杖と蛇
軍の戦闘において、ホルンの判断は正しいのか。
一人をおいて他を撤退させるという手は筋の通ったものなのか。
その答えは、否だ。
断じて、否。
仮にそれをやるとしても撤退させる兵隊の数を少なくするべきであり、一人だけ残して撤退というのは愚の骨頂というのが常識だ。
何故か。
誰しもが思いつく理由だ。
ただ単純に、意味が無い。無駄死になるだけだ。
数万相手に一人が残ったところで、大した時間稼ぎにもなりはしない。川の流れに一石投じたところで流れが変わることはないように、兵隊が一人残ったところで意味が無い。それどころか撤退した部隊が背後から攻撃を受けることになるのだから対応が遅れ、更に撤退したことによる士気の低下が更に自分たちを劣勢に立たせることになる。
以上のことから、通常一人だけの兵士を残して撤退するというのはこの世界の軍マニュアルにおいてもよくないこととされている。
だが。
例外はどの世界にも存在するのだ。
例えば。本気を出した時、敵味方関係なく巻き込んでしまうような人間の場合。
そしてその実力が数万の兵士を相手にしてもしばらく生き延びることができるほどのものならば残して撤退するのが望ましい。
「そう――――俺のように、な」
イグナシオ・ヴァンミリオン。
彼は元々五聖剣の一人だった。
軍学校をカーライアムとともに卒業した彼はそのままカーライアムとは別の部隊へ配属され、その後合同演習の時にリュドミーラ第四都市オーシャンの村ハールにて出現した第二の”魔憑き”ベルゼブブとの交戦。
その時の活躍により彼は五聖剣へと抜擢され、後にある事件によって五聖剣を脱退したヴァンミリオンは家族の残る第三都市イムラへと飛ばされることになる。
そんな彼の異名は――――”破壊の右腕”
凄まじい魔力を右腕に込め、その手に持った武器を振るえば周囲が破壊されるその様からそう呼ばれるようになった。
彼は篠芽が第一師団の師団長を殺した時にはちょうど遠征に行っていたため、一連の出来事を知らずにただいつの間にか第一師団の人間がごっそり減っている程度にしか把握していない。
だが恐らく彼が篠芽と対敵していたのならば、あの都市の半分以上がなくなっていたかもしれない。
それ以上に、彼は破壊力という一点において圧倒的な力を持っていた。
そんなヴァンミリオンが剣を振り上げる。
撹乱魔術によって敵軍が魔法を使えなくなっているうちに、ヴァンミリオンは右手に魔力を込める。
この一撃は、狙いは定めずに。
ただ広く扇状に。
視線に映るものすべてを切り裂く――一閃。
「斬り伏せろ」
その一言と共に横に振られた剣から放たれた一撃は、隊列の前方に固まる人間達を上下に切り裂いた。
威力、放たれてから到着までの時間の短さ。
その二つはもはや魔術とは呼べなかった。
卓越した魔術はやがて、魔法と呼ばれるようになる。
「あれが…破壊の右腕…」
叛逆軍の中の誰かがそうつぶやくと、連鎖するように誰かがまた呟く。
「黒の、魔剣士」
そして誰かが、呟く。
「勝てるわけ…ねぇだろ…」
戦闘において精神的な強さというのはそのまま戦闘の強さに直結してもいいと言っても過言ではないほどにつよく影響する。
訓練された通常の軍でさえ士気や恐怖心を殺すのには細心の注意を払い、それでさえ不安定だというのに大した訓練もしていないただの一般市民の寄せ集めが感情をコントロールできるはずもなかった。
ましてや。
これだけの数で押している。
相手はこちらに手出しもできないといった状況から一転、増援が来たわけでもなく、むしろ一人だけ残っただけだというのに一瞬で自分の目の前の人間が上下に分断されて地面に崩れ落ちたのだ。
押せば勝てる。
頭ではそう分かっているが、今自分たちの目の前の”壁”が居なくなってしまった以上、次に刃が向くのは自分たちだと理解してしまったのだ。
それは人の恐怖を煽るのには完璧すぎた。
ましてや頼りの綱の十傑もこっちはそっちのけにして戦いに行ってしまっているのだ。
勝てるわけがない。
隊列の前方に集中した兵士達は思わず脳裏にその言葉が浮かぶ。
だが後方に居る人間はまだ余裕があった。
まだ自分たちには”壁”が居る。
こいつらが殺される前に脅威を潰してしまえば自分たちの勝利だと。
故に。
攻撃が鳴り止むことはない。
「放て」
その号令とともに、隊列の少し後ろの方の人間から炎弾が放たれる。
先程よりも数は多く、視界が赤く染め上げられるほどの弾幕だった。
