<01> 登山客の上手な帰し方 (後)
午後も天気は崩れなかった。
少しばかり雲は出たが、梅雨時には珍しい好日を保っていた。
陽ざかりの裏庭で、メイが洗濯物を干し始める。
その脇の縁側に立て膝で腰掛けて漫画を読んでいると、ふと喉の渇きを覚えた。
何か飲みながら漫画を読むのがこの上なく好きなのだが、手にしている読みかけの漫画は残すところ20ページもない。やや急ぐようにぱらぱらと内容を上滑らせて、いいところで続きに引いたのを見終え、立ちあがった。傍らに積んでいた続刊の脇に本を置き、キッチンへ向かう。
メイは呑気にシャツなどを両手でぱんと伸ばしているが、さして時間のかかる作業でもないだろう。コップふたつと紙パックの100%オレンジジュースを丸盆に載せ、廊下経由でゆっくり戻り始める。
……縁側に続く廊下に出ると、席が奪われていた。
メイは洗濯に夢中で気付かなかったのか、あるいは分かってて通したのか。
庭では二人が増えて、その場は総勢四人となっていた。
「やあ、これはこれは」
そこに座っていた人物が、こちらに気付いたように目を細めた。
あおぐようにゆらゆらと動く指の先で、紺色の小ぶりな扇子がはためいている。
「……どうも、お邪魔します」
その斜め前にぽつりと立つ少年も、こちらを認めてわずかに頭を下げた。
葉村砂月(はむらさつき)と津島多々史(つしまただふみ)は、ともに御旗岳中の一年生である。性格はだいぶ違うが仲が良いようで、連れ立ってうちを訪問するのも初めてではなかった。
「間の悪い奴らだな、これじゃコップが足りん」
「私はいいよー、後で」
伸びあがるように物干し竿にハンガーを掛けながら、メイがこちらに言ってよこす。にしたって、やはり一人分は足りないのだが。
「いやはや、何とも。駆けつけに良く冷えた飲み物とは、たいそう気の利いたことで」
朗々とした高い声が通り、なかば節をつけるように葉村が笑う。こいつの物言いにも大概慣れているのか、傍らの津島が気にせず苦笑した。
「いいですよ、飲み物は別に。特にこいつには要らないです」
「何たる謙虚か、しかしさても津島の子よ。そのように退いてばかりいては、いずれ取るべき財宝も取れまいぞ」
閉じた扇子をぴっと津島に差し向け、葉村が返す。
「まったく、その喋りは外ではやめなよ砂月。やるなら家か部室で存分にやってくれ」
そう言われてか、そっぽを向くように黙った葉村は、切るような所作でまた扇子を広げた。
「まあ気にすることもないが。せっかく来たんだろう、ジュースぐらい遠慮するな」
「……どうも」「いただきます」
紙パックの口を開けて橙色の液体をコップに注ぎ、縁側にふたつ並べて置く。
殊勝に頭を下げてから、それぞれがジュースを手に取った。
「それで、なんか用事か?」
いちおう聞いてはみたが、ただ暇で遊びに来たのであろうことは言わずとも分かった。答えたのは津島の方だ。
「大した用じゃないんですけど、ちょっと相談しようかと思って」
「へえ。いいけど」
「その付き添いでやってきた」
葉村が扇ぎながら、割り込むように喋った。
「演劇部は休みか?」
「先輩の都合がつかないそうで、土曜だし休もうって話になって。んでヒマしてたところに多々史から電話があった」
年相応の話し方に改めた葉村の様子が、どことなく可笑しかった。
「それで相談ってのは?」
「能力のことです」
「そこは分かるよ。進路相談なら先生にすればいい」
もっとも能力についても、真崎や川藤といった『立会人』に聞いた方が詳しいのは確かだろうけれど。彼らの連絡先は教えられていないはずだし、そうでなくとも話しかけにくいのだろう。
「他の人はすごい能力だって分かるんですけど……自分が何で選ばれたのか分からなくて」
「ふむ、確かに影響は大きいとは言えないものだが」
その能力が使われる様を思い出して、何気なく指で空を切ってみる。
津島の能力は通号を『タイプ』といい、『離れた場所に文字を書き込む』という力である。
有効範囲もきわめて広く、使いようで情報伝達には便利なものではあるのだが……
「他の人は、戦うことができる能力ばかりだから。剥奪もされずになぜ自分が残ってるのかが不思議なんです」
口ぶりからするに、深く思い悩んでるわけではなさそうだった。それはふと思いついたくらいの純粋な疑問なのだろう。
「別に、戦えるから凄いって訳じゃない。平和な世の中で物騒な力を振りまわして何になる。だいたい、お前の能力は相当に希少なものだろう」
「そうですけど、ほら、地味じゃないですか」
「……まあ否定はしない」
「ほらあ、やっぱりそう言う」
「何だまったく、どう言われたいってんだ。あるいは何だ、能力者を続けるのが嫌なのか?」
立会人たちは素質のある学生のスカウトに訪れるが、本人が拒めば能力を無理に開花させたりはしない。能力が使えるようになった後でも、やめたいと言えばすぐに一般人に戻してくれる。実際、何人かはやめた者もいるようだ。理由は大体、『時間が取れないから』らしいが。
