勝利の槍
ゆっくりとシムカに向かって歩みを進めるファリンスキーの顔には、鬼武者のような形をした真っ黒な仮面が着けられていた。
あれは自分が今魔憑き状態だと自分に言い聞かせるためのものであり、人としての自分を忘れないために魔憑き化できる十傑の全員が持っている目印のようなものだ。かと言ってあれがなければ人間に戻れないというわけでもなく、ただ単純に戦闘が伸びた時の保険のようなものだ。
イヤリングだったり腕輪だったりと人それぞれ目印が存在するがファリンスキーのあの仮面はいつも見て威圧感を感じてしまう。表情が全く見えず、呼吸もわかりにくくなってしまうから得られる情報量が極端に減ってしまう。それはつまり予測するという事が難しくなるのと直結し、故にファリンスキーの動きを見て対応するか、自分から先手を打つかの二択になってしまう。
ここでシムカはファリンスキーの能力も知らない事を考慮してもう一度魔槍を構えてファリンスキーの出方を伺う事にした。
魔槍をファリンスキーの中心に据えて、奴が左右どちらに動いてもすぐに分かるように基準点の代わりにし、腰を落として目に神経を集中させながらファリンスキーとの距離を一定にするように彼の前進に合わせてゆっくりと後退する。
そのまま数十歩後退したところで、ふと首の後に殺気を感じて何気なく視線を動かした先にファリンスキーが剣を振り上げて立っていた。
(幻覚――!)
必死に身体を落として首をひねってその斬撃をかわして慌てて元のファリンスキーに視線を戻すと、元から居たファリンスキーもまたすさまじい勢いで迫ってきていた。
「ふざけんな――ッ!」
慌てて槍を縦に構えて振るわれる剣を防ぐが崩れた体勢では踏ん張りが効かずに容易に吹き飛ばされてしまう。
上下左右に撹拌される世界を見ながらファリンスキーの能力が幻覚だということに思考が行き着き、最初に背後に居たファリンスキーはかわさなくてもよかったのかと心のなかで舌打ちをする。
地面に手をついてそのまま転がって勢いを殺さずに立ち上がると、二人のファリンスキーはゆっくりとこちらに歩みを進めていた。
あれのうち片方は幻覚で実体を持たないはずだがその判定方法は一度打ち合ってみるしかない…が、片方に打ち込んで槍を振り下ろしてそれが外れだった場合本物に背中を刺される可能性があるためにそう迂闊に飛び込む事はできない。
…ではどうするのか。
「あんまりこれは使いたくなかったんだけどな…」
ローブの下の素足に巻かれた十数本のナイフが差し込まれたナイフホルダーに手を伸ばす。
これをつけているが故に防御性能の高いズボンは履けないが、まぁ元々履く気ないしホットパンツ一筋だし別にいいよねということでこれを着けている。使う機会は殆ど無いだろうと思っていたが念の為につけてきてよかったと少し前の自分に感謝しながら、魔槍を右手に持って左手の指の間にナイフを挟んで引き抜く。
大きく深呼吸をして一気に地面を蹴り、更にもう一度地面をけって更に加速、そして槍を前に突き出して一本のレーザーのように左側のファリンスキーへと迫る。
彼がゆっくりと左側に回避を取るのを視認してから槍の穂先を地面に向けて地面に魔槍を叩きつけるようにして盛大な魔力爆発を起こして地面を砕いて隆起させる。地面が不安定になって二人のファリンスキーの距離が離れたところで、腰の後ろに差し込んである剣を引き抜きながら当初狙っていたファリンスキーへと迫る。
地面が不安定ならかわしきれずに剣でさばくしかないはず、と剣を振り下ろすがその攻撃は空中で身体をひねることによってかわされてしまう。
(いみわかんねぇ空中感覚してんじゃねぇ――!)
