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<19> 風砂人は霞の朝に (中)

 小声とはいえ、葉村に呼びかけたのは迂闊だったろうか。こちらが全く気付いていない振りをすれば、相手の奇襲より早く位置を掴めたかもしれない。

 彼女はこちらを向いたが、しかし冷静だった。仮に内心が乱れていても、緊張には慣れがあるのだろう。平常を装ってゆっくりとこちらに近付き、不自然すぎない程度に頭を寄せる。


「(少なくとも2人いる。方向が曖昧だけど、おそらく今は動いていない)」

「(距離は分かるか? だいたいの感覚で構わない)」

「(すぐ近くには居ない。けど遠すぎもしないはず……ううん、ごめん、よく分からない)」


 『ブロウ』で読める気配では、それが限界らしい。だが、十分な情報である。


「(よし、わかった。ありがとう、引き続き警戒を頼む)」

「(うん……で、これからどうするの? 奇襲を掛けるんなら、もっと位置を探ってみます?)」

「(いや、逃げる)」


 葉村の顎が下がって、口がぽかりと開く。早い話が、呆れ顔をされた。


「(一応こっちって、攻撃チームですよね……?)」

「(現状は暫定の組み合わせにすぎねえよ。どのみち道中の下調べを終えたら後退するつもりだった。最悪交戦するにしても、念頭に逃げを置いとけ)」

「(それで最終的には勝てると?)」

「(消極的なのは確かだが、無策で突っ込むよりはマシだろ)」


 納得のいかない様子の葉村はともかく、まずは目の前のことを片づけよう。

 まずは事態を知らない“他2名”に、この状況を密かに伝えて――――


「おい、誰だてめえ! 出てきやがれ!」

「(なっ!! おいっ、参崎……!)」


 言えども時はすでに遅く、ドスの利いた参崎の声が林中にこだました。牽制にはなるが、相手が応じれば交戦することになる。

 ――――反応は無い。静けさの中をそろりそろりと近付き、ともかく参崎にコンタクトを取る。


「おい参崎、やめておけ」

「何でだよ。相手は1人だろが、オレがタイマン張ってやるよ」

「これを見ろ」


 更に近付き、リストウォッチをずいと目の前に差し出す。


「あと78分16秒か」

「残り時間じゃねえよ、その下だ。矢印でもないからな、数字」

「8」

「そうだな、ところで8引く4は分かるか」

「4」

「その通りだ。じゃあ敵は周囲に何人いると推測される?」

「……? …………。……! ……じゃあ、敵はあいつ一人じゃないってのかよ!」


 頭が痛くなってきたが、理解してくれて何よりだ。


「お前はもう少しまともだと思ってたんだがな……」

「ま、その分が戦闘能力に割り振られてるんでしょうねえ」


 参崎に聞こえないようにそう言いながら、湯本がこちらに歩み寄ってきた。


「(動かないところを見ると、罠でしょうかねえ)」

「(恐らくはな。こうなった以上は進むも危険、戻るも危険だ。せめて誰がいるのか知りたいが)」

「(膠着が嫌ならば、彼をぶつけてみちゃあどうです? もしくは葉村さんでも……)」

「(接近する敵の感知役として葉村は外せない。参崎も貴重な戦力だ、できるだけ慎重に動かしたいが……ううむ、今は待つしか……)」


 そこで話は中断された。状況が動いたがために。

 生い茂った草をがさりと揺らし――――人影がひとつ現れた。


「……あんだよ、さんざん焦らしといて“てめえ”かよ。やる気か?」


 どことなく残念そうに、参崎は口をとがらせる。

 返答のかわりに、その人物は苦笑いを返した。

 

 クラスD、28番――――青山司朗。

 知っての通り彼は、先月末の行事において参崎に一度敗北している。

 そのために警戒が強いのか、半身は立ち木に隠したままであり、距離も遠めに取っていた。


「いやいや、到底かなわないっスよ。そこは良く分かってるつもりっス」

「偵察か?」

「そんなとこっスねー」

「……一人で?」

「ははっ、そう見えるっスか? ……まさか」


「! 先輩っ!」


 突如として風がびゅうと吹き、身体ががくりと引っ張られた。認識が一瞬遅れたが、その呼びかけは葉村の声、その風は葉村の力によるものだった。風はこちらを引き寄せるためではなく――――


