それじゃ話を戻しますが、なぜ突然ハンバーガーショップなんですか?」
説得をあきらめて、話題を戻した。
「いやな、例の擬態ラットが2匹、逃げ出してな……」
「何が『がっちり戸締りしてある』ですか!」
呆れて言葉を絞りだしてから、例のラット捕まえにかかった。
結局、キョウコさんの擬態ラットに散々逃げられ手をやかされた末、最後には何の気まぐれかラット自身が自らの檻に進んで入ることで決着を見た。
「まあ、君に彼女がいないはずだの」
何もしなかった博士が呆れたように言う。研究所を出て、昼時のハンバーガーショップに向かいながらのことだ。
「それはともかく、なんで突然ハンバーガーショップなんですか」
ははあ、新発売されたばかりでいきなり若い女性を中心に大人気の『チューチューバーガー』でも食べたいんですか博士が食っても絵になりませんよと仕返しに毒を吐いておく。
「そう。そのネズミバーガーだがな」
平然と博士はそう返す。私の悪態とは比べ物にならない問題発言を堂々とまあ。
私の表情で真意が伝わったらしく、博士は「そういう意味ではない」と否定した。
なんでも、今から研究所を逃げ出した2匹の擬態ラットを捕まえに行くのだと言う。そういう大切なことは先に言ってほしいものだ。
「ということは、擬態ラット2匹はハンバーガーショップで働いているのですか?」
「馬鹿を言うのではない。ラットに勤労意欲などあろうはずが無かろう。限りなくニートの若者に近い存在だ。親の脛をかじる、とも言うしな」
「ではなぜハンバーガーショップなのですか」
我ながらうまいことを言ったと悦に入っている博士を無視して聞く。さすがにむっとした様子だ。
「だから、さっき言ったネズミバーガーなわけだよ」
言っとくがネズミの肉を使ったハンバーガーという意味ではないぞと念押しする博士。
「何せ、このワシが発案したハンバーガーだからな」
悦に入りながら言う。
「逃げ出したラットを捕獲するために発案してハンバーガーショップに売り込んで、『他社も似たものの開発を進めていて発売間近』とささやいただけで即発売が決まり、いきなりこの人気というわけなのだよ」
歩き続けて近付いてきたハンバーガーショップを指差しながら言った。すでに入り口から外に人の列が伸びている。
「……捕獲するために発案って、まさか」
「さすが察しが良いの。その通り。ネズミハンバーガーの正体は、人間の鼻には感じない、ネズミの好む臭いが半径5キロまでぷんぷんする、ネズミおびき出しを目的としたハンバーガーなのだよ。……おっと、はやとちりするな。人間が摂取しても人体に害や影響は無いぞ」
けっけっけ、と笑う博士。半径5キロにも及ぶ香りを発しておいて人体への害と影響は無いわけないじゃないかと反射的に感じたが、まあ私はまだ食べてないのだし、とりあえず言及しないことにした。
「まあつまり、逃げ出したラット2匹が今、この店、この列にいる可能性が高いというわけだ」
若者ばかりの列を横目に入店すると、博士は店長となにやら話し始めた。どうも力関係は博士の方が上のようだ。まあ、博士発案の商品で大繁盛しているところなので当たり前といえば当たり前か。
「話はついた。助手君、並んでいるお客さんを全員店内に入れてくれ」
私が並んでいた客を誘導して店内にすし詰めすると、博士は入り口の自動扉の電源を切り開かないようにロックした。
そして、キョウコさんの擬態ラットの時と同様、両手を構える。博士は私にもするように言ってきた。
——パン!
客ですし詰めの店内で威勢良く猫だましをした。
すると店にあれだけいた客が一瞬で、消えた。代わりに、無数のラットがうじゃうじゃうじゃうじゃと床を縦横無尽に駆け回りはじめた。チューチューうるさい。
逃げた擬態ラットは、どうもつがいだったらしい。
それはともかく、世のニートの数は増加の一途をたどっているという。
おしまい
ふらっと、瀬川です。
表題通り、製本して年賀状として関係各位に送った旧作品です。自ブログにも発表済みです。
非生産的な活動バンザイな状況をお楽しみください。