<19> 風砂人は霞の朝に (後)
「格好付けた所申し訳ないが、こちとら急ぎでな! ……参崎!」
「おうッ、んじゃあやってやるよ。檻なんて鬱陶しいもん出してんじゃねえ、来やがれケイゴ!」
最後尾から参崎が躍り出て、ひょこひょこと無警戒で出てきた鑑を視界に捉えた。
それで終わりである。
能力を介して出てくるものである以上、鉄塊だろうと即座に消え去る。
「…………。…………んっ!?」
腕を組み仁王立ちしていた鑑はワンテンポ遅れてその事態に驚いたが、理解はできていないようだった。
参崎の能力を知らなかったのだろうか。メイが教えないとは思えないから、鑑が侮っていたという線が濃厚か。
「そうそう有利な状況に持ち込めると思うんじゃねえよ。さあ勝負だ、互いの想像力を賭けてな!」
どの口が言うのかという感じだが、その自信に満ちた物言いが今は頼もしくもある。
その場に止まった彼ら2名を残し、ほか全員がその横を足早に通り過ぎる。うろたえながらも参崎に向かい対応している鑑には失礼だが、恐らく参崎はほどなくして勝つだろう。
出来る限り早く後ろを固めてもらえば、作戦はより容易に進行できるだろう。
……参崎の力が消えないよう能力使用可能範囲を確かめつつも、出来るだけ前へと進む。
とりあえず対処すべき“あと二人”を抑えるためだ。先ほど出戸が見つけ、かつ見つけられた猪吹と青山を。
すぐに駆けつけなかったということは、恐らくこの先に――――
「あ、いた……けど何やってるんだろ」
不思議そうに首をかしげるのは愛中だが、疑問は自分も同じだった。
待ち構えているつもりなのか、それにしては二人ともが妙な体勢を取っている。
猪吹はまるで土下座するように地面に顔を近づけており、両掌も地表にべったりと当てて微動だにしない。青山は樹木を背に立ち寄りかかっているが、目を閉じて脱力している。
「なんだありゃ、まるで儀式だな。確かに怪しすぎるが、しかしやるしかない。……葉村、出戸。愛中のフォローを」
「りょーう、かいっ」
答えたのは愛中の方で、彼女はうなずく両名の間から威風堂々と現れてきた。
細かい指示はしない。というよりもすぐに聞く暇が無くなるだろう。
これから始まるのは“近距離戦”だからだ。まっすぐ距離を詰めて直接叩く……基本的にこちらにはそれしかない。元々そういう戦い方に慣れている愛中には、外野の下手な助言こそが邪魔になるだろう。
いま自分にできる事と言えば、観察と警戒。そして、次の手を考えることだ。
目の前のこの戦いは愛中に託す。それは葉村と出戸も承知したことであり、間に一切のやりとりは挟まなかった。
そして、待つ間もなく。愛中は軽く地を蹴って、前傾気味の姿勢で接近を開始した。
出戸はその背を守れるように位置を取り、しかし邪魔にならない程度に距離も取る。
葉村は敵に向けて扇を構える。そこから動きはしないが、周囲の警戒に回していた集中力の矛先は切り変わった。
(ひとまず連携に問題はない……だが、猪吹は何をする気だ?)
