表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/49

<16> 舞い上がり擦れ落ちる (後)



 ゲームカウント3-0のストレート負けだった。



 ……………………。

 

 ……いや、言い訳はしたくないし、するべきではないが。ただいちおう訓練の一環として、展開の確認とその分析はしなくてはなるまい。

 負け惜しみとかでは決して無く。


 身体能力でそう劣ってるとは思わなかったし、技術面においても恐らく大差は無かったはずだ。こちらに目立ったミスも無く、事実として一度もアウトは取られてはいない。

 しかしそれで勝てたかと言うと別の話になる。

 

「……んー、戦略の問題だったね。シンゴは安定を求めて徹底して無難に守ろうとして、クースケくんは突破すべく攻め込んだ。そのスタンスだけ見ればどっちが勝ってもおかしくは無かったけど……」

「リスクを恐れず飛び込んでいった河内君の捨て身の速度に、後出しで対応しようとした打川さんがついていけなかったと。一応、返し切れた場面もありましたけどねえ」


 主審台のそばで試合を見守っていた二人が、解説と実況といった体でありがたくもコメントを寄越してくれた。おおよそ言う通りなので返す言葉はなく、それゆえに面目もなく恥ずかしい。


 ともかく負けは負けだ。

 息を整えてからネット際まで寄ると、気付いたように河内も小走りにやってきて、向かい側に立った。はあはあと熱く息を吐いてはいるが、さほど汗もかいておらず余力は残っているように見えた。


「ええと、まあ何だ。……いいプレイだったな、河内。ぜひそのスタイルを磨いてゆくと良い」

「そうですね、河内君はね」「シンゴはともかくとしてね」

「お前らここぞとばかりに言いたい放題だな! 後で覚えとけよ、まったく」

「…………」


 河内は相変わらず声を聞かせようとはしない。

 今しがた終わった試合の感想を聞きたいところだが、是とも非とも取れない複雑な表情を浮かべ、スッと手を差し出しただけだった。シャツの裾で手を拭ってから、こちらもそれに応えるべく握り返す。


 その手の平はこつこつとして硬く、指の腹がささくれ立つ様にちくりと乾いていた。



「んじゃーしばらく休んでるから、メイと湯本は適当に体動かしててくれー……」


 そう言ってフェンス際のベンチに腰を下ろすと、二人は雑談しながら近い距離でボールを打ち合い始めた。

 見たところどちらもテニス経験は無いようだった。しかしバランス感覚の良さと呑み込みの早さからか、10分もすると最外のベースラインからクロスでラリーが出来る程度になっていたのには驚いた。


 ジャンルで得意不得意はあれど、能力者のほとんどは集中力に優れており成長も早い。才能の塊とまでは言わないが、常人よりはマルチに活躍できる素地がみな備わっているようだった。


 そういう点で言うと、メイに能力の素養が無かったというのは今更ながら不思議でもある。人に好かれ、運動面で不得意は無く、頭も回るし機転も良く利く。……彼女がもし能力者だったならば、それを真相たる真実として納得できるだろう。謎だらけの現状も氷解してくれるはずだ。