ファリンスキーの身体能力の高さに舌打ちしながら左のナイフで追撃をしようとしたが、背後からのプレッシャーに思わずシムカは防御態勢を取りながら身体を反転させようとするが、視界の端に映るファリンスキーはすでに振り下ろしの体勢に入っていて防御は間に合わないことを悟る。
慌てて左手のナイフを右脇の下からファリンスキーに放つと、彼の肩をナイフが掠めて血しぶきが舞う。実体を突き止めた事に思わず笑顔を浮かべながら痛みでディレイの生まれたファリンスキーに振り向きざまに剣を横薙ぎにしてその胴体を二分割せんと剣を振るうが、刃が彼の胴体に到達するより前に背後から大きな衝撃を受けてシムカが大きく吹き飛んで地面を数メートル転がって動きを止める。
「…冗談じゃねぇぞファリンスキー…」
口の中の砂利を吐き出しながら立ち上がってファリンスキーに悪態をつくと、ファリンスキーは肩をすくめて答える。
「冗談も何も…誰も俺はただの幻覚を創りだしたとは言ってないぜ」
そんな憎まれ口を叩かれながら、シムカは心のなかで驚いていた。
あれはただの幻覚ではなく実体のある幻覚だという事実に、だ。ファリンスキーが幻覚を出した時点で幻覚を得意としている事は分かったがここまでとは思ってもみなかった。挙句どちらももう既に肩の傷は再現しているからそれで判断することは不可能…。
更にどちらとも打ち合いをしなければならないから身体を傷つけるまでは本物との判断も不可能。最悪なケースで言えば幻覚の方も血が出る場合はその方法も無理ということになる。まぁ今どっちにも肩の傷がある以上幻覚側もちが出るならそれをやるメリットはないから恐らく出血はしないんだろうが…。
とかく元々強い奴の手数が単純に二倍になった時点でかなり脅威になる。それを乗り越えるにはこちらも戦い方を変えるしか方法はないだろう。
「変幻自在の攻撃方法…それが私の売りなんだぜ、ファリンスキー」
放てば確実に手元に戻る魔槍を髪飾りに戻して髪に差し込み、再び髪をポニーテールのように結い、大きく息を吸い込んで瞳を閉じる。
さぁ。
集中の海に飛び込め。
自己暗示をかけて大きく息を吐きながら瞼を開く。
ぶちのめす。
心を決めて二本のナイフを同時に二人のファリンスキーの中央に投げ、二人が離れるようにそのナイフをかわしたところで二本のナイフの中央に同時に放っていた火球を爆発させる。不意に回転しながら急に軌道を変えて自分に迫ってきたナイフにさすがのファリンスキーも驚いたのか、慌てて剣でナイフを弾く。
集中がそれたその瞬間に二人の近くの地面に巨大な火球を打ち込み爆発させて地面を再び砕いて二人を空中に浮かばせる。そして二人の体勢が整っていないうちに面で押し潰すように大量の炎弾を放つ。
速度重視の素早い炎弾が彼らに迫るが、彼らは難なくこれを全て迎撃してみせる。
さすがだな、と内心で褒めながらナイフをそれぞれに一本ずつ投げ、その影になるように更に一本ずつ投擲する。
その二本のナイフもぎりぎりのところでファリンスキーはかわした。
そこでシムカはここまでやればいいかと区切りをつけて思い切り剣を上に振り上げ、魔力を込める。
そして振り下ろす。
単純明快な斬撃。
しかしその切断の効用距離は約百メートル。そして幅にして五十メートル。
とてもじゃないが空中で足場なしにかわしきれるものではない。
――普通の人間ならば。
ファリンスキーはシムカが剣を振り上げた時点で既に手元に空気を圧縮した魔法を生成し、シムカが剣を振り下ろすのと同時にそれを拡散させて広がる空気の風圧でその攻撃をかわしたのだ。だが幅五十メートルもの斬撃を回避できるほどの速度が必要なためにその威力は並みの魔法使いの本気の魔法に当たる。
「さすがに少しひやりとしたぜ、シムカ」
「かわされるとは思ってなかったんだけどな…ったく呆れる」
「あまりこの手は使いたくなかったんだけどな。まぁいい、ほらかかってこいよ。まだお前の力で俺に与えた傷はかすり傷だけだぜ?」
「…なぁ、疑問に思うんだけどよ、なんであんたはあんな奴の下に平然とついてこんなことをするんだ?」
ふと、シムカの脳裏に疑問が浮かんだ。
今まで戦うことしか頭になかった彼女に疑問が浮かんだのは相手へ敬意を抱いたからだった。そしてそれ故に疑問が彼女の頭に浮かんだのだ。
なぜこんな力を持つ人間があんなくだらない、下世話な命令を聞くのだろうかと。あれだけ力があればもっと自分を活かせるところで生きればいいのに。それなのになぜファリンスキーはこんなところで弱者をいじめるようなことをするのか。それがシムカにとって疑問でならなかった。
そんなシムカの心境の変化に気づいたのか、ファリンスキーは足を止めてため息を吐く。
「まぁお前のいうことは最もではある。他国の市民とはいえ平気で魔法も使えない、ちょっと前まで知りもしなかった人間を前線に立たせて肉壁にして。俺達は相手が疲弊したところを突く。ちょっと賢い人間が自分たちの人権やなんやかんやで騒ぎ立てれば見せしめに殺す。確かにゴミみてぇな行軍だ。だが俺は今代アマテラスが本当にそれをやりたがっているのかと聞かれれば俺は答えに困る程度に疑問を持っている」
「どういう意味?あのアマテラスの命令で私達はこんなことをやらされていた。それに疑問を抱く必要はある?」
「ああ。そもそもこんなことをする発端を戦闘にばかりかまけていたお前は知らないだろうがそもそも俺たち十傑を選出したのは老議院っつー十傑の頭脳バージョンみたいな組織なんだよ。奴らがアマテラスが召喚されるのと同時に先代アマテラスを首にし、俺達十傑を選出した。その理由は分かるか?」
「今までは先代が死んでから召喚されていた。それなのに今回は先代アマテラスを首にして追放してまで今代を召喚した…その理由なんて、先代が都合悪かったからとしか――」
そこでふと気付く。
先代アマテラスの評判は市民に愛される人が大好きな人間だったことに。
つまり老議院はそれを否とし、新たなアマテラスを召喚して傀儡として操作していた――?