三者が動き出しても、敵二人は見るどころか身じろぎさえしない。愛中は動きに緩急をつけて揺さぶってみているが、やはり反応は無し。
地に伏す猪吹の背に貼られたシールはここからでも見えており、狙ってこいと言わんばかりだ。
愛中は猪吹の挑発、挑戦を受けるべく近付いて行く。
そして、距離は十分に縮められた……そう捉えたのであろう。
身を沈め、ぐっと強く大地を踏みしめ、疾風の様に飛びかかり
――――愛中久澄江は、“吹き飛ばされた”。
「突き」飛ばされたのでも、「殴り」飛ばされたのでもない。
思わぬ一手を受けて、愛中は弾かれるように「吹き」飛ばされ倒れ伏した……そう説明するしかなかった。
敵対する二人はいまだ動いておらず、少なくとも直接攻撃ではないはずだ。
「何、いまの……何で? ……違う、私じゃない……?」
一瞬のことで、認識が追いついていない葉村が動揺の声を漏らす。
空気が流動したのは自分にも感じ取れた。それは彼女のお家芸と言えるものだが、こたびの行使者は別らしい。
「――――驚いたっスか? それなら苦労した甲斐があったってもんスね」
その“犯人”がまず閉ざされた口を開き、それからゆっくりと目を開いた。
坊主頭を一度ぐいっと反らしてから、また少し戻して正面を見据える。
青山司朗。いつになく不敵な表情を浮かべて、彼はにやりと笑んだ。
「これが俺の能力なんスよ。あー、つってももちろん。風を起こすわけじゃないっスけどね。……打川先輩は知ってるっスよね」
「……ああ。通号は『ダスト』だったか。基本的な能力は……」
「“砂”……」
割って入る声が一つ。倒れていた愛中がゆっくりと起き上がり、その正体を言い当てた。彼女の体に外傷はないが、衝撃からかふらついてはいた。
そして良く見れば左の手のひらの上で、何やら白茶色の球が出来上がり渦巻いている。『トータル』でとっさにガードしたのか、それは彼女に飛んできた“無数のもの”の一部だった。
「砂を、操る能力……って、こと……?」
「お、ご名答……と言いたいけれどちょいと違うっスね。確かに今操ったモノはそうっスけど……」
一呼吸置いてから、また彼は目を閉じる。すると、わずかに足元の大気が震えるような奇妙な感覚に襲われた。
「基本は“塵”。空気中の小さなチリを操る、微弱でちっぽけな念動力っスよ」
自嘲するようにかすかに笑い、言った後で青山は顔をそむけた。
彼には悪いが、実際“その程度”の能力だとこちらも認識していた。訓練においても『ダスト』で操られていた範囲は狭く、塵を操れる分量も、良くて一握り程度だったはずだ。それが今、より重い「砂」を正確かつ一斉に飛ばすことで、人ひとりを吹き飛ばすだけを威力を持ったのである。
もちろん驚きはあった。が、すぐに一つの理由に思い当たる。
「そこな者の力ではなかろう。倒れ伏す彼の成す術ではあるまいか」
一歩前に出てまっすぐと扇子を向けたのは、久々に聞く口ぶりからも分かる通り葉村である。視覚のみならず超感覚をもって物体の流動を感じることが可能な彼女ならば、より詳細に先ほどの事象を把握していたはずだ。
猪吹は「土」を操る。ならば近しい「砂」に干渉できるのではないか……それは妥当な考えではある。しかし葉村も確信を持って言い当てたわけではなさそうで、そのためかこちらに意味ありげな目線をちらりと送った。
「そう思うっスか? んじゃ、確かめてみたら?」
「……しばし待たれよ。拙速は美徳になり得ぬ」
そうは言うが、相談している余裕はない。時間を掛ければ手詰まりになる。
だが葉村はもう一度、今度は鋭く目線を寄越し……それだけだった。
青山へと向き直って、彼女は二言だけを言い切った。
「決めた。倒す」
思いがけず決然とした眼差しと声音に、青山は反射的にびくりと顎を引き、それを隠すようにすぐに渋面をつくった。
「ふーん……へえ。じゃあ、愛中さんとタッグで? それとも出戸も加わる?」
「………………」
