別離
ざくりざくり、と刻むように腐葉土を踏みしめて木漏れ日の中を歩く。
神秘的にさえ思えるその道を歩いていると、ふと頭の片隅に違和感が生じた。
「…んー…?」
どことなくこの道は見たことがあるな、とファームは周囲を見渡しながら思う。
イムラの村になんか来たことは無いはずだし、来たことがあったとしてもこんな郊外に来ることはないはずだ。それなのに何故僕はこの道を知っているのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、前を歩いていたハールソンが足を止めた。
「ここだ」
彼の肩越しに前を見てみると、四角い建物が森の中に溶けこむようにひっそりと建っていた。
つるに覆われて石も風化していたが、僕はたしかに知っていた。
僕はここを、確かに知っている。
平然と研究所の入り口に向かっていくハールソンの後についていこうとしたが、ぴたりと足が止まる。
喉がカラカラに乾いて、脂汗がにじみ出てくる。
この研究施設に近づくのがファームにはたまらなく嫌だったのだ。
「隊…長」
流石にファームの異変に気づいたのか、テンがファームを心配そうに覗きこんでくるが、それを無視してハールソンに話しかける。
すると、振り返ったハールソンもファームの表情を見て一気に顔を引き締めた。
何かがある。
彼もそれはわかっていたのだ。
「ここ――は、やめた方がいいです」
ここでの記憶はどちらかというと楽しい物ばかりだ。
ここで遊んだ同じ年齢の友達はみんな仲が良かった。
何時も一緒に遊んだし、何時も一緒に過ごしていた。
でもそれを許さなかったのは――――。
大人だった。
「ホルンプロジェクト…って知ってますか」
もう。
もう全部思い出した。
僕は――――
口を開こうとした瞬間にニクソンが大声を上げた。
「隊長――ッ!敵だ!早く中にッ!」
叫びと同時に魔法を詠唱しながら迎撃体制に入るニクソンを横目に、もう構っていられないと必死に施設に転がり込む。
入り口から施設に飛び込んで顔を上げると、ニクソンは未だ施設には入ろうとはしなかった。
「早く来いニクソンッ!ここで体勢を整えるんだ!」
「そんな暇は――ッ!」
そう言って一瞬目を丸くしたニクソンは。
次の瞬間には上半身を消し飛ばされていた。
何が起こったのかを把握するより前に、黒い細身の鎧の男がニクソンの下半身の隣に立っているのがわかった。
こいつは――強い。
見ただけで圧倒されて息苦しくなるようなオーラを持った男は尋常じゃない実力の持ち主だということがわかった。
「あれが――カテゴリ”スィクス”――」
ニクソンは探知を得意としていたために敵の攻撃に合わせたカウンターを得意としていたが、それを持ってしても一瞬の抵抗すら許されずに殺されてしまったのだ。
あいつは、強すぎる。
思わず逃げようとしたところでファームの後ろから舌打ちが聞こえた。
「て――めぇッ!ニクソンさんを殺しやがったなぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!」
怒りに任せて腰から剣を引き抜きながら男に向かっていったマートだったが、交錯すると同時に両腕を吹き飛ばされ、背後から胸を貫かれていた。
ごぽり、と嫌な音を響かせながら血を吐き出したマートは最後に何を言うでもなくそのまま息絶えた。
呆気なかった。
天才と呼ばれた人間がこうもあっさりと殺される光景をみて、思わずすくみ上がってしまった。
もう、死ぬんだ。
そう思って地面にへたり込んでいると、ゆっくりとヴィが黒鎧とファーム達の間に立った。
「俺は…鉄壁のヴィ…ハールソン達が資料を回収し――そして逃げるぐらいの時間は、稼いでみせる」
しっかりとした声でそう言ったヴィは、ファームの事を嫌っているのはファームもわかっていた。
なんで、なんでこの人はあんな圧倒的な的に対峙出来るのか。
なんて強い人なんだ――と、ヴィがもう雲の上の存在のように思えた瞬間にファームはヴィの表情を見て後悔した。
彼も、怖がっていた。
必死に歯を食いしばり、震える手を握りしめて黒鎧と対敵していたのだ。