「乱魔は使えねぇなぁ」
乱魔は放たれた魔術よりも多い魔力で現象を塗りつぶすことを指す。
1の魔術ならば2の魔力で塗りつぶす必要があり、今ざっと見たところその数は万を超えている。
最低でも数値にして二万もの魔力が必要になるということだ。
一度目の乱魔、そして先程の斬撃。
もう既にヴァンミリオンに炎弾の全てをかき消す魔力など残っては居なかった。
だが、炎弾は後方ではなく全て自分に向かっている事が彼が思うせめてもの救いだった。
あの死体を乗り越えるだけで士気はさがり、魔法の精度も欠く。
バラバラな炎弾をしのげないほど、俺の軍は弱くない。
ある種の誇りを持つと共に、脳裏に浮かぶ家族に謝罪をする。
すまない。
お前のサプライズパーティ、出れねぇや。
****
そもそも勝負になっていなかった。
”魔憑き”となったヘルシングとカーライアムとの戦いはほぼ蹂躙に近いものだった。
かろうじて致命傷こそいなしているものの、カーライアムの体に刻まれていく傷はカーライアムの体力を確実に削っていた。
打撃の向きと同じ方向に飛び、威力を殺して何とか時間稼ぎをしているがいつ死ぬのかはもはや時間の限界だった。
(右腕はもう…使えない)
先程膝にうまく力が入らずに飛ぶのが甘くもろに右腕で防御をしてしまった時に、右腕はもう上がらなくなってしまった。
(両足は、ろくに上がらない)
短時間の戦闘だったがヘルシングとの戦いでついた傷と常に地面を蹴って重力との戦いをしていた足は既に限界が来ていた。
(魔力は、もう尽きた)
攻撃のタイミングを掴むまで、直撃しそうな攻撃は魔法壁で防御したために、魔力はもう尽きて魔法は使えなくなっていた。
(はは――――)
冷静に今の自分の状況をかんば見て思う。
「なにも問題ないな」
いくら体が傷つこうとも、いくら勝ちのための手段がなくなろうとも。
意思は折れていない。
私はここを絶対に通さない。
「地獄まで道連れにしてやるよ…」
魔力がないというのはあくまでも魔術核に魔力がないというだけで、私はもう魔術核がなくても魔力を使う前例を識っている。
識っているのならば。
奴も同じ人間なのだから。
私にもまだ魔法が使えるはずだ。
ドクン、と心臓が大きく跳ねる。
魔法を行使ししようとしてもストッパーがかかったように魔力の出力が制限されてしまう。
――もっとだ。
強引にストッパーを引きちぎるようなイメージで、手足の先からどんどんと魔力をかき集めていく。
血液が心臓に流れこむようなイメージで魔力を体の中心へ送り込む。嫌な寒気が体を襲い、これ以上やってしまえば体に害をきたすと本能が全力で警鐘を鳴らすがそれを無視して更に強引に扉をこじ開ける。
よこせ。
私の体なら私の意思に応じて動け――!
バキン、と体の中の何かが破壊されたような音が脳裏に響くのと同時に体全体から魔力が噴出する。
成功した。
カーライアムはそう確信するのとどうじにもう自分の体が今まで通りのものではないと感じた。
セーフティは既に外された。
やればやるだけできる――が、その反動で最悪死に至るだろうという予想は容易に出来た。
しかし。
そんなことはどうでもいい。
「我に力を、四肢に風を、心に炎を!”ウシペーネ”――ッ!」
唱えたのは青魔術の身体強化魔法ウシペーネ。
それ単体だけならば、体の速度は約二倍に跳ね上がる。
カーライアムが魔法を唱えたことにより何らかの危機感を覚えたのか、ヘルシングは一瞬でカーライアムに肉薄して剣を振るが、その切っ先がカーライアムに届くことはない。
ぎりぎりのところで避けたカーライアムはそのまま足を振り上げて反撃を試みるがヘルシングは余裕を持って後退、すぐさま接近してカーライアムの腹部に蹴りを叩き込んだ。かろうじて腕で防御したものの、その威力は殺しきれずに大きく後ろに吹っ飛んでしまう。
(まだ足りない…!)
衝撃で体がばらばらになりそうなのをこらえ、必死に言葉をひねり出す。
「もっと、もっと力を――!」
地面に足を着けた瞬間に魔法詠唱を完成させる一言を放つ。
「”ヴトーレ”ッ!」
瞬間、カーライアムの速度が更に上がり、ヘルシングへと接近する。
ウシペーネは二倍に、今の詠唱をすればその二乗、つまり体の速度は元の四倍へと跳ね上がる。
右へ行くフェイントを仕掛けて左へ飛んだが、ヘルシングはその動きに完全に対応できていた。
(これでもまだ遅いのか――!)