葉村は返す言葉に代わって、扇を腰に挟んで仕舞った。それは本来、風向と威力を正確に定めるための安定装置がわりになっている。
その行為は戦意の喪失を示すものではなく、むしろ真逆と言っていい。
やはり、言葉もなく。突然として彼女は指二本の他を畳み、見得を切るように左腕を水平にぴっと上げる。
風がびゅうと笛音を鳴らして舞い、ねじれるように流れて吹く――――動きが見えるわけではないが、そう感じた。
その風はいまだ立ちきらない愛中といまだ起きようとしない猪吹の間を奔り、地表の砂をざざざざっと巻き上げたのちに大きくカーブして、青山の真後ろに立つ大木を軋ませてから霧消した。
余韻の様に葉が遅れてざわつくと、その一瞬は終わり時間が戻った。
「あいにくこの通り、加減は難しいので。愛中先輩、“引き継ぎ”を頼んでも?」
「……あ、うん。わかった、気を付けてね」
振り向いていた愛中はそう言われると、やや前のめるようにしながらも出戸の隣へと戻っていく。
ここは引き受けた、と葉村は風をもって叫び、背中で語った。信頼に足る実証を見た我々は、ただただそれに従うまでだった。
……こちらが分かたれても青山はあくまで位置を動かず、猪吹も同様だった。強引に追ってくることが無いならば、こちらは好都合だ。
作戦はまだ続いており、それは破綻を見ていない。もう確認できない参崎の位置を推測し、さらに葉村の位置を考えつつ慎重に進む。
(この作戦は前提を要する。向こうに知らない能力者がいれば、それは崩れかねない)
移動しつつも周囲に気を配ることは忘れず、それは付き添う二人も同様である。さらに彼らは自分の身だけではなく、リーダーである俺のことも絶えず見張り防衛しなくてはいけない。
(例えば姿を消せたり、瞬間移動出来るような能力者がいたなら終わりだ。目視による索敵と確認をごまかせるなら、こちらの勝ち目は一層薄くなる)
しかし初めに奇襲を受けた時から考えると、「それはない」とも思っていた。メイはこちらを侮っているわけではないが、目の前の戦いは全力で楽しもうとする。テレビゲームでもボードゲームでも、ちょっとした競走とかジャンケンに至るまで。
(メイは勝つことよりも、楽しむことを優先する――――そういう性なのだと、俺は思っている)
……そうだ。間違って無いはずだ。
事情を何も知らない代わりに、いや、だからこそ彼女をずっと見ていられた。
俺はお前を知っていて、だからいくらでも考えられる。お前に勝つ方法といえば“それ”ぐらいしかない。
「――――ほらな。そろそろだと思ったんだ。ようやくお出ましだな、メイ」
「や、久しぶり。今朝ぶりだねえ、シンゴ」
敵方の大将である狩野名依は予兆もなく現れ、好敵手を見るような煌めきを眼に宿していた。その目が戦いにおいて倒すべき重要な対象を視ているのか、打川慎五個人を捉えているのかは定かではない。
わからないなりに、ともかく立ち向かう必要はある。
「そうだな、朝早くからでいいかげん歩き疲れた。ここらで終わらせよう」
「もういいのー? 勝っちゃうよ、私たち」
「こっちは3人が残ってここまで来た。どう見てもそっちが数で不利なのにか?」
「まあねえ、いけるよたぶん。それでどうするの、後ろのみんなが到着するのを待つ?」
「いや」
左足の爪先で、湿りがちな地面を叩いてやる。それはごく自然な、小さな動作に見えたはずだ。
俺は事前に唯一決めたそのサインで、“大将を倒せ”と愛中に伝えた。
「(……了解ッ!)」
小細工も何も無く、一直線に愛中が飛び込む。常人以上の運動能力を持つメイといえども「試合」の経験があるわけではなく、当然能力も持ち合わせてはいない。その目で動きを追いはしたが反応は鈍く、半歩後ろに下がっただけだった。
そして、激突した。結果は言うまでもない。
……愛中が地に背中を付けるのは、本日二度目だった。
メイが手を下したわけではない。だが前もって指示を下したであろう仲間が、彼女の前に立っていた。
