語学研修
短いですが、できるだけ毎日投稿するのを目標としてやっていこうとおもってます。
「これで死んだら情けねーよなぁ…」
震える声でそういいながら、懐にある投擲用の石を取り出して狙いを定め思い切って投擲する。荷物を漁り終わって女性に襲いかかろうとしている犬に放物線を描いて見事命中。やった、と拳を握りこむのと同時に、ゆっくりと犬はこちらに向き直る。
初めてヤツの顔を見るが、その顔はとても犬とは呼べるものじゃあ無かった。汚れきった灰色の毛が生えた顔には、そもそも目玉というものが存在しなかった。
「おいおい…俺やばいのに喧嘩売っちゃったんじゃ…」
ぞわり、と全身の毛が逆立つような感覚が俺の体を襲う。
この感覚は前にも味わったことがある――!
犬が屈みこんだのを視認するのと同時に左へ飛ぶと、体のすぐ右側を巨大な質量が通り過ぎた音が駆け抜ける。
やべぇぞこいつ――!
距離にして数十メートルあったのに、その距離を一瞬にして詰めてきやがった…ッ!
とんでもないものに喧嘩を売ってしまったと思う反面、体の内側からふつふつと何かが湧き上がるのを感じる。恐らくこれは高揚感だろう。
地面に着地して勢いを殺すのに数メートル地面を滑り、ゆっくりとこちらに向き直る犬を見据える。俺だって怖い。けれども今現在、何の打開策もないわけじゃあない。奴が大きいからこそ、そして素早く、一直線にここへ突き進んでくる技を取る以上、俺は奴に勝てる”策”がある…!
毛皮を剥ぐ用の、尖った大きな石を手に持ちながら奴の様子をじっくりと伺う。
「来いよ、犬っころ…!」
その言葉に反応したかのように、犬の体が先程よりも少し浅く沈んだ次の瞬間。ダンッ!と地面を蹴り上げる音と同時に、真っ直ぐにこちらへ向かって飛んでくる大きな犬の巨体が見える。
さっきよりも遅いのか、それともこっちの目が慣れたのか、その姿をはっきり捉えることが出来て、かつ思考ができるぐらいには余裕があった。
(ただの突進…!)
一瞬だけ視界にまともに映ったその姿だけを見て咄嗟に”策”が通用しないと判断し、すぐさま横に飛ぶ。完全にかわしきれるタイミングだったが、俺が横っ飛びをした地点より数メートル手前で、奴は地面を大きく横に蹴って軌道修正をして俺の体を追尾する。
(まずい…!空中じゃ軌道を変えられない!)
と、全身の筋肉に力を込めて丸まって犬の突撃に備えた直後に四トントラックと打つかったんじゃないかと思うような衝撃が全身を襲う。全身にこめた力なんて関係なく四肢がバラバラに吹き飛んでしまいそうなほどの衝撃が体をおそい、何度かわからないほどに地面をバウンドして更に数十メートル転がった後にようやく止まる。
交通事故。
そう形容するのがおそらく一番正しいだろう。あまりに大きな衝撃は、俺の体からほとんどの力をえぐりとっていくのには十分すぎた。
(ち…っくしょう…ったく、変な気は起こすもんじゃあねぇな…)
ゆっくりと立ち止まり、俺にトドメを刺すためにさっきよりも深く体を沈ませる犬を見ながら、自分の体のどこが動くのかを把握する。
(動くのは…右手と右足だけか…)
そして、ダンッ!と先ほどよりも大きな音をたてて跳んだ犬は俺の喉を食いちぎるために大きく口を開け、迫ってきている。
止めの一撃を刺すために迫ってくる犬を前に篠芽は絶望していなかった。それどころか、彼は笑っている。
(動くのはそれだけで十分…!むしろ待っていた…!この好機を!!)
視界の映像がだんだんとスローになっていき、犬の口の中がはっきりと見て取れるようになる。
(狙うのは喉仏から奥に約一センチ…!上顎と脊髄の間の柔らかい肉の部分…!!!)