改めて”魔憑き”の人外さに驚きながらも、更に言葉を紡ぐ。
魔法の反動で既に肺はやけ、全身の筋肉が悲鳴をあげているが、それを強引に無視して言葉をひねり出す。
「”トリョーグ”…!」
更に、二乗。
それは元の身体能力の十六倍にまでなる。
魔法を詠唱し、地面に足をつけた次の瞬間には完全にヘルシングの背後を取っていた。
しかし。
今の疲弊した足でこの速度を殺しきるのは無理だった。
だが、このままの体の速度で腕を突き出せばこちらの腕がもげるだけだ。
ならば、と腰の剣を使う必要があるのだがこのままでは引き抜く間に通り過ぎてしまう。
そう判断したカーライアムは更に血を吐き出すように叫ぶ。
「”チェツィ”ッ!」
更に、二乗。
十六の二乗、実に256倍。
現時点でここの段階まで達した魔術師はほぼ居ないとされている。
それほどまでに魔力の消費が激しいのと、自分の体へのフィードバックで死に至る可能性があるからだ。
だが。
カーライアムはそれを承知で詠唱する。
その直後、カーライアムの姿がぶれたかと思えば次の瞬間には、ヘルシングの背中は深く切り裂かれていた。
右の脇腹から左の肩までを刃渡り30cmもの長さの刀が深々と切り裂いたのだ。
心の臓にまで届いたかと思えるようなその斬撃を最後に、カーライアムはスピードを殺しきれずにそのまま転がっていった。
集中を切らしたためにウシペーネの効果は途切れ、ゆっくりと首だけを動かしてヘルシングが倒れていく様を見続けた。
だが。
地面に倒れきる前にヘルシングが小さく言葉を呟く。
「”アドベント”」
次の瞬間に。
ヘルシングの周囲に土煙が立ち込め、晴れたかと思えばそこに立っていたのは犬のような尻尾を生やし、心なしか毛深くなった…狼だった。
「惜しかった――な」
言葉を発したことにすら驚きを覚えるぐらいに人とはかけ離れたその見た目から出てくる言葉は少し優しげな色さえ持っていた。
「これがなければ俺は負けていたよ。お前のその強さは尊敬に値する」
今までは”魔憑き”の人間の部分が強かった状態だったが、今は”魔”の要素が強くなっている。
「しばらくこの姿でいる必要があるからあんまり使いたくなかったがな…死にたくねぇし何より本気を見せねぇのはあんたに失礼だと思った」
つまり。
この人間は人としての体と魔としての体を有しており、今は魔としての体を使用しているということだ。
端的に言えば。
全快復したということだ。
文字通り命を絞っての攻撃は、徒労に終わったということになる。
「最後に聞かせてくれ…貴様、どの”魔憑き”だ」
「それはまぁ――何番目のかってことを聞きたいんだろうが――残念ながら違うぜ。俺は魔憑きではあるが天然じゃあない。人によって作られた”魔憑き”だ」
”魔憑き”を作る。
害しか無いと思われていた”魔憑き”を利用するという発想に驚きを隠せないが、それ以上にカーライアムは嫌悪感を抱いた。
人間をいじくりまわして兵器にする。
そんなのはまともな人間ができることじゃない。
今自分が死の淵に立たされているということも忘れてそんなことを考えていると、ゆっくりとヘルシングが近寄ってくる。
「まぁ――あんたが思うほどこの体も悪いもんじゃあ無いぜ」
彼がそう呟いたのと同時に、背後で大量の炎弾が発射された。
「あっちももう終わりか。いい戦いだったぜ、あんたとの戦いは心に刻んでおこう」
少しものさみしげな目をして、ヘルシングは剣を振り上げ、そして剣が振り下ろされた。
****
しっかりと刃はその体に突き立った。
しっかりと炎弾は着弾した。
なのに。
二人は生きていた。
いや正確には――。
四人は、生きていた。
「ナァに楽しいことやってるんだヨ」
その炎弾を食らっても尚平然とした顔をしている男と。
「切れ味が悪いのはそれはそれでそそる物があるよね」
剣を胸に深々と突き刺さっているというのに嗤っている女が立っていた。
突然の乱入者にその場に居た全員の動きが硬直し、乱入者の服を見る。
青を基調として、胸元で白いラインが交差しているデザインのローブを羽織った彼らの背中には、杖に蛇が巻きついている紋様が描かれていた。
そのデザインはこの世界で魔術師を目指すものなら誰しもが憧れる組織のマークだった。
魔術結社”アスクレピオス”
灰鴉とは別で”真っ当な”魔術結社と呼ばれている組織だ。
彼らは特に表舞台に出ることはなく、影で活躍することが多い。
そして困窮した状況に現れてはそれを解決する事が多く、食糧事情や医療事情を主に解決することからこの組織はこんな通名を持っている。
”世界を治療する者達”
そんな人間が戦場に立ったというのは前例のない事だが、同時にその場に居たアスクレピオスをしっている人間は確信する。
戦況は一転した、と。
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