その人物の両手は透明な物質に覆われていて、両眼の前にも同じく透明なものが二枚並んでいた。
「あっはー、ごめんねーくーちゃん! 隠れてるの気付かなかったー?」
「その声……そのガラス……香利ぃ、あんたか……! くっ、何で……!?」
「何でって言われても、敵チームだしなあー、ああっはっはっ!」
いつものように、津島香利は気持ち良いほどに大笑した。
もちろん愛中が問いたかったのは「何故また吹き飛ばされ土の上に転がるハメになったか」という理由の方なのだが、傍目で見ている自分にもよく分からなかった。飛び込む瞬間に横から出てきた津島に対して、愛中はひるまず薙ぐように左手を振った。その能力『トータル』ならば、進行線上で物体に邪魔をされる事はない。仮に相手が武器を持っていても、破砕するか巻き込んで諸共に振り払えるはずだ。
だが彼女はあろうことか、その手を軸に空中で一回転させられたのち、弾かれるように吹き飛ばされたのだ。
津島は『グラス』を使い、球状で継ぎ目のないガラスを両手に巻き付けていた。中の狭い金魚鉢に手を突っ込んだような、あるいはボクサーグローブのような状態といえる。
「いつだか見て知ったじゃない、シンゴもさ。『トータル』は能力の力場が通ってると効きにくいってこと」
動揺一つなく、ごく自然な調子でメイが一歩を踏み出して語り出す。
「猪吹との試合か……だが、勢いがついたところで吹き飛ぶことは無かっただろう」
「そうだね、でもそれは、土の塊を丸めようとしていたからであって――――」
後ろで津島が両手の球をほどき、あっという間に一本の長い棒にまとめてしまった。猪吹と違い、彼女は能力の源を持ち歩ける。
「初めから丸いものには効果が無いんだよね。力は空回っちゃう、そんで自分に帰ってきちゃう。なんたって『丸める能力』だからねえ、丸めないことには終結してくれない。能力が弱ければ力が散って終わりだけど、力自体は非常に強いから減衰も起こらない」
思いがけずメイは饒舌で、それでいて噛み含めるようにゆっくりと説明を述べた。
「だから跳ね返されて転がった……そんなところかなー。さて、じゃあ、もう一回やる? でも今度は避けちゃうかもねえ」
「……塩を送ったつもりか、メイ」
「んー? いやあ、どうせすぐ思い当たるだろうし言わなくても良かったけど。そうだねえ、説明した理由としてはね……」
メイの表情から笑みは消えない。それはすなわち、余裕の表れであろう。
彼女の脳内にはすでに、勝つための策略が細密に完成しているに違いない。
「――――平たく言うと、時間稼ぎ。ほら、そうこうしてるうちにご到着だよ。“後ろのみんな”」
そう言われて、参崎と葉村がカタを付けて合流したと思うほど楽観的ではなかった。かといって鑑や猪吹、青山がやってきたわけでもない。
到着したのはメイ側の陣。後ろというよりは両翼、左右に一人ずつ。
つまりは、敵方の増援だった。
「…………」
口を結び、静かに微笑をたたえる片方は河内空佑。B-6『クリア』の使い手……即ち、物体を消し飛ばせる。
今で言うなら隠れるための木々を「持っていかれる」のが厄介だが、すでに所在が知れている以上さほどの問題ではない。
問題はもう片方。そちらは、知らない少年だった。
訓練生の男子には珍しいタイプというか――――衣服をいい加減にくつろげており、片手はジャージのポケットに引っ掛けつつもう一方の手で頭を掻き、ガニ股かつ大股で歩み、表情は覇気に欠けていて――――ああもう、早い話がだらしない。
「うっえー、もうやんのー、狩野サン? めんでーなー、3人もいんじゃん」
「まあすぐ終わるよー、だから協力してねえ」
不遜な少年の口ぶりも意に介さず、メイがその仲間に笑いかけた。返事は無かったが彼は足を止め、傾いた身をぐらっと起こした。
「誰だ。知らん顔だな」
言いながら気取られないように、踵を軸にして爪先を横に開き、いつでも動けるように臨戦体勢に入る。前方の愛中もいつのまにか間合いを取り直しており、距離はあるがすぐに始動できるだろう。
