<03> 花魂風月 (前)
滅多に使われない家の電話が、ちりりちりり、と控え目に鳴っていた。
生憎にして今日も時期に見合った雨模様で、縮こめられるようにその音量は低減される。加えてベル音のパターンを久しく忘れていたため、それが着信の合図だとすぐには気付けなかった。
しかしまあ、携帯ではない方に掛けてくるのだから、電話先の相手は親しい人間ではあるまい。
公共料金関係か、あるいは父の知り合いからか。キャッチセールスも当然有り得る。メイは部屋に居る……となると自然、居間で世界遺産系の番組を観ながらくつろいでいた俺が電話を受けることになろう。
テレビ画面の左上に『5:56』の表示があり、下の帯部分ではスタッフロールが流れ去っているところだった。
リモコンの「消音」ボタンを押してから、立ち上がって受話器を取る。
「はい」
「よう。俺だが」
「どちら様ですか。悪徳セールスなら残念なことに間に合っていますが。あっ、ちなみに私、佐々木といいます」
「ったく、どの口が言いやがる。元気そうだな打川」
「ええ、先ほどまで暮れなずむアンコールワットを堪能してまして。精神的にはかなり満足した状態です。それで何の用ですかね、川藤さん」
受話器の向こうに雑音は聞こえない。
となるとどこかの屋内、事務所とやらにでも居るのだろうか。
「無論、暇つぶしで電話料金をかさ張らせるつもりはねえが。仕事の話だ」
「それはいいんですけど、なんで携帯に掛けてこないんです」
「お前の所、電波悪いんだよ。前にかけた時も終始ブツ切れでひどいもんだったろ」
「なるほど、それは失礼しました。お手数掛けます」
「まあそれはいい。で、仕事の話なんだが、メモの用意は良いか」
「ええ、手元に」
「じゃあ本題に入るか。実は最近、妙な『力』の反応があってな。それもどうやら、こちらの許可を得てないものみてえなんだ」
「ふむ、どこでそんなことが?」
「御旗岳中をぐるっと回った裏手、お前んちの裏の坂あたりだ」
「近場ですね」
「で、微弱な反応だったから、ここ数週ほど面倒で放置していたんだ。ただの探査エラーかもしれないからな」
「おざなりですねえ」
「常時発生してるわけじゃなかったんでな。こっちも基本は中坊どもの訓練が優先だし、立会人は皆が皆忙しい」
「ええー、本当ですかそれ?」
「そこに疑問符を浮かべるな。ともかく、今週は訓練予定もないだろ。裏の坂を調査してくれるか」
「いつ行けばいいんです」
「反応は晴れの日、それも夜にしか起こらん。時間帯は大体7時から8時の間だ。まあ今日は無理だな、明日の夜に行け」
「一人で?」
「いずれ立会人が行く予定だったが誰も都合がつかん。幸いにその時間帯の御旗岳は能力が十二分に使えるはずだ、訓練生を連れてけ。暇なのを二人ほど用意してお前んちに送っとく」
「メイ……狩野はどうしますかね」
「ああ、そうだなあ……あいつが無給でいいってんなら付き添ってもらえ」
「分かりました。後日、報告すればいいでしょうか」
「うん、そうなるな。立会人によっては通じないだろうから、言伝なりで俺宛てにレポートを頼む」
「はい。ところで」
「何だ?」
「万一何かあった場合、保険とか下りますか」
「……ウチにそんな上等なモノはねえ。安心してくたばれ」
それきり、電話は切れた。
全くブラックな話ではあるが、日給を鑑みれば割のいいバイトには違いないので、その辺りは深く追求しないことにしていた。
カーテンの閉められた縁側の向こう、裏手の坂がある方向を一度見る。
それから2階の自室に居るメイに話を持ち掛けるべく、階段へと向かった。ことさら金銭に執着する奴でもないし、たぶん暇つぶしとして応じるだろうとは思う。
明日の段取りを考えながら、ゆっくりと一段一段を踏みしめて階上へ登り出した。
- - - - -
もう少し人選を何とかできなかったのだろうか。
「……お前らかー……」
「時に及びて何をか言いたげじゃの、打川氏(うじ)」
「謎のパワースポットを調査するんっスよね、いやーワクワクしてきました!」
金曜の夜、時刻は7時を回る5分前。
川藤が『用意』した能力者の二人が、家の前の道路に集まっていた。
黄色に赤い花柄を染めた扇子は、クラスC-24の葉村砂月。
隣で小うるさい小柄な小坊主が、クラスD-28の青山司朗。
「ういー、二人とも。大興奮だねえ、特にシロくん」
玄関に鍵をかけ終えたらしいメイが、両手に2本の懐中電灯を照らしながらやってきた。
昨晩のうちにメイに話を通したところ、ナイトハイクがてら付き合うとのことで了承を得た。裏の坂は街灯もなく真っ暗になるし、怖くは無いのかと確認してみたのだが、きょとんと一言「なにが?」と返された。