「そういうわけじゃなくて。今はクラスEですけど、できれば力を磨いて……戦えるようになりたいんです」
「……ああ、他の連中みたいに試合がしたいのか?」
少し照れたように視線を逸らして、こくんと津島がうなずいた。
「ふん、つまり多々史は補欠で終わりたくないんだろ」
「うっさいなあ、砂月。お前だってどうなるか分からないじゃないか」
「試合で負けるつもりは無い、ほれ」
扇子を開いたまま、地面と平行にして目の高さまで上げる。集中するようにふっと短く息を吐き、指先で扇子を素早く畳む。ぱちりと小気味良い音が鳴ると、さらに続けて一つ、扇子の先から音が鳴った。
風が吹くような……いや。“風が吹いた”音だ。
指し示していた方向には干された服があり、真っ白なシャツの裾が、ばたばたと揺れた。ちょうど最後のハンガーを掛け終えたメイが、時ならぬ風に「おお?」と首をかしげた。
「……この通り、力は有り余っている」
「まったく、一応言っておくが許可なく力を使うなよ。上からの言い付けは守れ。態度が悪くとも降格の対象にはなるぞ」
「ち、とかくに面倒な渡世よの」
芝居がかった物言いで葉村は毒づく。
「指定場所で無くても使えるんですね」
「どこでもってわけじゃないが、今ここでは偶然使えたって事だろう。制限もされてるだろうけど、葉村の能力はシンプルだからな」
猪吹が『土』なら、葉村は『風』の能力者と言っていいだろう。応用こそ難しいが、行使が容易で発動も早い。
「砂月、試合は何度かやったんだろ? いいじゃないか、正直羨ましいよ」
「……まあ、な」
本人の名誉の為に、あえて結果については触れないでおこう。
「まあ二人とも、そう深く思い悩むな。ストレスでスランプに陥っても馬鹿らしいだろ」
それでともかく、能力の話はおしまいにした。
それからはメイと中学生組が三人して居間に上がり、レースゲームで対戦を始めてぎゃあぎゃあと騒いでいたりもしたが、自分は関せずに縁側での漫画日和を堪能していた。
しばらく経った頃。メイが「コーヒー牛乳が切れた!」と禁断症状のごとく訴えるもんだから、公平にジャンケンで負けた方が買いに行くことになり……結果として、散歩がてらコンビニに向かうことになってしまった。
ついでに惣菜のサラダと漬け物を買い足して戻ったところ、二人は暗くなる前に帰ったとメイづてに聞いた。
そうしてあっという間に日は暮れていき、一日は人を待たず終わりに近づいていく。
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「さても初いやつらよの、打川の子よ」
「なんだおい、お前まで」
夕食と入浴を済ませてソファに横向いていると、今しがた風呂から上がったメイが後ろに立っていた。葉村の口調を真似てみたようだが、どうにもアクセントが変なのか滑稽に聞こえる。
「あの子たちの事だよ。一年生は無邪気でいいね、去年まで小学生だったんだものねえ」
「ああそうだな、精神年齢としてはお前と近いかもな。馬が合うのはそれでか?」
「む」
ふてくされるように、どさりと斜め向かいのソファーにメイが身を下ろす。
「いいじゃないさー、純粋で結構じゃん。能力者ってみんなそうでしょ?」
「……そういえばまあ、そうかもな」
多少……いや結構ひねたやつもいるとはいえ、基本的には素直な子が多いとは思う。あるいはそれも、能力者としての素質を形成する一端なのかもしれない。
「偉そうにむくれて説教垂れてるだけじゃ、ずっと一般人のままで終わっちゃうよ」
「それこそ説教だな」
ごろりと背の側を向いて寝返り、そのまま小さく伸びをする。
「あいにく超能力者にはなれんと、上の方々からお墨付きをもらってるしな。それに俺は一般人でいたいよ」
「それは私も同じだけどさ。残念だとは思わないの?」
「全然。一度きりの人生なら、人並みに穏やかに過ごしたいからな」
返事をあきらめたように、大仰にメイはため息をついた。
「部屋に戻るね」
「ああ。早めに寝ろ」
「そうだね、努力する。おやすみなさい」
立ちあがって、メイは廊下へと歩み去った。大方、夜を徹する勢いで読書にふけるのだとは思うが。別に止める義理はあっても義務はない。
今日もいつのまにか終わっていたが、平穏であったことには満足している。
一般人は超能力に関わったりしないとは思うが、遠巻きに触れたそれが自分を変えるわけでは……変えてくれるわけではない。特殊なアルバイトを務めようと、本質的には非日常など自分と無縁なのだろう。
動くのがなんだか億劫に思えて、目を閉じて少しばかり仮眠することにした。
それを以ってその日付、6月15日の生活を終えた。
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<01> 登山客の上手な帰し方 /了
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