死の恐怖と言うのはどれだけ戦いに慣れていても消え去るものではない。
それだというのに彼は必死に、任務を果たすために、仲間を守るために立ちはだかった。
「早く行けッ!」
「でも!ヴィは!」
「いいから早く行けって!俺を無駄死ににさせるんじゃねぇぞ!」
怒鳴りつけるようにそう言うと、テンはクソッと悪態を吐き捨ててから最後に言った。
「私はお前を…見捨てるぞ!恨めよ!」
そう言ってハールソンとともに施設の奥へと駆けていくテンを横目に、ヴィは少しだけ笑った。
「…恨みはしねぇさ」
そう呟くと、まだファームがそこにいる事に気づいたヴィは黒鎧を見ながらファームに言った。
「俺は何時も怖がって、戦わないお前のことが嫌いだ」
知っている。
時たま見せるあの表情が軽蔑のものだっていうことぐらい、分かる。
「でも…そうだな。テンさんは、お前に、頼んだぞ」
「―――――はい。必ず守ります」
「ああ。漢の約束だ」
「――はい」
「――さぁ行けッ!お前はここを知ってるんだろ!早く資料を探して逃げ出せ!頼んだぞ!」
「…死なないで、くださいよ!」
そう言って奥へ消えていったファームに向かって、ヴィは小さくつぶやいた。
「そりゃあ無理じゃあねぇかな…」
手汗をズボンで拭って、改めて拳を構えると、退屈そうに待っていた黒鎧が笑う。
「終わったか?」
「ああ――待たせてすまない」
「まぁいいさ。ダメ元で聞くんだが…そこを通らせてはくれんかね?」
「月並な言葉で悪いが――ここを通りたかったら、俺を倒すんだな」
「はっ、ビビりまくって声が震えてるぜ?だがまぁ――そういうのも嫌いじゃあないぜ!俺は!」
叫び地面を蹴りあげた黒鎧は武器も持たずにヴィへと突っ込んだ。
一瞬で百メートルあまりの距離を詰めてきた黒鎧の動きは全く見えなかった――。
しかし。
「…へぇ?」
攻撃を防ぐだけならまた話は別だ。
予め知っていたかのようにヴィは心臓に放たれた黒鎧の拳を左手で受け止め、右手で水弾を放って黒鎧を後退させる。
ヴィは多彩な近接攻撃を持っているわけでも、強大な魔法を覚えているわけでもない。
彼に出来るのは拳法ただ一つ。
腰を落として脚を開き、待ち構えるように体勢を整えると、大きく息を吐きだした。
「…拳法ってやつか」
同じくグラップラーであろう黒鎧は楽しそうにそう言うと、同じように腰を落とした。
こちらは脚を閉じた攻撃体勢だ。
今からお前に攻めに行くぞ、と前進で叫んだ黒鎧とヴィが一瞬で交錯する。
地面にヒビが入るほどの衝撃をもたらしながらも、ヴィは未だ健在だった。
すさまじい威力の蹴りはヴィによって掴まれていたのだ。
「その程度か?スィクス――――ッ!」
「言ってくれるじゃあねぇか!」
ぐるん、と一気に一回転してヴィの側頭部を蹴り飛ばして着地し、黒鎧は拳を鳴らす。
「予定変更だ。てめぇは殺す!」
まだ体勢を整えられていないヴィの腹部に蹴りを打ち込んで気に叩きつけると、その首を掴んで木を砕く勢いで振り回し、地面に組み伏せる。
「おいおい、その程度か?」
ニヤリと笑いながらそう言った黒鎧の後頭部を蹴り飛ばしてマウントポジションから退かして立ち上がる。
今のダメージは大きかった。
体力が著しく削られたあの攻撃は何度も食らっていられないし、防御するのも難しい。
だというなら。
こちらから、攻めるまで。
「”ウシペーネ”――チェツィ」
瞬間。
木を足場にして風のように縦横無尽に走り回り、黒鎧の背後に回りこんだヴィは背中に回し蹴りを放ったが、それも容易くはたき落とされてしまった。
(この速さでもだめなのか…ッ!)
スィクスの馬鹿げた速さに驚きながらも一旦後退しようとしたが、はたき落とされた脚を掴まれたヴィは引き戻されて黒鎧の右手に左腕を引きちぎられた。
「ッあああああああああああああああああああああああああああああ!」
痛みに思わず意識を失いそうになったが、咄嗟に体を横に回転させてホールドから抜けだして施設の入り口へと戻る。
視界が明滅し、荒い息がとてもうるさかった。
今すぐにでも意識を手放して眠ってしまいたかったが、歯を食いしばって地面に足を立てる。
だめだ。
意識を失うな。
命を手放すな。
俺はまだ倒れる訳にはいかない!
