<15> 移りゆく果実の緑 (後)
能力者の二人がいる方向から身を背けたまま、とりあえずはイヤホンに耳を澄ませる。
「こんな趣味の悪いことをして。彼らにスパイの嫌疑でもかかってるんですか」
「あくまで訓練の一環だよ。聞こえ具合はこっちで調整するからよ、お前は気付かれない程度に様子を伺ってくれ」
半ばほど首を回して振り返ってみるが、二人がこちらを気にしている様子は無いようだった。さすがに遠くて細かい所作や表情までは伺えないが、まったく見えないという事は無い。
「このイヤホンって、そっちのとこっちのとで何か違いが?」
「いや? 俺のもお前のもまったく同じ音声を拾うはずだ」
「せっかく四か所に取り付けておいてモノラル出力……? いやそもそも、なぜ盗聴を?」
「そりゃーお前……巻き添えを食らいたくないだろ? 距離を取りつつ様子を把握するにはこういう方法がよかろ」
彼らとは百メートルほど離れているが、この射程で発動可能な能力はほとんど覚えが無い。強い効果をあらわす力ほど、効果範囲は狭く集中的になるためである。桜嶋の『リフレイン』などは例外に思えるが、あれは単純かつ持続性に欠けるためだろう。
参崎の扱う『グレート』の射程については詳しくないが、一対一という性質からして遠距離に有効とは思えない。
「……つまりは、二人を戦わせる気ですか」
「そうなるかもな……お?」
かさかさとシートが揺れ動く音が、イヤホンに届いた。
向こうを見れば、参崎が座ったまま半身を埜滝の方にひねっている。それから少しの間だけ様子を観察するように黙ったあと、短く呼びかけたようだった。
『おい』
『ん、なあに~?』
腹立たしげな参崎の低い割れ声と、長音に癖のある気の抜けた声が好対照にたがえられる。
『てめえの能力は何だ。通号は』
『う~ん? 何だったっけなー、つーごーもさ~。けっこう前に聞いたんだよ~?』
『……じれってえな、クソッ……じゃあ使ってみろよ、そいつを。能書きは良いから実践して見せろ』
「……ああ言ってますけど、使っても問題は無いんですか?」
「大丈夫、いけるいける、ぜんぜんオッケー。直接的な影響はないから」
「間接的な影響は出るんですね……?」
「おう、それも不可避と言っていいレベルで凶悪なヤツだ」
え、と驚く声を呑みこんだのは、二人の会話が丁度その時再開されたからだ。
『んー。むり』
『っだと……ふざけてんのか。使えねえってことは場所の影響かよ』
『ううん、それは関係無いよ~。ていうかさっきもくるまのなかで言ったじゃ~ん?』
『……るっせえな……じゃあ時間帯か、それとも条件付きか』
『いやあ、な~んにもいらないんだ。けどさ~、“見えない”から証明がむずかしくて』
「愛中とか美濃川の系統ですか」
「そういう系統は念動力の一種だから作用すれば肉眼でも分かるだろう。あいつの力はそういうもんさえ観測できない」
だいたい見える奴には力場もくっきり分かるらしいし……と一応の補足を川藤が継いだ。
『そういうきみ……名前何だっけ~、まあいっかー。きみのはどういう能力なのお~?』
『オレは参崎だ、参崎龍! ノダキっつったか、てめえに能力を見せる義理は一切ねえ。上からの頼みで無けりゃ今日だって来るつもりなんざなかっ……』
『りゅー、って名前なんだ。へえ~、なんかわたしと似てるねえ、“りゅうか”と“りゅう”で一文字違いだし~。そいじゃあ、りゅー同士仲良くしようね~』
『んだと、コラ……何でてめえなんかと……。 っ!おいなんだやめろ、何のつもりだ』
シートの上に片手をついて、はいずるように埜滝が近付く。もう片方の腕で、先ほど川藤が渡した茶のポットを抱え込んでいた。
『フタが硬くて~、開かなくて~。りゅーくん、開けられる~?』
そう言って埜滝が、参崎の目の前にずいとポットを掲げた。
意外にも拒否する様子は無かった。あるいはこれ以上の関わり合いを避けるためだろうか、返事はせずにポットをもぎ取って、すぐさまフタを回す。
『何だおい、どこが硬いってんだよ……簡単に開いたぞボケ。こんなもんてめえ一人で飲んでろ』
『わ~、ありがと~。でも汗だらだらだよ?すいぶん取った方良くない?』
蓋部分でもあった円筒型のカップに茶を注ぎ、ふたたび参崎に向けて突き出す。
『先に飲んでいいよ~……はい、ど~ぞ~。たぶん粗茶ですが~』
『いらねえっつって……押しつけんなってんだよ、クソ、やめろっての全く!』
そのままもみあって落とすかとも思ったが、参崎は器用に指二本だけでカップを奪い取り、手元に引き寄せた。
『飲みゃあいいんだろったく……っだ!? 熱ッ、熱いっ!! おい何だこりゃ、麦茶じゃねえのかよ!?』
『あや~、熱かったの~? 気付かなかった~。飲まなくてよかったね~?』
『今まさに飲んだだろうが!? さっきから何だってんだ、わざとかコラ、てめえ!』
『わたしはなにもしてないよ~? あ、それよりお茶飲む~?』
「……コントみたいなことになってますけど。あのポットを用意したのは……」
「仕込んだのは俺だが、指示したのは桐代だよ。……もっとも、飲むとは思わなかったが」