もはや数の優位はない。ならば最後の機をはかり、決断をするしかあるまい。
「ふふん、もう教えてあげないよー。ハンデやるつもりはないからねえ」
「……あー、んじゃあ、おれ自己紹介しなくていーの? ならラクでいーや」
つまりは、正体不明のまま戦闘に入ることになる。この状況で出てくるのだから強敵であろう事は想像に難くない。
だが逆に、これ以上の増援はないとも思える。すでに都合6人の敵がこの近辺に集まっているはずだ。防衛に残すメンバーが最低限と考えても、戦闘向きではない奴もいるだろう。
大将を……メイをやるなら、今この時しかない。
最後に一度、気を配りつつウォッチを見る。人数表示に間違いが無い事を確かめ、そして彼女に呼びかけた。
「よし、愛中」
「ん。どうするの……って決まってるか」
「ああ……もちろんだ」
こちらを向きはせず、愛中は口元に笑みをたたえる。それに報いるため、俺は指示を出した。
「さあっ!!! 逃げるぞっ!!!!」
「ええっ!? ちょ、ちょっと、おいちょっとっ! どうしてよ先輩!? やるんじゃないの……うわっ!?」
宣言と同時にいち早く駆け出した俺の後ろで、愛中がかつてないほど慌てた声を出す。最後の驚き声からするに、恐らく敵方も即座に動いたのだろう。のちに愛中も走り出す音が聞こえたが、ペースを合わせる気はない。
「仕方ねえだろ、こうするしかねえよ。もっかい立て直すぞ、走れ!」
敵位置の確認のために何度か振り向くたびに、愛中の恨みがましい視線が突き刺さる。彼女はもはや何も言わなかったが、そうして責められるのはやはり胸が痛む。だがこれがベストな選択のはずだろうし、今更引き返す気もない。
元来た方向に向けて走るが、緊張と疲れもあり全速力というわけにはいかない。追う側であるメイと他三人は余裕ある表情のままで、じりじりと距離を詰めてきているのが目にも明らかだった。
走り続け、参崎と葉村の姿を同時に確認できたとき、まだ追いつかれてはおらず余力もあったのは幸いだった。
「戻るぞ!」
名前を呼ぶ余裕はなかった。いまだ戦闘中である二人の背に向けて、絞り出すように叫んだ。
必死に走るこちらの様子を把握したのか、単に流されたのかは分からない。だが、ともかく彼らも敵を一時的にかわして、合流した。
「ったく、またかよ。これ以上は付き合いきれねえぞオイ」
「……ぜぇ、ぜぇっ……うぇー……」
参崎は不服そうではあったが、平然としていた。能力の発動に負担がかからないらしく、対峙した鑑の方が疲弊していたようで追う足も明らかに遅かった。
対して葉村は苦しげに顔をゆがめており、時おり犬のように舌をはみ出しつつ呼吸している。足取りも定かではなく、傾くたび愛中が支えることで倒れずに済んでいる状態だった。
「無理だよ先輩、追いつかれる! 狩野先輩を倒せば勝てるんだからやっちゃおうよ! ほら一斉に飛び込めば、まあ、たぶん……」
提言が尻すぼみになるのは、それが無謀だと分かり切っているからだろう。メイがわざわざ姿を現したのも、挑発が目的だ。それは何度も吹っ飛ばされた愛中こそが、一番良く分かっているはず。
「……まあ、分からんでもないな」
「え、やるの?」
「やる。準備いいな、お前ら」
「ああ」「……は、はい……ふぅ……」「え? えっ?」
ひとり困惑する愛中をよそに顔を上げると、わずかに開けた草地に出た。
最初の行軍時に通った場所なのだが、樹が無い代わりに草の丈が高くて進行を阻む。ために隠れるには悪くないが、撒くにはどうにも扱いにくいスポットと見ていた。
「こんなところで!? 最悪だよ先輩、背水の陣のつもり?」
「へえ、偶然だろうけど上手い事を言うな愛中」
「ええ?」
包囲を縮めるように、敵はじわじわと近付いてくる。猪吹と青山は来ていないが、鑑がやや遅れて合流していた。向こうも合図があるまでは、まず動かないようだ。あるいは、あらかじめ取り決めた作戦に基づいて動いているのかもしれない。