「っとと。さすがに敏いなあ、葉村さんは」

「その声……猪吹か?」

「どーもどーも。いやあ、奇襲は失敗かな?」


 強風に巻き込まれてうまく振り向けないが、猪吹の声が後ろから聞こえた。距離は多分10メートルもなく、かなり接近されていたようだ。幸いなことに気配に気付けた葉村が、とっさに動きを止めたのだろう。

 葉村が扇を下ろし、風が止む。改めて後ろを見たが、木の陰に隠れたのか姿は無い。


「囲まれたか……だが何とかなるな」


 こちらは4人が背中合わせになった状態であり、容易には逃げられないが反応もしやすい。

 とりあえず目の前の二人さえ処理すれば切り抜けられよう。


「参崎、猪吹の相手を頼むぞ。能力は使わせるなよ」

「そのつもりだがよ、あっちのボーズはどうすんだ?」

「動いたら葉村が止める。それでいいか」

「わかったけど、その間は気配は読めないから気を付けてね」


 奇襲失敗と言いつつも、猪吹が退散する様子もない。こちらを誘ったうえで能力を使い逆襲しようというのなら、その力自体を参崎で封じてしまうのが一番だ。


「よお、イブキっつったか。出てこいや、勝負してやっからよお」

「…………」


 半ば邪悪な笑みをこぼしつつ、参崎はゆっくりと猪吹のいる方向へ近づいてゆく。

 猪吹の能力は柔軟で発動も早いが、基本的に射程が短い。そのため距離さえ取っていれば、被害を受けることは無いのだ。そのことを参崎も知っているらしく、挑発はしても警戒は解かずに、ただ動くのを待っていた。


「おい、どうした? それでも男かよ、お前。ならこっちから行くぜえ」


 売り言葉とは裏腹に参崎は方向を変え、少し距離を離すように歩いてゆく。

 能力を封じつつ「想像物」を戦わせあう『グレート』は特異にして強力だが、発動にはある条件を有する。

 “相手の顔を見る”必要があるのだ。

 生物を対象に取る能力にとってはありふれた制約らしいが、逆に言うならそこさえクリアできればほぼ勝ちとも言える。タイマンを信条とする参崎だが、その実チーム戦でこそ欠点を潰せる能力でもある。周囲がフォローして参崎に対面させれば確実に一人倒せる、つまりは必勝の流れといえよう。


 猪吹はなおも動かない。

 あとわずかな移動を終えれば、参崎は猪吹を視界に捉えられる――――はずだった。

 いや、実際にその視界に彼の顔を捉えたのだが――――


「いっえ~い。ひっかかったね~、“りゅーくん”?」

「んなっ、てめえはっ……!?」


 参崎に対する最悪のカウンター。

 事前に予測もされていた彼女、D-25・埜滝柳果が猪吹のそばに立っていた。

 有する力の通号は『ハート』。その効果の大小は人によって違うのだが、少なくとも対参崎に関しては“実証済み”である。


「そこをどけ、くそっ!」

「え~、やだよ~。今の私はいぶきくんのボディガードだし~。そもそも、敵どーしだもんね~」

「邪魔だっつってんだよ! ぶっ飛ばすぞてめえ!」

「あっはは~、邪魔するためにきたんだもの、邪魔しちゃうよ~。能力なしでも今なら2対1だっし~」


 いつも通りに接する埜滝だが、すでに参崎は術中と言っていい状態だ。こうなってはしばらく能力は使えまい。


「やられたな、全く。またこれで動けなくなるか……」

「何も起こってるようにゃあ見えませんけどね。あれでもう駄目なんですかい」

「起こるも何も、怒った時点で終わりだ。お前は平気なのか?」

「特に異常は無いですが……や、実証もできませんがね。それはともかく、どうしましょ」

「本当にどうしたもんかな。手を打つたびに対応されちまう」


 動きが止まることを置いといても、真に問題なのは「本命」が読めないことだ。

 猪吹・青山・埜滝。敵方の三人は明らかになったが、肝心のメイともう一人が出てこない。

 