 それでも狩野名依は、自分が知る限りはただの一般人でしかない。


「…………」

「っと……どうした?」


 いつのまに来ていたのか、河内が隣のベンチ前に立ってこちらを見ていた。

 ラケットをくいくいと振って、彼と俺の方向を交互に行き来させる。……もう一戦やろう、というジェスチャーだろうか。

 彼の汗はもう引いていて、自分と違って疲れも見て取れはしない。


「試合か? すまんな、もうガス欠だ。そんなに体力がある方でもねえんだ。それに、もう一回やっても勝てるとは思わないしなあ」

「…………」

「また別の機会にしよう。今日はあいつらと遊んでてくれるか」

「……」


 それを良しとしたのか、河内は踵を返してコートの方へと歩いていった。

 するとメイがそれを見て何事かを呼び掛け、3人が中央に集まって話し出す。やがてそれぞれが何やらコートを歩き回ってから、立つサイドを変えた。

 ……どうやら、試合形式で打ち合いを始めるらしい。見たところ河内VS湯本&メイの変則マッチのようだが、初心者二人はルールを把握しているのだろうか。

 そんな心境で何気なくメイを見ていると、思いがけなく目が合った。


 にひっ、と半ばしたり顔でサムズアップを見せてきたので、どうするかは知らないが段取りはつけているらしい。

 まあ、放っておくとしようか。さきの試合の合間にメイが買ってきたドリンクを開けて、しばらく観戦することに決めた。



- - - - - 



 特に波乱も無く、その試合は進んだ。


 経験者かつ現役である河内は、ベースライン際でゆっくりと確実なストロークでボールを返し、ミスなく試合を進めていた。

 コントロールの為の技術を要するため、彼もただ手加減をしているというわけでもないだろう。


 対する二人は慣れていないとはいえ善戦しており、未経験者にありがちな空振りや大幅に外れたショットがなく、ラリー自体は意外と続いている。

 しかしながら、長引けば経験が物を言うし、慣れない動きをする方が先に疲れていくのも当然である。

 特に湯本は目に見えて体力を奪われており、時おりラケットを杖にして肩で息をしている。

 

 前に出てボレーしようとした湯本が返し損ねて、ボールはネットに引っ掛かった。そこで丁度チェンジサイドのタイミングだったらしく、二人が目の前を通ろうと歩いてきた。


「さすがに安定してるもんだな、河内は。ところでメイ、どういうルールでやってるんだ?」

「んーと、クースケくんは4ゲーム取ったら勝ち」

「となると7ゲーム制か、まあ一般的だな」

「そんでー、私たちは1点取ったら勝ち」

「ずいぶん有利な条件だなおい! 河内も良く受けたもんだ。それで今は確か……」

「3つめ取られたとこー。次のゲーム取られたら負けだねー」

「ううん……1ポイントぐらいはマグレで取れそうなもんだがな。返すので手いっぱいか」


 “まあがんばれ”とでも言おうと思ったがその前に、湯本が顔を寄せ小声で話し出した。


「へへ、まあ手は考えてますよ。こっちも後が無い事だし、ちょいと秘策を使わせてもらおうかと」

「秘策だあ? …………ああ、そうか。予想はつくけどな、出来るもんなのか?」

「やっていいんなら、やり様はありますよ。だいたい元からそのつもりなんでしょ、打川さん的には」

「最初はそう思ってたがな、今はまあどっちでもいいな。ともかく、やるなら抜かりなくやれ」


 指で輪っかを作って了解の意を示すと、そのままてくてくとコートに戻っていった。メイは何も言わなかったが、止める気もどうやら無いらしい。

 スポーツマンシップにはたぶん反するだろう。あるいは河内も怒るかもしれないが、その策が成功する様を見てみたくはあった。



 4ゲーム目は河内のサーブから始まった。

 本来であればサーブする側が基本的に有利に試合を進められる。だが、サービスエースだけで決まっては練習にならないと思っているためか、精度こそ高いが球威は抑えられていた。

 湯本がボールを捉えてストレートに打ち返すと、すぐに河内は追いついて高めにクロス球を返す。

 メイの正面に打ちごろのボールが来たが、逸った強打はせず軽いタッチで前に落とそうとする。

 ネット際とまではいかないものの、ドロップ気味のこの球を打つには前に出るしか無い。小走りにステップを踏んで動き、河内のラケットは低い打点で白球を捉えた。

 正面にいた湯本の左脇を抜けて、ライン上にボールが刺さった。


 ……これでまずは1ポイント先取である。慣れた人間であれば反応してボレーも出来ただろうが、そもそも狙うには危険なコースをきっちり通せるボールコントロールには驚くばかりだ。中学生時分であればパワープレイに走ってもおかしくないのだが、すでに河内のテニスは完成しているように見えた。

 自分との対戦ではバックハンドでの強力なストロークや変化の強いカットサーブも扱っていたし、およそ隙は無いようだ。


 こうなると湯本が“秘策”を仕掛ける隙があるのかと不安になってくるが、口が出せるわけでもないので見守るしかない。


(今のラリーは……なまじメイが揺さぶろうとしたものだから、河内は守備的な手堅い返し方が出来ず……)