照準を合わせるように右腕を微調整し、最後に右足で軽く地面を蹴って犬の方向へと跳ぶ。
「う、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
犬の歯が俺の腕の肉を裂いていくのも気にしないで更に奥深くへと腕を突き出していくと、ぶすり、と石が肉を突き破り、ブチブチと大きな血管をちぎっていく感覚が腕を伝う。
「死…ねぇ…!!!」
犬と共に吹き飛びながら更に喉の奥へと石を突き進め、脊髄の間に石の先を引っ掛けるようにして神経をちぎると、途端に奴の体から力が抜けて、直進姿勢を保つことが出来ずに、俺を巻き込みながら地面を転がっていく。そのまま数メートルすすんだ先で止まると、犬はぴくりとも動かずに横たわっている。
何とかなった、と思いながら、薄れていく意識に抗うことが出来ずに、ゆっくりと意識を手放した。
****
ふと、目の前にある視界が現実のものじゃあないと思ってしまう感覚は誰しも感じたことがあると思う。
何故自分がここにいるのか?ここにいるのが本当に正しいのか?今俺が立っているのはどこなのか?そんな風に世界が曖昧になってしまう瞬間があると思う。
俺は、よくあった。
その理由は自分で考えるに、自分がこの世界にいる理由が自分で分からないからだ。俺の場合は人と話すのが極端に苦手だった。結果誰とも俺は仲良くなれなかったからだ。しかし、そのまま孤高に生きることができるほど、俺は強くなかった。
誰かに必要として欲しい。けれども誰にも必要とされていない。誰にも、認識されないのだ。だからまぁ、一人で生きるのがモットーであるサバイバル部に入っていたりしたわけだが。とにかく、心のなかで誰にも必要とされていないと再認識するときには、よく思うことがあった。
来世では、もっと積極的に生きてみよう、と。
そう思っている時だったのだ。俺が、異世界に召喚されたのは。
****
懐かしい、夢だな。
昔、ある親友に裏切られた事があった。当時は悪夢に苛まれたものだけれど、今となってはたまに見る程度だ。けれども、その夢を見た日は丸一日が憂鬱な気分になる。
(いい加減、区切りを付けたいもんだな)
そう思いながら瞳を開けると、知らない天井がそこにあった。
「…知らない天井だ」
なんて言うテンプレをとりあえずやってから体を起こそうとすると、支えにした右腕が引きちぎれそうなほど痛む。
「いっ…てぇ!」
思わず叫んで右腕をみると、右腕をミイラかと思うぐらいに巻いている布に、赤い斑点があるのに気付く。ああそうだった、と犬との死闘のことを思い出すと、次にここはどこなのかという疑問に突き当たる。まぁ治療してくれてなおかつ枕横のテーブルに温かい食事が置かれているのだから、悪い処遇ではない気がする。普通に考えて俺の飯じゃねぇけど。
そんなことを考えていると、一人の女性が飲み物を手に部屋に入ってくる。
何故か咄嗟に目をつぶって寝た振りをしてみるが、考えてみれば一度起き上がってみようと思った時に布団がはだけている。馬鹿か俺は。
観念して目を開けると、少し笑っている女性が俺の枕の隣の椅子に座っている。まぁ大層な美人だこと。
胸まで伸びたすこしカールした茶髪に、丸く大きな目、整った鼻に口紅の塗られていない口。化粧ってものはこの世界に存在しないのかな、と場違いなことを考えていると、女性が口を開いて言葉を発する。
「%$’%”?@#=~?」
そういえば言葉通じないんだった…。
一難去ってまた一難か、と少し辟易しながら適当に日本語をしゃべると、少し驚いたような顔をしてから彼女は顎に手を当てて考えこむ。数秒後、彼女は自分の事を指差して「リーニャ」と言った。その後にこちらに手のひらを差し向けてくるものだから、多分俺の名前を聞いているんだと思って「篠芽悠真」と答えると、彼女は満足そうに頷く。
自己紹介を終えると彼女はテーブルの上にあった、お粥の入ったお椀を俺に手渡し、食べるようにジェスチャーをしてみせる。
分かったと頷くと、満足そうな表情をして部屋を出て行ってお粥を入れたお椀を持ってくると、彼女も食べ始める。
まさかお粥が主食じゃないだろうし、俺のためにたくさん作ってくれたのかな、と少し申し訳ない気持ちになりながらお粥を一口食べると、口の中に梅の酸っぱさが広がる。
「これ、梅粥か!」
まさかここで俺の大好物の梅が食べられるとは思ってもみなかったので、一瞬でお椀の中身を平らげてしまうとリーニャは笑っておかわりを持ってきてくれた。二杯目も一瞬で平らげてから頭を下げてお礼の意思を示すと、彼女はよくわからないといった様子で頭を下げてくる。何だこの可愛い生き物。
リーニャもご飯を食べ終え、俺の分の食器も一緒に片付けて戻ってきて一息つくと、少し気まずいような空気が流れる。
言葉が通じないのだから会話するのも難しいし、彼女もここからどいてくれそうにない。ならどうすればいいのか。答えはただひとつ!と意気込んで彼女に話しかけようとするが、彼女の整った顔立ちを見るとどこか気恥ずかしくなってしまう。そういや俺女子とまともに話したことねーわ…
枯れた青春に思いを馳せるのもいい加減にして、精一杯言葉をひねり出す。
「こ…言葉…を…教えてください」
断られたら死のう、とまで考えるほどに思いつめて出した言葉は――
「%&#”?」
やっぱり通じませんよねー
その後何とか頑張って言葉を教わりたいことをジェスチャーで伝えると、彼女は笑って頷いてくれた。
そうこうして、リーニャ先生の語学の授業が始まるのだった。