第9話 人間は自身の理解の範疇を超えた事象に直面したとき、自我を保つ為に思考を停止する機能を備えている
「美味しいでしょ?」
「う、うん、ありがとうございます」
気が動転していたらしく、泣きそうな顔をしていた少年を何とかテーブルに着かせ、旅の道中で食べる予定だったビスケットと水筒に入れてた紅茶を口にして、少年はようやく落ち着いたようだ。
「じゃあまずは自己紹介しようかな。私はレベッカ。よろしくね。こっちの黒いおじさんはローレライさん」
「おじさんってお前……ローレライだ」
ローレライさんが非難めいた視線を送ってくるが、無視する。
「僕はココルっていいます」
少年――ココルは幼いながらもしっかりした口調で名乗る。これなら話を聞けそうだ。
「ココル君か、キミはどこに住んでいるのかな?」
「ウル村です」
「ウル村?……お父さんやお母さんは今どこに居るのかな?」
「たぶん村です。僕、ひとりでここに来たから」
「え!?」
ウル村はルーガスの北東に位置する村だ。ルーガスから王都へと続く街道の中継地点として知られている。
そんな理由もあって、ルーガスからウル村への道程は厳しくは無い。整備もされているし、モンスターも滅多に出没しない。出ても野良モフ程度だ。しかし、あくまで成人だったら比較的安全という話で、子供がひとりで歩く道程では無い。
距離も近いとは言えない。成人でも徒歩じゃ5,6時間はかかる距離だ。
「よくひとりでここまで来れたね……」
私は素直に驚いた。時間をかければ歩けない距離じゃないけど、こんな10歳前後にしか見えない子がひとりで歩こうと思える距離じゃない。
しかも今の時刻は朝の9時だ。この子は街道で夜を過ごした計算になる。
「夜中のうちに村に停まってた馬車に乗ったんです」
「馬車?……もしかして、輸送用馬車? 荷台に忍び込んだの?」
「う、うん。ごめんなさい……」
いや私に謝られても……というか、すごいなこの子。私も子供のころはかなりやんちゃだったけど、こんなに無茶したこと無いよ?
「何でそこまでしてルーガスに来たんだ? 冒険者に頼みたい事と関係あるのか?」
ローレライさんが本題を訊く。確かにここまでのココルの話を聞いて疑問が深まった。
「僕、探検に入った森の中で大きな岩の化け物を見たんです」
「岩の化け物?」
ココルが頷く。
あ、そういうことか、さっき言ってたのは私のことじゃ無かったのね。私の身体がカチカチなのかと焦ったよ。
「動いてたから多分生き物だと思います。でも岩にしか見えなかったんです」
「う~ん……」
説明がおおまかで 『岩の化け物』 の正体が何なのかいまいち分からない。岩みたいなモンスターって結構いるからなぁ。
「村の大人は見間違いにしようって……だけど、僕は本当に見たんです!」
「ココル……」
ココルは悔しそうに唇を噛む。
そうか、だから無茶してルーガスまで来たんだ。自分の言ってることが本当だと証明したいんだね。
でも、見間違いにしようて何か引っ掛かるな。
「じゃあ依頼ってのは 『未確認モンスターの調査』 といったところだな。……なるほど、道理で村人が見間違いにしたがるわけだ」
「え?どういうことですか?」
よく分からない私は、ローレライさんを見る。説明よろしくお願いします。
「危険度が分からないクエストだからな、ギルドへの依頼額が高額なんだ」
ああ、なるほど、つまり村にしてみれば 『子供の言う事信じて、調査の為だけに高いお金払いたくない。だから見間違いという事にしよう』 という訳ね。
「でも、いくら目撃情報元が子供だからって、放って置くのは危険なんじゃないですかね?」
自分の住んでる場所のすぐ近くに、正体不明の生物が潜んでいるかも……と考えると私だったら落ち着かない。
「まぁ、それについては俺も同じ意見だがな。おそらくだが 『岩の化け物』 は、ストーンタートルだと考えてるんだろ」
「なるほど」
ローレライさんが考える 『岩の化け物』 の可能性が高いモンスターを聞いて、私は納得した。