「逃げた先にメイがいそうで怖いな……見透かされてるようだ」

「以心伝心って奴ですかい。お親しいことで」

「こっちは向こうの意図を読めてないんだがな」


 数度の敵出現ののちに、かくして状況は固まった。


 青山は遠くで睨みを利かせているが動かず、猪吹&埜滝コンビも参崎を見据えながら待機状態。

 その参崎は警戒しつつ距離を取り直したために、こちらのすぐ近くに居る。

 葉村はそれをフォローできるように身構えており、同時に風を読みながら気配を探っている。

 湯本と自分は直接目測で敵を探しているが収穫は無く、敵大将であるメイとその護衛であろう“もう一人”の居場所は依然として知れない。

 井房野……はまだ寝てやがる……だが起こすにもひと手間だ。


 ……こちらが無難に動くだけでは、敵はすぐに対応してくる。

 打開すべく、状況を何度も確認する。

 見える味方と敵、その位置関係と距離。それぞれが持つ能力と相性。

 逃げるべき方向の候補、罠の可能性。敵方に居る可能性のある能力者。

 残り時間。フラッグの方向。それから――――


「……どうも。遅れました」

「「「!?」」」


 忘れていた。そうだ、彼はそのような存在感で――――いつやってきたのかさえ分からなかった。

 クールでプレーンな無表情で、のっそりとした長身の少年。


「で、出戸か……いつの間に、ていうかどこから……」

「あちらから。あらかたの偵察は終了しましたので、今戻りました」


 言いながら彼は、予想外の方向を指差した。


「ええ? ……ああ、あーあー、なるほど。そんな事も出来たんだな。ところで確認できない敵がいるんだが、位置は分かるか」

「いえ」

「……そうか、まあ仕方ないか」

「ですが、その逆なら。安全なルートなら分かります。遅れた以上しんがりは引き受けますから、ここは退いてください」


 平常通りの淡々とした語り口のままに、そのような進言を受けて少し驚く。自信があるというのだろうか、それとも……。だが、四の五の言ってられないのも確かだ。


「よし、なら任せよう。方向は?」

「湯本さんが向いてる方です。ずっと安全とは言えませんので急いでください。……井房野さんはどうしますか」

「……残念だが放棄しよう。手間取ってられん」

「了解しました。そのように」

「聞いたか湯本、葉村。5秒後にダッシュだ」


 問題なく伝わったようで、二人は同時にうなずく。同時にカウント開始、4、3、2、1……


「行くぞ!」


 瞬間、自分で思った以上に素早いスタートを切れた。葉村、湯本もわずか後ろに付いて加速し始める。


「おい参崎! 来い、一旦立て直すぞ!」

「ああ!? くそ、逃げんのかよ! ……仕方ねえな!」

 