彼女が何かを恐れたり、素で驚いたりすることは確かに見たことがない。ともすれば、人間味の薄ささえ思わせるくらいに。
「シンゴ。レポート用紙は置いてきたけど、それでいいんだよね?」
「ああ。暗くて書きにくいだろうし、身軽な方がいい」
「お弁当は?」
「いらねえ。っていうか、さっき晩飯食ったろ……」
この調子ではあったが、まあメイは別にいい。問題は残る二人の同行者だ。
「せめてクラスCを呼んどいて欲しかったがなあ」
「暫くその言を待ちおれ、打川氏。此方は階級Cを満たせる力程なるぞ」
一番下だけどさ、と継ぎ足す小さな声を、葉村は開いた扇子を当てて隠した。
「本命は猪吹、対抗で愛中、大穴で井房野(いぶさの)と予想を立てたが大外れだ。あいにくお前らにはマークを付けてなかった、せいぜい三連単なら三着がいいとこだな」
「酷い言い草っスねえ。まあ猪吹はああ見えて家が厳しいみたいスよ。陽が沈んだら家から出られないぐらい」
「見かけによらねえなあ、あいつ。お前ら仲いいのか?」
「クラスは違うっスけど、よく話すっスよ。あ、“組”の方の“クラス”っスけどね」
「そうっスか。まあいい事だが、学校で能力の話はすんなよ」
「案ずる無かれ、我ら列岩たりて流水通さざるを本懐と心得ておる」
「あー葉村、お前はいいんだ。みんな演技の一環だとしか思わないだろうから」
「む……」
葉村を平和的に静かにさせたところで、そろそろ出発の合図を掛けることにする。
「じゃあ行くか。場所はここから裏の坂、制限時間はだいたい1時間。道を下っていけば何かに行きあたるはずだと聞いたから心しておけ。お前ら二人は道中、能力と感覚を研ぎ澄ませておいてもらえると助かる。以上」
「承知した」「了解っス」「シンゴー、私はー?」
「静かにしてろ」
「……うい」
ともあれ士気もそこそこに、調査団は第一歩を踏み出した。
- - - - -
夏近い林道の空気は水を撒いたように涼しく、
そこここからの虫の羽音は心地良く耳朶に染み入ってくる。
陽照る日中に焼いた肌を冷ますには頃合だが、
それぞれの足取りは忍ぶがごとく夜の入りを暗く踏みゆく。
幅狭く車さえ侵入を禁じられた裏小径ゆえに、
心細いガードレールだけが沿うつづら折りに対向者は無い。
足元を照らす電灯の先に鬱蒼として草が沈み、
ひび割れたアスファルトへと手招くように伸び盛っていた。
「雰囲気あるねえ、丑三つ時ならもっとだろうけど」
メイの声は常と同じく弾んでいる。
「こっちの道は普段通らないんで、何か不思議な感覚っス」
「まあお前らはそうだろうな。俺にとっては庭の延長だよ」
幼少の時分から今に至るまで、何度もこの道を歩いたものだ。遠景でなければ分かりにくいが、この森、いや林の規模は小さい。山に連なるわけでもなく独立しており、野生動物を見たことはついぞない。そういうタネが分かっている自分だけは、他三人よりは不安感は薄いのだろう。
「しばらくはカーブが続くが、あと十分ほども歩けば直線道になるはずだ」
「下る分には造作も無きことよの」
「ふもとまでゆっくり歩いても二十分。目標が見つかんなきゃ今度は登り直しだ」
「うぇ。面倒だなあ」
油断したように素の口調に戻った葉村が、気だるそうに正直なところを述べた。
「まあ八時になったらどうあれ終了だ。残業の必要はないから安心しろ」
「しかし何だろね、その目標って。川藤さんは『能力者の反応』とは言って無いんでしょ?」
「そういや確かにそうだな。ただ『力』としか聞いてないってことは、上の方もつかみかねてるんだろう。……何だと思う」
「んー、まかり間違って能力を得たリスとか、タヌキとか?」
まずメイが希望含みな仮説を立てる。
「立会人の皆さんも結構いい加減だし、探査エラーの線も消えてないっスよね」
次いであまり当たって欲しくない予想を青山が蒸し返す。
「……幽霊、とか……」
最後に葉村がつぶやくように小さくこぼすと、四人の間に沈黙がのそりと落ちた。
(……幽霊。霊の類、か……)
オカルトの筆頭格ともいえるそれだが、『超能力』という科学だか魔法だかわからん力には日常的に触れている。折しもおあつらえ向きの人気の無さと時間帯、葉村の一言を一笑に付す事もためらわれた。
「あ」
「!! ……なんだ驚かすな青山、どうかしたか」
「い、いや、今、……その」
「言い淀むな、怖くはないがもやもやするだろ」
「じゃあ言うっスけど、あっちに……」
指差したのはガードレールの先、ここより5メートルほども低い道のあたりだ。
そして途切れ途切れながらも、青山ははっきりと、言った。
「……火の玉が、浮かんで、ました……」