一転攻勢
何だこいつは――と眼の前に現れた自分の剣が突き刺さった人間を凝視する。
眼の前の人間は深々と心臓と同じ高さまで引き裂かれているというのに平気な顔をしている。それどころか血の一滴すらも流れていない。
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている乱入者は攻勢に出るわけでもなくただ単にこちらを挑発するように体を揺らしていた。
からだを動かすことによって更に剣が深く入っていくのも気にせずに、ただ彼女はゆらゆらと揺れるばかりだった。
得体のしれないモノを見てぞわりと気色の悪い物が背筋を駆け上ってくるのを感じていると、ふと乱入者の彼女は口を開いた。
「なぁ、君?」
「――あ?」
「私は君が自己紹介をしてくれるのを待っているんだけど――まだかな?」
自己紹介。
こいつ今自己紹介と言ったか。
肩口から腹部までを引き裂かれていて、更に現在進行形でその傷が深くなっている今この状況で。
自己紹介をしろと言ったのだ。
頭がいかれてる。
そう思って反応できずにいると、乱入者が何かを思いついたような表情をしてから口を開く。
「ああ、そうか。人に名前を聞くときはまず自分から――そうだったね」
ふふふ、と一人で笑ってみせてから彼女は自らの身体に突き刺さる刀身に手をかけてゆっくりと引き抜きながら言葉を発する。
「私は魔術結社”アスクレピオス”戦術部門――コシュカよ。よろしくね?」
「俺は十傑七席…ヘルシングだ。よろしくな」
二人の挨拶が終わると、コシュカはゆっくりと後退して距離を取る。
まるで仕切り直された後の剣道のように、これから殺し合いを始めるにあたってのけじめのようにコシュカは一定の距離を取ると、微笑んだ。
「バラしてあげるわ、おいで、ワンコくん」
「ハッ、噛み殺してやるよ!」
吠えるようにそう言ったヘルシングは犬さながらの跳躍で一気に加速してコシュカへ肉薄し、その喉元に食らいつくべく口を大きく開ける。
そのまま首を食いちぎろうと顎を閉めようとした時、コシュカが呟く。
「まずはメスといきましょうか」
その瞬間、ヘルシングの顎は閉じること無くだらりと垂れ下がるだけに終わる。
突然襲ってきた痛みと違和感に攻撃をやめてとっさに後退して状態を確認するべく顎に手を当てると、顎を閉じる筋肉が引き裂かれていた。
それは分かったしやられてしまったものはしょうがない。
だが問題は。
どうやってやられたか、だ。
奴は指一本動かすこともなく、かと言って呪文を唱えた様子もなかった。ただつったって首に噛みつかれそうになった時。
ただメスといこうかと呟いただけだ。
「てめぇ…何をしやがった…!」
魔憑き特有の回復力で顎がくっつくのを確認したヘルシングは歯ぎしりしながらそう尋ねると、コシュカは微笑んで肩をすくめる。
「なに、私は単純に君より戦闘技術が上だっただけの話だよ。お山の大将は自分が理解できる攻撃じゃないと納得行かないかな…?君はまだこの世界の戦闘の恐ろしさを知らないんだよ。ニュービー君」
軽薄そうに笑う彼女は一見人当たりのいい人間に見えるが、突然の乱入時のあの不気味な行動と今の不可解な攻撃を知ってしまっては彼女の背後には黒い何かが居るように思えてならない。
普通の人間にはない――十傑の他のメンバーにすらない凄みとでも言おうか。
これを一体何と形容したものか。
ああ――そうか。
俺は恐怖しているのか。
この世界の闇の深さに。
そう自覚した瞬間にヘルシングは自らの心のなかで炎が灯るのを感じた。
「いいじゃねぇか――そうじゃねぇと楽しくねぇ!」
自らの予想のさらに行く劣悪な状況。
それは彼の精神を燃え上がらせるのには十分すぎた。
「計画変更だ、てめぇを殺して突き進む」