 彼も不利だという判断は出来ているらしく、こちらの後ろにつこうとするが、


「おおっと……行かせると思うかい、先輩!」

「……ああっ、うぜえな! 調子に乗りやがって……」


 すぐさま猪吹が追随の構えを見せる。運動能力では大差がなく、近付かれては能力発動もあり得る。

 先ほどからもうまく捕捉を逃れきれない参崎だったが――――今ならば、助け舟が出る。


「相手を代わろう。猪吹。ここは通せない」

「出戸か……! けどな、お前に何が出来る!」

「皆を逃がせる。足止めが出来る」

「ふざけた冗談を……!」


 参崎との間に入った出戸を見て、猪吹は足を止めて体勢を低くする。

 そこら中にいくらでもある武器を目覚めさせる、そのために。

 成し得る力の名は『クレイ』。大地を己が僕として自在に操る能力。


 ……その発動より早く離脱を終えたがために。

 それからどうなったかは、逃げる我が身には知り様が無かった――――





- - - - -





 ――――と思ったのだが、割とすぐに知ることとなる。



「ただいま戻りました」


 平然とした顔で、出戸は数分とせずに合流した。こちらは必死で走った直後で、やっと息が整い始めた頃だというのに。彼の呼吸だけが、何事もなく落ち着いていた。


「……無事、だったのか……いや正直、戻ってこれるとは思わなかった」

「こちらの逃げを見てか、追撃を諦めたようです」

「へえ、そりゃ幸運な事で。罠と思ってくれたのやも知れませんねえ」

「追撃を控えたとも考えられるな。様子見に過ぎなかった、か」


 どこまでがメイの手の内かは知れないが、ともかく逃げおおせた。

 戦力上、井房野を失ったのは痛いが……あの調子じゃ仕様があるまい。


「それから、もう一つ。些細な事ですが」

「ん、どうした」

「背中への接触が成功したため、埜滝先輩を退場させました」

「ふうん、そうか……ん? え!? そ、そうか、よくやった出戸。大手柄だ」

「どうも」


 不利な撤退戦の中で、出戸は地味ながらも一矢を報いていたらしい。あてにばかりも出来ないが、こちらの主力たる参崎の弱点が消えた点は大きい。

 木を背にうなだれていた参崎がゆらりと顔を上げ、不敵に口を曲げて笑った。


「くくっ、朗報じゃねえか。これで気兼ねなくやりあえるってもんだ」

「お、やる気出てきたみたいですね。逃げ切れたことだし、この調子で一気にいきましょうよ、先輩」


 嬉しそうに微笑む葉村だったが、その笑みをまっすぐと受け取れる気分ではなかった。


「まあ、そうしたいが……」

「……?」


 言葉は詰まって、出ること無くかき消えた。

 普段そうは見せないようにしているが――――自分は、打たれ弱い性分だ。初手から何度も奇襲を受けてしまったことに、思った以上にショックを受けていた。

 沈黙していても話は進まない。ともかく、思うまま言葉を継ぐ。


「……何というかまあ、戦略面で押され気味なのがどうもな。正直、俺はメイの手が読めない」

「いやいや、ちゃんと対応できてるじゃないですか。そこから反撃を……」

「だが、そこまで読まれてるはずだ。埜滝を取らせたのも、こちらの油断を誘うためかもしれない。向こうだって対応してくるんだ、こちらより早くな。……はは、どうすれば勝てるか見当もつかねえ」


 言い終えると、今度は葉村も黙った。愚痴っぽくて少し嫌気がさすが、本音には違いない。このままずるずると負けたくはないが、勝利を得るビジョンも浮かんではくれない。さきの交戦で、少なからず全員が劣勢を感じ取ったとは思う。

 そうして、みな歯噛みするように口を閉ざしていたが――――


「んんー……考え過ぎちゃあいませんかねえ、打川さん」


 両手を頭の後ろで組んでかるく身を反り、湯本が不意に真面目な顔になる。


「不利は承知ですがね、勝ち目があるならやりましょうよ。仮にメイさんに戦略で上を行かれても、ハプニングやアクシデントで勝ちが転がり込むかもしれやせんし。そういう小さな可能性から信じてかないことにゃあ、勝利はどんどん遠くなっちまうよ」

「…………」

「っと、説教くさくて申し訳ありませんね先輩。なに、こいつはうちの親父の根性論……その受け売りでして」

「そうか、いや。もっともな事だ。……ひとつ、頑張ってみるか」

「そうですね」

「うん、弱気になっちゃ負けだよね。やりましょう、先輩。どうせなら勝っちゃいましょう」


 思いがけない湯本からの檄に、自分だけじゃなく出戸と葉村も動かされたようだ。

 そして、もう一人は。


「けっ、根性で勝てるかよ。勝つのは強い方に決まってんだろが」


 変わらず参崎の口は悪く、立ち上がりながらじろりと湯本を睨む。


「――――すなわち、オレだ。お前らもついでに勝たせてやるよ」

 

 そう言って敵の居るであろう方角を向き、邪悪に笑った。

 みな、気力は充分だ。戦略がどうという話ではなく、勝つ気があるかどうかだと湯本は言う。その点ならば、こいつらだって相手に劣りはしない。


「ふむ。お前らがやる気なら、俺も応えずには居られまい。少し無謀だが、試したいことはひとつある」

「了解です、付き合いやしょう。どうぞなんなりとご指示を下せえ、先輩」


 湯本はおどけて手を揉みながら、らんと輝く目を広げた。



- - - - -



 二十分。実にそれだけの時間、森は朝霞を敷いて静かに眠っていた。

 ひとつとして交戦は無かったが、進軍は実行されている。周囲に最大限気を配り、音を立てないようにゆっくりと歩きながら。


「(不気味ですね。これだけ進んで、誰も居ないなんて)」

「(だが、まだこの辺りには居ないはずだ。次の斥候が終われば、恐らく……)」

「(御対面ってわけですか。……ふふふ、楽しみ)」


 指を擦り合わせるようにして、彼女は拳を握っては開く。

 抜けた井房野に代わって彼女……愛中久澄江には、先鋒を務めてもらう手筈である。

 身体能力も高いが、何より対応力と判断力に優れている。自分のみならず、立会人たちも彼女を高く評価しているほどだ。だが多人数の相手を出来る能力ではない。数で負ければ、それがそのまま結果となってしまうだろう。


