伊達宗時の密命
三郎佐と藤左の両名が主である伊達宗時に呼ばれたのは、ちょうど一年前のことであった。
もっとも、このときの宇和島藩主は宗時ではなく、宗時の父親であり、初代藩主でもある伊達秀宗が、還暦を過ぎてもなお家督を守り続けていた。
この伊達秀宗こそ、あの伊達政宗の長子でありながら、とうとう仙台藩の家督を継ぐことができなかった非業の人である。
幼少の頃より伊達政宗の嫡子として豊臣秀吉の人質となり、また、秀吉が亡くなったと思えば、今度は徳川家康の人質にされといった具合に、あちらこちらにたらいまわしにされた挙句、正室である愛姫に男子が生まれてしまったために廃嫡されることになってしまった。
政宗の尽力により、なんとか宇和島藩十万石の初代藩主として収まることができたが、人質とはいえ幼い頃より都暮らしに慣れてしまった秀宗にとって、宇和島のような僻地で暮らすことなど耐えられるものではなかった。
そこで、寛永十五年にわずか二十四歳の青年宗時が実質的な藩主として宇和島入りすることとなり、以来十五年にわたって宗時が宇和島藩を切り盛りしてきたのである。
そういった事情があるので、この時代の宇和島藩は、名目上の藩主が初代秀宗であり、実質上の藩主が嫡子の宗時であるという込み入ったことになっていた。
宗時の前に伏した三郎佐と藤左に対して、宗時は近くへ寄るように指示を出した。宗時は三十八歳とは思えぬほど爽やかな声を出した。
「本日その方らを呼び出したのは他でもない。ちと内々に頼みごとがあるのじゃ。二人とも、もうちと近くへ来ぬか。いくらなんでも、ふふ、ちと遠すぎる。」
宇和島藩は十万石を称している。もとより小大名ではない。
宗時はその宇和島藩の当主であり、三郎佐や藤左などのような若輩が軽々に近寄ることなど及びもつかない。
もちろん、神尾家は二百石、渡辺家に至っては三百石取りであり、奥州以来の堂々たる家柄ではある。
しかしながら、三郎佐や藤左のような者は宗時公の顔などは遠くからちらりと見たことがあるだけであり、ましてや同室に入ることなど考えもしなかったことなので、ただひたすらに部屋の一番端っこで畳に額を擦り付けていた。
三郎佐は聡明なたちなので、ここに宗時一人しかいないことに対して、大いに不審な空気を感じ取っていた。藤左が何も考えていないことは言うまでもない。
「ふふん、この宗時が近う寄れと言うておるのに、初手から主人の言うことを聞かぬとはのう。この宗時の言葉、それほど軽いものではないぞ。両名とも、良いから早うこちらへ来い。」
宗時がこれほど促しても、二人は一寸刻みでしか前に出てこなかった。
業を煮やした宗時はさっさと立ち上がり、自分から二人の前に進み出ておもむろに座り込んだ。
「ああっ。」
「ふん、これで話ができるというものじゃ。さっそくだが二人とも、口は堅いか。」
二人は思わず顔を見合わせたが、藤左が勢い込んで口を開いた。
「はっ、殿っ。わしの口はずいぶん柔らかいものでございまして、げんこつで殴られますると血が出てくるのでございまする。そうは言うても、さすがに豆腐なぞと比べますると、いささかわしの口の方が硬いと言えぬわけでもござりませず・・・」
「藤左衛門殿っ、殿の御前じゃ、お控えなされいっ。」
三郎佐と藤左の初めての出会いは、このような具合であった。
三郎佐にとって、この状況で口が堅いかどうかを尋ねられた場合、意味の理解できない者がこの宇和島城下にいるなどとは、とても信じることができなかった。
三郎佐は藤左が宗時公を愚弄していると思ったのである。
「ふふ、そちの口は豆腐よりは硬く、げんこつよりは柔らかいというわけじゃな。なかなかに面白い男じゃが、余が言うておるのはそういうことではない。秘密を守れるかということじゃ。どうじゃ両名の者、守れるか。いや、守ってもらわねばならんのじゃが。」
三郎佐の心中は穏やかであろうはずがない。大変な面倒に巻き込まれそうになっている。三郎佐の頭脳をもってしても、逃れるすべは思いつかない。
思わず三郎佐は横の藤左に顔を向けた。
その時、眼を爛々と輝かせた藤左が口を開いた。
「われら両名、今までに秘密を守らなかったことはございませぬ。殿の命とあらば、親兄弟はおろか、地蔵菩薩に観音菩薩、お釈迦様に阿弥陀様、地獄の閻魔様であろうとも、決して秘密をもらすものではござりませぬ。あっ、うっ、閻魔様に嘘はご法度じゃったわい、困ったのう。」
藤左はちらりと隣の三郎佐の方を見たが、三郎佐はぽかんと口を半開きにしている。
「ええい、こうなったら主君である殿のお言葉じゃ。地獄の閻魔様にでも秘密を守り通して見せましょうわい。」
宗時が三郎佐の方へ視線を向けたと同時に、三郎佐の頭は力なく垂れ下がった。