ストーンタートルは別名 『巨岩亀』 と呼ばれる大型のCランクモンスターだ。名前通り岩のような甲羅を持った亀のモンスターで、砂の多い地域に棲む。
基本的におとなしく、人間を襲うのは縄張りに侵入された時くらいだ。
だがCランクだけあって、というよりおとなしい性質なのにCランクと考えるべきか、かなり難敵らしい。私は負ける自信がある。
「確かに……ストーンタートルなら縄張りに近付かない限り大丈夫でしょうけど……」
私は腕を組んで考える。
森だと生息域が異なるのは気になるけど、他の岩型モンスターたちに比べたらストーンタートルという可能性は高いだろう。
この程度のイレギュラーは結構ある事だ。
それでも、やっぱり危険じゃないかな? 何処から何処までが彼の縄張りなのか分からないんじゃ、おちおち外も歩けないでしょ。
もし彼の決めた縄張りが分かったとしても、それが自宅の扉前まであったら、自宅に帰れないか、自宅軟禁のどっちかじゃないですか。やだー。
「お姉ちゃん、これで……僕の依頼うけてくれる……?」
ココルが差し出した小さな手のひらには銀貨2枚と銅貨4枚の合計240コロ。そして不安と期待が入り混じった表情が上目遣いに私を見つめていた。
こ、これは……反則でしょ。断れないでしょ。……まあ、最初から断る気もさらさら無かったんだけどね。というかその表情と上目遣いの併せ技、すごくイイ!ね。
今度エレノアさんに試してみよう。
「おうよ! お姉ちゃんに任せなさい!」
「ほんと!?」「はぁ!?」
私の返事に2人がほぼ同時に声をあげ、立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待て嬢ちゃん、何考えてるんだ、俺たちの仕事はどうするんだ?」
ローレライさんが仕事の心配してる……何だろう、喜ぶべきなのにすごい違和感。
というか、なんか気持ち悪いです。ごめんなさい。
「大丈夫です、3日余裕ありますから。ローレライさんは予定道りにロイグ草原に向かってください。こっちの調査終わったらすぐに合流しますから」
「あー、いや、今気付いたけど、お前ギルド規約違反扱いになるぞ?」
「ああ、ギルド職員はクエスト契約できないってやつですね。大丈夫です。これは単なる人助けですから」
「は?」
「契約や報酬が発生しなければ、クエストにはなりませんよね?」
私はそう言ってローレライさんにニコリと微笑み、6枚のコインを差し出していたココルの手を包み込むように握る。
「お金はいいからココルが持ってなさい」
「え?で、でも……」
「は~や~く~、じゃないとお姉ちゃんが困ちゃうんだよね。偉い人から怒られるんだ」
そう言ってニシシと笑って見せる。
「う、うん! わかった! ありがとう!」
嬉しそうにココルも笑う。
「はぁ、お前なぁ……完全に屁理屈だぞ。その言い分」
ローレライさんが頭を掻いて、私を見る。うん? 何だか楽しそうだ。
「屁理屈さえ言わずに仕事しないローレライさんに言われたくないです」
何だか私も楽しくなって、ローレライさんにニヤリと笑って見せる。
「ははは、分かった分かった。もう俺が何言っても聞かないだろ? 好きにしてこい」
「はい、じゃあ出来る限り早めに合流するようにします」
「あ~、いや、いい。こっちは1人で何とかする。嬢ちゃんはしっかりぼうずを送り届けてやれ」
…………
…………?
……………………いや、無い無い。
今のは完全に空耳だね。あ~、びっくりした。あり得ないセリフ聴こえた気がしたよ。ちょっと頭真っ白なった。
「? おい嬢ちゃん? 俺はもう行くからな。気を付けろよ」
「あ、はい。また」
「ぼうず、嬢ちゃんの言うこと聞くんだぞ、あと帰ったら親御さんにちゃんと謝れよ?」
「うん! おじさん、さよなら!」
「ははは、じゃあな」
「お姉ちゃん?」
「はっ!……よ、よ~し、私たちも行こうか?」
こうして私とココルはウル村に向かって出発した。