 ふたたびサーブが放たれ、中央線ギリギリに打ちこまれる。

 無難なレシーブを返すと、同じように河内が湯本のフォアハンド側に落とす。


(湯本がボレーをしてもすぐに返せると踏んで、サイドを抜きに掛かった。湯本はそれを何もできず見送ったように思えたが……)


 タイミングをずらすように、湯本は低い位置に球が来るのを待ってから、すくうようにクロスに返す。

 “湯本の次はメイ”とばかりに、初めから一貫して交互にボールを打ち分けていた河内はやはりメイに向けてスライス気味の球を低く打ち込む。


(もともと湯本の反射神経なら反応ぐらいは出来たんだ。だがその打球は捨てて“集中”に徹した……)


 ――――低めに続くラリーに耐えかねたように、メイは球を高く打ち上げた。

 いわゆるロブショットだが、下手に打ってはスマッシュを誘発するし相手に時間を与えてしまう。

 相手が前に出ていれば絶好の一手になるが、あいにく河内は最も後ろ――ベースライン近くで構えていた。

 そのままでアウトになる事は無いが、“こう”なれば河内は余裕を持って自由に打ち返せる。

 空に吸い込まれるようにゆっくりと軌跡を描き――――


(……使うべき機会を逃さないために。“ボールの運動状態が静止に近付く”タイミングでなら――――)


「…………!」


 その一瞬、誰もがボールを見失った。


 ちょうどネットの上空を越えたあたりで、放物線の頂点に達した白球は姿を消したのだ。

 だが“消えた”という不可思議な現象は一側面にすぎない。ボールはある者に呼ばれるようにして、“移動した”のだから。

 つまるところ、クラスB-8・湯本恭平の能力『コール』に呼ばれて。

 彼の正面方向――――河内側のコート中央上空に、突如としてボールが出現したのだ。


 まだ中空に浮いてはいるが、今この一瞬ののちに柔らかく地に落ちるしかない。


 動揺があったはずの河内の反応は、それでも相当な早さではあった。なぜか前方に出現した球を目ざとく発見し、ともかく足を踏み出す。

 無論、どれだけ足が早くとも届く距離ではない。そうなるように湯本が調整したはずだ。


 三歩も進まぬうちに、球は無情にもコートに触れてぽんと弾んだ。


「…………っ」


 その時点で河内は足を止めかけたのだが、その視線だけはまだじっと球を追い続けていた。

 諦め切れないだろうが、しかしここからどうする事も出来ない――――



 はずだった、が。

 ボールは、再びその場から消えた。



「なっ!?」


 驚きのあまり短く叫ぶとともに、反射的に湯本の方に顔が向く。

 しかし彼もまた、ぐわっと目を見開きぽかんと口を開けて驚いていた。

 メイや俺に出来ないのは当然として、湯本の仕業で無いとしたら――――これはつまり。


(河内の能力、か……!?)