「そうまでして戦わせたいんですか、あの二人を。戦えと言えば応じるんじゃないですか」
「まあ、ともかく様子を見てろ」
そう言われて再び振り向いてみれば、目を離した隙に参崎が立ち上がっていた。
『――――もういい。やってらんねえ』
『あれ、どしたの? あ~、トイレに行くとか~?』
『違う。いいか、今からお前にオレの能力を見せてやる。“それ”で俺と戦え』
『うえ~? よく分からないけどイタイのはイヤだよ~?』
『ハッ、傷がつくわけじゃねえよ。負けたところで疲れて動けなくなるだけだ。結果的に大人しくしてもらえりゃ十分なんだよ』
『ふ~ん? でもわたし、せんとー能力は持ってないよ』
「そうなんですか?」
「まあちょっと特殊って言うか……本人に能力の自覚がないもんだしな」
『立て。まずはオレの“幻”を見せてやる』
『わ~、わかんないけど、じゃあ見せて見せて~』
闘争の気配など一切感じ取れないといった様子で、気ままに埜滝が手を叩いて喜んだ。
参崎は少し前傾するように身構え、あのとき裏手の坂でそうしたように右腕をすっと振り上げた。動きにつられて埜滝の首が上を向いていき――――その頂点を見つめるより早く、真下に勢いよく腕が振られた。
そして――――。
『…………』
『…………ん~っ? これでどうなったの~?』
「……あれ、何も出ませんね。不発でしょうか?」
「ほう」
さして驚いてもいない様子で、川藤が相槌をくれた。
『……何だ、何でだ……? 出ねえ、畜生!“幻覚”が見えてこねえっ!』
『げんかく~? それって見えていいものなのかな~? 疲れてるんじゃないのお~』
『いや、出したのを消されるならともかく、今まで不発なんて事は一度も……! ……まさか、てめえが何か細工しやがったのかよ!?』
『な~んもしてないよ~、わたし~。とりあえずのんびりしよ~よ~、落ち着いてお茶でも飲も~?』
呆然と立ち尽くす参崎をよそに、再び座りなおした埜滝がポットを拾い上げながら、更に続ける。
『……それに、いらいらしてたら能力も出てこないよお~?』
「川藤さん」
「どうかしたかい」
「今彼女が言った“それ”が正解って事ですかね」
「というと、お前さんはもう埜滝の能力が掴めたってのかい」
「複雑な能力を発現させるには、相応の集中力が要るはず……しかし彼女はそれを乱すことができる、ということですか」
「……桐代がつけた通号は『ハート』。心か傷か、どっちが本領かは分かったもんじゃないがな」
『今は出ないみたいだけど~、どういう能力か分かってるならいいんじゃないの~? わたしはさっぱり知らないんだよね~』
『……自在に使いこなせないもんに意味なんてねえ。そんなものは能力とは言えねえ』
『んん~、きっとそのうち使いこなせるようになるよ~。……なーんにもしなくたってね~、そうなっていっちゃうんだよお、きっと』
『何だ、そりゃ……分かったような事を言いやがって。予知能力者なのかよてめえは』
『最後にどうなるかはわかんないけど~。今どうなってるかはだいたい分かるから、もうそれでいいって思うんだ~』
『何が言いたいんだ。わからん。お前と話してるとイラついて仕方ねえんだ正直……黙っててくれ』
『うん、あ、じゃあチャックする前にひとつだけ~』
『何だよ』
『ううん、大したことじゃないけど~』
座り込んだ参崎の顔を覗き込んで、埜滝は遠目にも笑ったように見えた。
『きょう、きみに会えて良かったな~、って。りゅーくん、面白いね~』
『…………』
返答は無く、それきり参崎は黙り込んでしまった。
「だいたい終わったと見ていいか。今日のサンプリングはこれにて終了だ」
実際にサンプリングを実行したのは埜滝であり、立会人達にとってもそちらが目的だったようだ。
「さっき、仮に参崎が能力を使えたとしても――――」
「それはそれで貴重なデータだ。あまり訓練にはならないだろうが、参崎にはいい薬だったんじゃねえかな。やりようで無敵ともいえる力だからこそ、慢心は当人の為にならん」
「いずれ彼が、埜滝の力を越えて能力を発動できるようになる……という事もあるんでしょうか」
「ふ、そこはさっき言われた通りだよ。ほっといたって埜滝も成長するだろ? なるようにしか、ならねえんだろうよ」
盗聴器を片付けながら語る川藤は、確かであるなら薄く笑っていた。
上の思惑はいまだ知らない。最終的に彼らにどうあってほしいのかは不明なままだが、物事は立会人の予測通りにのみ進むわけではないらしい。
時が経てば変化は訪れる。たとえ今が最高の時期であると感じていても、現状のままではいられないだろう。
能力の有無など関係もなく、人はそうやって生きるしかないはずだ。
――――少なくとも、ヒトであるのなら。
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<15> 移りゆく果実の緑 /了
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