そう思って顔を上げた。
目の前には、黒い兜があった。
その奥に光る目と、自分の目があった。
ああ。
すみません――ハールソン隊長。
時間稼ぎは…ここまでです。
ぐるりと視界が回転し、地面に突っ伏したヴィはそれっきり動かなくなった。
「チッ」
ヴィを足元に横たわらせた黒鎧…リュミエールは自分の左腕についた傷を見て舌打ちした。
最後の最後。
こいつは自分が死ぬというのに防御ではなく渾身の水魔法を打ちやがった。
「てめぇみたいなのは、大嫌いだよ」
そう言ってヴィの死体を跨いで施設の中へと入っていく。
残りの三人を片付け、ジル・ド・レェに命令されたことを遂行するために。
****
「ホルンプロジェクト――一体これは…」
ハールソンは立ち止まっている場合じゃないと分かっていても呆然とするのを止められなかった。
ホルンプロジェクト。
それは”純血種”であるホルンと同等のちからを持つ人間――”魔導人間”を創りだす計画の事だった。
幾人もの孤児が犠牲になり、その結果成功した唯一の子供が存在する。
その名は――
「ファーム…?」
テンが信じられないと言った様子でファームを見ると、ファームは服を握りしめて俯いていた。
「僕が…”魔導人間”のジョーカーです。すべて思い出しました。僕は…”紛い物”だった」
ジブリールが言っていたあの『あいつは私の最高傑作だ』という言葉は。
そういう――事だったのか。
ふと腑に落ちたようにストンと納得がいってしまった。
「…面白いこと聞いちまったナァ」
「早かった、ですね」
「残念ながら雑魚だったぜ」
リュミエールがそう言うと、振り返りながらファームは歯を軋ませる。
僕は実験体だった。
何度も体を刻まれ。
何度も注射針を突き刺され、もう死のうと思った頃だった。
僕が――力を手に入れたのは。
「逃げてください。テンさん、隊長」
「だが――」
「逃げてくださいッ!」
怖い。
僕はたまらなく怖い。
戦いが。
怖かった。
その理由も思い出した。
僕は戦ってしまえば周囲に居る人間を肉塊にしてしまう。
あの時だって――そうだった。かろうじて”純血種”が居たからまだ抑えられただけだった。
でも今は、彼女は居ない。
だったらコントロールすればいい。
嬉しかった。
ヴィさんが。漢の約束だと言ってくれたことが。
ヒトではない僕を――認めてくれた気がした。
だったら僕は。
「それに答えなくちゃいけない――ッ!!!」
ドンッと周囲の空気を震わせて、ローブを脱ぎ捨てる。
「僕は今から、お前を殺すぞ!!!」
「おもしれぇ…やってみろよ、その度胸を賞して名前を覚えてやるぜ!」
「死ぬ人間に教える名前はない――ッ!」
そう叫んだ刹那。
閃光と共に施設上部が吹き飛ばされた。
もうもうと立ち込める砂煙の中、ファームの姿は輝いていた。
白い髪を持ち、虹色に光る目を持ったファームは砂煙を吹き飛ばし、その右手に半透明な剣を握っていた。
「人類の叡智の破壊力、お前に耐えられるかッ!」
ファームが右手の剣を縦に振った瞬間、飛ばされた剣戟が地面を数メートルにもわたって抉り取った。
その壮絶な威力を見たリュミエールは狂喜した。
こいつは、強い。
こいつが、ジョーカーだ!
だからこいつは、俺が殺す!
「はははははははははは!!!!この世界は面白いことばっかりだよなぁクソガキぃ!」
どこからとも無く出現した漆黒の刀身と柄を持つ二本の刀を両手に持ったリュミエールは乱れるような乱撃を繰り返す。
十回、百回と刀身と刀身が削り合っていく鈍い音が響く。
「こんな事は楽しくないッ!」
ドンッとリュミエールの腹部の空間を爆発させて一気に吹き飛ばし、更に体の周囲に光球を浮かばせてから射出して追撃する。
二十発もの光球がリュミエールを追撃したが、吹き飛びながらも体を回転させながら光球を弾き飛ばして攻撃を捌き切った。
その反動で地面に長い跡をつけて動きを止めたリュミエールが顔を上げると、ファームが剣の先に光を集中させるのが見えた。
「まだまだぁあ!」
放たれたレーザーはファームの数m先で拡散し、隙間のないレーザーの雨がリュミエールに降り注いだ。
普通の人間ならば体をレーザーに串刺しにされて終わり――だが。
「そんなもんかよジョォオオオカアアアアアアアア!!」
叫びながら一気に前進して飛び、隙間を縫うように飛び上がったリュミエールはレーザをかいくぐって片方の剣をファームに向かって放り投げた。
まだレーザーを撃ち続けていたファームの反応が遅れて右腕に深々と剣が突き刺さり、思わず顔をしかめたがファームは同時に剣の切っ先を少しだけ上に上げた。
するとリュミエールの下の地面が突然せり上がり、土の巨大な針が突出した。
その切っ先がリュミエールの脇腹を削り取り、リュミエールは回転しながら吹き飛んでいった。
「お前はやり過ぎたんだよ、黒鎧ッ!」
剣を地面に突き刺して両手を合わせてから離し、両の手のひらの間に光球を作り出す。
「光に溶かされて死ねぇッ!」
生成した光球を放り投げてリュミエールのそばで爆発させ、指向性の爆風と衝撃波は森の半分以上を抉り取って行った。
すさまじい光量によって潰れた視界が戻る頃には土をひっくり返したかのように緑が無くなった大地と。
漆黒の鎧が、存在していた。
「なんだよ――その程度か?」
どろり、と鎧から溢れでた黒い何かが地面に落ちて水たまりを作り、その中から大きな柄が出現した。
その柄を掴み、リュミエールは勢い良く引っ張りだした。
刀身も柄も漆黒に染まるその剣は、剣と言うには余りにも大きすぎた。百八十はあるだろうリュミエールのその身長さえも超える刀身を持つ大剣を、リュミエールは片手で容易に持ち上げていた。
「だったら――こっちから行くぞ」
動きはさっきよりも鈍く、縦に振るわれる剣もしっかりと目で追えるレベルのものだった。
しかし。
その刀身が放つさっきは先程までの比ではなかった。
刀身が頭をかち割る寸前に横に飛び、その攻撃を躱したが衝撃波によってファームの体は跳ね上げられてしまった。
(かすってもないのに…っ!)