 辺りをまず見回して白い球のありかを探すがどこにもなく、きょろきょろと首を回す途中で河内の姿が目に入った。


 河内は、空を仰いでいた。真上を見るように喉を晒して、眩しげに眼を細めて。

 そしてなぜか首はそのままで、ゆっくりと前進してゆくのだ。そうしてボールが消えた場所へとじっくり近付き、程なくすぐ近くまで到達した。


 そこまで来ると軽く腰を落として、首をぐっと元に戻し。

 ――――ついさっき、ボールが二度目の消失を起こした空間を見た、まさにその時。



 ボールは出現した。

 消失した部分に、時が戻ったように。



 そして河内はストロークの為に、すでにラケットを引いていて。呆然とする湯本とメイの間を目がけて打ち、ごく柔らかいタッチで球を運ぶと、球は二度コートに弾んだ。


 一瞬の攻防の果てに、いま河内はこのゲームにおいて2ポイント目を取った。

 ただ、その事実だけが残ったのだ。



- - - - -



 その後。河内は何を言うでもなく試合を再開し、危なげなく2ポイントを連取して勝った。

 試合が終わるとすぐ、湯本は謝りつつ仕掛けた能力についてをばらしたが、河内はにっと微笑んだだけで何とも言わなかった。


「似たような能力ってのは分かってましたけどねえ。真っ向から打ち負かされたって感じですね」

「いずれ勝てるような機会もあるだろ。今回は向こうが一枚上手だったというわけだ」

「まずは勝てる土壌を見つけたいとこですがね」


 それからしばらく河内の練習に付き合ったり雑談を交わしたりしていたが、やがて時間と言う事で解散を決めた。


「それじゃ、また今度の機会に。河内君もなー、今日は楽しかった」

「そうだねー、疲れたけど楽しかったー。訓練になったかはともかく、テニスするのは楽しかったねー」

「訓練……ああ、そういやそうだったな。すっかり忘れてたがまあ良しとしようか。じゃあな、二人とも」


 言いつつ何気なく河内の方を向くと、卒然として彼は初対面時と同様の長く激しい語りを始めてくれた……のだが、今は省略しよう。

 なんとかだいたいを聞き終えた後でそれぞれ別れ、帰途に就いた。



「ねーシンゴ」

「ん、何だ?」


 行きは楽だったが帰りは至極面倒な坂をゆっくりと登りながら、メイが話しかけてきた。


「今さらだけどさ、テニス部だったんだね」

「本当に今さらだな。今日は借りたが、家に行けば昔使ってたラケットなんかも置いてあるぞ」

「そうなんだー。高校ではやらないの?」

「んー……中学ならいざ知らず、尾岐山はけっこうなスポーツ校だしなあ。軟式で結果出してるとは聞いてないが、だとしてもシゴキについて行けるとは思わねえしな」

「そう? ぜんぜん思わなかったの、行ってみようって?」

「見学ぐらいは行ってみたが、まあそれっきりだ」

「そっか」

「そうだ」

「……やっぱり楽しいだけでもないってことなのかな」

「勝てれば楽しいさ。あるいは今日遊んだみたいに、勝ちにこだわらなければな」

「ん」



 ……中学でも結果を残せたわけでなく、地区大会どまりで県大会への切符はついぞ手に入らなかった。

 部活動自体は楽しかったが、試合となると敵わない相手ばかりだった。


 壁に当たってなお絶望せず諦めなければ、そこからでも戦い続けただろう。

 自分はそれほど出来た人間ではなかった。精神において、スポーツマンにはなれなかった。


 けれど河内のような奴なら、たとえ強大な相手にでも曇りない心で立ち向かっていけるのだと思う。

 


 去り際に彼が残していった言葉の山は、くどいようでいて爽やかな若い力を感じさせた。

 その姿は目に痛いほどにどこまでも明るくて、眩しかった。


- - - - -



「これで今日の訓練も終わりだね。能力としてはわずかにしか扱う機会が無かったけれど、テニスの練習にはなったかな。その点で僕にとっては非常に有意義な時間になったし、皆には感謝しているよ。湯本さんの能力には驚いたけれど、貴重な物を見せてもらえて有り難く思っている。打川先輩とも良い勝負が出来て嬉しかったし、狩野さんにもラリー相手をずっとしてもらって助かったし……今日はもう言う事が無いね。確かに能力訓練にはならなかったから、本当はよくないのだろうけど少しだけ能力の事を教えてあげようかな。僕の通号は『クリア』といって、視界に入った物体を選んで消してしまうんだ。ただし一度目を離してからふたたび見れば元に戻せる。あとずっと見ないままを貫いていても、その場を離れれば戻ってしまう。……見たものがどこに消えるかってのは、僕も分からないな。けど、基本的に状態は変わらずに戻ってくるようだ。湯本さんとも能力は近いという話だけど、カテゴリーを設けるなら“空間系”とでもいうところかなあ。何にせよ同系統で高レベルな能力を目の当たりに出来て嬉しいな。いままではほとんど、他の能力者と一緒に訓練をした事は無かったから。これからも何かしらの機会さえあれば、また楽しめるといいね。能力のことでも、レクリエーションで集まるのでもどちらでもいいけど。そのときはまたよろしくお願いしたいね。故あってというか不器用で、うまく話したりは出来ないかもしれないのだけれど、それで良ければ。それではまた、次に会うときを楽しみにしているよ。みんな、今日は残りも少ないけれど、どうか良き日を過ごせますように。またいつか会おう」




- - - - -


    <16> 舞い上がり擦れ落ちる /了


- - - - -

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