「『先輩、打川先輩』」

「……連絡が来たか。皆、少し止まれ」


 声の主はこの場には居ない。桜嶋唯音は腕時計を通じて、声だけをこちらに寄越してきた。


「『4回目の報告です。偵察の結果、敵影はなく気配も感じられません……危険度は限りなく低いと思います。よって指示通り、各自移動を開始します。言われたとおり、以後こちらから報告はしませんから。えーと、そのー……まあ以上ですけど。何ていうか、えっと……頑張ってください!』」


 あたたかいエールを最後に、彼女からの“通信”は途絶えた。


「(そういうことだ、あっちは問題ないと判断する。進もう)」

「(りょーかい。行くよ葉村ちゃん、だいじょうぶ? 疲れてない?)」

「(ん、はい。もちろん行けます)」

「(あと、参崎君は……まー気にしなくていいか)」

「(んだと。まあ問題はねえがよ。さっさと決めちまおうぜ)」


 自分を含めると、前衛はこの4人。さらに先行している出戸を加えて5人となる。

 作戦決定後、最も移動距離が長かったのは出戸だろう。一度本陣に戻って桜嶋に指示を伝えつつ愛中を呼び、合流後にはその足で偵察を任せた。途中で休ませることを考えたが、「必要はない」と何度も本人に言われたために無休で動かせている。

 分かりにくいため確信はないが、出戸の表情は少しだけ活き活きとして見えた。思うさま能力を使えること、チームに貢献すること、ただ身体を動かすこと……どれが楽しいのかまでは分からなかったが、当人の満足を奪うつもりはない。

 ともかく彼のお陰で作戦の準備はスムーズに進み、最後の報告を待つのみとなった。


 緊張を和らげるように、一度だけ長く息を吐いた。夏を捨てたようにつんと冷えた森林を、身体で感じ取る。

 取り巻く空気は、なおも霧霞に染まっている。朝明けと共に消え去るかと思ったが、むしろ進むほどに濃さを増していく。進軍を気取らせないためには好都合だったが、視界の悪さは先刻の奇襲を受けた一因でもある。向こうも同じ利と害を得ているはずだ。

 恐れることはない。『彼女』のようにやるだけだ。その上で、『彼女』を越えなくてはならない。

 勝算のない戦いに臨むことが、逆に自身を湧かせていた。


「(――――あ、これ……。そろそろシゲちゃんが来るね)」

「(……本当か?)」


 慣れ親しんだ時間の多さからか、愛中がいち早く出戸の接近を感じ取ったらしい。

 林の奥、白い帳に目を凝らしても自分にはわからなかった。


「(ん、なんだろ……急いでる?)」


 空気が揺れたような気がして、こめかみがぴくりと動かされる。

 リストウォッチを手元に寄せて確認すると、矢印の方向から走り来る人影があった。待ちかねていた、出戸滋忠の姿。

 だが視認できたその顔は、眉間が寄っており表情もどことなく険しい。


「先輩。偵察は終わりです。申し訳ありません、“見つかり”ました」

「何だって? ……それで、追ってきてるのか」

「恐らく。こちらを発見した猪吹と、その近くに居た青山、それからもう一人……」


 ――――瞬間。

 空気が、切り裂かれるがごとく千々に乱れた。


 それを成したのは鋭い刃物ではなく、ましてや刺すような突風でもなく。

 黒光りする、重苦しい“金属”。


「なるほど、みなまで言うな出戸。あいつだな……」


 その名はこちらが口に出す前に、現れた本人によって発された。猪吹共々、最も警戒していた能力者の名前を。


「鑑計伍。クラスC。席次18番。通号は『フレーム』」


 一瞬にしてこちらを取り囲んだ鉄棒の隙間から、ぎんと引かれた両眼が覗く。


「自己紹介は以上。包囲も終了した――――大人しく投降しろ」


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