進退きわまったところで、こちらから最後の合図をする。
『両腕をゆっくりと掲げる』……ただそれだけの動作でいい。
「それじゃ、“背水”の出番だ」
そう告げたのと同時に。
突如として、敵の動きが止められた。
“そういうこと”が得意な奴が、幸いなことに今回は味方についている。
『ウォーター』。馳由梨乃が扱うその能力は、水を触媒として生物の身動きを封じられる。
この場の樹上に潜ませた彼女が、きっちりと役割を果たしたのを見て――――交戦を開始した。
「よし、やっちまえ、お前ら」
「おうっ!」「うん……!」「お、おー……?」
約一名を除いて、こちらが言うよりも早く即座に動き出した。
『ウォーター』にも限界はある以上、ぐずぐずしていては直に解除されてしまう。それに動きは封じられても、能力には干渉できない。気を取り直されたら、すぐに反撃ということもあり得る。
「まず一人!」「!」
「こっちも!」「うっ……!」
まず参崎の直近位置にいた河内が、なすすべなく背を叩かれた。
間をおかず、葉村が伸び上がって腕を回し、ぱしんと鑑のシールに触れた。彼は参崎を避けてか反対側にいたようだが、ともかくこれで戦闘不能だ。直後に葉村はがっくりと膝をついてうなだれたが、ここまでの疲労を考えると十分な成果だ。あとはゆっくり休め。
「うわ、何やってんですか!」
猪吹隣人の声が飛び込んでくる。近くに青山の姿は見当たらないが、また隠れて様子をうかがっているのかもしれない。
『ウォーター』の圏外にいた彼は自由に動けている。メイを守るように前に出て、猪吹は低く構えた。左右に分かれた参崎と葉村のいずれからも位置は遠く、彼にとっては攻め込まれても余裕を持って対応できる距離といえる。
「(猪吹をやれ、愛中。まっすぐ突っ込め。一瞬だけ動きが止まるはずだ)」
「(え、本当に? なんで?)」
「(いいから信用しろ。俺じゃあない、仲間を、だ)」
「(……よくわかんないけど、じゃあ……!)」
愛中は一瞬ためらったが、すぐに走り出した。そうと決めたら彼女は速い。
もちろん猪吹は気付いており、すでに迎撃の用意があった。両掌は既に地に伏され、周囲の土壌が円状に波打っている。最近の訓練でも分かってはいたが、一月前よりも発動速度や柔軟性は上がっている。先ほどと違って対象を目視できており、簡単には近づけさせないだろう。
かといって、『ウォーター』で動きを止めることはできない。猪吹に対して使用するためには、現在能力をかけている対象を一斉に解除する必要があるからだ。
ならば、他の“仲間”に任せるしかない。
さあ射程内だなぎ払うぞ、という距離にかかったところで猪吹は――――
「――――ッ! な、うあっ、や、やめ――――がっ、ああっ!」
突然、頭を抱えて苦しそうに唸り出した。
傍目には急な頭痛か何かと取れるしれないが、良く見ればその両手が押さえているのは、自らの両耳だった。
タネはこちらだけが知っている。猪吹は今、耐えがたい『音』を耳の間近から流されているのだ。
桜嶋唯音の『リフレイン』。情報伝達の必要がない現局面では、このように妨害に回してしまえばいい。
「……ごめんね、猪吹君。今度は私の勝ちだね」
悶え苦しむ猪吹の後ろを愛中は難なく取り、とん、と優しく背中に触れた。
これで、メイの周囲に残るのは津島だけだ。
正体不明の少年は位置が遠く、参崎と何事かを言い合っており大将の方を見向きもしない。青山はまだ来ておらず、見える範囲には居ないようだった。
愛中がこのまま突っ込めば押し切れる。そうも考えたが、ついさっき吹き飛ばされた津島が相手となれば慎重になるだろう。
動きが止まっている今ならやれそうだが――――
「……おっ? おー、あっはっは、動ける動ける! なんでだろーね!」
ついさっきまで動かぬ像と化していた津島が笑い、手にしたガラス棒をくるくると振り回した。