「気付いたか?俺たち十傑は先代十傑とは選出されるに当たっての基準が違う。対”魔憑き”に重きを置いたものであり対人は度外視。元来あるべき市民を、国を守るための十傑ではなく神を殺すための十傑に成り下がったのさ――。その結果がこれだ」
両手を広げるようなジェスチャーでファリンスキーは背後で続けられている死闘をシムカにまざまざとつきつけるようにみせる。
「表向き魔憑きを殺したと言う実績を上げた第一席と第二席、アマテラスのお陰で国民は新たな脅威に対しての武力ということで先代アマテラスを首にしたことを納得し、新たな十傑とアマテラスを歓迎した――。自らの国が他国に対する武器を磨いていたなんていうことはつゆ知らずな。そしてこの遠征。多分今頃国じゃあ老議院が国民に対して公布でもしてんじゃねぇか?『魔憑きを利用した武力を持つ他国に対する威嚇』とかなんとかそれらしい文句をつけてよ。幸いうちの国民は基本的に情報に対して受動的だ。公布された事実に疑いを持つ人間なんていねぇさ――。これでどうだ?俺達は正義になるんだぜ。ここでお前の質問に戻ろうか。こんなバカが蔓延る世界で自分を活かしたところで何になるんだ?先代アマテラスのように首にされて追放されるだけだろ?だったら甘んじて命令を享受して殺しを楽しんだほうがずいぶんと愉しいとは思わねぇか?」
ファリンスキーの演説が終わり、シムカは大きく息を吐いた。
勘違いをしていた。
戦う相手に敬意を持つのは大事だ。
だが――。
「てめぇは別だ。クズが」
「…へぇ?」
「どんなお題目を掲げようが、現状に嘆いて仕方なくやってる風を装っても、消去法で殺すことを選んだと言い訳をしても。お前は殺しを愉しんでる事に違いはない」
そう言って。
シムカは悲しそうな顔で剣とナイフを仕舞って魔槍を取り出す。
「お前が普通のやつだったら――殺されてもいいかなと、負けてもいいかなと思ってはいたよ。戦った後に、だけどな。でもお前みたいなクズは生き残らせちゃいけないな――プルシュカ」
「ああ」
気付けば、シムカの背後にプルシュカが立っていた。
「おいおい、ご立派なご高説だがよ、お前より弱いプルシュカが来たところで俺には脅威でもなんでもねぇぞ?」
「まぁそうだろうな、ただお前は勘違いをしている。プルシュカは只の人間だと思ったのか?お前さっきあそこまで考えてなんで疑問に思わなかったんだ?『何故他国を敵に回してまで国民に周知されていない自国の神を狙わずに他国の神を狙ったのか?』ってさ。」
シムカがそう言うとファリンスキーは何かを察したのか、思わず一歩後ろに下がる。
「まさか」
「ああそのまさかだよ――冥土の土産にその目に刻め。来いプルシュカ…いいや火天”アグニ”。契約を果たそう」
そう言って。
プルシュカがシムカの中に吸い込まれていったかと思えば、シムカの体から一気に炎がほとばしる。
身体の数倍もの大きさの炎が収まったかと思えば、シムカのローブは燃え尽きてホットパンツとパーカーといういつもの格好に戻っていた。
しかし違うのはその髪が炎のようにゆらめき、真っ赤に輝いていたことだった。
”神憑き”
”魔憑き”とは次元が違う実力を得ることができる。
「そしてこの魔槍は魔槍なんて言う名前じゃあない」
クルリと形状が変化し、斧のような穂先を持っていた魔槍は本当に突く以外機能を持たない捻れた深紅の槍へと変わる。
「本来の名前はグングニル。ドヴェルグの工房が作ったもんでなまぁ細かい経緯はどうでもいいとして…知ってるか?グングニルってのは――」
そう言って軽い調子でシムカがグングニルを投擲した。
次の瞬間には。
ファリンスキーの胸を貫いていた。
「敵を射損なうことはなく――」
そして貫通したグングニルは大きな弧を描いてシムカの手元へと舞い戻った。
「自動的に、手元に戻り――」
ゆっくりと、ファリンスキーの体が倒れていく。
「必ず、勝利をもたらすと言われている――なんて、もう聞いちゃいないか」
もう興味を失ったと言わんばかりに踵を返してゆっくりとアスクレピオスとヴォルゴード王国の市民が繰り広げる死闘に足を向ける。
この戦いも、もうすぐ終わる。