すさまじい威力に震え上がりながらも、すぐに体勢を整えて魔法を構える。
ゆっくりと剣を振り下ろした体勢から立ち上がったリュミエールは、ギシリと鎧をこすりあわせた嫌な音を響かせながらこちらに向き直った。
まだ、本気を出していない。
彼の動きから彼がまだ余裕を持っていることを悟ったファームは歯を軋ませる。
圧倒的に実戦経験が足りない。
痛い。
体に深々と剣が刺さった傷が常にファームの意識を抉り取っていき、リュミエールの振るった殺気が体に突き刺さり、ファームに壮絶な痛みを感じさせていた。
いつでも意識を失える。
そう確信しつつもファームはまだ立っていた。
訪れる津波のような苦痛を上回る喜びを、彼はかみしめていた。
僕は無力じゃない。
人を守れる強さがある。そう、感じていた。
「っていうかお前さ」
不意にリュミエールが口を開いた。
「散々実験道具にされておきながら実験してた奴の仲間を助けようって、相当狂ってるよな」
その通りだ。
僕は忘れていない。
あの日、何度メスで体を刻まれただろうか。
何度体に針を突き刺されただろうか。
何度炙られただろうか。
何度叩きつけられただろうか。
何度――何度――何度――
繰り返される暴虐に限りはない。
でも。
「そのお陰で僕は、人を守る力を手に入れたんだ」
そのお陰で、今テンを、ハールソンを助けることが出来た。
それならば。
一時的にでもその恨みを忘れることぐらい――出来る。
「来なよ化け物。お前との差を教えてやる」
くい、とかろうじて動く右腕の人差し指を折り曲げた瞬間。
ドンッとすさまじい空気の破裂音を伴わせて突撃したリュミエールの巨大な刀がファームの腹部を貫いていた。
「挑発するなら――それなりの力をつけろよ」
つまらなそうにリュミエールがそう言って剣を引き抜こうとしたが、その腕をファームが掴んで止める。
「かふっ…君はまだ僕の力を知らない。散々刻まれて生き残ってきたこの意味が…分かる?」
口から大量の血液を吐き出しながら、ファームは口端を釣り上げて嗤った。
何度も刻まれ。
何度も四肢を欠損しても尚こうして生きてきた。
化け物だという自覚は誰よりもある。
でも、だからこそという戦い方がある。
「君は違うだろう…?人間――ッ!!」
そう叫んだ瞬間、リュミエールとファームの全身は雷に包まれた。
「ああああああああああああああああああああああああ!!!!」
明滅する視界の中、リュミエールの鎧の中から黒煙が立ち昇るのを見たファームは後退してからだから剣を引き抜き、その場に倒れこんだ。
勝った。
からだから黒煙を立ち上らせて膝をついたリュミエールを、横に倒れた視界で捉えながらそう思った。
しかし。
リュミエールは立ち上がった。
「残念だなァ…」
焼かれた喉から響く濁った声は、しかし生気をしっかりと抱えていた。
「俺”も”人間じゃねぇンだ」
そう言って兜を脱いだ男の顔はどこかで見覚えがあった。
そうか。
君も…そういう事か。
とどめを刺されると思っていたファームは力を抜いて地面に仰向けに転がったが、一向に剣が振るわれることはなかった。
「お前は幸せものだよ」
僕を見下ろしながらそう言った男は、少し悲しげな声色をしていた。
「或いは…お前なら…」
そう言ってトドメを刺すこともなく、地面に黒い水たまりを作った男は剣をそこに落として踵を返した。
遠ざかる足音と共に手からすり抜けていった意識を引き戻す事ができずに、ファームは意識を失った。
どうか。
どうかあの二人が――無事に帰れます――ように――。