束縛できる時間はもう終わり。と言うよりむしろ、予想以上に長く足止めできたぐらいなのだ。発動直後から手元の時計を何度も確認したが、ユリノが申告した『ウォーター』の有効時間よりも5秒ほど長かった。対象人数を考えても、いまだ行使したことのない規模だったはずだ。
「さあってー! こっち3人もやられちゃってどうしようねー狩野先輩!」
「んー、大ピンチだねえ。予想外だったね。こうなったらもう任せるよー、津島ちゃん。まずは……」
「ああ! そうだね、おっけー!」
メイは目の前で構える愛中を見て、にっこりと、幸せそうに笑んだ。
笑い顔同士がリンクするように、津島も同じ顔で大きくうなずく。
音もなく、長い硝子棒が水のようにとろけて、津島の手にまとわりつく。再び『金魚鉢』が出来上がるとすぐに、腕を上げて迎撃の構えを見せる。
いや――迎撃ではない。何の気なしに津島は大股で歩き出し、距離をぐいぐいと詰める。十歩とせずに愛中の眼前まで迫り、津島は、
「いえいっ!」
「!」
振り上げた右腕で愛中に、殴りかかった。馬鹿らしいほどに、可愛い声を添えて。
躊躇のない動きぶりと速度だったが、かろうじて愛中は反応できた。『トータル』で防ごうとはせず、首をねじるようにして避ける。しかるのち距離を取るべく、すぐ飛び退く――――ことが出来なかった。
そうしようとして傾けた体が、そのまま地に沈んだ。本日三度目。今回の理由はどうやら……“足を取られた”ためのようだ。
いつの間にか津島の左手の『金魚鉢』が消えていた。その移動先は愛中の足、形状は8の字のリング。手錠、いや足枷のように、愛中は身動きを封じられた。
「愛な……」
「はい、しゅーりょーっ!」
声をかける間もなく、津島は驚くほどの俊敏さで愛中のそばへしゃがみこみ、背中を潰した。
――――終了。
津島の言のままに、全くそのような状況になってしまった。
左側の葉村は疲れ果ててもはや倒れており、右を参崎も謎の少年に追い詰められているのがちらりと見えた。
馳と桜嶋は隠れているが、『ウォーター』と『リフレイン』の再使用もままならない。
倒されたのは愛中だけだというのに、
「あー、あ……」
「万策尽きた」と身体で示すように、どさりとその場に座り込み、天を仰いだ。
立て膝に額を当てて、急に眠気を思い出した頭を支える。さすがに朝からずっと動いてたからか、疲れもピークに近かった。
だがそんな状態を見せても、メイはすぐに動こうとはしなかった。
「どうした。もうこっちは疲れ果てちまったよ、メイ。また逃げるのもなんだし終わらせてくれ」
「…………」
「……どうした? もう増援なんて……」
「――――人が悪いね、シンゴ。一瞬、安堵しちゃったよ」
傾げるように、メイは真横に首を曲げる。降り注ぐ朝陽の陰になってか、目元だけが暗く浮いた表情をしていた。
俺はそれを見た瞬間、理由もなくおののき、ひやりとした。
作り物のような、見たこともない顔だった。
だが、すっと冷めて緊張した心持ちとは別のところから――――なんとも腑抜けた声が、飛んでくる。
「ふぁー……あぁ。んあ、あれぇ? まだやってたのぉ……?」
間違えようもない、気だるそうな井房野転子の声。それが真後ろから聞こえて、俺を純粋に仰天させた。策のために潜ませていたとかでは決してなく、完全にリタイアしたとばかり思っていたのだ。
振りかえると、樹にほほを擦りつけるようにしてかろうじて立つ井房野の姿があった。
「おい、井房野……おい!」
「…………あぁー、んー? なにさぁ、せんぱいぃ……」
「いい加減朝だ、起きろ! 能力さえ使えれば逆転を……!」
「はぁい、てんこのてんは逆転の転ですよぉ、やったー…………。…………ぐぅ……」
ダメだった。そのままずりずりと草地にスライドし、手枕で惰眠を再開してしまった。
もしやと思ったが、期待するとだいたいこいつはこうなのだった。
「……そういうわけだ。こいつが来たのは予想外だったが、この通りだな」