そう言って、彼が右腕を大きく振り上げた瞬間の事だった。
振り下ろされる暴力の嵐を片手で受け止め、ヘルシングの攻撃を止める人間が居た。
「止めろ。これ以上戦ってもこっちの損失が増えるだけだ」
オレンジ色のローブに包まれたその顔を見ることはできなかったが、ヘルシングの全力の一撃を片手で容易に受け止めることができる人間なんて者はそういない。
ヘルシングが十傑七席だということを考えるに、乱入者はそれ以上の実力を持っていることは確実。
コシュカがゆっくりと魔法を放つために右腕を掲げると、乱入者はこちらに顔を向けずに言葉を発した。
「やめておけ」
「私に攻撃を止める理由が?」
「まぁ――二つほど。一つ。俺とお前が戦えばそこに倒れてる奴は確実に死ぬ。二つ。お前の横に立っているそいつも死ぬ。以上だ」
乱入者がそう言うと、コシュカは驚いたような顔をしてからふっと微笑む。
「へぇ、君、敏感なんだね?」
「まぁ――こいつよりは周りに気を配れるだけだ」
「そう、まぁそうだろうね――なんせ実力の差を把握できないんだから――ね」
コシュカがそう言うと、ふとコシュカの隣に小さな子供が出現した。
緑色のボブカットの少女は、頬をふくらませて立っていた。
「コシュカの隠蔽が下手くそなのです」
「ごめんって。それにしても君達…撤退して良い訳?ここ、攻めないと無駄に兵を失ったことになるよ?」
少女の頭を撫でながらコシュカがそう言うと、乱入者は鼻で笑って答える。
「これ以上失うよりは良いという上の判断さ。大人しく逃げさせてもらうぞ」
そう言って不満気な顔をしてこちらを睨みつけてくるヘルシングを引っ張っていくようにやって来た方向へと歩いて帰っていく二人の背中に、少女が声をかける。
「伝言が有るのです!」
不意に発せられたその言葉に、二人の足がピタリと止まる。
「常識知らずが!頭も腕っぷしもねぇニュービーが調子に乗ってんじゃねぇぞ!なのです!」
少女のその言葉を笑い飛ばしながら、二人は帰っていった。
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「予想外の抵抗だったな」
帰り際、男はヘルシングにねぎらいの言葉をかけながら歩いていた。
「ホントだぜ、ったくあんな仕事はやりたくねぇよ。ただの”時間稼ぎ”なんてよ」
「まぁそう言うな。誰もあれがただの時間稼ぎであるなんてことを見抜けやしねぇよ。今頃奴らは凌ぎ切ったと諸手を上げて喜んでいるだろうぜ」
「だといいんだがな――それにしても最後に出てきたあのチビ妙なことを言ってたな。常識知らず――それに頭も腕っ節もねぇニュービーが、なんてよ。常識知らずも腕っ節もねぇってのはまぁまだわかるがなんであのタイミングで俺が馬鹿だってわかったんだろうな?」
「そりゃお前――」
そう言いかけて、ふと足が止まる。
待てよ。
アスクレピオスのあの援軍は。
”何故たった三人だったんだ?”
それで十分だと判断したとしても、万全を期すために普通は部隊ごとよこすものだ。四人一組の分隊行動が基本となる――のに。
何故奴らは三人――いや、もう一人隠れているとしたら四人か。
たったそれだけで数万の敵と戦おうとしたのだろうか。
否。
逆――か。
本隊はどこへ行ったと考えるべき――なのか――?
ふと、気付いてしまった。
俺達の計画は既にバレているということに。
「やべぇぞ」
ポツリと零したその言葉は地面に吸い込まれていく。
「もう――バレてる」
その言葉に、ヘルシングは目を丸くして後ろを歩く叛逆兵達を眺める。
あれだけ死んだ人間が、ただの無駄死だった――ってことか?
****
平原の中央で、今代アマテラスは呟く。
「ああ。問題ないぜ。予想通りだ。予想通りにあいつらは頭が良くて――予想以上に、単純だったぜ」