「あー、あっはは。なるほどねえ。じゃあもう、終わりでいっかー」
笑顔を取り戻して、津島とメイはゆっくりと近寄って来る。
と、次の瞬間。メイの横合いから、大きな声がかけられた。
「あーっ、狩野先輩!」
低く伸びのある調子の声。青山司朗が、走りながら寄ってくるのがメイからは見えたのだろう。あいにくこちらからは樹々の陰となる位置で、姿までは視界に入らなかった。
「や、シロくん。遅かったね。疲れてたっしょ、もうちょっと休んでても……」
「うっ…………上っス! 上にいるっス!」
え? と見上げたメイだったが。
その『襲撃者』は、反応を許さなかった。「彼」は物音ひとつなく急落し、着地直前にメイの――――背中を、押した。
着地する際にも、土に響く音も、草をかすめる音もなく。
滑り落ちたように。
C-23、『スリップ』。出戸滋忠はそうやって、いつもの顔のままにメイの後ろに立っていた。
勝敗を決したのは、静かで突然な彼の一手だった。
「……お疲れ様でした」
呆然とするメイは触れられたことも分からないようで、しばらく、きょとんとするばかりだった。
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表情はずっと変わらなかったが、ずっと顔を背けていて。
彼女は多分、ふてくされていた。
チェックアウト前の帰り際、時間があるからと風呂に入ったのち、俺とメイはまた展望ロビーで休んでいた。
機嫌が悪いといえばそうだが、メイはそれを顔に出すわけじゃないのでなかなかに扱いかねる。
「俺の勝ちって言うか……出戸の勝ちだろうな。あいつがMVP。全部持っていっちまったな」
「あんなこと、できたんだ。木の上にいたの。木の表面を滑って登ったって事?」
「ああ、俺も今日初めて見たんだよ。それで、危なくなったら飛び込めって言っといたんだ。要は、そうだな。保険だ」
「途中まではいたのになあ。ちゃんと見てて、確認してたのにー。油断しなきゃなあ」
「んん、まあ……そう言うな。勝負事は俺がいつも負けてただろう? たまには……」
みなまで聞かず、ジュースの飲みがらを捨ててメイは歩き出した。落ち着かない様子で、なんだか歩調もいいかげんだ。
こういう姿は本当に初めて見るのだが、新鮮にも思えて、何だか笑いそうになる。
エレベータの前まで来てボタンを押すと、やっとこちらを向いた。
「なあに、その顔ぉー。うれしいの、私に勝っちゃってさー?」
「え、そんな顔してたか? いや、悪い――――」
「ねえ、答えてよ。嬉しかった? 今回の勝負に勝ててさ」
じっと目を見ながらたずね直すものだから、さすがに笑いを吹き消して、真面目に答えた。
「ああ、うん。そうだな。正直なところ……嬉しいな、思ってたより」
勝つ、ということ自体が懐かしいほどの事に思えた。
中学時分の部活では勝てず、成績も秀でるところはなく、超能力に関しても自分には手に入らず。
他人に劣っているのだと感じて、頑張ってみようという気概がずっと薄くなっていた。
今日、いろいろ考えて、走り回って。ともかく自分の思うようにやって勝てたことが、どうやら俺はとても嬉しかったらしい。
「そっか。ならまあ、今回は許してあげよっかな」
「ええ、許すとかそういう問題なのか?」
「そうだよー、大問題。次はねえ、私が勝つからねっ、絶対。ほんとは負けたくないもの」
「……そうだな。わかった。そん時は全力でやってやるよ」
「ふふっ、よろしいっ」
いつの間にやら調子を取り戻して、メイは満足そうにとびきりの笑顔を見せた。
まるで自分が勝利を手にしたような、あるいは誰かを心から祝福するような。
それは遠くて近い、幸福な表情だった。
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<19> 風砂人は霞の朝に /了
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